第3話 てんこうせい(その3)

「おいっ! 大丈夫かー?」


 頑丈そうな角を生やした体格のいい子が、ぼくの目の前まで走ってきた。

「怪我はないか?」と心配そうにかがんで、ぼくの体をたしかめる。

 壁を壊すボールの直撃を危うく逃れたぼくは、ドキドキして声も出せない。


「すまんな、主将が打ったボールがよくフェンスを超えてしまうんだ」


 続いてやって来た子が、申し訳なさそうに言う。

 この子も二本の角をもっていて、こちらはすらりと細く伸びている。横を向くと、まるでひたいから一本の角が生えてるようだ。


「無事なようでよかったが……」と言いながら、頑丈なそうな角の子がすっと立ち上がる。


「おまえら、ここでなにしてるんだ?」


 ちょっと威圧的なムード。立てばぼくを見下ろす背丈だ。


「あのね、部活を見学させてもらいたくて来たの」


 サーバルちゃんがいつもの平然とした口調で言うのが聞こえる。あんまり面識があるようには見えないけど、物怖じしないところがさすがだ。


「見学……? 野球部にか?」

「それって、入部希望者ってやつか……?」


 角をもったふたりが、混乱したように顔を見合わせる。そう言えば第2グランドや第3グランドに近づく子は少ないって話だったから、こういうことはめったにないのかも。


「とにかく主将のところへ連れて行こう」


 そう結論を出したふたりにしたがって、ぼくとサーバルちゃんは野球部の第2グランドへ向かった。

 いままでの部活とは雰囲気が違うみたいだ。







「……おまえら、1年か……?」


 低く響く声が、奥のベンチから聞こえる。

 第2グランドは野球をするようにつくられていて、チームが待機するベンチスペースもあった。その奥の影から、「主将」と呼ばれる子の目が光って見えた。

 ぼくとサーバルちゃんは、その前に座り込んでいる。うしろにはさっきのふたり組が立っていた。


「そうだよ。あたしはサーバル!」


 ものすごく威圧的なオーラが伝わってくるのに、サーバルちゃんは平気でしゃべる。


「おまえは……?」


 主将さんがぼくに顔を向ける。薄暗がりのなか、タテガミのようにふさふさした金色の髪の毛が揺れる。

 うしろから、グランド上でボールを投げ合っている子たちの声が響いた。


「ぼくは、かばんです。転校生で……」


 怖々と話しながら、ぼくの言葉は途中で途切れてしまう。

「転校生!?」「なんだそれ?」とざわつくうしろのふたり組に向かって、主将さんは「おまえらは練習に戻れ」と静かに言った。

 ふたりがグランドへ行くと、主将さんはゆっくりと立ち上がる。

 ぼくとサーバルちゃんが見上げるなかで、立ち上がったその子の両目がこっちをじろっとにらみつける。


「ふえぇぇ……」


 そんな弱々しい声をもらしながら、ぼくは思わず目をつぶった。

 しばらくの間。

 気の抜けたような声と、どさりと倒れこむ音が聞こえた。


「はぁ~、疲れた、疲れたぁ」


 ……目を開けると、主将さんがさっきまで座っていたベンチにごろんと横になっていた。


「あ、きみたちも楽にしなよ?」


 この軽い声が、さっきまであんなに恐ろしかった主将さんのものなんだろうか。


「部員の前では、キャプテンらしくしなくっちゃでさぁ」


 その子が続ける。

 ぼくたちは呆気にとられて、あ、はい……なんて言いながら、主将さんの手前のベンチに座らせてもらう。

 そこには日向でくつろぐのが好きそうな穏やかなフレンズさんの姿だけがあった。

 それが野球部の主将、3年生のライオンさんだった。

 リラックスした姿を見ると、やっぱりネコ科のフレンズさんだなって思える。


「いやぁ、めんごめんご。いま部員集めがうまくいってないからさぁ。みんなピリピリしてるんだ」


 ベンチに寝そべりながら話すライオンさんの、のん気そうな明るい声を聞いてると、ぼくもようやく力が抜けた。

 グランドからよく見えない位置にいるのをいいことに、そこまで脱力しちゃっていいのってくらいダレダレな雰囲気だ。


「部員集め?」


 いつもの明るい調子で、サーバルちゃんがたずねる。


「そ。うちと第3グランドのサッカー部は、最近できた部活だからねぇ。つくったはいいけどさぁ、野球って9対9でやるもんらしいし、サッカーはもっと多いんだって? プレーするには部員が全然足りなくてねぇ」


