第6話 亀井と弟子

 今日も今日とて私は聖域に来ていた。応募用の原稿はすでに書き終わっているため必ずしもくる必要はなかったのだが……かといって他に行くところもなく、結局いつも通りの時間に来てしまった。

 まぁしかし図書館というのは暇つぶしの手段には事欠かない施設であるので、ある意味この行動は正解だったともいえる。適当な本を五、六冊見繕って聖域に運び入れた。

 さてどれから読んでみようか、と運んできた本の背表紙を眺めていると、不意に視界の端に動くものが見えた。

 この聖域と外界とを繋ぐ通路は一つだけしかない。聖域そのものを作り上げている本棚は私の背丈を優に超えていて、現実的に考えればそこからこちらを覗ける人間など……まぁいるのかもしれないが、そんなバカでかい人間がいたら覚えていそうなものだ。つまるところ……

 私は聖域の入り口を注視する。あそこでなにか動いたということだろう。おおかた他の利用客であるとは思うが、もし、以前目撃したあの貞子のようなバーサーカーが現れた場合、私も一芝居打たなければいけなくなる。

 カチコチという壁掛け時計の音と、遠くから聞こえる職員のものと思しき足音、真上から降り注ぐ空調の駆動音がやけに大きく響いているように感じる。意識したつもりはなかったが、いつの間にかごくりと唾液を飲んでいた。

 やがて現れる。漆黒の衣装に身を包んだ男性……否、少年と言ったほうが的確かもしれない。まだあどけなさの残る顔立ちにへの字に曲がった眉毛がなんとも自信のなさを感じさせる、中性的な少年だった。来ている学ランは丈があっていないのか少し大きめで、その意匠から近隣の中学校の生徒であることが察せられる。えらくボロボロになったカバンを携え、彼はおどおどと聖域に侵入してきた。


「あのぉ……」


 見た目に違わずか細い声だなと思った。私の弟もこれくらい慎みがあればいいのだが……

 少年は依然、落ち着かなそうに視線をさまよわせている。私を見て、本棚を見て、机の上に積まれている本を見て、天井の空調を見て、床を見て、そしてまた私を見た。話しかけてきたからには何か用事があるのかと思ったが……なかなか二の句が出てこない。


「何か用?」


 しびれを切らしてこちらから聞いてしまった。つい弟に接するような口調になってしまったが……怖くなかっただろうか?

 私の言葉に呼応して少年が口を開く。断言しよう。この時の私の口調より彼の口調の方がよっぽど怖かった。


「あの……黒魔術の使い方を教えてほしいんですけど……」


 来いっ! 暗黒の雷よ! 血の盟約を持って我のもとへ集え! 畏怖を! 恐怖を! 悲鳴を! 共に奏でようではないかっ!


 あああああああああああ亀井いいいいいいいい! それは二度というなあああああああああ!

 乾坤一擲、ガツンと机に頭突きをして邪念(亀井)を振り払う。

 ……落ち着いて考えよう。黒魔術? ナンセンスだ。21世紀の今、本気でそんな事を考えている奴がいるとは……日本の未来は暗い。


「えっと……他を当たってください……」


 あまりの予想外の質問につい敬語で返してしまった。

 私が成るのはベストセラー作家であり、断じて魔女ではない。というかもし魔女であったとしても弟子をとるつもりなどない。無論、作家であった場合も同様である。


「ええ……あの、でもここに黒魔術使えるお姉さんがいるって教えてもらったんですけど……」


 少年にとっても私の発言は予想外だったらしく、もともと下がっていた目じりが更に沈んでいく。

 誰だ? ここの職員か? あいつ私にコミュ障なんていう不名誉な渾名を付けただけでは飽き足らず魔女の肩書まで背負わせる気か?


「一応聞くけど……誰から聞いた?」

「隣の部屋に住んでるお姉さんです」


 んん……どういうことだろう。職員は男だ。アレに女装の趣味でもない限りこの少年に黒魔術うんぬんを吹き込んだのは別の人物ということになる。となると……

 おーい、心当たりあるー?


 貞子がそれっぽーい!


