ep5/36「ちょっと、いきなりそんなに動かさないでっ!」

 眠っているようにしか見えないハナは、しかし突如としてアヤカに突っ込んでいた。

 アヤカは思わず顔を眺めてみるものの、その穏やかな表情は相変わらず。寝顔としか思えないハナの口元は、時折むにゃむにゃと動くだけで喋るような素振りなど無い。


「ねぇ、ハナ! どこから喋っているの?」

『どこって、目の前だよ?』

「そこにいるっていう事?」

『そそ、でもなんだか身体が急に動かなくなっちゃって……あれ、おっかしいなぁ』


 その時、アヤカは視界の端で、何か不思議な光景を見たような気がした。

 思わず振り返った側面モニターに映り込んでいるのは、リリウス自身の巨大な腕。そのナナフシのように細長い指先が、不可解にもくるくると円を描いていたのだ。

 ぎこちない動作で動く指先は、40m近い鞭と化して風切り音を轟かせる。その膨大な運動エネルギーを秘めた動作は、しかし、アヤカがどこかで見たような仕草でもあった。


「うーん、あの動きはどこかで……?」


 まるでリリウスが、指先で何かを弄んでいるような仕草。それを強いて例えるなら、ありもしないサイドテールを、指先でくるくると弄っているような――――。

 その時、まさかという閃きが、アヤカの脳裏にスパークを弾けさせていった。


「ハナ、もし出来るならで良いんだけど……ピース・・・、してもらえるかしら?」

『うーん、上手くできるかなぁ。分かった!』


 ハナがそう言った直後、リリウスの腕はギギギ、と軋みながらも振り上げられていく。

 右端の指2本が伸ばされて行ったかと思えば、左端の3本も同じように真っ直ぐ天へと向けられる。リリウスの節くれだった手は、計10本に及ぶ指をなんとか開こうとしていた。


「両手でやってもらえる?」

『はーい♪』


 モニターの向こうでは、リリウスの左手までもが振り上げられる。リリウスの胸元、高度500m近い場所まで振り上げられた左手は、9本の指をぎこちなく軋ませていた。

 そこまで目の当たりにしてしまえば、アヤカも確信せざるを得ない。

 恐らくは、いや間違いなく、リリウスは両手でピースサインを形作ろうとしていた。それもハナが自らの身体を動かすようにだ。それで大体の事情を理解できたアヤカは、自らのコックピットシートに再び身を沈めた。


「ハナ」

『はい?』

「リリウスの動かし方、分かったかも知れないわ」

『本当に!?』

「これまで伝えられてきたのは、1人で操縦する時の方法だったのよ。でも、私たちは2人なんだからきっと――――!」


 手のひらに操縦桿を吸い付かせたアヤカは、自分が知っている通りにそれを押し込んでみる。

 するとリリウスは極めて滑らかな動きで以て、ゆっくりと前傾し始めた。強化コンクリートを踏み締めていた足裏は地面から引き剥され、50階のビルにも匹敵するような高さへ。ぽろぽろと零れ落ちていく小石を降り注ぎながら、足先はリリウスのスネ辺りまで振り上げられようとしていた。


『わわ……ちょっと、いきなりそんなに動かさないでーっ!!』


 それは、まさしく歩行だった。

 次の瞬間、山並みに叩きつけられた脚先は、ビルが上空から降って来たような勢いで地盤を砕き割る。大気を震わせる轟音、雨のように降り注ぐ土砂が視界を濁らせる。

 山にも等しいリリウスの歩みは、たったそれだけで街の一区画にも匹敵する面積を押し潰していた。


「やっぱり……! 多分今のリリウスは、1人が機体と一体化して、もう1人がこっちから操作指示を送り込むのよ」

『アヤ、あったま良い! もしかして交替も出来るっていうこと?』

「椅子はどちらに座っても良いはずだから、きっとね。私たちは2人揃って初めて起動できるのだし、きっと操縦するのも2人でやる事になるのよ」

『へー! なんかすごい!』


 山を歩いては崖を突き崩し、森を踏み潰しては灼熱の灰を巻き上げる。一歩歩くだけで腹の底に響くような重低音が木霊し、リリウスの足音は山並みで何重にも反響していくのだった。