 そう言われてグランドで練習してる子たちを眺めると、たしかにひとチームつくるにも数が足りないみたいだった。


「それで、野球部に入れー、サッカー部に入れーなんて言って、がむしゃらに部員を勧誘してたんだけどさぁ。とにかく数が足りないもんだから、だんだん野球部とサッカー部で新入部員の取り合いみたいになっちゃってねぇ。怖がって、だれもこっちのグランドに近づかなくなっちゃったんだよねぇ」


 なるほど。いきさつは分かったけど、数がそろわないうちにどうして部活をつくっちゃったのかは分からない。


「へー、そうだったんだね」


 サーバルちゃんは自然にあいづちを打ってるけど、てことはサーバルちゃんは野球部とサッカー部が部員を集めてるってことも知らなかったってことだ。そりゃあ……なかなか部員なんて集まらないんじゃないだろうか。


「あの……野球やサッカーについて、学校のみんなはよく知ってるんですか?」


 ぼくは気になってたずねてみた。なぜぼくが野球もサッカーもなんとなく知ってたのか、このとき特に疑問に感じなかった。


「うーん、どうかなぁ。なにしろわたしたちも、会長に教えてもらうまではぜーんぜん知らなかったくらいだからねぇ」


 ネコ科の習性なのか、ベンチのはじっこでガリガリ爪とぎをしながら、ライオンさんが困ったように言う。

 ぼくとサーバルちゃんは顔を見合わせて、そりゃ大変だあって表情を交わした。


「あの……」


 ぼくは言いかけてから不安になってやめてしまう。


「なに? かばんちゃん、なにかある?」


 サーバルちゃんに勇気づけられ、ようやく続きを口に出せた。


「……一度、試合をしてみてはどうでしょうか」


 ぼくのひとことに、ライオンさんはなにかを感じたように「ほう……?」とつぶやいた。


「かばんちゃん、でもメンバーが足りないのはどうするの?」


 サーバルちゃんの疑問に答えるかたちで、ぼくは話を続ける。


「部員になってもらう前に、とりあえずいろんな子に呼びかけて、まずは試合をやってみるんです。試合を見れば、野球がどういうものなのか分かるし、それで興味をもった子は、野球部に入ろうって思ってくれるかも知れません」

「おうおうおう、なるほど」


 ライオンさんがむくりと起き上がる。


「どうやって集めればいいのかわかりませんが……。たとえば陸上部の子たちなら、試しに野球をやってみたいって思う子もけっこういるんじゃないかと」

「うん、たのしそーっ!」


 サーバルちゃんは、さっそく試合に出る気いっぱいだ。


「キミ、面白いなぁ。それじゃさっそく、サッカー部のやつらに声をかけよう!」


 ライオンさんが、うんうんとうなずきながら言う。

 ってあれ、サッカー部に声をかけるんだ?




―――――――――




「……というのが、野球の基本ルールです」


 第3グランド上では、サッカー部のみんなが集まって、ひととおりぼくから野球のルールを聞いていた。

 サーバルちゃんも隣で、ふんふんとうなずいている。どこまで分かってくれてるんだろう。


「なるほど……つまり攻めるときはボールを打ち、守るときは打たせなければいい……と」


 グランドの真ん中で、ひときわ大きな迫力をもった子が、話をまとめるように言う。それがサッカー部の部長をしてる、3年生のヘラジカさんだ。

 立つときも歩くときも、背筋をのばし胸をはる、堂々とした雰囲気。ゆるやかなウェーブを描いて流れる黒髪から、学校じゅうのフレンズで一番と思えるほどの大きく強そうな角が飛び出している。


