第6話 ななふしぎ(その3)

ããããã®æè¡ãçªãè©°ãããããªæéもなく取るべき手段も限られていました。その頃あなたたちの世界にヒントがあると考えた人たちがいました。

 私たちがなぜ互いに傷つけあうのか。それは社会構造に由来するものではなく、もっと古い生物としての記憶に原因があると考えられました。群れを成す生物は弱い個体を排除することで、あるいは捕食者の標的となる弱い個体を作り出すことで、群れの存続を図ります。私たち人間が物心ついた頃から互いの差異に対して理解や思いやりより攻撃や疎外を優先的に選ぶのも、どのような集団にも強い者が弱い者をいじめる傾向が生じるのも、生物としての本能に根差した行動として説明できます。群れとして生き残る戦略が群れを構成する一人ひとりの苦しみを生み、そこから来る恐怖が私たちの世界をあの取り返しのつかない混乱に至らしめていたのではないか、そう考えられたのです。

 しかしあなたたちの世界にはこうした混乱はないように見えました。サンドスターによってひとつの種に一個体のフレンズが生み出される世界では、群れを存続させる戦略は必要なく、さらに個体間の差異を当然のこととして受け入れやすかった。その特性を持ちながらヒト化され社会性を持ち得るようになったあなたたちであれば、集団生活にあっても攻撃や疎外より理解や思いやりを優先的に選べるのではないかと期待されたのです。

 実際に私たちが観察をはじめた最初期に、あなたたちの世界では攻撃や疎外という行動は稀にしか見られないことが確かめられました。ですがそれは相互依存のない世界、各個体が自分の力だけで生きることを前提とした世界だからこそ成立するのではないか、とも考えられました。私たち人間の社会のように、各個体がその成員と認識する集団内で相互に依存し合う世界においても、あなたたちの行動特性が変わらないものなのかどうか、検証が必要でした。

 そんな時、キョウシュウで起きた一連の出来事が私たちの強い関心を引きました。そこでは、フレンズ同士が相互に依存する様々な社会行動をとり、超大型セルリアンの発生に際しては一個体を救うために多くの個体が危険を省みず連携して立ち向かいました。このことは根拠としては不十分ながら、集団生活においてもあなたたちが個体間の差異を受容する安定した関係を保てるはずだという仮説を補強しました。

 キョウシュウで起きたような出来事は観察例が非常に少ないものでしたが、過去になかった訳ではなく、ここに見られる行動特性はあなたたちが本来的に持っているものなのだろうと推測されました。何らかの条件下において、トリガーとなる因子がそうした出来事を引き起こすのではないかと考える向きもありました。

 そのとき私たちが注目したのは、一連の出来事の中心に存在していた個体でした。それはヒトのフレンズとし

っちだ!」


 先を走るツチノコさんが指差すぽっかり開いた暗い部屋にぼくたちはそのまま飛び込んで、廊下から見えない位置に身をひそめる。


「追って来てるよ」

「しっ!」


 ぴんと耳を立ててささやくサーバルちゃんに、ツチノコさんが押し殺した声をかぶせる。

 そのときまた、ゴゴンと振動が地下全体に伝わる。大きな岩を狭いトンネルに通そうとして引っかかってるような無理やりな音が遠くからガリガリと鳴り続ける。

 その音にまぎれて気配の感じられないうちに、視界のすみで、さっきの影が廊下をこともなげに歩いていった。


「……もういいだろ」


 影が行ってたっぷり20呼吸くらい。ツチノコさんのやけに軽い声が沈黙を破り、ぼくとサーバルちゃんは音をたてて息を一気に吐き出した。

 そのままぼくが床にへたってると、ぱっと部屋に灯りがつく。

 ツチノコさんが壁のスイッチに手を当てて、すまし顔で室内を眺めてた。壁ぞいの棚には見慣れないものが並んでいて、備品庫かなにからしい。


「ね、あれなんだったの?」


 たずねるサーバルちゃんを見もせず、ツチノコさんは棚の品々を物色しながら話す。


「ここの管理をしてるロボット……らしい。壊れたところを直したりな」

「でも追っかけて来たよ!?」

「ここはフレンズがいちゃいけない場所だからな」


 そうなのー? と首をかしげるサーバルちゃんの後ろから、ぼくはずっと疑問だったことを口にした。


「あの、じゃここはだれの場所なんでしょうか」


 ツチノコさんは手にもった小さな機械を棚に戻し、ぼくを振り返った。


「ここは……ヒトの研究施設だ」

「ヒトの……」


 気づくと、さっきまで響いてた遠くのガリガリ音がやんでいた。

 地下全体が静かだ。


「ヒト……ってなあに?」


 サーバルちゃんの明るい声が静かな部屋に漂う。

 ツチノコさんは棚の物色に戻り、「もういないけどな……」とつぶやいた。

 困った顔で振り向いたサーバルちゃんと目が合う。いつもならそこで一緒に不思議がるところだけど、頭の中で色んな考えがのたくるので、ぼくはただサーバルちゃんの瞳をぼんやり見つめてた。

