第二章:『恐れはない、痛みもない、NoFace』



・・・



ほのかの父はノンキャリア組の警視であり、組織犯罪対策部の下に新設された

超常犯罪集団対策課の課長を努めていた人物だった。

当時そのことは極秘とされており、当然ほのかも父から聞かされたことはない。

それをほのかに教えたのは――フェイスと呼ばれる仮面の戦闘員だった。



・・・



「――ほのかー、あきらがアイスないから買ってきてだって」

「おいこら、火之夜。呼び捨てにしないのっていったでしょーが!」


ばこん、と鞄で頭を容赦なくはたかれ思わず抱えてうずくまる。


「いってー! やりすぎだって!」

「あ、ごめんごめん。でもほのか姉って呼びなっていってるでしょ」


肩まで伸びた黒髪の少女が、からからとわるびれなく笑う。

夏服のセーラー服よりもスポーツウェアが似合いそうな活発な少女だ。

ジンジンと痛む頭を抑えながら、恨みがましい口ぶりで答える。


「やだよ、姉貴じゃないのに姉とか呼ぶの」

「じゃあほのかさんとお呼び」


軽くあしらいながらスーパーへと歩を進めるほのか。

彼女は親友のあきらの姉だ。しかし幼いころから家族ぐるみの付き合いを

していたためか、他人である自分にも弟のような扱いをしてくる。


12歳を過ぎたぐらいの火之夜からすると、そろそろ女子――特に年上の――

とはつきあいづらくなる年頃だ。しかしこうしてあけすけない仲でいられるのも

そのおかげと言えばそうだろう。それは火之夜にとってありがたくもあれば

くすぐったくもあり、よくわからないもののなにか物足りない気持ちもあった。



ほのかの父がしばらく忙しくなる予定で時間がとれなくなるそうだ。

そのため、そのまえに二家族で一泊二日の旅行に行く話になったのだ。


今、ほのかと火之夜は買出しにきている。最初はあきらも行く予定だったのだが

まだ宿題が終わっていないことがバレてしまい居残りだ。



「……おとうさん、大変なんだって?」

「ねー。ま、おまわりさんなんで昔から忙しい忙しい言ってるけど。

 今回は特に疲れてるみたいだなあ」


むろん警視なので「おまわりさん巡査」などではないのだが、

中学生にその違いはわからないだろう。


「なんか、夜中に書斎にこもって毎日調べものしてるみたい。

 しかも普段読まないようなオカルト本とかも集めてさー」

「ふーん。ほのかのおとうさんのイメージにはあわないなー」


厳格そうな彼女の父を思い浮かべる。合理的、現実的を絵に描いたような

偉丈夫である彼には超常現象の類はたしかに似合わない。



アイスを含めた菓子類やジュースを仕入れ、足早にあきらの家へ向かう二人。

都市部から離れた場所とはいえ、それなりに大きな門構えの敷居をまたぐ。


「……あれっ」

「どうしたー? ……ええッ!?」


違和感に気づき彼女の父の愛車を見る。後ろから覗き込んだほのかが

短い悲鳴をあげる。



最近では珍しい、がっしりとした車体の高級車。今回の旅行に使う予定はないが、

その車高がやけに沈んでいる。――タイヤが全て切り刻まれていたのだ。



「ちょっ、ちょ、ちょっと……なにこれ!? いたずら? いやがらせ!?」

「……これ、すっぱり切られてるよ……ひどいなぁ……」


苦い顔でしゃがみこむ二人。これから楽しい旅行だと言うのに、いやな気分だ。



――もう少し危機感があれば、すぐにその場を離れただろう。

しかし平和な日本で育った少年少女には、「いたずら」以上の悪意を

身近に感じるのは難しかった。



「……お父さんに、言おっか」

「そうしたほうがいいよ……うわぁ、ずっぱずっぱだぁ……」

べろべろと切られたゴムをいじくっているとほのかに窘められ、玄関に向かう。

「ただいまー。おとーさん、おかーさん! 外、ひどいことになってるよ!」

「……?」


すん、と何か匂う。火之夜は鼻をヒクヒクと動かしたが、これは何の匂いだったか?


「おとーさん! おかーさん? あきらー! きこえなーい?」

「あれー? うちのとうさんとかあさんもきてるはずだけどなあ」


玄関にならんだ靴を見て首をかしげる。


「……あれ? 誰かお客さん?」

どうやら知らない靴もあったようだ。大人の男性が履く革靴だ。

靴を乱雑に脱いであがり、奥の部屋へみんなを探しに行く。



臭いが、きつくなってきた。



「おとーさん? おかーさん? 不審者だよ不審者!