「向こうのルールで戦うなんて、なんか気に入らないですぅ!」

「なんであれ、勝ってみせますわ!」


 サッカー部のみんながわいのわいのと叫び出す。


「シロサイの言うとおりだ!」


 ヘラジカさんが口を開くと、みんなぴたりと黙って話を聞く。

 ぼくが野球部から借りてきたバットを高くかかげて、ヘラジカさんが部員みんなを鼓舞するように話しかける。よく通る大きな声が、グランドに響いた。


「せっかくつくったわたしたちのサッカー部は、部員不足のためにずっと戦えなかった。今回の野球部の話は、こちらにとっても願ったりだ。念願のライオンたちとの勝負、向こうのルールだろうと必ず勝って、サッカー部の強さを学校じゅうに見せつけよう!」


 おお――っ! と部員のみんなが声をあげる。意気揚々たるムードだ。

 

「さて……」


 そこでヘラジカさんが、ぽつんと立っていたぼくとサーバルちゃんに向きなおり、部員のみんなに紹介してくれる。みんなの視線を浴びて、ぼくはドキッとした。


「野球は9対9で戦うというから、わたしたちのチームにはあとふたり足りない。そこで今回はこのふたりが、特別に戦いに加わってくれることになった。さ、ふたりとも、自己紹介をよろしく」


 いきなりでぼくはどぎまぎしたけど、先にサーバルちゃんが口火を切ってくれて助かった。


「サーバルキャットのサーバルだよ。よろしくね!」

「……なんの動物かわからないんですが、転校生のかばんです。よろしくお願いします」


 サッカー部のみんなから拍手とともによろしくねーという暖かい声が返ってきた。

 どう思われるだろうとひやひやしてたぼくにとって、それはとてもほっとする歓待だった。はじめは怖かったけど、野球部もサッカー部も、やっぱりジャパリ学園の部活なんだって思った。

 ヘラジカさんが嬉しそうに、ぼくの肩にがっしりと手をおいて話す。


「試合の話は、ここにいるかばんのアイデアとのことだ。野球の試合をしたら、今度はライオンたちをこの第3グランドへ呼んで、サッカーの試合をすればいいという。たしかに名案だ。いい勝負を繰り広げれば、きっとサッカー部に入りたいというやつもたくさん来るはずだ」


 ここでまた、おおーっという歓声。


「きみたちふたりにも期待しているぞ! 一緒にライオンたちのチームを倒そう!」


 それからヘラジカさんの張り上げる「勝つぞーっ!」の声に、部員みんなが続いて、ますますチームの戦意が盛り上がる。

 ぼくはヘラジカさんたちのすごい意気込みにちょっとひるんだけど……ここまで来たら、やるしかない。







「――サッカー部のヘラジカはねぇ、わたしと戦いたがってるんだよ」


 第2グランドのベンチで話していたとき、ライオンさんはそう説明した。


「それなのに、わたしたちだけで試合をしても、向こうは面白くないだろうからさぁ。こういうことは一緒にやった方がいいと思うんだよねぇ。明日になれば、わたしたちがむこうのグランドでサッカーをすればいいしさぁ」


 ライオンさんとヘラジカさんは、とっても力強いフレンズで、3年生の中でも有名みたいだった。

 そもそものきっかけは、そのヘラジカさんがライオンさんに、それぞれチームをつくって勝負しようと言い出したことらしい。それで空いていたふたつのグランドを使うことになって、3年生を中心になかまが集まった。ところが第2グランドは野球用に、第3グランドはサッカー用につくられていたから、なりゆきで別々の部活を立ち上げることになっちゃったそうだ。最初からみんなでひとつの部活をつくっていれば話はうんと簡単だったと思うんだけど……。