 やっぱり地下だからか、部屋の静けさが重たく、息苦しかった。


「……はっ」


 備品をあさっていたツチノコさんがなにかに気づいて小さな声をあげたそのとき、突然感情の爆発した叫びが部屋じゅうにとどろいた。

 ぼくの頭は一瞬で真っ白になり、少ししてそれが喜びの声だったらしいと気づく。


「どうしたの? ツチノコ」


 嬉しさにテンション振り切れ寸前のツチノコさんが、サーバルちゃんに向かって手元の四角いパネルを得意げに掲げる。


「なにそれー?」

「このタブレット端末には、ロックがかかってないんだ! ああロックってのはだな、ここらのコンピュータにはだいたいかかっていて、ヒトにしか使えないようになってるんだ。ところがこいつならオレたちでも……はっ」


 突如の言葉の奔流に、ぼくたちはツチノコさんの熱っぽい顔をただびっくり見つめていた。

 その呆然とした視線に気づくと、ツチノコさんがはたと言葉を止めて、顔を瞬間的に真っ赤にする。

 またも大絶叫が響きわたる。今度は自分の異常なテンションを自覚した気恥ずかしさの叫び……らしい。

 次の瞬間、ツチノコさんは大きな箱の後ろに姿を隠し、顔だけこっちに出して「なんだこのヤローっ‼」と激しく威嚇していた。

 さっきも見たような光景だ。

 いつものごとくマイペースなサーバルちゃんは、「えー、聞かせてよー」と不満そうに呼びかけてた。


「はっ。さっさと行くぞ」


 しばらくたってようやく心を取り戻したツチノコさんは、取り乱しぶりをなかったことにするべく、ふたたび先輩モードに戻っていた。







「オマエ、学校は楽しいか?」


 廊下の先を歩くツチノコさんが、ぼくの方へ頭を振り向ける。


「ぼ、ぼくはまだ転校してきたばかりですから……」

「ま、そうか」


 ツチノコさんの退屈そうな横目に、一瞬優しい光が浮かんだ気がする。


「ツチノコはどうして学校に行かないの?」


 ぼくの隣を歩きながら、サーバルちゃんがたずねる。


「オレは……アレだ。なーんか不自然な気がしてな」

「不自然……ですか」

「ま、オレにはここの方が合ってる。落ち着くしな。もしかしたら」ツチノコさんはまたぼくの方へ頭を向ける。「オマエもそうじゃないかと思ったんだが」


 ツチノコさんはちょっと思い出すように視線をさまよわせる。


「あの学校新聞」

「えっ?」

「オマエが書いたんだろ?」

「……あ、はい。サーバルちゃんと……」

「掲示板の貼り紙のときから見てたけどな」


 ツチノコさんがまた前を向いたので、ぼくはその後ろ姿を、大きなフードを見てた。


「あんなことするフレンズはほかにいないだろ?」


 ぼくが答えずにいると、ツチノコさんは照れ隠しっぽい投げやりさでつぶやいた。


「ま、学校だけが居場所じゃないからな」


 でもここにずっといるのはやだなーってサーバルちゃんが言ったとき、ツチノコさんが急に立ち止まった。ぼくたちも足を止める。


「……いるな」


 ツチノコさんの緊張した低い声。


「さっきの?」


 ぼくには気づけないけど、またあの黒っぽいのが近くにいるらしい。

 サーバルちゃんが耳を立てて周囲の音をさぐってる。


「こっちだ」


 なぜ分かるのか、自信ありげにルートを誘導するツチノコさんにしたがって廊下を足早に移動する。

 と、いきなり床が揺れる。

 また例の振動が地下全体をおそった。

 そのときすぐ近くでなにかがはじけたような音がした。


「なになに!?」


 サーバルちゃんが天井を見上げたとき、ひときわ大きな破裂音。廊下の照明がチカチカと明滅する。

 すでに足音を気にする状況じゃないので、ぼくたちはツチノコさんについて全力で走っていた。

 わああああーっ、という叫びは自分の声だった。

 次の瞬間、真上から火花が散って、目の前が真っ暗になる。

 断ち切られた映像。

 その最後に、なにか叫びながらぼくに駆け寄ろうとするサーバルちゃんの顔が映っていた。




―――――――――




 グランドに立つライオンさんが、ぼくを見かけて軽く手を振った。


「やあかばんちゃん、ちょっとコーチしてくれないかなぁ? みんなバントが苦手でねぇ」


 あ、どうも、と歩いて行くと、隣にヘラジカさんもいる。


「おおかばん! サッカーも見てくれないか。オフサイド……ってのが難しくてな」


 見まわせば、まわりはひらけた平原だった。

 遠くで部員のみんながボールを蹴ってる。

 強い風に草木がごうと鳴ったとき、かすかに歌声が聴こえた。

 聞き覚えのある声。


「……どうだった? 私の新曲」


 日射しのいい日にテラスに座ってると、甘い眠けが夢うつつにさせる。

 すてきでした、とトキさんに答えてから、ぼくは両手をあげて伸びをした。風がテーブルに置いた書きかけの記事を揺らす。


「おぉがんばってるねぇ~、まぁこれ飲んでひと休みしなよぅ」


 アルパカさんのコーヒーがいつもより香る。なんとか明日までに記事を仕上げられそうだ。

 のどにいいというハーブティーに感動したトキさんが、アルパカさんにお礼を言ってる。それじゃトキさんもこの1年生寮に住めばいいのになってぼくは思ったけど、よく見ればそこは寮というよりまるで山の上の小さなカフェだった。