 おまわりさんなのに自分が被害にあってるよー!」

「……なんか……気分わるい……」


奥に進むともはや異臭といっていいにおいだ。

……妙な胸騒ぎがする。ポケットの中のストラップを握り締める。

修学旅行の時に買った、剣と竜を象った他愛ないお土産品だ。

それでも、なにかに縋りたい気持ちだった。



「うーん? なんか変なにおいはするね、確かに。

 ちょっとおかあさん? なにやってるのー?」



ドアが近づく。木製のドアだ。何の変哲もない、ドア。

ごくごく普通の、どこにでもある――開けてはいけない、ドア。



「おとうさん?」

ほのかがドアノブに手をかける。触れてはいけない。

がちゃりとノブをまわす。回してはいけない。

ドアを引き開く。開いては――




「え……」




――ソファには、あきらの母と火之夜の両親が座っていた。

あきらはテレビの前で横になっている。

その隣には知らない人が座り込んでいる。

あきらの父は、ぶらさがっている。




――そして、黒ずくめの男が一人。

その男は――仮面を顔につけていた。




「え……あ……?」

「お、お父、さん……?」

理解できない光景に、頭がまっしろになる。



ほのかの父が、仮面の男に首をつかまれ、吊り上げられている。

だというのに、誰も身じろぎせずにいる。いや――

火之夜は異常に気づいた。誰も身動き



そして異臭の正体に気づく――彼らは失禁していた。

自分の股間とソファやじゅうたんが黒く染みるのも気にしていない。

その顔は茫洋としていて、まるで――なんの感情もないようだった。


「い……い…」


ほのかが よろよろとあとずさり、悲鳴をあげようとした一瞬。

誰かがガッシリと肩をつかみ、悲鳴は飲み込まれた。


「ヤァ、娘サンカナ? オ邪魔シテイルヨ」


びくり、と後ろを振り向く。怯えきった少女の両肩を抱え込んでいるのは、

彼女の父を吊り上げているものと同じ――仮面の姿。

場にそぐわず、軽い口調でおどけてみせる。


「超常犯罪集団対策課課長、御厨武聡。キミノオ父サンハネ、

 私タチノ邪魔ヲシヨウトスル悪イ人ナンダネ」

「……ッ! ……ッッッ!」


ぎりぎり、とつかまれた肩を締め上げられ、苦悶の表情を見せるほのか。

それを見て、ようやく火之夜は体が動くようになる。


「……ッ! てめぇ、なにしてんだよ! はなせよッ……」



ドグッ!



相手にしてみればおそらくは軽く蹴り払った程度、だが火之夜にとっては

意識と視界がぐるんと暗転するほどの衝撃で腹を蹴り飛ばされ、

一瞬の空白の後壁に叩きつけられる。ほのかがなにか叫んだ気がするが、

それも口を押さえられてしまったようだ。

ちゃりん、と音をたててストラップが零れ落ちた。



「オット、ゴメンゴメン。軽ク蹴ッタツモリダッタケド、

 子供ハ軽イネ。……アア、オ父サンハ終ワッタヨ」



どさり、と。


重いものが落下する音がしてなんとか目を向けると、

ほのかの父が解放され倒れこんだ音だ。ぴくりともしない。


「おッ……お父さッ……!」

「次ハ君ダヨ」


倒れふした父の姿にパニックになるほのかの耳に、鋭く入り込む宣告。

次々と起こる事態にパンクしかけた脳がその言葉を受け取るまで一瞬の間。

そしてさぁっと青ざめていくほのかの顔。


「少シ待ッテクレヨ? 君カラ感情ヲ奪ウ者ヲ選ブカラ」

「ひぃッ……」


言っていることはわからない。わからないが、ほのかを――

みんなのようにするつもりだということは、わかった。


「やめッ……やめ、ろよッ……!!」


走って体当たりをしたつもりだった。だが実際はよろよろと歩いて

近づいただけだったらしい。


「ウルサイネ」


ばしん、とさきほど蹴られたところをもう一度蹴り飛ばされる。

体の中で何かがぱんっ、とはじけたような音がして、口から血があふれだす。


「いやあぁぁぁぁぁあぁぁぁ!」

「オット!? コレハイカン、コンナニ人間ハ脆イノカ。

 イカン、イカンナ。内臓ガ破裂シタカ」


今度はおちゃらけてではなく本気で焦る仮面。だがそれはこちらの身を案じたものではない。


「死ナレテハ、エモーショナルデータガ回収デキナイ。

 オイ、急ゲ」


ぞろぞろと同じ姿をした怪人が部屋に入り込んでくる。それを見ながらも

激痛が意識を混濁とさせ、顔を起こすことすらできないでいた。



「――すまない――」

倒れて身動きできないでいると、横で誰かがつぶやく。

知らない人だ。仮面をのぞけば、この部屋で唯一見覚えのない男性。

彼だけは、他のものと違ってただ縛られているだけのようだ。


「私が、いけなかったのだ。

 私が彼と接触しようとしなければ……

 娘と妻を保護するのに、旅行を隠れ蓑にするなんてことを、

 反対していれば……」


何を言っているかわからない。わからないが、とにかくぶつぶつと

謝罪を続けているのが、わずらわしい。




痛くて痛くてたまらない。

だけどそれより、ほのかの身が心配だ。




(誰か――)