 まあそんなわけで、互いのメンツをつぶさず試合ができるように、ぼくとサーバルちゃんが間に入るかたちでサッカー部へ声をかけにいくことになったんだ。


「ヘラジカたちの足りないメンバーには、かばんちゃんとあたしが入るとして、ライオンはどうするの?」


 サーバルちゃんがライオンさんにたずねた。


「ああ、心配しないでいいよ。心当たりがあるから。たぶんそろそろこの辺を通りがかると思うしねぇ」


 ライオンさんは飄々と答える。それじゃどちらのチームも、ふたりのお助けメンバーを呼んで戦うってことだ。

 ぼくたちがサッカー部を連れてくるまでに、ライオンさんたちがほかの部活の子たちに声をかけて観客を集めることになって、それでぼくたちは第3グランドへやって来たんだ。

 ヘラジカさんたちが試合を快諾したので、いよいよふたつのチームが正面切って戦うことになったわけだけど……大変なことになりやしないかと、ぼくはやっぱりひやひやしてた。




―――――――――




 第2グランドへ近づくと、賑やかな歓声が聞こえてきた。

 予想以上にたくさんのフレンズさんが詰めかけてる。

 ヘラジカさんたちを連れてぼくたちがグランドへ入ると、歓声が一層大きくなる。


「えええぇ、サーバルちゃん、すっごくたくさんの子たちがいるよ……」


 部活見学のときに見知った子たちの姿もあった。どうやら学校じゅうの子のほとんどが集まってるみたいだ。

 それだけライオンさんとヘラジカさんのことが注目されてるってことなんだろうけど、ここまでことが大きくなるなんて。ぼくは不安と緊張で息をするのもやっとだった。


「うん、すごいね! あたしも楽しみになってきちゃった!」


 こんな注目のなかで試合に出るってのに、サーバルちゃんは特に気負ってもいないようだ。

 そのときヘラジカさんがひとり、グランドの真ん中に立つライオンさんに向かってゆっくり歩いていった。

 まわりに集まった子たちの歓声が少しずつやむ。


「ついに、戦えるな……ライオン!」

「おう、よくきたな、ヘラジカ」


 ふたりの声が静かに響く。

 にらみ合っているようだけど、心なしか、ふたりとも嬉しそうだ。

 ライオンさんが、そこからぼくたちにちらりと視線を送る。一瞬だったけど、「お互いうまくやったねぇ」とでも言うように笑っていた気がする。


「ついに! ジャパリ学園じゅうにその名をとどろかせるときが来たのだ!」


 そのとき響いた声を聞いて、ぼくはようやく野球部のお助けメンバーがだれだか分かった。


「アライさーん、バットは細いほうをにぎるんだってさー」


 フェネックさんに教えられてあわててバットを持ちかえてから、アライさんはそれをすっと高くかかげる。


「アライさんの力で、必ずライオンチームを勝利に導くのだ!」


 ひとり気合充分なアライさんの横で、フェネックさんがぼくとサーバルちゃんに微笑みかける。

 大丈夫かな? とは思いつつ、ぼくは少しでも見知った子がグランドにいてくれるだけでほっとした。ありがとう、アライさん。







 そうしてついに、あの大勝負がはじまったんだ。


「これから、野球部対サッカー部による、野球の試合をはじめる!」


 ライオンさんのちょっと不思議な宣言がグランドにとどろいた。このときには、はじめて見たときのあの迫力あるライオンさんに戻っていた。

 宣言のあと、チームがそれぞれ攻守につく。

 先攻は、ぼくたちの加わったヘラジカさんチームだ。


「いよいよ試合……だな」


 そうつぶやきながらマウンドに立つライオンさんチームの投手は、最初に出会った野球部のふたり組のひとり、すらりと細い角をしたアラビアオリックスさんだ。


「ようし! しまってこーぜ!」


 捕手の子が立ち上がって、大声で叫ぶ。ふたり組のもうひとり、あの頑丈そうな角をもつオーロックスさんだ。

 このふたりのバッテリーはなんだかすごくさまになっていて、これが野球だ! と言わんばかりだ。

 練習の成果をついに発揮できるせいか、ふたりとも緊張した面持ちながら、ワクワクしてる様子が伝わる。


「このボックスのなかに、立てばいいのでござるな?」


 ぼくたちヘラジカさんチームの1番バッター、パンサーカメレオンさんが、ぎこちなくバットをかまえながらバッターボックスに立った。

 審判役をつとめるのは、バスケットボール部にいたハシビロコウさんだった。なぜか野球やサッカーのルールを知っていたので(そういうことに興味があるみたいだ)、審判役をたのまれたらしい。ぼくは、すごくいい子だってもう知ってたけど、やっぱりあの鋭すぎる眼光でじーっと見つめられると怖くなっちゃう。……審判には適任だと思った。