「ここと、ここ、それからこっちにもなにか……」


 ぼくは地図を広げながら、山の一角を指し示していた。みんなの噂をまとめると、確かになにかがあるはずなんだ。


「おおお、あったのだ! さすがかばんさんなのだ!」

「こっちもあったよー!」


 嬉しそうに報告するアライさんに続いて、フェネックさんの声も聞こえる。

 山頂に近いせいで風は強く、あたりは荒涼とした岩肌だらけだ。

 いつものメンバーだけがそこにいる。


「こっちはないみたいだよ?」


 岩の向こうからサーバルちゃんの声が届く。そのあたりに地下室の入口があるはずなんだけど。


「かばんちゃん?」


 サーバルちゃんが呼ぶ方に向かって岩場を歩いていく。

 さがしてるのは地下室じゃなくて、埋まってるはずのåç¥だったのを思い出した。

 歩けどもサーバルちゃんの姿がなかなか見えないのがもどかしい。


「かばんちゃん?」


 ぼくもサーバルちゃんを呼ぼうとするけど、声が出なくてどうにも困る。

 気づくと霞がたち込めていて、さっきまでの良好な視界が幻のように白く溶けていた。


「ね、なにさがしてるの?」


 サーバルちゃんの声がやけに反響して聞こえる。

 そこに埋まってるはずなんだけど。

 遠くからぼくを呼ぶ声がする。







 それはピアノの音だった。優しい旋律が上下する。

 薄目を開けると、白っぽい壁が見えた。

 壁も床も白く、まぶしい。

 ひんやり静かな部屋だった。

 ベッドに寝かされた体をゆっくり起こす。

 痛みはなかったけど、体の数ヵ所に包帯が巻かれていた。

 起き上がって少しすると、ピアノがやんだ。


「あの……」

 

 自分の声がぎこちなく部屋に転がる。

 そこはひとりでいるには広すぎて、かえって居場所がなかった。

 ぼくは少しずつ状況を思い出す。

 ツチノコさんについて地下の廊下を走っていた。そのとき大きな音がして。

 サーバルちゃんは無事だったろうか。

 部屋にはだれもいないように見えた。一角にあるグランドピアノが芸術品ぽく空間に馴染んでいて、天井から優しく射す日の光が優しい影をつくっていた。

 よく見るとその光は天井一面の照明で、部屋には窓もなく、ぼくがいるのはやっぱり地下の一室のようだった。


「……いつかその日が来ることを願って、私たちは準備していました」


 目をやると、壁の一部が映像を流してはじめていた。

 昔あった出来事の記録に、だれかが声を重ねているみたいだ。

 その声は休まず話しつづけ、すごく難しい言葉を並べたので、とてもいまここに書き留められない。ぼくたちフレンズとは違うだれかが、ぼくたちに向けてなにかを伝えようとしていた。