 そしてたった20歩ほど進んだだけで、リリウスは海へ辿り着く。


「山を越えると、海もこんなに近いのね」

『街からだと行きづらくて仕方ないのにね。では、今年初の海、早速入りまーす!』


 文字通りに山を踏み越えて来たリリウスは、その足先を海面に触れさせる。

 シューシューと莫大な水を沸騰させ続けながら、その細長い足先は海へと差し込まれて行った。あっという間に海面を覆い尽くした霞は、リリウスの足元で嵐さながらに波立つ海を覆い隠す。

 しかし、全高600mを誇る巨人にとっては、それさえも些末事に過ぎない。灼熱の身体で海を沸き立たせながらも、リリウスは平然と歩みを進めていく。


『なんとか歩けてるのかな』

「それよりっ、その……いえ、なんでもないわ」

『う、うん』


 2人を収める胎内のコックピットは、妙な熱を帯びた沈黙に満たされる。くすぐったそうに燻る吐息だけが、やけに大きく聞こえて仕方がない。


「……」

『……』


 ――――なによこれ……!


 心中で戸惑いの声を上げるアヤカは、努めて冷静な表情を保とうとする。しかし、彼女の全身に広がるくすぐったさ・・・・・・は、そんな事では誤魔化しようがない。

 ハナが僅かに身をよじれば、アヤカも同じように布が擦れるのを感じる。何気ない仕草も、寝返りも、呼吸で上下させる胸の鼓動でさえ、アヤカはまるで自分がそうしているかのように感じられて仕方がない。

 然るに、2人は一部の身体感覚を共有していた。


 ――――温かい? それにくすぐったい、のかしら?


 まるで皮膚を透かして、直接ハナの内側に触れているかのような感覚。リリウスを動かそうとすればするほど、その感覚は否応なしに強まっていく。

 ちらりと隣に視線を向けてみれば、シート越しに見えるのはハナの横顔。その穏やかな寝顔には、ともすれば見逃してしまいそうなくらいに仄かな赤みが差している。

 それに気付いてしまった途端、アヤカの頬までもが我知らず熱くなっていった。


 ――――この感覚も筒抜け、なのよね。もうやだぁ……。


 アヤカがハナを感じているのと同じように、逆もまた成立している。恐らくは。

 今さら意識してしまうのは、ここがたった2人しかいない閉鎖空間という事実。昼間からなにかひどく恥ずかしい事をやっているような気がして来て、アヤカはハナの方をまともに見られなくなっていた。

 そしてその時、脳裡でハナの悲鳴が響き渡る。


『アヤ! 前、ちゃんと前見てーッ!!』

「え?」


 その時ようやく、アヤカは自分がリリウスの手綱を手にしていた事を思い出す。

 全高600m、200階建ての超高層建築にも匹敵する体躯は、今まさに転び掛けていた。地面に対して60度ほどに傾いたリリウスは、既に数百万tに及ぶ質量を支え切れていない。


「あっ」

『あっ、じゃないよ! ああっ!』


 慌てて踏み出されて行った右脚は、一瞬にして超音速へ。ひときわ大きな一歩が強烈な衝撃波で海面を叩き付け、更には超音速の砲弾と化して海に撃ち込まれる。

 一瞬の静寂の後、まるで水中で爆発が起こったかのように立ち上る水柱。リリウスが咄嗟に伸ばした手は易々と音速を突破し、その手もまた超音速の質量弾と化して海面を叩き割る。再び引き起こされる大爆発は、プール何杯分もの水を空中に巻き上げていた。

 リリウスの周囲でリングのように広がっていく波紋は、高波と化して白く砕けて行く。


『津波が?!』

「堤防は超えないみたい!」

『ふぅ、セーフ……っ』


 リリウスが撒き散らした膨大な海水は、雨さながらの勢いで一面に降り注いでいく。

 しかし、超高層建築が動いたことで押し退けられた雲は、空にスカイブルーの裂け目を作り出していた。スポットライトさながらの陽射しが、降りしきる海水の合間へと差し込まれる。