「プレーボール!」


 ハシビロコウさんがそう言って、試合がはじまった。

 観客席のみんなは、これからなにがはじまるんだろうと興味津々で見守っている。

 マウンドのアラビアオリックスさんが、感慨深げにオーロックスさんにうなずきかけてから、ついに最初の球を投げる。

 美しい投球フォーム。ボールは鋭い軌跡を描いて、オーロックスさんのミットに吸い込まれた。


「ストライク!」


 ハシビロコウさんがそう言うと、おおーっというどよめきが観客から起こった。

 はじめて野球のプレーを目の当たりにして、だれもが感動のようなものを味わっていた。

 だれからともなく拍手が起こり、それはグランドじゅうに広まっていく。


「な、なんだか調子狂うぞ」


 投げ返されたボールをキャッチしながら、マウンドのアラビアオリックスさんがちょっと照れたように言う。

 両チームのメンバーとも、思いがけない拍手を受けて照れるやら戸惑うやらできょろきょろしていた。


(あれ……?)


 観客の拍手でしばらく試合が中断するなか、ぼくはグランドのずっと奥、センターの守備位置で横になってくつろいでいるライオンさんが、こっちのベンチをじっと見ているのに気づいた。それでふと横に目をやると、ベンチに立つヘラジカさんがその視線を受け止めている。

 拍手と興奮でグランドじゅうがざわめくなか、ライオンさんとヘラジカさんだけが静かに見つめ合っていた。ふたりの表情はよく分からなかったけど、ぼくにはふたりが笑っているように見えた。




―――――――――




「いやー、たっのしかったねー!」


 サーバルちゃんが、ベンチに座るぼくの横に飛び込むように腰掛けながら言った。

 試合が終わったときには、もう夕日がグランドをオレンジ色に染め、みんなの影を長く伸ばしていた。


「うん。みんなすごかったね」


 両チームのみんな、そして観客のみんなが少しずつ校舎の方へ帰っていく。

 だけどグランドにはまだ残っている子たちもいた。

 いまも、マウンドにいるアラビアオリックスさんのところに、1年生のトムソンガゼルちゃんが走り寄って、嬉しそうになにか話しかけている。


「アラビアオリックスのファンになったみたいだね」


 サーバルちゃんが笑いながら言う。野球部にさっそく新しい部員が増えたのかも知れない。

 たしかに今日の試合を見て、野球に関心をもつようになった子がぐっと増えたんじゃないかと思う。

 そう、あればいい試合だった。

 ただ……あれが野球だったのかどうか、ぼくにはよく分からない。

 ヘラジカさんたちやアライさんたちにとっては、さすがに当日ルールをおぼえるなんて無茶だったとは思う。にしても、せめて野球部のみんなはもう少し分かっててもよかったんじゃないか。

 とはいえ、あの試合は本当に楽しかった。







「勝負だっ!」


 一番の見どころは、やっぱり投手をつとめたヘラジカさんと、4番バッターのライオンさんとの一騎打ちだった。

 ヘラジカさんの投げる剛速球は、捕手のシロサイさんのミットにすごい音をたてて突き刺さる。

 はじめのうちこそ、慣れない投球に乱れがあったけど、すぐにコツをつかんだヘラジカさんのストレートの前に、ライオンさんチームはまるで手が出なかった。

 ライオンさんですら初回の対決では三振の完敗。ただ、ぶんとうなる鋭いスイングや、とんでもない飛距離を出した大ファールは、ライオンさんのさすがの強さを感じさせて、ふたりの激突にグランドじゅうが湧いた。