 ぼくは図書館で借りた本のこと、視聴覚室で会長に見せてもらった映像のことを思い出した。


「……そんな時、キョウシュウで起きた一連の出来事が私たちの強い関心を引きました……」


 そんな言葉が流れたとき、映像にサーバルちゃんがいた。走ったり笑ったりしてる様子が大きく映し出された。

 みんなの姿もあった。草原や森にいるせいか、学校にいるみんなとはどこか印象が違ってて別の子のようにも見えた。

 そして、ぼくがいた。

 来てる服もかぶった帽子も違ってたけど、ぼくだった。

 サーバルちゃんと話すぼく。

 小さくてふわふわした動物と、自動車……バスに乗って、ぼくたちは旅をしていた。


『ラッキーさん、いまはそんな場合じゃ……』


 ずっと解説しつづけていた声がやみ、記録映像そのものの音声に切り替わった。聞こえてきた言葉がぼく自身の声だとすぐ気づかなかった。


『ラッキーさん、ぼくはお客さんじゃないよ』


 映像の中のぼくが語りかけている。目を光らせてなにか叫んでいるその小さな動物にかがみ込んで。


『ここまでみんなに、すごくすごく助けてもらったんです』


 見ている映像がぼやけるので、ぼくは自分が涙を浮かべてるって気づく。


『みんなのために、できることをしたい』


 流れた涙があごから落ちて、とんと手の甲に当たる。

 映像の中のぼくは、ぼくよりすごくしっかりしてた。考えて、決断していた。

 あれはぼくじゃないと思った。

 だけどやっぱりぼくだってことも分かった。

 そのとき遠くからゴゴンと低い音が響いて、ベッドがかすかに揺れた。ツチノコさんといたときにもあった例の振動だ。

 気づくと映像は消えていた。







「かばんちゃん! 大丈夫ー!?」


 閉じた扉の向こうからかすかにサーバルちゃんの声がした。

 ベッドから飛び降りて、急いで扉の方へ走る。

 取手もなく、ぴったり閉じた扉。

 脇についたパネルのようなものをいじってると、いきなり扉が自動的に開いてびっくりした。


「わっ!?」


 扉の向こうからもおどろいた声。通路にサーバルちゃんとツチノコさんがいた。


「サーバルちゃん!」


 ふたりハイタッチで再会を祝う。

 ツチノコさんはぼくたちのそばを通り過ぎて、開いた扉をしげしげと観察してる。


「扉が開いた!? これ、オマエが……?」


 そのとき、通路に立つもうひとりが目に入ってぎょっとした。


「えぇっ!? サーバルちゃん、こちらは」


 影のように真っ黒な体。

 ぼくたちを追いかけてたやつだ。姿かたちはフレンズさんに見えるけど、のっぺりして特徴がなく、無感動なそぶりで……というか立ったまま彫像のように動かない。


「あ、この子がかばんちゃんを助けてくれたんだよ」

「崩れた天井からオマエを引っ張り出してな。こいつがそんなことするなんてはじめて見たな」


 サーバルちゃんとツチノコさんは、気を失ったぼくを運ぶこの黒い子についてここまで来たそうだ。

 あわてて助けてくれたお礼を言うと、その子はちょっとうなずいたように見えたけど、無言のままだ。ただ、なにかを待ってそわそわしてるように見えた。


「なにか、言いたそうですけど……」

「施設でやばいことが起きてるみたいだからな」


 ぼくたちが話してる間も、遠くでガリガリと音がして、断続的に振動が伝わってきた。


「あれっ、どこ行くのかな?」


 黒い子が通路を歩き出したので、ぼくは迷わずあとに続く。「ついて来てって」知らず声が出ていた。


「かばんちゃん、どうして分かるの!?」

「そんな気がして」


 その子は別の部屋に入っていった。その扉も自動的に開いた。

 そこにはいろんな生き物やフレンズさん……らしい姿が並んでいた。


「わ、なんかたくさんいるよ!」

「これは……みんなロボットか……?」


 どの姿も身動きせずにいて、生きてるようには見えなかった。うすくほこりの層をのせた子もいて、相当昔から動かずここにいたみたいだった。

 視界に見覚えのあるものがよぎる。小さくまるっこい体に大きな耳としっぽのついた動物……。

 サーバルちゃんたちが部屋の奥へ歩いていく間、ぼくはその目の前の動物をじっと見てた。

 その頭に手を伸ばしたとき、突然目が光る。


「ふわぁっ‼」


 後ろに倒れ込んだぼくの前で、その動物が細かく体を震わせる。

「なになに!?」と、サーバルちゃんとツチノコさんがあわててそばに駆け寄る。


「…………バ……バババ……」


 その動物は足をぴょこぴょこ動かしながらぼくの目の前まで歩いてきた。


「……ジメマシテ。……ボクハ、ラッキービーストダヨ」


 抑揚のない不思議な声。


「うぅわあああーっ、しゃべったあーっ!?」


 サーバルちゃんが大袈裟におどろくなか、ツチノコさんも身を乗り出して「こいつは……オマエに反応してるのか……?」と真剣だ。

 ぼくは床に腰をついたまま、その動物と会話する。


「……君ノ名前ヲ教エテ」

「か、かばん……て言います」


 その動物はちょっと首をかしげるようにして、こっちを見る。


「かばん……。今コノ施設ハ危険ナ状態ニアルンダ。君ノ手ヲ、貸シテクレナイカナ」

「危険な状態……ですか」


 また上の方からガリガリと、重たいものがこすれ合うような音がして、床を揺らした。


「今コノ施設ハ警戒態勢時ノぷろとこるニ従って、対せるりあん防壁ヲ自動展開シヨウトシテルンダ。ダケド、一部設備ガ破損シテイテ、ウマク作動シナインダ」


 ラッキービーストと名乗るその動物が淡々と言葉を続けるのを、しゃがみこんだぼくたちはじっと見つめてた。


「修理スルマデ、該当ぷろとこるヲ一時的ニ無効化シタインダ。ソノタメニハ、研究員ノ承認ガイルンダヨ」

「そ、その……研究員さんはどこにいるんですか?」

「かばんヲ、暫定研究員ニ設定、権限ヲ付与シタヨ」


 隣のツチノコさんが、はっと息を飲む。


「ココカラ最短ノ発令端末ヘ行ッテ、君ニ承認シテ欲シインダ」


 それが、ぼくにしかできないことを頼まれてるってことだけは分かった。


「……それ、危なくないの?」


 サーバルちゃんが心配そうにたずねる。ぼくもうなずいて、その動物を見つめ返す。

