第2話 激昂


「なによ、あなたたち。さっきから、なに言ってるんだかちっともわかんない。……あたし、帰る」


 そう言ってさっとスカートを翻して振り向きかかった高杉あやの目の前に、茅野がずいと立ちふさがった。自分よりずっと高い位置から例の怖い眼光で見下ろされて、あやは足が竦んだようになってそこに立ち尽くした。

 スクールバッグの肩ひもをぎゅっと握りしめて、それでも必死にその場に足を踏んばり、茅野をにらみ返している。


「ど、どいてよ。どういうつもりよ……!」

「別に、手荒なことをするつもりはないよ。君とちゃんと、話をしておきたかっただけ。素直に話してくれたら、そんなに時間は取らせないから。落ち着いて、あやっち」

 僕は真心などひとつも乗っていない、それでいて穏やかでごく優しい声音でそう言った。

「確認しておきたいだけなんだ。しのりん……と僕が例のイベントに参加しているのを写真に撮ったのは君かな? そのあと、こっちに戻ってきてから駅の近くで篠原くんが着替える前後を撮影したのも?」

「…………」

「そうしてそれを、僕や篠原くんの知り合いみんなに回したのも君。そうだよね?」

 あやはぎろっと僕をにらみつけたけれど、何も答える気はないようだった。僕はそれには構わずに言葉を続けた。

「まあ、答えてくれなくても大丈夫だよ。さっき茅野くんが言った通り、もう裏はとれちゃってるから。あのイベントの日、君が朝早くから夜遅くまでどこかにでかけていたってことも分かってる」

 実はこのあたりも茅野からの情報だ。彼はやっぱり、ただ漫然とサッカーをやっているだけの脳筋野郎というのではないようで、今回、ありとあらゆる伝手つてを使って当日の高杉あやの動向まで調べてくれていたのだった。いや、そもそもスポーツっていうのは、頭が良くなければ強い選手にはなれないものでもあるわけだけど。

「僕らはもう、君が今回の件の首謀者だって確信してる。違うって言うなら、それなりの証拠を出してもらわないと納得はできない。……まあ、無理だと思うけどね」


 そうなのだ。

 実際、こういう種類の事件があった場合「あなたが犯人だ」という明らかな証拠を出すことは難しい。けれど、反対に疑われているあやの側から「自分は犯人ではありません」という証拠を出すことは、それ以上に難しいことになるはずなのだ。彼女が犯人であれば、なおのこと。

 何も言わずに――いや、「言えずに」と言うのが正しいのかもしれないけれど――あやは相変わらず、凄まじい目で僕を睨んでいるだけだった。僕はちょっと、吐息をついて彼女を見返した。


「……どうして、こんなことをしちゃったんだい? 少なくとも君は、篠原くんには何の恨みもないはずだ。同じ高校に通ってるっていうだけで、ろくに話をしたこともないんでしょう? となると、理由は僕、ってことになるのかな。同じ中学にいて付き合いもあった僕のことは、なにかしら不満に思うところがあったのかも知れないものね。……違う?」


 そう言ってちらりとあやを見ると、彼女はうっと言葉につまるようにして、ふと自分の足許を見たようだった。

 僕はすこし、ため息をついた。

 やっぱりそうなのだ。今回のもともとの原因は、はっきりとはわからないけれどもやっぱり僕にあったのだろう。


「……そっか。まあ、そこまでの想像はつくよ。僕にもなにか、君を不快にさせるような落ち度があったんだろうね、きっと。だから今回のことも、別に嬉しくはなかったけど、被害が僕だけのことだけだったら『まあいいか』って思っただけだったと思うんだよね、僕も」


 そうして僕は、一歩、あやに近づいた。

 すると、たぶん無意識だろうけど、あやが一歩、あとにさがった。しかし彼女の背後には茅野がいて、完全に退路を塞いでいる。あやはちらりとそちらを見て足を止めた。

 もう真っ青になっている彼女の顔を見つめて、僕はさらに言った。

「でも、今回のことは許せないよ。特に、しのりん……篠原くんに関することはね。彼は君のしたことのために、とてもひどい目に遭った。彼のスマホにはあれから、凄まじい言葉がいっぱい叩きつけられてきたんだ。……そのぐらいのこと、君だって想像してたよね?」