「さすがだなぁ、ヘラジカ」


 三振しても、ライオンさんは嬉しそうだった。

 ただ、ヘラジカさんの投げる球はあまりにも正確にど真ん中ばかりを通るため、そのうちバットに当てられるようになってくる。

 さすがに球威がすごいせいで、そうそう大きなヒットは飛ばなかったけど、ライオンさんにだけは大きな当たりを許すようになり、最後の対決ではホームランを喫してしまった。


「うん、みごとだな、ライオン!」


 このとき打たれたヘラジカさんは、スタンドに吸い込まれていく打球をほれぼれと眺めながら、やっぱり堂々としていた。

 さて、アラビアオリックスさんとオーロックスさんのバッテリーに対するぼくたちヘラジカさんチーム打線も、かなり苦戦した。

 善戦したのが、おしりからツンツン針毛をとがらせたアフリカタテガミヤマアラシさんで、飛んでくるボールを怖がるようにめったやたらと振り回すバットが、なぜか芯でボールをとらえるのだった。「ボ、ボールが怖いなんてことないんですぅ!」とはそのときの弁だ。

 それから、重そうな鎧を身にまとった、まさに騎士といういでたちのシロサイさん。ヘラジカさんの剛速球を受け止める力強い体格を活かし、うまくミートしたときはずいぶん遠くまで打球を飛ばしていた。「ざっとこんなものですわ!」と得意げだったけど、鎧が重くて一塁に着くまでにアウトになっちゃうのが惜しかった。


「まあ、今日は楽しくやればいいよ」


 試合がはじまってすぐ、ライオンさんがそんなことを言ったせいなのかどうか。

 まともそうにはじまった野球のかたちは、すぐにガラガラと崩れ始める。

 そもそも、ボールを打ったあと一塁と三塁を間違えて走っちゃう子が少なくなかった。

 そんな状態だから送球ミスも当たり前で、フィールド上で意味のないキャッチボールがはじまる場面もたくさんあった。


「いよいよアライさんが、一発逆転打を放ってヒーローになるのだ!」


 そんなセリフとともに登場したライオンさんチームのアライさんは、まるでルールからの開放者、新しい競技の発明者だった。

 そもそも、終始リードしていたライオンさんチームにいて「逆転打」を打とうとするところがすごい。


「2本使えば、2倍打てるのだ!」


 第1打席は、二刀流でバッターボックスに向かったアライさん。

「うん、のぞむところだ」となぜか嬉しそうなヘラジカさんが投げたボールに、当然というべきか2本のバットはかすりもせず、勢いあまって手を離れ、明後日の方向に飛んでいく。

「よっ」とひと声、危うく客席に飛び込みそうだったバットを、ベンチから跳びあがったライオンさんが華麗にキャッチする。

「いやぁ、面白い子だなぁ」なんて言いながら、ライオンさんはとくに注意もせず笑ってた。


 次の打席は、ひたすらグルグルとバットを振り回していて、「竜巻打法」だとかなんとか言ってたみたいだけど、まわりの予想どおりに自分の目も回しちゃってダウン。

 その次には、フェネックさんのアイデアだったらしいけど、左右の手でバットの両端をつかみ、まるで盾のようにかまえもった。「当てたいなら振らない、という逆転の発想なのだ!」と自信満々に言い放つ姿が清々しい。

 それでも、アライさんのどんな奇抜な打ち方にもヘラジカさんが「うん、では勝負だ」と正面から投げるから、しっかり勝負の形になる。

 グランドのみんなも観客も、声援を送ってその対決を見守った。

 ところで、いつもめげないアライさんはすごいんだけど、「アライさーん、さっきのは惜しかったねー」なんて毎回平然と笑うフェネックさんこそが、アライさんのアクセルを踏んでた気がした。


「いよいよ最終回だ。この回でなんとしても逆転するぞ!」


 ヘラジカさんのかけ声に、円陣を組んだチーム一同、おーっと応じる。

 どたばたしながらもなぜか試合はサクサク進み、ぼくたちヘラジカさんチームは1点差を追いかける形で9回オモテの攻撃を迎えたんだ。少なくともこの回で同点にしなければ、9回ウラを戦うことなくライオンさんチームの勝利が決まる重大な場面。

「よーし! 行ってくるよ!」と、最初のバッターのサーバルちゃんが飛び出していくのを、「うん! たのんだぞ」とヘラジカさんが笑顔でうなづいて見送る。

 ぼくも、ベンチのみんなも、思い思いに声援を送る。

 これが最終回だなんて、あっという間だったなあってぼくは考えていた。そのとき、


 カン!