 ゴゴンと遠くで音が鳴るたび、施設全体が揺れる。


「発令端末ヘ行クマデニ、壁ヤ天井ノ崩落ニ巻キ込マレル危険ガアルネ。サッキノヨウニ電気系統ガしょーとシテ、近クデ爆発スルカモ知レナイヨ」

「そんな……」

「脱出ヲ優先スル方法モアルヨ。安全性ノ高イるーとヲ通レバ、無事ニ外ニ出ラレル可能性ハ高クナルヨ」

「そうなんだ! じゃあそうしようよ!」


 サーバルちゃんはすっかり解決したって笑顔で立ち上がる。


「……ほっといたら、この施設はどうなるんだ?」


 しゃがみ込んだまま話すツチノコさんの声は深刻そうだ。

 その動物が答えないので、ぼくはあらためて同じことをたずねた。


「被害ノ影響ガ発電しすてむニ及ンダ場合、じゃぱり学園ヲ維持スルコトガ困難ニナルヨ」

「ええっ、どういうこと!?」

「じゃぱり学園ハ、コノ施設ノ電力デ維持サレテルカラネ。さんどすたー供給しすてむガ停止スルト、ふれんずトシテノ活動ヲ保テナクナルヨ」


 みんなしばらく言葉を発さなかった。

 時折施設を揺らす重たい音だけが響いた。

 意味はよく分からなかったけど、ほっておけば学校がなくなっちゃうかも知れない、ってことはみんな理解していた。


「……どっちもキビシイな」


 ツチノコさんがため息をつくように言葉を放り出した。

 ぼくはさっきの明るい部屋の、映像の中のぼくを思い出した。ぼくの力でみんなの危機を救えるなら迷わない、あのぼくならそう言っただろう。

 ……それは、ぼくも同じ気持ちだった。


「それじゃ、なんとかして止めなきゃですね」ぼくは立ち上がった。「ラッキー……さん、その場所まで、案内してください」


「あたしも行くよ!」サーバルちゃんも立ち上がってぐっと身構える。「よく分かんなかったけど……学校がなくなっちゃうなんてダメだよ!」


「ま、オレは学校がなくなってもいいけどな」ツチノコさんもポケットに両手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに立ち上がる。「……といってこの体がなくなるのも困るしな。ま、みんなで行きゃなんとかなるだろ」


 ぼくたちがうなずき合ってると、ラッキーさん、とぼくが呼んだその動物がこっちを見上げた。


「アリガトウ、かばん」


 そのとき、少し間があった気がする。


「……ソレジャ、動ケルめんてなんすろぼっとハ、ミンナ設備ノ修復ニマワスヨ」


 ラッキーさんの目が光ると、あの黒い子が部屋から出て行った。まるで聞こえない言葉で命令を聞いたようだ。


「ココカラ一番近イ発令端末マデ案内スルネ」


 そう言って歩き出すラッキーさんについて行くとき、ぼくにはその後ろ姿がなぜか懐かしかった。




―――――――――




「ラッキーさんは、ここでなにしてたんですか?」


 ときたま轟音と揺れがおそう地下通路を歩きながら、ぼくたちを先導するその小さな後ろ姿に話しかける。


「施設ノ維持管理ガ、ボクノ仕事ナンダ。コノ体ハ随分使ッテナカッタケド、君トノ会話ニハ最適ダト判断シタンダヨ」

「体を……?」

「よく分からないんだけど、あなたがこの施設を守ってるってこと?」


 ラッキーさんの言葉は、ぎゅっとつめ込みすぎてうまく取り出せない鞄の中身のようだった。

 ぼくたちは、なんとか取り出せただけの意味をかみ砕きながら、ぎこちない会話を続けた。


「もももしかしてオマエ、ジャパリ学園も……管理してるのか?」


 興奮ぎみのツチノコさんは、声のトーンが不安定に甲高くなる。ぼくも同じようにきいてみた。


「学園ノ研究ガ、コノ施設ノ目的ダカラネ」

「それじゃ……学校のボスってこと!?」


 学校の下に大きな地下施設があって、そこにいる小さな生き物が学校全体を管理してる――なんて話はもう七不思議の範疇を超えちゃってるなとぼくはぼんやり考えてた。


「かばん、君ノ学園生活ハ楽シイカイ?」


 前を行くラッキーさんが、こっちを振り返った。

 さっきも同じようなことを聞かれたなと思いながら、ぼくはもう少し考えて話をした。サーバルちゃんのこと、アライさんやフェネックさんのこと、部活さがしで出会った子たちのこと、そして新聞部のこと。


「……かばんノ書ク新聞ヲ、読マセテモラエナイカナ」

「あ、はい! もちろんです」


 勢いよく返事をしてからふと考えて、ぼくはサーバルちゃんと顔を見合わせた。

 一体、新聞の第2号にはどんな記事を書けばいいんだろう。







「そこ、危ねえぞ……右はしを歩け」


 発令端末へ向かう途中、ツチノコさんが危険を前もって注意してくれるのは心強かった。

 通路の状況はどんどん悪くなってて、ぼくたちは火花を飛ばす配線や、扉の向こうの火災などを慎重に避けて進まなきゃいけなかったからだ。


「なんで分かるんですか?」


ぼくの質問に、先頭をぴょんぴょん飛び跳ねるラッキーさんが代わりに答えた。


「つちのこニハ、一部ノへび科ガ持ツ『ぴっと器官』トイウ感覚器ガアッテ、赤外線カラ周囲ノ温度変化ヲ感知デキルト言ワレテイルヨ」

「へー、すごいですね!」

「すごーい!!」

「ま、まあな」


 ツチノコさんは照れると顔をフードの影に伏せがちにして、ぼそぼそとしゃべる。


「ツチノコは狩りごっこが上手そうだね!」

「……そんな遊びはせん!」







 目的地までもうすぐというぼくたちの前で、大きな亀裂が床に穴を空けていた。

 とてもぼくが跳び越えられる幅じゃない。


「ラッキーさん、他の道はないんですか」

「ココガ通レナイナラ、一カラ別ノるーとヲ試スシカナイヨ」

「ええー、そうなの?」


 もう一歩というところでの難関だった。

 そこはこれまでの通路と違って、天井も高く、倉庫のようにがらんとした空間だった。


「あたしだけなら跳べるよっ」


 そう言うやサーバルちゃんは助走をつけて、亀裂をあっという間に跳び越えた。やっぱりすごいジャンプ力だ。


「オレも、このくらいなら跳べそうだな」

「そうなんですか?」

「つちのこハ、藪ノ中カラ突然じゃんぷシテ驚カセルコトガアッタンダッテ。数めーとるモ跳ンダトイウ目撃談モアルヨ」

「そ、そうですか」

 

