第五話 それはまだ未観測の世界

「はい!?」


 僕は思わず叫んでいた。どんどんワケがわからなくなってきて混乱する僕を面白そうに見ながら、武藤さんは説明を続ける。


「ワケがわからないだろう? 実際、実験結果を見た物理学者達もワケがわからなかったんだ。この現象をうまく説明する理屈が従来の物理学では成り立たなくてね。それで生まれたのが量子論なんだ。量子論について、何か知ってるかい?」


 それを聞いて、僕は以前になんかの本で読んだことを思い出した。


「『シュレディンガーの猫』って話をどっかで読みました。猫と毒を箱に入れて中が見えないようにして、毒で猫が死んでる確率が半分半分のとき、実際に箱を開けて中を見るまでは猫は半分死んでて半分生きてる状態だとかいう、ワケのわからない話でしたけど」


「うん、そのワケのわからない例え話は、さっきの『一個の電子なのに干渉縞が発生する』現象のことを説明する話なのさ。電子を一個の粒子として考えると、波動しているにしても干渉縞ができるのはおかしいことになる。これが粒子でない波なら二つのスリットを通り抜けるという可能性がある。でも、電子は片方のスリットしか通ってないから波じゃない。電子が粒子でも波でも矛盾する。だから、こう考えたんだ、電子は観測されたら粒子になるが、観測されるまでは波だって」


「はあ……」


 何だか変な結論にしか思えなかったけど、偉い物理学者の先生たちがそう考えたんなら、そういうモンなんだろうなと思うしかない。


 そんな僕を見ながら、武藤さんは楽しそうに別の感光板を三枚出してきた。


「そこでだ、電子を操るという超能力を持つキミの力なら、この実験がどう変わるか試してみたんだが、いやー、面白い結果になったね」


 そして一枚目の感光板を示す。そこには、きれいに縞模様ができていた。


「これは、最初のものだよ。キミが特に何も考えずに電子を大量に放出し、感知しなかったときの感光板さ。電子銃のときと変わらない干渉縞ができていた。つまり、キミの能力で放出した電子であっても、特にキミが何か操作をしなければ普通の電子と同じ結果が得られるということだね」


 そう言うと、今度は二枚目の感光板を示す。


「これが二番目の、キミが『真っ直ぐ飛ばす』ことを念じた上で、その後の動きを感知していたときの感光板だ」


「あっ!」


 僕は思わず声を上げていた。感光板には縞模様ができず、電子の跡が平均的に広がっていたからだ。


「キミの超能力は素晴らしいね。本当に電子を『真っ直ぐ飛ばせる』んだから」


 そう言いながら、最後の感光板を示す。そこに現れた電子の跡は、数こそ少ないものの、きちんと縞模様ができていた。


「そして、一個ずつ飛ばして、飛ばしたあと感知しなかった最後のときの感光板にも、やはり干渉縞ができていた。電子銃の実験と変わらない結果が出たわけだね」


 そこで一度言葉を切る武藤さん。雑多な物が置かれた机からペットボトルを取って、一口飲んでから話を続ける。


「つまり、キミの超能力では、意図して操作しない場合には電子は自然界の法則に従って動くけど、意図して操作した場合はその法則をねじ曲げるということだね。まあ、今までの実験でもわかっていたことだけど、それを量子論レベルでも確認できたってことだ。あ、実験のときに感知を切ってもらったのは、君が感知してると『観測』になっちゃうかもしれないと思ったからさ」


「はあ……」


 物理学者的には重要なのかもしれないけど、正直、僕には何が重要なんだかわからない。


 と、そんな僕の様子を見て、武藤さんはニヤリと笑ってから口を開いた。


「……というのは、ひとつの言い訳だな。本当のところは、キミの悩みを少し軽くしてあげようかとおもったんだよ。量子論でね」


「はい!?」


 突然、話が全然違う方向に飛んだので面食らっている僕を見て、武藤さんは軽薄そうな笑みを浮かべたまま話を続ける。


「観測するまでは確定しない。物理学にしてはいい加減だと思うかもしれないけど、実のところ現実社会だって似たようなものさ。例えば、この部屋を見てくれ。この部屋は実在していると思うかい?」


「え、まさかこの部屋って立体映像ホログラムとか!?」


「ああ、違う違う、そういう意味じゃないよ。さすがに、ここまで精巧な立体映像ホログラムは……作れるな。いや、まあ作れるけど、そんな所に予算を使わないよ。この部屋はには実在するさ」


には?」


「お、気付いたね。そうだよ、この部屋はには実在していないのさ。この階にあるPI機関の裏オフィスやこの研究室は社会的には存在を『認められていない』。もちろん、国家組織だから予算は別枠で通ってるけどね」


「いいんですか、それ?」


 思わずツッコんでしまったんだけど、武藤さんは我が意を得たりとばかりにニヤリと笑って答えた。


「倫理的に考えれば、よくはないだろうね。だけど、誰がそれを咎めるんだい? この部屋は、社会的には『観測されてない』んだよ。あるかもしれないし、ないかもしれない。観測されて『ある』と確定するまでは、誰も咎めることなんかできないさ。そういう、量子論の電子みたいな曖昧な存在なんだよ、ワタシたちPI機関ってのはね。いや、それを言えばPSも同じだね。あるかもしれないし、ないかもしれない。マスコミとかに見つかって社会的に『ある』と確定するまではね」


 そこで一度言葉を切ると、一転して真面目な顔になって言葉を続けた。


「だからね、キミは『今すぐ自分の身の振り方を決めよう』とか悩まなくてもいいんだよ。何事も無かったかのように、明日からも今までどおりの生活を続けたって、かまいはしないんだ。だって、ワタシたちPI機関は社会的には『観測されてない』んだからね」

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