記者と政治家⑧

 源田智和の死体を発見した瞬間、わたしの体は強張り、立ったまま金縛りにあったかのようだった。

 そんな膠着状態の中、目だけを動かし、源田智和の死体を確認する。肩口から下腹部にかけて袈裟懸けに斬られた状態で、ほぼ即死だったと考えられる。傍から見れば切り裂きジャックの犯行であることは一目瞭然だろう。だが、どこか違和感を覚える。父を殺され、先輩を殺され、それを憎み、今日まで一日を送ってきたわたしだからこそ感じたものかもしれない。しかし、それが何かと問われると何とは答えることができない。ただ何か違う。それしか答えようがなかった。

「用は済ませられましたか」

 後ろから声が聞こえ、びくっと反応すると、金縛りが解けた。

 振り返れば、先程のSPが笑顔でこちらを見て笑っている。

 ただその笑顔はトイレの場所を教えてくれた時のそれとはまるで違い、乾ききっていた。その表情に感情はなく、不気味さを感じる。その表情を見て、わたしの脳裏に一つの記憶が蘇る。

 なぜ彼の顔を見た瞬間に気付けなかったのか。彼はそういう男だったはずだ。感情、狂気をコントロールし、相手の視界をゆがませる。そう先輩の情報に記してあったではないか。

「あなたが――大谷政明だったのね」

「御名答。やはりあなたの先輩は深く知りすぎていたようだ」

 正体がバレても、彼――大谷政明は顔色一つ変えずに、淡々と状況を整理し理解していく。意思を持ったコンピューターのように思えた。

「いやあ、見た目が若く見られるというのは、初めこそコンプレックスでしたが、何も嫌なことばかりではなかったようで、人生というのはやはりわからないものですね」

 大谷政明は大谷組の元組長である。十五年ほど前、組長という立場にも関わらず、異例の除名処分を勧告され、テレビでも当時話題になっていた。確かSCOOPでも記事にしており、その担当は先輩だったはずだ。

 大谷政明が大谷組の中で何をしたのかまでは定かになっていない。大谷政明の実父であり、先代の組長でもあった大谷政継を殺害して組長の座に座った噂も流れたが確かな証拠もなく、先輩も手を焼いていた記憶がある。わたし自身はニュース記事などでそれを見た程度で、大谷政明の顔を見たのは、先輩の形見としてもらったUSBメモリーに入っていた顔写真が初めてだ。当時の写真と今の大谷政明は多少の皺が散見できるものの、ほぼ変わっていないといっても過言ではなかった。

「私が切り裂きジャックか否か――それはあなたが一番理解しているのではないでしょうか」

 貼り付けた笑顔を剥がすことなく、大谷政明は平然と語る。

「切り裂きジャックの仕業としては、無様と言わざるを得ませんよね。本物はもっと鮮やかで手際もよかった。こんなものはまだ子供の真似事に過ぎませんが、世間の目を誤魔化すほどには合格ラインだっようです。今回で三回目ですが、上出来だと自分でも褒めておきましょうか」

「――三回目ということは……」

「そうです。あれは確かに私が殺しました。あなたの大切な先輩を殺したのは私です。一度目はもっと以前に行ったものですが、組の内部で一人、ね」

 わたしは頭で考えるよりも先に体が反応し、大谷政明に飛びかかった。硬直していた身体は嘘みたいに身軽に動いてくれた。自分の身体のどこにこんな力が隠されていたのか、と感心してしまうほどに、俊敏な動きを見せた。――しかし、所詮は女の本気など高が知れている。幾千もの修羅場を乗り越えてきた裏稼業の人間に太刀打ちできるはずもなかった。