 ラッキーさんはガイドのようにすらすら解説するけど、亀裂を跳び越えられそうにないのはぼくと一緒だ。

 まわりに使えそうなものはとさがすと、壁からはがれ落ちた長いケーブルの束が目に入った。


「サーバルちゃん、これ持って跳べる?」

「うん。どうすればいいのー?」


 気軽に亀裂を跳び越えて戻ってくるサーバルちゃんにケーブルを手渡す。

 

「あそこにこれを引っかけられそうなんだけど、どうかな」

「あそこだね。うん、たぶん大丈夫だよ」


 亀裂のほぼ真上、横に渡された梁がむき出しになっている。そこにケーブルを通せばブランコができるんじゃないかと思った。サーバルちゃんとツチノコさんに、向こう側でケーブルのはしを持っててもらって、もう一方をぼくが持てば……。


「かばんちゃん、ほら、これでいいー?」

「大丈夫かー?」


 サーバルちゃんは危なげなくケーブルを梁に通して向こう側へ着地し、ひょいと亀裂を跳び越えたツチノコさんと一緒に、お願いしたとおりケーブルの一方をつかんでくれている。

 ぼくは肩から下げた学生鞄にラッキーさんをつめ込むと、ケーブルのこっち側をつかんだ。

 ブランコができるのは一回限りだ。

 向こう側に届いた瞬間に手を離して着地しないと、ケーブルはすぐ揺れ戻っちゃうはずだ。そうなると最後は、亀裂の真上でただぶら下がるはめになる。


「ラッキーさん、行きますね……」


 ぼくはケーブルを一周だけ手に巻き付けて、助走のために後ろに下がる。


「かばんちゃん、大丈夫、絶対跳べるよ!」


 亀裂より、その向こうからこっちを見つめるサーバルちゃんに目をやるようにしながら、ぼくは走り出した。

 足が床を離れるそのとき、ゴゴンとくぐもった音がして、大きな揺れがおそった。

 みんながわっと叫ぶのが聞こえる。

 ケーブルを必死につかみながら、ぼくは亀裂の上に跳び出していた。

 ブランコの要領で体が斜め上にはね上がるので、視界は天井だけ。いつ手を離していいのかまるで分からない。


「今だー、手を離せっ!」


 ツチノコさんの絶叫。

 ぼくは全身全霊で手を離した。

 自分のひざを抱えるように丸くなったぼくと、ラッキーさんの入った鞄が、中途半端な勢いで空中に放り出される。

 この下が亀裂だったらアウト。

 ……一瞬の無重力。

 背中にとんとぶつかるものがあった。

 それが身構えるほどの衝撃じゃなくて、あれって思ったときにはどんと床に着地していた。ぼくを空中でキャッチしたサーバルちゃんの両足が。


「サーバルちゃんっ」

「あはは、うまくいったね!」


 サーバルちゃんに抱えられて、ぼくは無事、亀裂の向こう側にいた。


「あれっ、ラッキーさんは!?」


 鞄がなかった。

 ぞっとしてあたりを見回すものの、床の上に落ちてる様子はない。


「えええっ!」とあわてるサーバルちゃん。

「ラッキーさーん!」ぼくは大声で呼びかける。


「……かばん、大丈夫ダヨ」


 すぐそばで声がして、あれっと振り返ると、スライディングキャッチの姿勢で床に転がるツチノコさんの手もとの鞄から、もぞもぞ出てくる姿があった。


「よかったー!」

「ありがとうございます、ツチノコさん!」

「あああ、危なっかしいぞオマエらあ……」


 うつ伏せになったままつぶやくツチノコさんの声はうわずっていた。







「コノ扉ノ向コウニ、発令端末ガアルヨ」


 その倉庫のようなスペースの奥、閉じた扉の前でラッキーさんが言った。


「開けられるのか?」


 ツチノコさんが怪訝な顔で、ぴったり閉まった扉をコツコツ叩く。

 施設の電源が入ったあのとき以来、閉じた扉をこじ開けられたことはない。あの黒い子に連れていかれた部屋以外は。


「かばん、手ノヒラヲ、ソコニカザシテ」


 ラッキーさんのいう通り、扉の脇のパネルに手のひらをかざすと、扉は紙をこするような音をたてて勝手に開いた。


「わあっ、すごいね!」

「うおおおぉっ……お、おい、さっそくほかの扉も試してみてだな……」

「ま、まずはこの状況をなんとかしましょう」


 扉の向こうは薄暗い大きな部屋で、これまでにない異様な雰囲気だった。

 フレンズがひとりまるごと入りそうな大きな円筒の器。それが部屋の一方に立ち並んでいて、そこからは太いコードがたくさんのびていた。

 ほかにも用途の分からない器具や設備がたくさんあって、雰囲気はほんの少し学校の理科室っぽい。

 そしてこの部屋にも、ツチノコさんやラッキーさんがコンピュータと呼ぶ機械がたくさんあった。


「わあ……なんなのかなここ……」


 戸惑いながらも、サーバルちゃんの声には好奇心がまじっていて、さっそくその円筒のつるつるした表面に手を触れていた。

 ツチノコさんはなにか考え込むように無言だったけど、それでもやっぱり興味深そうにあちこちを見てまわってる。


「ここ、なんの部屋なんですか……?」


 ぼくは前を歩いていくラッキーさんに声をかけた。


「ココハ精製室ダネ。さんどすたーヲ使ッテふれんずヲ生ミ出ストコロダヨ」


 そのあとの言葉は難しくて、今も断片的にしか思い出せない。フレンズの複製……社会性の再現……トリガーとなるヒトのフレンズ……。

 ぼくがぼんやり考えていると、ラッキーさんが呼んでいた。


「かばん、ココダヨ」


 部屋にしつらえられた座席のひとつにラッキーさんが跳び乗ると、その前の四角いパネルが青く光った。


「コノもにたニ、今ノ施設ノ状況ヲ表示シタヨ」


 モニタ……の前に立つと、複雑なグラフや文字が並んでるのが見えた。

 ラッキーさんの目がチカチカと点滅していて、そのたびにモニタ上の表示が変わる。施設全体の見取り図らしいものはなんとなく分かったけど、部分的に赤い色が重ねられていて、あちこちでよくない状況が起きてるようだった。