『もう……もうっ! こんなので本当に大丈夫なのーッ!?』


 空中に打ち上げられた膨大な水で、空には小さな虹が浮かぶ。

 アヤカの気持ちをも代弁するかのような叫びは、束の間の晴れ間に響いていくのだった。



 * * *



「はぁーっ、疲れちゃったよ」

「私もよ」


 束の間の昼休み。昼食の香り漂う教室の隅で、アヤカとハナはどこか遠くを見つめていた。セーラー服も髪色も元通りになってしまえば、先日の出来事はまるで夢か何かのように思えて来る。

 そんな虚脱気味の2人の机には、購買のサンドイッチがぽつりと置かれていた。


「え、なになに、二人とも何かあったのん? お弁当じゃないなんて珍しー」


 ヒカリはおにぎりをむしゃむしゃと頬張りながら、2人に不思議そうな視線を向けて来る。隣のクラスのヒカリも揃って食べる昼食こそが、彼女らにとっての日常風景。

 しかし、アヤカにとっても、ハナのお手製弁当ではない昼食は久しぶりだった。ピリピリと包装を開ける手付きは、傍から見ればどこか寂しげにも映る。


「えへへ……今朝はちょっとね、疲れちゃって作れなかったの」

「ほほー、ハナっちにもそんな時があるんですなぁ。たまにはいいんじゃない?」

「ヒカリの言う通りね、これも悪くないわ」


 既にアヤカは、ハム入りのサンドイッチを口に運んでいた。

 そんな3人の周囲では、いつものようにクラスメイトたちの会話が交わされている。午後の授業のこと、服のこと、休日のこと。とりとめのない話題ばかりが持ち上がっている中で、今日だけは熱っぽく語られる話題があった。


「ほら、この間の避難指示があったじゃん」

「歩いてるのを見たって!」

「本当かなー」


 今日に限っては、教室内の至るところでリリウスの話題が持ち上がる。当の本人たちが同じ教室にいるとも知らずに、クラスメイトたちは無邪気にも語り合う。

 アヤカとハナは妙にドギマギする気持ちを抑え付けながら、努めて冷静でいようと努めてみる。しかし、どこかで唐突に上がった一言を耳にして、2人は思わずむせ返ってしまっていた。


「そうそう、最後は凄い音がしたよね」


「……げほっ!!」

「ぅっ……!」

「アヤっち、ハナも本当に大丈夫!?」


 心配するヒカリをよそに、ハナは大丈夫大丈夫と応えてみせる。アヤカもハナも変な冷や汗が噴き出す額を拭いながら、誤魔化すように再びサンドイッチを口に運ぼうとしていた。

 しかし、その時鳴動し始めた携帯端末が、そんなささやかな努力すら打ち砕く。


「ヒカリ、ごめん! ちょっと連絡入っちゃった!」

「ごめんなさい。ちょっと出て来るわね」

「あ、うん?! いってらっしゃーい」


 目立たぬよう、しかし遅くならないよう、アヤカとハナは戸惑うヒカリを背に走り出す。教室から廊下へ。そして慌てて屋上へと飛び出した2人は、揃って受信したメッセージを目にしていた。その瞬間、彼女らの表情は凍り付いていた。


「ねぇハナ、これ、何の冗談だと思う?」

「へへへ、まさか……まさかね、いきなりこんな事ある訳がないよね」


 ぎこちなく交わされる会話は、まさしく現実逃避。

 彼女らが目にしている文面には、紛れもなく『ハドマ討伐作戦開始』の文字が記されている。たった一度リリウスを動かした彼女らが次に赴くのは、この島の外・・・に他ならない、

 そして、ハナの心から迸る叫びは、屋上から街に向けて響いて行った。


「うっそーーーーッ!!?」


 ――――ハドマ討伐作戦始動。リリウスの初出撃まで、あと2日。


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