 ちなみに僕はいま、あえてこの場ではしのりんのことを「彼」と呼んでいる。高杉あやと話をするにあたって、話を混乱させかねない余計なファクターはとり除いておきたかったからだ。

「そうしてそれが原因で、篠原くんはとても重大なことになりかけた。それは、下手をすれば命にも関わるようなことだったんだよ」

「しっ……知らない!」

 突然、あやが金切り声をあげた。

「知らないわよ、そんなこと! あ、あたしのせいじゃない! あたしはなんにも、やってない……!」

「なら、証拠を見せてよ。君が犯人じゃないっていう、明らかな証拠をね。『やってない』って叫ぶだけなら、小さな子にだってできるよね?」

 僕は、腕組みをして片手で少し自分の顎のあたりに触れながら、小首をかしげてにっこり笑った。

 自分で言うのもなんだけど、今の僕は、きっと悪魔のような微笑みを浮かべているんだろうなと思った。


 あやは高校生にしてはずいぶんと派手な化粧をほどこした目をあらん限りに見開いて、さも憎々しげに僕を凝視している。小さな可愛らしい口の奥で、きりきりと奥歯が音をたてているのが分かるような顔だった。

「ゆの……! あんたは――」

 その声には、明らかな憎悪が乗っている。

「あんたって、いつもそうよね! いつだって涼しい顔で、にこにこしてっ……。何かあっても結局、今みたいに誰かが助けてくれてさ……!」

「え?」


 話が思わぬ方向へ脱線しかかっているのに気づいて、僕は眉をひそめた。

 この子、いったい何を言い出したんだ。


「いつも、いつもっ……! 誰かに媚びるわけでもないくせに、いつもみんなの人気者で、誰からも好かれてさっ……。つらいことも苦しいことも、どうせなんにも知らないんでしょ? だからあんな子どもみたいな趣味、いつまでも続けていられるのよ」

「ええっと……」

 戸惑う僕のことなど構いもせずに、あやは吐き捨てるようにして言い放った。

「バッカみたい! 精神的に幼いのよ。お子ちゃまなの! あんたの精神年齢なんて、せいぜい小学生並みなんじゃないの? あんたなんかに……あんたなんかに、あたしのことなんて分からないわよっ!」


 なんなのだろうか、この暴言。

 とりあえず、色々と反論したいことはある。けれど、ここまで彼女が激昂してしまったのでは、きちんと話を聞くことは難しくなりそうだった。困ってちらっと茅野を見ると、彼も明らかな渋面になって、目の前の背の低い女の子のゆるふわな髪にいろどられた後頭部を見下ろすようにしている。

 僕は、表情だけは変えないながら、次第にぐらぐらと煮え立ちはじめた自分の腹のなかの獣の存在を意識した。


「……つまり、こういうことかな? 君のターゲットは僕だけだった。そういうことだよね? しのりんはやっぱり、ただの巻き添えだったってことなんだよね……?」

「そうよ! 別にいいじゃないの。子供じみた男みたいな女と、女みたいな男とで、男同士でエロいことする、気持ち悪いマンガや小説、かいてるんでしょ? そんなの、人に笑われたくないんだったらやらなきゃいいだけじゃない。ああやって公開されて困るようなことなら、最初からやらなきゃいいのよ。いじめられたり、後ろ指さされたって言ったって、全部、自業自得でしょ。あたしの知ったことじゃないわよっ……!」

「てめ……!」


 はっと気づくと、あやの背後の茅野がぐいと彼女の肩をつかんで振り向かせ、胸倉をつかみあげて今にもひっぱたきそうに手を振り上げていた。

 茅野の腕力の前には、あやは完全に無力だった。彼女の軽い身体はほとんど、宙吊りにされかかっているほどだった。あやの喉から、ひいっという引きつれたみじめな悲鳴がほとばしった。


「だめ! ほづ……!」


 叫んだのは、しのりんだった。

 僕は夢中で、振り下ろされてくる彼の腕を片手で遮った。そうして、彼の手からあやを引き離すと、代わりに自分で彼女に向き直り、その頬を張り飛ばした。


 ばちっと痛みをともなう音がして、手のひらにびりびりと衝撃が走った。

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