 殴りかかったわたしを大谷政明は軽くいなし、床に倒しこむ。背中で腕を極められており、少しでも抵抗しようと動けば、激痛が走る。

「あまり面倒なことはやめていただけませんか。そんなに私も悠長に構えていられるほど、暇でもありませんので」

「なぜあなたはこんなことをしているんですか。源田智和に雇われたSPではなかったのですか」

 痛みと怒りをこらえながら、必死に大谷政明に問いかける。

「……行為の理由ですか。あまりそれに意味があると思えませんが……。そうですね。理由を挙げるとするならば、切り裂きジャックに出会うため、というのが一番でしょう」

「……切り裂きジャックに?」

「そうです。この何の特徴も無い岐阜に舞い降りた伝説の殺人鬼。大谷組という小さい箱の中では決して成し得ることのできなかった、その異名。わたしが心底欲しがっていたものを切り裂きジャックはすべて持ち合わせていました」

 先刻まで無味乾燥な笑顔を貼り付けていた大谷政明の表情が一瞬だけ和らいだ。憧れのヒーローを夢見る少年のような表情にわたしは見えた。

「私はヤクザの家系に生まれ、それ相応の成果は果たしてきたと思っています。それでも私の欲望を満たすことは叶いませんでした。私は世界の闇の片隅で組織を束ねて満足するような男ではなかったのです。私はヤクザなんかじゃなかった。私にも流れていたんですよ。殺人鬼の血がね。だからこそ切り裂きジャックに出会いたかったんです。そして交えたかった――血で血を洗う抗争の中で一戦を」

 文字にして起こせば、なんと残酷な台詞を嬉々として語る彼の姿はまさしく化け物、というべきものなのかもしれない。

「それで出会えたんですか」

「まあ実のところ、一度だけお目にかかったことはあるんです。そのときは完敗でした。まだ若頭の頃です。別件の仕事で、切り裂きジャックとバッティングしましてね。当時はただただ恐怖と戦慄で、なにもできませんでした。ですが、切り裂きジャックの行為そのものは、私の憧れたそれに最も近く、素晴らしいものだった。だからこそもう一度会いたいのです」

 大谷政明は一気に話し切り、少し満足げな表情を浮かべた。

「切り裂きジャックに出会うため、私は何をすべきか考えました。まずは今おかれている現状を有効活用するために、大谷組でトップ――組長になることを決意しました。もとより敷かれていたレールでしたが、漠然とした道標より、明確な目標が立つと、人というのはより具体的な行動がとれるものなのです」

「だから大谷政継を殺した」

 改めて考えれば、大谷政明の行動は常軌を逸していた。裏稼業の人間に正義を説くのもおかしな話だが、彼らはそれぞれの筋と仁義を通して生きている。それも立派な生き方だ。しかし、大谷政明にはそれがまるで感じられなかった。温度の感じない人間に触れているようで気持ちが悪い。

「まあそんなところです。組長にもなれば、

必然的に大きな相手と繋がることもできますし、いろいろと融通がきくようにもなるでしょう。そうすれば、切り裂きジャックの手がかりが見つかるかもしれない。そこで私はこの県下で最も権力があり、出来る限り濃い黒の人間に接触を試みました。もともと祖父の代から交流はあったんですがね。挨拶をしに行った際、私の直感がビビッと反応しましてね。源田智和は私と同じ側の人間であることが。とは言っても彼の場合は、知恵が十分すぎるほどにあっても、技術が足りなかった。だからこそ、私がその技術を担い、彼に協力をしていたのです」

「組長という立場を利用して殺し屋としても動いていた、というわけですか」

 大谷政明はけたけたと笑い、かぶりを振った。

「組長という役職も決して暇ではないんですよ。それにそんなことを組のトップが何度も繰り返していては、いずれわかってしまうでしょう。だから私は大谷組で手に入る情報を元に情報屋兼仲介屋を営み、殺し屋を雇って源田智和の仕事や大谷組の仕事を熟していきました。なかには有望な人材もいて、これはこれで楽しかったんですけどね。私の存在に気付く方もいて飽きは来なかったですし。しかし、ここで一つの悲劇が起こりました。

「……悲劇?」

「そう悲劇です。まさしく悲劇であり、悲恋ともいえる事態が発生しました」

 彼はオーバーなリアクションを取りながら、顔を両手で覆った。


「――切り裂きジャックの消失です」

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