RESET

泡沫恋歌

第一章 若返り美容法

「あぁー、またシミが増えてる」

 最近、啓子はドレッサーを覗きこんで、ため息をつくことばかり――。

 今年五十五歳、もう女盛りは過ぎようとしていた。結婚当初から専業主婦だった啓子はほとんど世間を知らず家庭生活だけを送ってきた。そのせいか……微妙に世間とのズレを感じることもある。

 ふたりの娘は成人して、上の娘の方は結婚して初孫も生まれた。心の中では《まだ、お祖母ばあちゃんなんて思いたくない》そんな気持ちもあった。


 会社員の夫、宏明と今はふたり暮らしである。子どもたちが独立したので定年近い夫と自宅を処分して、こじんまりしたマンションを買った。この不景気のせいで定年後、嘱託しょくたくで会社に残れるかどうか微妙な状態なので夫も必死だった。いつも帰宅は深夜近くで一緒に食事をする機会もほとんどなくなった。

 夫の宏明は啓子の顔なんて……ここ数年、まともに見たこともないし、夫婦の夜の生活なんて……十本の指で数えても足りるくらい、過去の出来事になってしまっている。

《あたし、このまま女と認められなくて……年取っていくのかなぁー?》

 そう考えると……堪らなく自分が惨めに感じる啓子だった。

 もっと世間に出ていけば、こんなもないのだろうが、専業主婦三十年の啓子にはそんな勇気がない。ずーっと、夫、宏明の庇護の元で暮らしてきたからである。


 若い頃、啓子はきれいな娘だった。色が白くて肌のキメも細かくて。よく女友達に「色白は七難隠すってホントねぇー」とイヤミな冗談を言われたくらいだった。飛び抜けた美人というほどではないが、自分でも《まぁー底々の容貌だわ》と思っていた。

 宏明とは大学時代にひと目惚れされて……卒業と同時に、すでに一流企業に就職していた彼と結婚したのである。そういう意味で啓子は自分自身を『勝ち組』だと自負していた。

 ――浮気をしたことはないが、夫の同僚や近所のスーパーや商店街の店主なんかに「きれいな奥さん」と呼ばれて、チヤホヤされていた。ちょっと、鼻が高かったりする。


 それが最近は年齢のせいか、ストレスや紫外線のせいだろうか? 急にシミとシワが目立ち始めてきた。そのせいで毎日鏡を見るのも憂鬱になって、テレビの宣伝で観た、いろんなサプリメントを試している。

 コラーゲン、コエンザイムQ10、ヒアルロン酸、ローヤルゼリー、黒酢などなど……。     

 効果がありそうと思えるサプリメントなら軒並み飲んでみたが……今いち、効いてるのかどうなのか分からない。効果があまり実感できない状態である。

「あぁー、もう一度ピチピチしたお肌に戻りたいわぁー」

 そんな独りごとを、ついドレッサーの前で呟いてしまう。


 ――そんなある日、ネットのオークションを覗いていると……不思議なものが売られていた。

『若返り薬。どんどん若返ります。もう一度、青春を取り戻してください!』

 なによ、これ? ププッ! あんまりベタで嘘っぽい宣伝に思わず噴いてしまった。商品説明の写真にはカプセル薬とおぼしきものが写っていた。こんな詐欺っぽい商品に騙されないわ。

 オークションの設定金額は一円だった。まず、こんな物を競り落とす人間はいないだろう。

 一円かぁ……一円なら……たった一円だし、なんだか面白半分でオークションの画面をエンターしてしまった。

 そのまま啓子は〔若返りカプセル〕のことなんか忘れてしまっていたが……。一週間後に(落札しました)の連絡がパソコンに入っていた。

「あらっ、嫌だぁー落札しちゃったわ!」

 落札した商品を受け取らないとオークションの評価が悪くなるので、無視する訳にもいかず、送料を払って受け取ることにしたが、余計なことをしちゃったと、ひどく後悔しながらだった。


 そして二、三日経ったらポストに封書で何か届けられていた。

 裏を見ると宛名はなく〔若返りカプセル〕とだけ書いてある。――いよいよ怪しい。中を開けてみるとカプセル薬が五錠、それぞれに一年、五年、十年、二十年、そしてリセットと書いてあった。説明書には(数字の少ない順番にお飲みください。リセットはよく考えてから服用することをお勧めします)と、意味不明なことが書いてあった。

「こんな怪しい薬を誰が飲むものですか」

 フンと鼻で笑った啓子は、ダイニングキッチンのテーブルの端っこに封書をほったらかしたまま〔若返りカプセル〕のことは、すっかり忘れてしまった。


 最近、夫の帰宅が遅い。

 ――仕事の接待で深夜までなるとは言っているが、定年間近の社員をここまで働かせる会社はないと思う、どうも怪しい。ここ半年ほど前から宏明の様子が変だと思っている。《もしかしたら女が居るかも知れない》そんな予感がしていたが……直接聞くことも出来ず、シラを切り通したら証拠もないのだから、どうしようもない。

 それが原因で夫婦仲が悪くなっても困る。なんだかんだ言っても啓子は今の生活を捨てる気もないし、出ていく勇気もないのだから――。

 仮に、夫に女がいたとしても啓子は気づかない振りを通すつもりである。どうせ火遊びだろうし……そんなに長くは続かないと思っている。

 今までにも、宏明は女を囲ったり浮気をした過去があったのだ。


 しかし付き合ってから半年くらいになるみたいだし……もしかしたら、相手の女は妻の座を狙っているかもしれない。そんなことを考え出すと、どんどん不安になってきて、啓子はキッチンのテーブルで、紙パック入りの赤ワインを飲んでしまう。

 ここ数ヶ月、寝酒用に買った赤ワインを気が付けば、グビグビ飲んでしまっている。1

 .8リットルの紙パックが、たった三日しか持たない。飲み過ぎだと分かっていても止める者もいないので、ついつい飲み過ぎてしまう。


 ――今夜も夫が帰らないので、鬱々とした気分で啓子は飲み続けていた。

 もう深夜の二時過ぎ。そろそろ寝ないと……医者に処方して貰った、いつもの催眠剤の錠剤を飲もうとして……泥酔している啓子は間違えて〔若返りカプセル・一年〕を飲んでしまった。

 さすがに間違いに気づいて焦ったが、そこは酔っ払いのこと――。

「毒じゃなければ大丈夫よね?」

 勝手に納得して眠ってしまった。

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