 ああ! なるほど! 冴えてるな私の中の亀井! 早速さっきの汚名を返上してくれてうれしい限りだ。

 しかしなるほど、貞子か……確かに貞子に見せたあの演技であれば私が魔術の研究をしているように見えたかもしれない。そして貞子がこの少年に話すか何かして、それを信じ込んだ黒魔術を習いたい少年が現在私の前に立っている……と、そういうわけか。貞子に若干言いたいことはあるが悪辣な意志を持って行動したわけではないと思うので不問に処す。ベストセラー作家は寛大でなければならない。


「えっと、あの、それで黒魔術なんですけど……」


 少年はまだ諦めていなかったらしい。健気にも食い下がってくるが生憎私は魔女では無いので魔術を教えることは出来ない。というか……


「どうして黒魔術を?」


 好奇心に任せて聞いてみる。もとより図書館に来たのは暇つぶしの為だ。中学生の戯言に付き合って時間を無為に過ごすのもまぁよいではないか。


「ええっと……人を殺したいんですよね」


 ……おおう……これまたヘヴィな……

 想定よりも凄惨な理由にひるんでしまう。すると慌てて少年は続ける。


「あ、あの、ただ殺すんじゃなくてですね……その、僕も捕まるのは嫌なので、誰にもバレないように殺したいんです……あ、でもですね? その……殺す相手には殺したのが僕だってわかるようにしたいんです……で、色々んですけど……やっぱり僕の知識じゃ無理なんです。完全にバレない様にっていうのは難しくて悩んでたんですけど……そんな時に隣のお姉さんからお話を聞いて……超常の力に頼るのも一つの手かなぁ……と思いまして……」


 スマホを取り出して通話アプリを起動。ポンポンポンとリズミカルに画面をタップする。


「あ、もしもし? 警察ですか? アレ? うわここめっちゃ電波悪い!」


 淀みなく警察に通報出来るとは私もなかなかこういう手合いに対して耐性が出来てきたらしい。今だけはあの変態下着スティーラーに感謝を。


「あの、お願いします……僕、どうしてもあいつを殺したいんです……!」

「……」


 少年は性質こそ違えど、あの変態下着スティーラーと同じ方向性の目をしていた。極端に狭まった視野と偏向的な思考、朴訥さとひた向きさの暴走によって自らの異常を認められていない状態だろう。あの変態下着スティー……長いな。変態でいいか。あの変態はすでに成人していそうな風体だったし社会的な責任も自分で負うことになると判断したからあのまま放流したが、この少年は違う。この少年が何か間違いを犯したとしたら、その損失を受け止めるのはこの子の親だ。

 非凡な人間は常に試練に晒されていくものである。だがしかし、この非凡な少年が法に背くことは試練でも何でもない。自分勝手な行動で迷惑をかけ、あまつさえその責任も自分でとることができないというのは只の我儘、自己満足、悦楽を貪る外道の所業である。非凡であることを免罪符にしてはならない。

 いまこの少年は確実に道を踏み外そうとしている。魔術が駄目ということであればやがて本当に密室殺人でも起こしてしまうかもしれない。そうなる前に私が出来る事は……


「……よしわかった。教えるよ」


 机の上に積んであった本に手を伸ばし『はじめてのソロモン』と書かれた一冊を引き抜く。

 嘘でもいいのでこの少年に魔術を教えよう。そもそも現実的に殺すことが出来ないと結論付けたからこそこの少年はここに来ているのであって、それがいよいよ超常の力でも不可能だと思うことが出来たのなら、もしかしたら諦めもつくのかもしれない。そして殺人という非道な行いではなく、他の解決方法を模索してくれれば万々歳だ。

 さて魔術を教えるといっても当然魔術など私は知らない。この「はじめてのソロモン」は本当に適当に選んできた本であるのでどんな内容かもわからないが、ソロモンといえば72柱の悪魔のことであろう。魔術とかそこらへんとは関係が深いかもしれない。

 パラパラとページをめくり始めると、机の対面に少年が座った。さながら家庭教師の気分である。


「じゃあまず……召喚する悪魔を決めようか」


 話しながら本を机の上に開いて見せる。『割と制御が簡単な方の悪魔』と銘打ってあるページの中はいくつかの悪魔とその名前、そして召喚の方法が記載されていた。私が中学生の頃にこの本を見つけていなくて本当に良かったと思う。


