聖都の秘め事

 聖都アスタロスタで密やかに行われた魔王封印は、成功したとも失敗したとも言えない結果に終わっていた。

 確かに少年の身体から吹き出した魔王の力は消え去った。

 魔王の力を封印するという水晶は、元は半透明の乳白色だったはずだが、今では漆黒に染まっている。

 英雄の剣で己の胸を貫いた少年は、レオンハルトの必死の治療の甲斐もあって一命を取り留めたが、未だに意識は戻らず昏睡状態のままだ。

 本当に魔王の力を水晶に封印することが出来たのか。

 それとも未だに少年の身の内に魔王の力が宿っているのか。

 誰にもわからなかった。

 魔王封印の場に乱入したセレネは、一応英雄レオンハルトの知人ということもあって、表向きは客人として扱われていた。

 神聖教会に侵入したことや、使者に暴力を振るったこと、純白の間で何が行われているのか知らなかったとは言え、魔王の力を押さえ込むために張った結界を破壊しようとしたこと────流石にそれについては、「運良く何も起こらなかったから良かったものの、貴様の行いのために世界が滅びる可能性もあったのだぞ」と青の君に嫌味を言われていたが────などは、些細なこととして片付けられてしまった。

 実際、セレネに構っている暇などないのだろう。黒く染まった水晶の扱いをどうすべきか、魔王と名乗った少年の処遇をどうすべきか、白の君や青の君をはじめとした神聖教会の使者達が、難しい顔をして議論を交わしていると、その議論に強制的に参加させられている幼い英雄がげんなりとした顔で教えてくれた。

「これからどうしましょうねえ」

 気味が悪いほど青と白で統一された部屋の中で、セレネはひとり呟いた。

 魔王封印から三日。セレネは一日の大半を、少年の枕元で過ごしている。

 一応客人扱いとなっているため、セレネにも適当な客室は与えられていた。初めはレオンハルトが寝る時だけ客室へと戻るつもりでいたが、少年の枕元に座り込んだまま動かなくなってしまったセレネを見かねたレオンハルトの方から部屋を交換しようと言い出した。

 幼い英雄は日に何度か顔を出しては、意識のない少年に回復魔法を掛けたり、セレネに何かと話しかけたりしてくれる。

 少年は眠ったままだ。傷は治っているし呼吸も安定している。だが寝言を呟くことも、寝返りを打つこともない。

 いつ目覚めるのか。このまま眠ったままなのか。眠り続けてもう三日だ。

 最悪、意識が戻らないまま衰弱死してしまう可能性も────

「セレネさん」

 掠れた声が聞こえた。いつの間にか、レオンハルトがセレネの横に立っている。

 幼い英雄は見るからに憔悴しきっていた。セレネではなく、寝台の上にいる少年を血の気が失せた顔で見つめている。

「セレネさん。どうしましょう。どうしたら良いんでしょうか。このままだと、ライアンが」

「何かあったの?」

 レオンハルトは、地を這うような低い声で言った。

「…………あの水晶は、神聖教会が封印することになりました。今はどこに封印するかで揉めているようです。それから…………それから、ライアンも…………魔王の力を、まだその身に宿しているかも知れないからって、彼も一緒に封印すべきだと」

「笑えない冗談だな」

 魔王封印が成功したのかどうかは誰にもわからない。ならば、水晶と少年、魔王の器を両方封じてしまえば良い。

 なるほど神聖教会らしい正しい判断だ。だが、いくら正しくてもはいそうですかと従うわけにはいかない。

 椅子から立ち上がる。寝台の上の少年の脇に手を差し入れ、そのまま肩の上に担ぐようにして抱き上げた。

 さっさと部屋の入り口へ向かおうとすると、背後からレオンハルトの慌てたような声が追いかけて来た。

「どこに行くんですか?」

「さてね、どこに行こうかな。とりあえずここじゃないどこかだよ」

「そんな、無理ですよ! 門には見張りだっています。一人でなんて絶体無理です!」

「やってみなきゃわからないだろう?」

 レオンハルトにはそう返したが、セレネは足を止めていた。

 部屋の入り口に、白い人影がある。開いた扉に背中を預け、こちらを横目で眺めていた。

 透き通るような白い肌に、光り輝くような白髪。瞳の色は空の青。神聖教会の色を体現している若い女性。

「白の君様…………」

「探したぞ、英雄殿」

 背後の英雄が呆然と呟く。それに白の君は無表情に答えた。

 抱き上げている少年の身体を左手で支え直し、セレネは右手を自由にした。部屋の入り口を塞いでいる白の君をじっと見つめる。

 聖都アスタロスタの使者にのみ許された純白の長衣。武器を持っているようには見えず、外見だけなら二十代前半あたりの華奢な娘にしか見えない。だが、彼女には神聖魔法がある。

 右手が剣の柄へと伸びる。少年を抱えたままで、ここを突破できるか。それとも一度彼から離れて、目の前の女を排除することに専念すべきか。

 白い女が、ほんの一瞬だけ片頬を歪めた。

「そう警戒するな。独り言を言いに来ただけだ」

「こんなところでわざわざ独り言か。ずいぶん暇そうだね、お嬢さん」

「夜明け頃────あと数時間後に、私はアスタ様からの御神託を授かる」

「おや、無視かい?」

「独り言だからな」

 白い女の独り言が続く。

「神聖教会の使者にとって、アスタ様からの御神託は何よりも優先すべき再重要事項だ。夜中だろうが夜明けだろうが純白の間に集合して、アスタ様のお言葉を聴く。流石に門の警備は外せないが、一人でも多くの使者にアスタ様のお言葉を聴かせるために、本来複数人ですべきところを一人に減らしている」

「警備が手薄な夜明けの内なら、何とか逃げられそうってことか…………ああ、気にしないで。こっちもただの独り言だから」

「年寄りになると独り言が増えるものだからな、仕方がない。今回の御神託は世界を揺るがすような壮大なものになりそうだから、使者を一人残らず純白の間に集めよと指示をするつもりではいるんだがな。流石にそれは青の君が許してくれそうにない」

「白の君様…………その、それは、つまり!」

 レオンハルトの明るい声が聞こえた。幼い英雄がはっきりと言葉にする前に、白の君は唇の前に人差し指を立てて見せた。

「私からは以上だ。もしこれを偶然聞いた者が居たとしても、そして何かをしようとしても、私の知るところではない」

「白の君様」

「何もできない無力な女でも、独り言ぐらいは呟けるからな…………私にも、それくらいなら」

 最後の方だけ本当に独り言のように呟いて、白の君は部屋から立ち去った。

 その背中を見送って、セレネは大きく息を吐いた。

 少年を両手で抱え直し、寝台の方へ向かう。彼を再び元のように寝かせて、もう一度息をつく。

「動くのは、今日の夜明けですよね」

 レオンハルトが楽しげにそう言った。先程まで憔悴しきっていたとは思えないほど、元気一杯に宣言してくる。

「僕も一緒に行きますからね。駄目だって言われてもついて行きます。もう決めちゃいました」

「それはあんたが英雄だから?」

「違いますよ」

 冗談半分の言葉は、セレネが予想した以上の真摯な態度で否定された。

「僕は英雄である前に、ライアンの友達です」

「…………そう。じゃあ、仕方ないね」

 セレネが何を言ったところで、彼は諦めたりしないだろう。なんとしてでもついて来るつもりだ。きっと、最初に出会った時と同じように。

(この子の友達がそう言うなら、仕方ないよな)

 英雄としてではなく、彼の友達として。

 それなら、悪くない。

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