ブラッディ・ローズ

「モーリス!」


 ロザリーの声が近付いてくる。しかし、それとほぼ同時に、テロリストの拳銃が火を噴いた。このままじゃロザリーが……!


「ロザリー、危ない!」


 僕は彼女を止めようと叫んだが、時すでに遅し。僕の体を狙って放たれた銃弾は、僕のすぐ目の前でロザリーの体へと吸い込まれてしまった。


「あぁっ!」


 透明化の魔法が解け、小さく悲鳴を上げるロザリー。その肩のあたりから、真っ赤な血が流れ落ちる。僕の体に覆い被さるように崩れ落ちたロザリーを受け止めると、僕の手や腕にぬるぬると、ロザリーの温かい鮮血が絡みついた。


「ロザリー! あぁ……血が、こんなに……!」

「っ……! モーリス、大丈夫?」


 見たところ銃弾は貫通していない。その痛みと衝撃に苦悶の表情を浮かべながらも、ロザリーは僕の体の方を心配しているのだ。ヘマばっかりやらかす僕を庇ったばっかりに――。


「……おっ!? なんだ、この女は! 急に現れたぞ!」


 透明な状態から突如として姿を現したロザリーに男たちも一瞬困惑した様子を見せたが、すぐにまた拳銃を構え直す。


「どうせみんな殺すんだから、んなこたぁどうでもいいか。若いのに気の毒なことだが、せいぜいあの世で仲良くするんだな」


 男の指が拳銃の引き金にかかる。人を殺し慣れているのか、躊躇は全くないようだ。

 もうこれ以上彼女を傷つけさせはしない。ミヤビ様とレイさんが来るまで、どうにかして彼女を守ってみせる……!

 僕はロザリーの体を覆うように抱きかかえた。僕にできるのはせいぜい、彼女の盾となり、代わりに撃たれることぐらいしかないのだ。


「おうおう、今度は彼氏が庇うのか。今時の若いモンにしては見上げた根性だな。その意気に免じて、苦しませずにあの世に送ってやろう」


 拳銃を持った二人の男が、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。ミヤビ様とレイさんはまだか、と周囲を見渡すが、二人の姿は見えない。

 どうしよう。二人が来るまで、ロザリーを守れないかもしれない。あの廃倉庫のときのように、ロザリーの力の暴発が起これば、或いは……。でも、それではミヤビ様やレイさんだけではなく、無関係な人まで巻き込んでしまう恐れがある。この辺りにグリーンフォレスト以外の人間がまだ残っていればの話ではあるけれど。

 それに、ロザリーの暴発は彼女の心身、とくに精神が不安定になり、極限状態まで追い込まれたときに起こるもののはず。一瞬でもそれを期待してしまった自分を、僕は恥ずかしく思った。とはいえ、他にこの状況を打開できる方法は――。


 と、その時。僕らの周囲に、小さな光の玉が浮かび始めた。

 蛍のように淡く光る、無数の光の玉。これはロザリーがマナを具現化する練習のときに見た光。放出したマナの力を集めたものだ。でも、これだけではまだ何の力も持たない。ミヤビ様やレイさん、レーヌのように、何らかの形ではっきりと具現化することができなければ、敵を攻撃したり身を守るために使うことはできないのだ。そしてロザリーは、まだマナの具現化には一度も成功していなかった。それを、この状況で……。

 マナの力を暴発させずに僕を守るため、ロザリーは血まみれの体で戦おうとしているのだ。


「うお、なんだこの妙な光は!」

「気味が悪ィな……こいつら、やっぱなんかおかしいぜ。さっさと殺しちまおう!」


 二人の男が僕の頭部に銃口を向ける。

 ミヤビ様たちはまだ来ない。

 もう無理か。

 僕は腕の中のロザリーを強く抱き締めた。

 ごめん、ロザリー……。


 だが、その刹那。

 ふらふらと浮遊する光の玉が、ロザリーの肩の傷口に触れるのを、僕は確かに見た。そして次の瞬間。


 ロザリーの肩の傷口から突然、夥しい量の血液が、噴水のように、あるいは大爆発を起こし噴火する火山のように、凄まじい勢いで噴き上がった。いや、噴き上がったという表現は正確じゃないかもしれない。ロザリーの血に反応した光の玉が、一瞬にしてロザリーの血液へと姿を変えたのだ。


「なな、なんっ……!」

「血ィ? ……うわっ!」


 血は濁流となって二人の男を飲み込み、そのまま遠くへと押し流してゆく。ロザリーの身体の体積を遥かに上回る量の血液。『ダンスインザダーク』の店舗前の道路は一瞬にして血の小川となり、真紅に染め上げられた地面が、街灯の頼りない灯りの下に照らし出された。

 何なんだ、これは……!