 また上の方からゴンという響きが伝わり、揺れと共にガリガリ嫌な音が鳴る。

 気づくとサーバルちゃん、ツチノコさんもモニタの前に集まっていた。モニタの光を反射して、サーバルちゃんたちの顔は幽霊のように光ってた。


「……それで、どうすればいいんですか?」


 少しでも状況を理解しようと、ぼくはじっとモニタの表示に見入った。

 ぼくには読めない文字もたくさんあったし、なんとか読める文字も難しくてすっと意味が入って来ない。


「今コノぼたんヲ押セバ、警戒ぷろとこるノ無効化ヲ承認デキルンダ」


 確かにモニタには、「承認しますか?」という文字が出ている。

 その意味はよく分からなかった。ここまで来て今さらだったけど、ラッキーさんの言うままに訳も分からないでボタンを押していいものかどうか。

 後ろのふたりを振り返った。

 サーバルちゃんはただぼくを見つめていた。いつもよりちょっと真剣な表情だったけど、その顔は少し微笑んでるようだった。


「オマエに、まかせる」


 ツチノコさんの声が妙に優しく聞こえた。いつものように両手をお腹のポケットに入れたまま、こっちを見て軽くうなずいた。


「……分かりました」


 分かってることなんてなかったけど、ぼくがもし間違ったとしても、そういうものだったんだと思えた。

 ひと呼吸ついてからボタンを押すと、モニタの表示が一瞬消えた。

 そして中央に横になった棒が現れて、それはなにかの進行状態を示していた。

 少しすると、ガリガリと音を立てていたなにかが動きをやめたようで、施設が静かになった。


「……コレデ、ヒトマズ大丈夫ダヨ」


 サーバルちゃんの顔を見ると、視線がぶつかった。

 そのあと、わーっと、ぼくたちの歓声が部屋に響く。

 地下に来てからいろんなことに巻き込まれっぱなしだったけど、それもようやく終わったみたいだ。

 両手をあげて跳びはねるサーバルちゃんを眺めながら、その笑顔をすごく久しぶりに見た気がした。


「施設の修理はどうなるんですか?」


 ラッキーさんに聞くと、時間はかかるものの、例の黒いメンテナンスロボットたちが(なん体かが動いてるらしい)そのうち直せるだろうとのことだった。

 学校がなくなるなんてことはなさそうだと、ぼくたちは安心した。


「ソレジャ、地上マデ案内スルネ」

「ちょ、ちょっと待て! この部屋をもう少し調べてからな」

「えー、はやく帰りたーい!」

「じゃあ、ひと休みしてから行きましょうか」


 急に気が抜けて、ぼくたちは探検ごっこに戻っていた。







 そこから地上までは、意外にすぐだった。

 階段をいくつかのぼると、出口らしい扉の前までやってきた。


「コノ先ハ学校ダヨ」


 ラッキーさんがぼくたちを振り返って言った。

 あんなに地下を歩き回って、まだ自分が学校の敷地にいるなんて不思議だった。


「ボスはどうするの?」


 サーバルちゃんは、学校のボスという認識で話してるみたいだ。確かにそうなのかも知れない。


「ねえ、なんか言ってよ」


 ずっと気になってたとおり、ラッキーさんはぼくとしか話そうとしない。

 ぼくからもたずねてみると、ラッキーさんは相変わらず感情の読み取れない平板な声で答えた。


「会話ノ必要がナクナッタカラ、コノ体ハマタ休止状態ニ戻スヨ」

「えーっ、せっかく動けたのに?」


 サーバルちゃんの言葉に、ぼくもこのままラッキーさんと別れたくないんだって気持ちを自覚した。それで、ふと思いついた考えをそのまま話していた。


「ラッキーさん、一緒に新聞をつくりませんか」


 自分でも思いがけない誘い。「そうだね! ボスはすごく物知りみたいだから、ぴったりじゃない?」ってサーバルちゃんが喜ぶから、口にして良かったと安心した。


「……イ、イ、イ……」

「ラッキーさん!?」


 迷うあまりか、突然その場に固まってぷるぷるふるえるラッキーさん。

 その頭を、ツチノコさんがそっとなでた。


「ラッキービーストは本来パークガイドだろ。こいつの学園生活のガイドだって、立派な仕事なんじゃねーのか?」

「ツチノコさん……」


 中腰になったツチノコさんの顔は、フードに隠れて見えなかった。


「ツチノコは来ないの?」とサーバルちゃん。