 と甲高い音。

 サーバルちゃんがみごと、アラビアオリックスさんからヒットを打っていた。この試合中でもめずらしい綺麗なヒットだ。

 グランドも客席も、一気に盛り上がる。

 守備側の送球ミスの隙をついて、サーバルちゃんが三塁までいったもんだから、いよいよ歓声が大きくなった。

 サーバルちゃんが帰れば同点だ。

 9回オモテ、ノーアウト三塁、まぎれもなく大チャンス。

 グランドじゅうは大歓声。

 この場面で次のバッターは、ぼく。

 ちなみに、ぼくのバットはそれまで、アラビアオリックスさんのボールにかすりもしなかった。

 

「かばん!」


 ぼくが緊張でガチガチになりながらバッターボックスに立つと、うしろのベンチから大きな声がした。

 振り返るとヘラジカさんがいつものように、両手を組み、両足を踏みしめながら、まっすぐこっちを見つめている。


「大丈夫だ! 思い切り振れ」


 いつものように胸をそらせて、自信に満ちた様子のヘラジカさんが笑っていた。


「かばんちゃーん!」


 三塁から、サーバルちゃんがぼくに手を振ってる。


「がんばるですぅ!」「頼みましたわ!」「かばんなら、やれるでござる!」


 チームみんなの声援が耳にとどいた。


「ストライク!」


 審判のハシビロコウさんの声で、自分の振ったバットがまたかすりもしなかったことに気づく。

 どうすれば当たるんだろう。


(――当てたいなら振らない、という逆転の発想なのだ!)


 ぼくの頭に、なにかがひらめいた。

 そしてバットを、ゆっくりとかまえなおす。

 グランドが、観客のみんながざわめく。


「あれは……」

「なんだ……?」


 マウンドのアラビアオリックスさんも、捕手のオーロックスさんも、ぼくのかまえが気になるようだ。

 ぼくはとにかく、バットにボールを当てればいいんだ。

 ぼくが一塁に行けなくても、足の速いサーバルちゃんはホームに帰れるかも知れない。


「ストライク・ツー!」


 やっぱり当たらない。

 いや、だけど、ちょっとコツが分かった気がする。

 ぼくは左手でグリップ部分を持ち、右手をなかほどの部分に添えて、ほぼ水平にバットを構えていた。

 飛んでくるボールをよく見るんだ。

 このかまえで、バットの先をボールに当てるだけなら、ぼくにだってできるはず。


「かばん!」

「かばんちゃん!」

「次は当たるですぅ!」


 みんなの声援を耳にしながら、ぼくはじっと、アラビアオリックスさんが次のボールを投げるのを見つめていた。


「あれは……バントですか? 会長」

「おそらくそうなのです。そしてこの場合、スクイズというのですよ、副会長」


 その声が聞こえた気がしたのは、たぶんぼくの記憶違いだろう。

 あの歓声でいっぱいのグランド上で、観客席の奥でつぶやかれたふたりの会話が聞こえたはずはないから。

 ぼくは飛んでくるボールにじっと集中していた。

 そして……。

 コン! という音とともに、強い衝撃を両手に感じた。

 この試合ではじめての感触。

 

(はしれ……っ……)


