記者と政治家⑥

「これ……本物だよな」

 デスクの誰もが望まれない荷物の扱いに戸惑いを隠せず、それを中心にして囲むようにして立ち竦んでいた。

 ざわめきが冷めやらぬなか、わたしはおそらく誰よりも冷静に現実を理解していたのかもしれない。その左手の薬指にはめられていたゴールドリングの結婚指輪が視界に飛び込んだからだ。わたしは心のどこかでこうなることをどこかで予感していたのだろうか。いや、わたしだけではない。おそらく先輩もそう予見していたのだろう。だからこそ先輩は一人で東京に残り、わたしは岐阜で調査を続けていた。もし先輩がいなくなっても、わたしがその遺志を継がなくてはならない。五年目の若手が何を言っているんだ、と笑われてもいい。心の奥底でそう決意し、表面では取り繕いながらも、今まで調査を行ってきた。現実にならないことを懸命に祈りながら。

 しかし、現実は無情だ。

 わたしにとって最悪な結果しかもたらさないこの世界のどこに希望を見出せばいいのだろうか。

 父が切り裂きジャックに殺されたときと同じ感情がフラッシュバックで蘇える。

 だが先輩はきっと前を向いていろ、と言うだろう。

『嘆いても世界は変わらない。世界を変えるのは、いつだって前を向いて目の前に飛び込んでくるチャンスを見逃さないやつだ』

 これが先輩の口癖だった。誰の受け売りかはわからないが、この話をするとき、いつも遠い目をして笑っていた。

 東京で先輩が殺されたとの正式な報せが届いたのは、わたし宛てに荷物が届けられた二日後のことだった。殺された遺体には左手が切断されており、DNA鑑定によって先輩のものであることが証明された。

 しかし、何より報道で騒ぎを大きくしていたのが、先輩の殺された状態だった。

 左手が切断されていたことよりも、ジャーナリストが殺されたことよりも、何より肩口から下腹部にかけて袈裟斬りをと呼ばれる傷口が注目された。それは即ち、『切り裂きジャック連続殺人事件』の再来を意味していたからだ。

 警察からの取り調べを受け、荷物の送り主に心当たりはないかなど質問を受けたが、見当がつかないと答えるに留めた。東京で先輩が何を調べていたのかも聞かれたが、編集長に聞いてください、とけむに巻いた。

 警察も荷物の送り主の洗い出しに苦戦を強いられているようで、東京での先輩の動向と並行して調査を行い、関連性を探っているようだった。

 先輩は源田智和によって消されたのか。

 源田智和は切り裂きジャックと繋がっているのか。

 様々な疑問が頭の中で蠢く。

 どこから手を付けたらいいのか思案していると、編集長から電話で呼び出しを受けた。

 編集長に呼び出された場所は、電車で四駅ほど先のファミリーレストランだった。地元に住んでいるわたしでもあまり降りることのない閑散とした駅から徒歩で十分程度のところにそれはあった。

 中に入ると、わたしに気付いた編集長が手を振って合図をする。

「わざわざこんな所にどうしたんですか」

 世間話をするほどまだ心の晴れていないわたしは本題を切り出す。

「まあまあ、お昼……まだでしょう」

 編集長はメニューボードをわたしに寄越した。好きなのを頼んでいいよ、と気前のいいことを言ってくれたが、安さと早さの売りのチェーン店ではあまり格好がつかない。

 わたしはランチメニューを適当に頼み、ドリンクバーから飲み物を持ってきた。座ったところで編集長から、誰から尾つけられていないかな、と尋ねられた。

「どういうことですか?」

「ここの駅は閑散としていて、人の通りも少ない。加えてこのファミレスまでの道のりはまっすぐ一本道だ。万が一、尾行されていても、それに気づきやすいということもあって、よくあいつと大事な話はここでしていたんだよ」

 わたしの知らない話だった。編集長は目に涙をうっすらと浮かべながら、懐かしそうに語りだした。

「ここに来ると思い出すよ。あいつはどこまでも、そして誰よりもジャーナリストだった。そんな有望な人材を失ったことが、とても寂しいし、何よりも悔しい。あいつのことはデスクの誰よりも理解しているつもりだったし、何をするにしても信頼していた。そしてそれはあいつも同じだと思っていた。それなのに、あいつは最期の言葉を編集長の私にでもなければ、家族でもなく、五年程度の付き合いしかない君に託すとはね」

 編集長はため息を一つ吐き、胸の裏ポケットから一枚の封筒を取り出して、テーブルの上を滑らせる。

「あの荷物が届く三日ほど前かな。あいつからそれが私に送られてきた。中はもちろん見ていないよ。だが、君へのメッセージの他に、一本の鍵が同封されているはずだ。それはここからもう少し行った先にある貸し倉庫の鍵だよ。警察の手も介入していない、あいつの全てが詰まっていると言っても過言ではないだろう。私も入ったことがないから、中に何が隠されているのかはわからない。だが、それを君に託すということは、つまりそういうことなのだろうね。鬼が出るが蛇が出るか。君の眼で確かめてくるといい。今日はそれが言いたかったんだ。私でも気持ちの整理をするのに必死でね。それでも悲しいかな、ジャーナリストである我々は、人々の恨み辛みを踏み台にして生きていかなければいけない世界だ。だからこそ、この真相は我々の手で何としても押さえよう」

 編集長は伝票を手に取り、立ち上がる。そしてわたしの肩をぽん、と叩いた。

「あ、そういえば」

 去り際に編集長が何かを思い出して振り返った。

「君の頼んだ、そのランチメニュー。あいつも必ず頼んでいたよ」

 今度こそ振り返らず背を向けた編集長に、わたしは無言で頭を下げた。

 編集長が去ったあと、わたしは封筒の中身を確認した。中には確かに鍵が同封されていた。そして二枚に綴られた便箋とUSBメモリー。

 先輩からのメッセージだった。


『こんな形での再会となってしまい、本当に申し訳ない。だがきっとお互い、こうなることはどこかで予見していたのではないか、と思っている傲慢な人間は俺だけだろうか。だとしたら許してくれ。

 お前を東京に残さなくて正解だったと今では思う。やはり源田智和は危険な男だった。そしてお前が近づくべき人物ではない。とは言っても、俺が死んだ以上、すべてを知ったお前がどう動くかなんて、停止した脳でも容易に想像できるがな。だからこの手紙で俺の本心をお前に伝える。そして敵としてではなく、ジャーナリストとして、源田智和を、切り裂きジャックを成敗してほしい。――ジャーナリストが出来ることなんて、高が知れているが、ペンは剣よりも強し、という言葉が一つの真理であることを強く願っている。

 同封されている鍵は、編集長から聴いていると思うが、ある貸し倉庫の鍵となっている。そしてもう一つのUSBメモリーには、俺が今まで調べてきたすべての情報とお前の知りたがっていたことが、俺の知る限りの全てが入っている。そして俺が抱えていた情報屋に当たってみると良い。きっとお前の役に立ってくれるはずだ。

 ……大丈夫だ。前を向いて生きろ。嘆いていても世界は何も変わらない。世界を変えるのは、いつだって前を向いて目の前に飛び込んでくるチャンスを見逃さないやつだ』


 先輩のいつもの口癖で手紙は締められていた。

 先輩は狡い。こんな手紙を読んだ後では、前を向くことが難しい。涙がとめどなく零れてしまい、どうしても俯かざるを得ないではないか。

 鞄からノートパソコンを取り出し、先輩のUSBメモリーを挿しこむ。

 そこに記されていたのは――……。

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