「オレはいい。地下でまだまだやることがあるからな」


 そう言ってツチノコさんは、ポケットから一枚のカードのようなものを取り出した。


「え、なにそれー?」


 サーバルちゃんの質問を待ってたとばかりに、ツチノコさんが満面の笑みでまくしたてる。


「ははーん、これはあの部屋で拾ったんだがな、ヒトが持つ証明用のカードでな、これがあれば、さっきのかばんのように、施設の扉を開けることができるんだ! 電源が入った今、これまで眠っていた設備も動き始めてるはずで……はっ!」


 ツチノコさんのトークにすっかり慣れたぼくたちは、うんうんとうなずいてその言葉の奔流を受け止めていた。我にかえったツチノコさんは咳払いしてから、照れ隠しの先輩口調に戻った。


「……という訳で、オレはまだ下にいる。また今回みたいなことが起きないとも限らんしな。オマエらはオマエらでがんばれ。ほら」


 ツチノコさんは無造作に、ぼくになにかを放り投げた。

 それはコンセントに差し込むなにかの機器のようだった。


「ロックのかかってないタブレット、オマエにひとつやったろ。それがその充電器だ。まあタブレットの使い方はオレもこれから調べてみるが、オマエならすぐに使いこなせそうだ」


 そのとき、ラッキーさんがふたたびもぞもぞと動きはじめた。


「……かばん、ボクモ一緒ニ行クヨ」

「えっ、本当!?」

「ラッキーさん!」


 まさか来てくれるなんて……と思ったのも一瞬で、ぼくはすぐ、こうなるのが自然な流れだと感じた。

 サーバルちゃんと、ラッキーさんと、ぼく。

 戻ったら一緒に新聞をつくって……って、これで部活のメンバーがそろったことになるのかな。


「じゃあ、行きますね」


 パネルに手をかざし、自動で開く扉をながめる。

 向こう側は薄暗く、まだ建物のなかみたいだ。

 ぼくたちはツチノコさんを振り返り、最後の挨拶をした。


「じゃあね、ツチノコ!」

「今日は会えて良かったです。またぜひ」

「ま、そのうち気が向いたら、またオマエらの新聞を読みに行ってやるよ」


 ぼくたち全員が通り抜けると扉は自動的に閉まり、ツチノコさんのフードに半分隠れた照れ顔がその向こうに消えた。

 扉はぴったりと隙間なく閉じて、見るからに開けられそうにない。

 ……とまわりを見渡すと、さっきまでの世界がぐにゃりとはがれ落ちた。そこは見覚えのある場所だった。


「サーバルちゃん、ここって……!」

「あっ、ほんとだっ」


 ぼくたちはその薄暗い廊下を知っていた。

 外が真っ暗なのは夜中だからだけど、もし昼間でも、ここは遮光カーテンが光をさえぎるから薄暗いはずだ。


「……ここ、図書館棟だったんだね」


 サーバルちゃんの声を聞きながら、ぼくは自分がすでに七不思議の正体を全部知ってることに気づいた。図書館棟1階の開かずの扉。地下校舎のフレンズ。そして旧校舎の怪物。どれも、この夜に体験したことが真相なんじゃないか。


「新聞の第2号は、ちょっと大変そうだね……」


 ぼくはそうつぶやきながら、急に眠気を感じて思いっきりあくびをした。キタキツネちゃんを追いかけて旧校舎にたどり着いたのがはるか昔のことのようだ。


「かばんちゃん、それよりあたしお腹すいたよー」

「あはは、食堂にでなにか食べれるものさがそうね」


 校庭の空気はひんやり湿っていた。月が細いので星がよく見えた。

 深夜の学校。真っ暗な校舎。

 だけどぼくは、もうそれを怖いとは思わなかった。

 ……怖いのは、そんなことじゃなかった。

 あの円筒の器が並んだ部屋で、ラッキーさんの説明してくれた言葉。それを怖いと思ったのは、聞いてからどれくらい経った頃だっただろう。

 そのときのラッキーさんの言葉のひとつが、強く記憶に残っている。


「今度ハ失敗シナイヨウニト……」


 夜の学校には、昼間の熱気が結晶になってつもっていた。

 それは、ぼくがここで出会った子たちの記憶だった。

 サーバルちゃんと笑いあいながら、ぼくは寮までの道を歩き出した。夜の通学路を街灯がぽつんと照らしていた。

 





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