 自分の声なのか、チームのみんなの声なのか。

 たぶんぶかっこうな走り方だっただろう。ぼくはボールの行方も分からないまま、とにかく走っていた。

 なにか叫びながら走ってくるアラビアオリックスさんの姿が視界のはしをかすめた。

 うしろで、サーバルちゃんがホームに帰ってきているはずだった。

 一塁までが遠い。

 ボールはどうなっただろう。

 ぼくが一塁までたどり着く前に、うしろからボールが飛んできて一塁手のミットに収まった。


「アウト!」


 背中でハシビロコウさんの声を聞いた。







「最後惜しかったよねー。でもかばんちゃん、あの打ち方どうやって思いついたの?」


 夕暮れの光を浴びながら、隣のサーバルちゃんが残念そうに笑ってる。

 もうグランドの子たちはだいぶ少なくなった。

 ライオンさんとヘラジカさんが、笑いあいながらグランドを出て行くのが見えた。


「あれは……アライさんが同じようなかまえをしてたから……なんとなく思い出して」


 あのときはただ必死だった。

 あとで聞いたところでは、ぼくの転がしたボールはうまくフェアグランドを転々として、しばらくだれも動けなかったらしい。

 たぶん、どう動けばいいのかだれも分からなかったんだ。

 我にかえったアラビアオリックスさんがいちはやくボールを拾い、ホームへ走り込むサーバルちゃんにタッチ。そのあと一塁へ走るぼくもアウトになって、あえなく同点のチャンスはつぶれちゃった。

 結局そのまま、ぼくたちヘラジカさんチームは敗れ、試合終了となった。

 ゲームセットの声とともに、観客席からものすごい拍手があったのが、なんだか気恥ずかしくて、でもそのおかげでぼくたちは負けたにもかかわらず、なにか大きなことを成し遂げたような気持ちになった。


「ふーん、かばんちゃんはやっぱりすごいね」


 サーバルちゃんは関心するように言う。

 でも、それよりどんな場面でも動じずに楽しんでるサーバルちゃんのほうが、よっぽどすごい。ぼくがそんなことを言うと、サーバルちゃんは「えへへ、そうかなー」なんて笑ってた。

 そんな会話をもう少し続けたかったけど、そろそろグランドを出る頃みたいだった。

 グランドにはもう、ぼくたちだけだ。


「今日はほんと、いろいろあったね!」


 サーバルちゃんは両手を伸ばしながら、ぴょんと立ち上がる。

 空には青っぽい影の雲がたなびいていて、夕日を照り返しているのがきれいだった。


「どう? かばんちゃん。入りたい部活、見つかった?」


 サーバルちゃんがぼくを振り返ってたずねる。

 ぼくは即答できなかった。

 どの部活だって、楽しそうだ。陸上部だって。あの野球部やサッカー部だって、きっとあの子たちと一緒にプレーするのは楽しいだろう。校舎内の部室で見てきたどの部活楽しそうだ。


「ぼく、この学校にはいってよかったよ」


 答えになってなかったけど、ぼくは素直に思ったことを口にして立ち上がった。

 グランドに、ちょっとだけ涼しい夕方の風が吹いた。

 今日はずいぶん体を動かしたので、疲れが気持ちよかった。


「えへへ。じゃ、ゆっくり考えてね。かばんちゃんが部活を楽しめるといいな」


 だれもいなくなったグランドは静かで、あの大試合をしたのが夢みたいだ。

 すぐそこに、ライオンさんがバットをかまえる姿が浮かぶ。

 そしてその日フレンズさんたちと交わした言葉が、頭のなかでこだましていた。


(――かばんちゃんって、いろんなことに気づくし、ほかの子にないものの見方ができるよね)


「ありがとう、サーバルちゃん」


 少しずつ暗くなる空の下をふたりで歩きながら、ぼくはそのときもう分かってた。

 うまく言えないけど、この学校のたくさんのフレンズさんのことを、もっと知りたい。

 楽しいことを、だれかと一緒に楽しむのが部活なんだとしたら……ぼくなりにできることがあるんじゃないかって。

 

(――そうすれば、学校じゅうの子たちに簡単になにかを伝えられるからね)


 そのとき、印刷室でオオカミ先生に聞いた言葉が頭のなかで聞こえた。

 むかしは、学校新聞なんてのがあったって。


「お腹すいたねー。はやく帰ろっ」


 だんだん早足になるサーバルちゃんを追いかけて、ぼくも走りはじめる。

 あれは、ぼくがジャパリ学園に転校した最初の日だった。

 ぼくはこの日から、新聞部をつくろうと思ったんだ。






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