願う。



(誰か、彼女だけでも――助けてよ)



痛みよりも強い、願い。

手を伸ばし、彼女をつかむ仮面たちを振り払おうとあがくが、

それは意識のなかでしか行えていない。


誰か、誰か――





<<汝、此代の適合者なり>>





ぼう、と炎が突然燃え盛る。


「――ナニッ!?」

「なッ!?」


火元は、あの男性だった。胸元から激しく火が立ち上っている。

だが本人は特段熱くもないらしく、ただ驚愕している。


「――マサカッ?」

「ほ、"炎の精霊"!? なぜ今更、覚醒を――!?」


ごうごうと爆音が鳴り響く。


火之夜は消えそうな意識をつなぎとめ、しっかとその炎を見つめる。

炎はやがて鳥のような姿へと変わり、こちらを見つめてくる。



<<他力を頼むでなく、力を欲せ。されば我、力を与えん>>



なにを言っているかはわからない。わからないまま、手を伸ばす。

炎の鳥が、こちらに向かって飛び立ち――



・・・



――火之夜は目を覚ました。

本部にある、火之夜用の個室だ。普段は部隊に用意された自宅で眠るが、

いまは継続的な事態のため本部で休息していたのだ。



汗でシャツがはりついている。――いまだに、あの日のことは夢に見る。

(シーツも洗わないとな)

ぐっしょりとぬれたシーツカバーをとりさり、洗濯籠に放り込む。

まだ宵の口だが、就寝したのは明け方なのでじゅうぶんな睡眠はとれた。

シャワーを浴びながら昨夜のことを思い出す。



(ノー・フェイス……)

奴のことが頭から離れない。



フェイス戦闘員は、アンドロイドだ。これまで破壊してきた残骸を

解析することである程度のことはわかっているが、それでもほとんどの部分が

どのような技術が用いられているかすらわからない、超科学の塊だ。

これまで、フェイスたちは唯々諾々と命令に従い、人々を襲う存在だった。

――まさか自分の意志で離反し、少女を守るなどとは。



ビッ、と耳障りな電子音が響く。部屋に備えられたインターホンが呼んでいるのだ。

片手で濡れた赤髪を拭き、通信ボタンを押す。


「はい、赤城です」

「火之夜か、桜田から連絡が……おい、服ぐらい着ろ」


モニターにあらわれた御厨女史が鉄面皮を崩さないまま、めずらしく報告を遮る。


「いや、下は穿いてますが。このぐらいいつものことでしょう」


さすがにズボンは穿いたが上半身は裸だ。とはいえ、訓練中はタンクトップ一枚の

ことも多いし、今更ではあるのだが。


「一枚羽織るのと羽織らないのとでは天と地ほどの差があるんだ。いいから着ろ」

「はいはい……それで?」


不承不承洗濯済みのシャツを着る。シャワーからあがったばかりで吹き出る汗が

乾いたシャツを濡らしてしまうが、仕方ない。

女史にしてはめずらしいところで細かいことを言う。


「……んん。桜田から連絡があった。見つけたそうだ」

「……」


察してはいたが、表情をひきしめる。今、虎羽が探しているのは一つだけだ。


「……ノー・フェイスですか」

「正確にはその戦闘痕。緋衣炉市から30kmはなれた來狸らいだ市の市街地だ。

 一つではなく複数あり、一方向を目指している。少しずつ、規模が拡大している」

「……ノー・フェイスは奴らのアジトを目指している?」

「情報部の見解では、そのとおりだ」



実に無謀な話だが、火之夜は不思議と納得もしていた。

(アイツなら、そうするのかもしれん)

出会ったのはほんの一瞬だ。ほんの少し拳を交わし、二言三言言葉を交わしただけ。



だが、なぜか彼がそうするだろうという予感があった。



「――まだ現在地の特定はできてないんですね?」

「ああ、だが時間の問題だ。想定外の事態もありうる、

 悪いがすぐに仕度してくれ」


むろんそんな話をしながらもすでに着替えをおえ、ライダースーツに身を包む。

最低限の装備を持ち、部屋をでる。



足早に廊下を歩きながら、アイツのことを思い浮かべる。

もういちど、話がしてみたい。



・・・


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