「えっと……召喚って……? 黒魔術ってもっとこう……呪いとか」

「ハァ……そんなことも知らないの? 黒魔術っていうのは善神の加護を受けたままじゃ使えないの。現世に生きる全てのものは等しく加護を受けているから、まずは悪魔と契約することによってその加護から外れることが必要ってわけ。お分かり?」

「えっ……はい……」


 嘘を信じさせる鉄則は2つ。自信満々に話すことと考えさせる暇を与えないことである。続けて畳みかけていく。


「召喚する悪魔はどれでもいいけど……どうせなら制御が簡単な方がいいでしょ。こいつとかどう?」


 本を指さして聞く。見た目はまんまコウノトリであるがどうやらこいつも悪魔であるらしい。名前は……『Chax』とあるがこれはシャックスでいいのだろうか?


「えっと……絶対に召喚しなきゃいけないんですよね? なら、どれでも……」

「そ。じゃあこれで決まりね。実際に召喚するときは供物……まぁこいつの場合は動物の死体とかでいいらしいけど、それが必要になってくるからそれは自分でそろえてね。ここでやるのはあくまで練習だから」


 悪魔だけにね!


 おっさんくさいぞ私の中の亀井よ。私もちょっと思ったけどそういうのは口に出すな。


「……動物の死体ですか……わかりました。それはもう……あっ、心当たりがあるので大丈夫です」


 何を言おうとしたのか分からないが、少し言い淀んだ後、こくこくと少年は頷いてくれた。動物の死体に心当たりがある中学生は嫌だなぁ。


「……なら、いいんだけど……じゃあ先に祝詞のりとを教えるね。私の後に続けて唱えて」

「あっはい」

「黄昏の浮世に集いし異形、忠実なる偸盗ちゅうとうよ。我は糧、我は僕、我は贄なり。賜るは罪科の財貨。境界の審判を欺瞞し、今現世うつしよにその身を窶せ。智をもって知を食らう汝の名は……シャックス!」

「黄昏の浮世に集いし異形、忠実なる偸盗ちゅうとうよ。我は糧、我は僕、我は贄なり。賜るは罪科の財貨。境界の審判を欺瞞し、今現世うつしよにその身を窶せ。智をもって知を食らう汝の名は……シャックス!」


 ああ……ちょっとコレ……キッツい……。思わず顔を覆いたくなってしまう。ていうか少年すごいな! 一度聞いただけでここまで完璧に真似することが出来るとは!

 ちらと少年の顔を見てみるとわずかに紅潮していた。恐らくそれは恥辱から来るものではなく高揚から来ているものだろう。中学生であればそういうお年頃だ。気持ちは察して余りある。ごほん、と一度わざとらしく咳をして話す。


「うん……祝詞は覚えたみたいね。あとはこれを供物と召喚陣の前で唱えるだけだから。召喚陣は……このページのをコピーして持っていったら? あと今日は教えられるのはここまでだから。悪魔が召喚出来たらまた来てね」


 「ほい」と『はじめてのソロモン』を少年に渡す。受け取った少年は会釈をすると早速コピーを取りに聖域を出ていった……かと思うとすぐに戻ってきた。


「あの……ありがとうございました」


 この少年はなかなか殊勝な性格らしい。ひらひらと手を振って応えてやると、また会釈をして今度こそ聖域からいなくなった。

 暇つぶしに……と考えていたが中々重たい話だったうえ魔術の真似事までさせられるとは思わなんだ。「また来てね」なんて言ってしまったが大丈夫だろうか。いや心配するだけ無駄だ。悪魔なんて召喚出来るわけないのだから。

 この日は結局、机の上に残っていた本をすべて読み終えて後すぐに帰宅した。特に変わったことはなく、強いて言えば職員の背中にブラ線のようなものが見えていたことくらいだろうか。男性の場合トップとアンダーの差が小さいので選ぶ柄も少なくて苦心しているのだろうなぁ。やはり世界は非凡に対して厳しい。





 翌日、またも私は図書館に来ていた。昨日は暇つぶしのためであったが今日はちゃんと目的がある。ハトとウサギから帰ってきた原稿の確認だ。

 いつものように聖域に到着。原稿をカバンから取り出し、うんと伸びをして……違和感に気付く。なんだこれ? なにか……なにかおかしい……んだけど……んん……?