「うっ……!」


 眼前に広がる異様な光景に唖然としていた僕は、ロザリーの小さな呻き声によって現実に引き戻される。


「ロザリー、ロザリー! 気をしっかり持って!」

「大丈夫、急所は外れてる……それよりモーリス、奴らは……」

「ああ、もう遥か向こうまで流されていったよ。この……この物凄い量の血液は、ロザリーの力なのか?」

「……よくわからない……でも、マナの光が傷口に触れた瞬間、凝縮したマナの力が、ようやく私の意識とシンクロしたような、そんな感覚があって……」


 その時、新たにこちらへ駆け寄ってくる足音を聞きつけた僕は、ロザリーを抱え直してさっと身構えたが、


「ロザリー、モーリス、大丈夫?」

「……っと、これは……? どういうことだ、まさに血の海だね……」


 それはミヤビ様とレイさんの足音だった。あれだけ絶え間なく聞こえていた銃声も、気付けばいつの間にか止んでいる。みんな二人がやっつけてくれたのだろうか。ロザリーの傷口に気付いたミヤビ様が、血相を変えて僕たちの傍へ屈みこむ。


「ロザリー、その傷……! まさか、そこら中の血は……」

「……心配しないで。これは私の出血じゃない」

「……そ、そうよね。ロザリーの体からこんなに出るわけないか……」

「それに私、こう見えても意外と丈夫だから……」

「しかし、手当は早い方がいい。また新手が来るかもしれないし、とにかく今は急いでここを離れよう」


 レイさんはそう言うと、車の運転席に飛び乗り、エンジンをかけた。僕とミヤビ様はロザリーの肩を抱いて後部座席に乗せ、僕もそのまま後部座席に、ミヤビ様が助手席に収まったのを確認して、レイさんはアクセルを目一杯踏み込んだ。


「じゃあ、ちょっと飛ばすよ。揺れるかもしれないけど我慢してね。傷の手当は普通の病院じゃダメなんだろう、ロザリー? 国立マナ研究所まで走ればいいかな?」

「……ええ、そうしてもらえると、助かる……」

「了解。皆、危ないからちゃんとシートベルト締めてくれよ」


 車は、真紅に染まった道路を、時に華麗なドリフトを決めながら猛スピードで駆け抜けてゆく。ドリフトの度に体が左右に大きく振られ、シートベルトを締めているにもかかわらず、何度か軽くドアにぶつかった。

 細かく道路が入り組んだ港湾地区を抜け、チトセシティ市街地へ繋がる大通りへ出る。運転席のスピードメーターの針は100キロを大きく超えており、警察に見つかったら間違いなくスピード違反で捕まってしまうだろう。窓の外の風景が明るくなってきたところで、レイさんが言った。


「ここまで来れば、もう追手は来ないだろう。ところでロザリー、あのとてつもない量の血はもしかして、君のマナが具現化したものなのか?」


 ロザリーの華奢な体からあれほど大量の出血が起こるはずもないし、テロリストたちは血の濁流に流されていったから、僕達の周囲は全くの無人だった。つまり、あの夥しい量の血は人のものではなく、何らかの特殊な力によって引き起こされた現象。レイさんはそう考えたのだろう。

 ロザリーは小さく頷く。


「そう……みたい」


 助手席のミヤビ様が伏し目がちに呟いた。


「ロザリーの能力は『血』か……。今まで色んな人の能力を見て来たけど、これは初めてのケースね。マナの具現化に成功したこと自体は喜ばしいことだけど、なんていうか……まあ、細かい話は後にしましょう。今はとにかく、急いで手当をしなきゃ。レイ、もっと飛ばせないの?」

「もう結構飛ばしてるんだけどね。相変わらず人使いが荒いなあ。事故っても怒らないでくれよ?」


 レイさんがさらにアクセルを踏み込むと、車のエンジンは雄叫びのようなけたたましい音を立ててそれに応える。賑やかな街の灯りが長く尾を引きながら窓の外を流れ、暴走を詰るクラクションの音を尻目に、僕たちはマナ研究所へと急いだ。



