恋する子猫の機甲戦記

John Mayer

Prologue

 背の低い藪が延々続く丘陵地帯を、若い小隊長が率いる部隊が走り抜けていた。

 

 各々が、屈強な肉体を持った戦士である。ロケットランチャーや、大口径のバトルライフル、あらゆる武器を子供の玩具も同然に扱うことが出来る。全ては血の滲む訓練が為した成果だ。そういう自負を、すべての兵士が有している。

 

 しかし、どうしたことか。

 

 小隊長の顔には、焦りの色があった。皆、疲労の色が濃い。血の気の引いた顔で歯を食いしばる様は、まるで幽鬼のようだ。

 無理もない、もうどれだけ走り続けただろう。一時間では足りない程だ。

 

 走る。脇目も振らず、走る。

 

 尖った木々の枝が野戦服の上から体を傷つけたとしても、彼らは決して立ち止まらなかった。擦過傷の一つや二つ、どうせ死にはしない。だがそれは、気概や覚悟とは程遠い感情から芽生えた諦観だった。


 むしろ、恐怖。


 その時、殿を行く隊員の一人が、藪に足を取られて前のめりに倒れ込んだ。


 残る三人の兵士たちは、その音に気づいて立ち止まる。

 が、誰一人として、手を差し伸べるようなものはいない。

 皆、自分の生を確保することに必死だった。他人のことなど考えている余裕はない。ただただ、走らねば。そんな狂気に捕らわれている。


 鋼の肉体と、精神を持った兵士たちが一体、何故?

 若い小隊長は意を決して、倒れ込んだ兵士に肩を貸した。

 見ると、兵士の足はあらぬ方向へと折れ曲がっており、既にその役割を失っている。歩くこともままならないだろう。

 それでも、若い小隊長はわずかに残された兵隊としての義務に従った。


 逃げるのだ。奴から!

 ――だが、時すでに遅し。


 斜陽の射す薄暗闇を、切り裂くような風が吹いた。

 兵士たちに悪寒が走る。迫る死の恐怖を助長する、禍々しい悪寒が。

 彼らがつい先ほどまで戦ってきたのは、まさにそれだった。そして、多くの戦友は、その餌食となった。既に還ることのない輩となった。


 兵士たちは息を呑むことも忘れた。すでに走る気力も、掻き消えた。

 風は強さを増す。もはや暴風と化したそれは、若い小隊長の顔を叩きつけるように撫ぜた。

 生暖かい、そして、強烈な臭気を帯びた風だった。硝煙と、腐臭と、そして野生動物の体臭が複雑に折り重なった独特の臭い。


 ああ、遂に来てしまったのだ。

 誰もかれも恐怖に顔を引きつらせている。部下たちの人とは思えぬ今にも狂いだしそうな様を見て、若い小隊長は察してしまった。

 荒れ狂う暴風の中、彼は恐る恐る振り返る。


 奴は、空にあった。


 大樹を苗木と錯覚させるかのような巨躯。極端に発達した後脚。それに反して前脚はひどく小さいが、五指の爪は人間など造作なく切り裂けるほど鋭い。何よりも、それの存在を特徴づけるのは、背後から突き出した禍々しい翼。


 空から舞い降りたのは、天使の対極と見紛う恐怖の権化、《ドラゴン》であった。

不意に、兵士の一人が絶叫し、担いでいたロケットランチャーを放った。音速に近い速度で、弾頭が《ドラゴン》目がけて飛翔する。一秒とかからず、弾頭は《ドラゴン》を捉え、派手に爆発した。


 強烈な衝撃は《ドラゴン》の羽ばたきと爆発が折り重なって兵士たちを襲った。思わずその場に伏しやり過ごす。

 ランチャーの弾頭は、間違いなく《ドラゴン》に直撃した。

 いかにそれが、幻想世界最強の獣だとしても、《ドラゴン》とて生物なのだ。ダメージはあるに違いない。

 確証はない。が、そういう期待を抱き、彼らはじっと煙が止むのを待った。《ドラゴン》が息絶えて、地に潰える姿を夢想しながら。


 が、やはりそれは夢想であった。


 《ドラゴン》は依然としてそこにあった。ダメージはない。弾頭が当たったという傷跡さえ、ない。

 兵士たちは、その場に立ち尽くして羽ばたく巨大な獣を眺めた。すでに逃げることも忘れた。それほどの絶望感が、共通に彼らの心を埋め尽くした。

 《ドラゴン》は、爬虫類にも似た立て細い瞳孔の双眸で、兵士たちを睨みつける。

値踏みされている。もはや、立場は決してしまった。

 

 狩る者と、狩られる者。

 喰う者と、喰われる者という立場に。


 《ドラゴン》の口が僅かに開き、灯りが燈ったかのごとく赤く燃えた。六千度に達する高温の火球。《ドラゴン》を《ドラゴン》たらしめる攻撃だ。そんな炎を真っ向から受けて無傷でいられる現用兵器は、およそこの世の中に存在しない。

皆が死を覚悟した。こんなところで終わる自分の人生を、呪うことも出来ぬまま。


 やがて、無限と思える、しかしほんの一瞬であった《ドラゴン》の溜めの後に、火球はより大きさと光を増し――


 刹那、轟音が耳をつんざいた。


 爆炎が、暴力的な衝撃が《ドラゴン》を横合いから叩きつけた。

 《ドラゴン》の火球が放たれることはなかった。代わりに、硝煙が濛々と立ち昇る。そして、遂に巨大な翼は羽ばたくことを止め、地に潰えた。

 呆然と立ち尽くす兵士たちをよそに、同種の爆炎が二発、三発と叩き込まれていく。


 こんな光景は初めてだった。《ドラゴン》が傷つき、赤黒い血潮を噴き出す。口腔からは苦痛に満ちたうめき声が漏れる。


 あの地上最強の獣が、押されている。


 その時、一つの影が《ドラゴン》の横合いから躍り出た。《ドラゴン》とは明らかに異なるシルエット。高速で《ドラゴン》に肉薄すると、強烈な蹴りが《ドラゴン》に吸い込まれ、その巨躯はまるで紙屑のように吹きとんだ。