 なぁ亀井、なにか分かる?


 ……言いたくない


 は? どういうことだ? なにか分かってるのか?


 ……上


 それだけ言うと私の中の亀井は黙り込む。上……?

 とりあえず天井を見てみるが、誰かが張り付いているわけでもない。いつもと変わらぬ、本棚に囲まれた窮屈な天井である。蛍光灯の明かりが眩しくて目をしかめる。




 蛍光灯? 聖域の天井にか? いや、そうだ。あってる。正しい……はず。じゃあなぜこんな違和感が……あっ!

 電撃が走ったような衝撃。思い出したのは昨日の景色。そうだ、私は昨日ここで天井を見たとき、そこには空調があったはずだ! ならなぜ今はない? 場所を変えた? いやそんなわけない。どんな突貫工事だ。聖域の場所が変わった? ほぼ毎日来ているこの場所を間違えるものか。ここは確かに聖域だ。じゃあ……

 ぶるりと体が震える。なんだこれ、怖い。怖い。怖い。昨日私はどこにいた? 聖域にいたのではなかったのか? あの少年は……あっ!

 ふと思いついてスマホを取り出し、『はじめてのソロモン』で検索。結果は……いくつかのサイトが表示されるが、同名の書籍の情報はない。

 

「うそ……」


 ぽつりとつぶやいた声が聖域に響く。そして自分が一人でいることが、なぜか猛烈に恐ろしくなった。

 カバンに焦って原稿を詰め込む。早く、どこか、どこか安心できるところへ。

 涙目になって聖域を後にする。館内を走るのはご法度だがそれを気に出来るほどの余裕を、その時の私は持ち合わせていなかった。当然、前方への注意も怠っており、誰かの背中にぶつかる。

 

「あっごめっ」


 謝罪をしようとぶつかった相手を見ると、それは職員だった。その背中には昨日見た筈のブラ線は……ない。


「ギャアアアアアアア! ブラしてない!」


 叫んでまた走り出す。「ええ……」と間の抜けた声が後ろから聞こえた気がするがどうでもよかった。

 家まで全力疾走し、ドアを開けると母がいた。運の悪いことに私はまた母のトイレから出る瞬間に立ち会ってしまった。しかしこれを気にしている余裕もない。


「おかえり……ねぇ」

「いまちょっと急いでるから!」


 息切れしたまま階段を駆け上がり自室へ。ベッドの下に隠していた小物入れを取り出し、その中身を煽る。二、三粒程を飲み込んでベッドにもぐりこんだ。





 翌朝、空腹で目が覚めた。部屋の時計は午前5時を指している。昨日の恐怖は消えたわけでは無いが幾分かは冷静になることが出来た。起きてリビングへと向かう。

 父も母も弟もまだ起きてくる時間ではない。刺激といえば外から鳥の鳴く声が時折聞こえてくる程度でものさびしかった。とりあえずテレビでもつけて賑やかしとする。

 ヴンと音を立てて起動したテレビ。いつも見る朝番組はまだ始まっていないらしく、画面はニューステロップと関連する映像を垂れ流すだけだった。

 嫌な予感がした。第六感としか言いようがない、奇妙な直感。テレビの画面が切り替わる。事件現場は……隣町。交通事故らしい。現場の映像が映っている。被害者の顔写真に見覚えはない。赤信号での飛び出し。中学生。虚ろな目をして歩き出した。友人の証言。生活態度はよく品行方正。家庭に問題か。

 リモコンでテレビの電源を消す。プツンという音と共に熱を無くしていくテレビ。

 なんてことないニュースだ。ありがちといえばありがち。だが……昨日の記憶と

 ハァーと大きなため息をついて眉間を抑える。

 早朝の涼しい空気の中、小鳥達の囀りに混じって、バサリと大きな羽音が聞こえた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る