!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i



 ロザリーが言っていた通り銃弾は急所には達しておらず、またロザリー自身の驚異的な自己治癒能力の効果もあり、なんと彼女は二日ほどで元の生活に戻ることができた。とはいっても、患部は白いドレスの下で包帯にぐるぐる巻きにされていて、痛々しい印象は拭えないのだけれど。

 そして、ロザリーがマナ研究所を退院した翌日の下校時。僕はミヤビ様とレイさんと共にロザリーの屋敷に招かれた。あの夜発現したマナの力を、ロザリーは改めて確かめてみたいらしい。屋敷の正門で雪舞に出迎えられた僕たちは、先導する雪舞に続いて中庭へと足を踏み入れる。


「いらっしゃい、みんな」


 ロザリーは中庭の中央に立っていて、僕たちの姿に気付くと、穏やかに微笑んだ。ロザリーの周囲には既に無数のマナの光が浮かんでいる。

 夕暮れ時を迎え翳り始めた空、中庭一面に咲き乱れる花畑、白熱灯のイルミネーションのように温かみのあるマナの光、そしてその只中に立つロザリー。それはまるで童話やおとぎ話のワンシーンのように幻想的な光景だった。


「ロザリー、傷はもう大丈夫なの?」


 僕が声をかけると、ロザリーはにこやかに頷く。


「ええ、まだ完全ではないけれど、傷口もだいぶ塞がっているし……それより、見ていて」


 ロザリーはそう言うと、懐から徐に小さな白い剃刀を取り出した。

 あれを一体どうするのだろう――と黙って見ていると、右手に剃刀を持ち、左手を前方に差し出したロザリーは、左手の手首にゆっくりと剃刀を当てる。


「……!」


 ま、まさか、リストカット――?

 目の前で堂々と行われるその行為に、さすがのミヤビ様も絶句しているようだった。

 注射よりも痛そうだし、ロザリーに『見ていて』と言われていなかったら、僕はきっとすぐに目を背けてしまっていただろう。でも、僕は目をかっぴらいてそれを見た。


 左手首に当てられた剃刀が引かれ、その一筋の傷口から、真っ赤な鮮血がぷっくりと滲み出る。すると、ロザリーの周囲に浮かんでいたマナの光が一斉にその傷口へと集まり、次の瞬間には、血の噴水へと姿を変えて傷口から噴き出した。


 噴き上がった血液は空中で巨大な塊となり、何やらもぞもぞと蠢き始めた。次第に四本の脚が生え、首が伸び――数秒後には、雪舞に似た馬の形に変化したのだ。宙に浮いていることを考えると、むしろ羽根のないペガサスとでも呼ぶべきだろうか。


「す、すご……」


 すごい、と言いかけて、僕はそれを止めてしまった。空中に作られた血の馬は、細部まで精巧に再現されていて、芸術品と呼んでもおかしくない出来だった。でもあれがロザリーの血液によって作られていると思うと、むしろ気味の悪さのほうが勝ってしまう。

 しかし、ロザリーはそんなことに気付きもせず、朗らかに笑った。


「どう? マナと反応した血液を自在に操れるようになったの。これが私の新しい力。すごいでしょう?」

「う、うん、すごい……と思うよ」


 すごいけど、でも……。

 横目でちらりと二人の様子を窺うと、ミヤビ様は凍り付いたような表情で血の馬を見上げている。一方のレイさんは、普段の仮面のような微笑を浮かべたままだった。

 レイさんは落ち着いた口調で言う。


「マナを自分の血液と反応させ、同化させて自由に操る、か。こんな能力は前代未聞だけど、でも、そこがまたロザリーらしいというか――。液体なら雅の能力との相性も良さそうだし、なかなか便利なんじゃないかな。ね、雅」

「え? ええ……まあ、たしかに。でも……」


 突然意見を求められたミヤビ様は、一応は頷いてみせたものの、その顔にはやはり困惑の色が強く浮かんでいる。

 そりゃそうだ。だって、自分の能力を使うために、ロザリーは自分の体を傷つけなければならないんだから。


 ロザリーはまるで子供の無邪気な粘土遊びのように、血液の塊を色々なものに作り替えて僕達に見せた。それを見上げながら僕は、正直なところ、若干の恐怖を覚えていた。

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