 そう、シルエットは人型だった。

 しかし、あまりに巨大すぎた。裕に十メートルを超える、まさに巨人。


 長い首を振りながら、立ち上がる《ドラゴン》の瞳の色が怒りを帯び、威嚇の咆哮を巨人へ向けて放った。


 が、巨人は臆することなく、背中に装備していた一振りの剣を抜いた。片刃の長大な剣は、巨人が構えると同時に、絹を引き裂くような甲高い音を発した。《ドラゴン》の威嚇とは違う、もっと無機的な音だ。


 《ドラゴン》が自らの身長ほどもある翼をはためかせた。その力は、楊力とは異なる趣の強烈な推進力を生み出し、《ドラゴン》を巨人へと向かって突進させる。

高速で打ち出された弾丸の如く、巨人の懐に入り込む《ドラゴン》。

 小さいながらも太く、そして鋭利な爪が、巨人に振りかざされた。


 が、瞬時、巨人からぱっと光が漏れたかと思うと、その巨体が跳躍。

 サーカスのピエロのように宙を舞い、一瞬で《ドラゴン》の背後を取った。

 巨人のもつ大剣が、鋭利な軌道を描いてドラゴンの背中を切り裂く。その切れ味の凄まじいこと、《ドラゴン》の分厚い肉と皮膚は、あたかも紙きれのように簡単に裂けたのが見えたのだ。


 《ドラゴン》は断末魔の叫びをあげる。が、尚も凶器のごとき闘争心が、死に体を突き動かすのであろうか。倒れる間際の巨躯を強引にひねり、最後の一撃とばかりに爪を振るった。


 一瞬の隙を突かれたのか、剣を振り降ろした後の巨人は無防備であった。硬直した姿で、回避は不可能に見えた。

 その《ドラゴン》の攻撃は、またしても不発に終わった。

《ドラゴン》の腕を抉るように、一条の光の帯が走った。すると、まるで弾けるように振り上げられた腕は吹き飛んだ。


 続いて、もう一撃。それは、吸い込まれるように《ドラゴン》の胸部へと吸い込まれ――

 途端、《ドラゴン》は糸の切れた操り人形よろしく、絶命した。

 大音轟かせ地に伏す《ドラゴン》の、それが最後の姿だった。


 兵士たちは、つい先ほどまでの敵が死したことをまだ理解できずに、伏してその状況を見守っていた。

 瞬時に《ドラゴン》を屠った巨人。しかし、それが即ち味方である保証など、どこにもない。


 ようやく冷静さを取り戻した頃、陽の光を浴びて、巨人のシルエットが徐々にその姿を現した。

 ダークグレーに塗装された装甲板は、直線的な意匠でデザインされている。しかし、全体的に線は細く、どこか女性的でもある。各部に排熱ダクトと、戦闘機のようなバーニアが配されている。頭部は二本の太いアンテナにゴーグル、その奥のカメラアイが夕日を浴びて光った。


 極めて微細な振動を利用し、切れぬものは無いとさえ言及される高周波ブレードを装備した巨大なそれは、無機の塊、人類の英知、最新技術の集合体。


「……《フィギュライダー》だ」


 兵士の一人が、呻くように呟いた。


 唖然とする兵士たちの前に、屹立する超兵器。有人駆動機フィギュライダー

と、その機体の奥より同型の機体がもう一機姿を現した。

 こちらは、高周波ブレードではなく長大な迫撃砲を装備している。装甲もいくらか分厚く、恰幅が良く見えた。


 若い小隊長は、それらが敵でないと認めると、痛む体に鞭を打ち立ち上がった。

 修羅場を脱したことに気付いた兵士たち。ある者は緊張の糸が解けその場で気絶し、ある者はあまりの嬉しさに嗚咽交じりの歓喜を上げた。

 紛うことなく、彼らには二機の巨大な兵器が力強い騎士に見えたのだ。

 


 その姿に気付いたかの様に、《フィギュライダー》は頭部をこちらへ向ける。

 チュイン、とレンズを稼働させるサーボモーターの音がした。か、と思うと――


『あー! 見つけたー!』


 スピーカーから発された、パイロットと思しき人間の声。

 その声に、兵士たちの間には、再び沈黙が訪れた。


 巨大なる騎士の声は、ひどく甲高かった。そして、底抜けに明るかった。

 機体の胸部から高圧蒸気が噴出し、コックピットハッチが解放。

 内部から這い出るように、パイロットが現れる。


 兵士たちは、二度唖然とした。

 開いた口が塞がらないとは、このことか。

 誰が、こんな事実を信じると言うのか。

 

 現れたのは確かに女性であった。


「おーい! だいじょーぶー!?」


 大きく手を振る女は、与圧服のようなパイロットスーツに身を包み、ヘッドギアを装備し、そして――


「返事してよー! にゃー!」


 猫の耳が、頭頂部近くから、髪の毛と同じ赤茶色をした猫の耳が生えていた。

 それが、大きく手を振るのと連動しているかのように、ぴこぴこと動いていた。

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