パピ子の微熱

東雲かたる

第一章

第1話

   1


藤沢パピ子(ふじさわ・ぱぴこ)がその知らせを受けたのは、土曜日の夕方だった。季節は夏である。まだ外は昼間と変わらず明るく暑い。

場所はパピ子が付き合っている男、野村健太(のむら・けんた)の借りているアパートの一室だった。

 共に二十一歳。パピ子は大学生だったが、健太は中学を卒業してからずっと鳶職として働いている。二人は小学校からの幼馴染で、お互いがお互いにとっての初恋の人だった。付き合い始めたのは、中学の卒業式から三日後のこと。十五歳からなので、もう六年も一緒にいることになり、腐れ縁と言えばそうだろう。

 健太はこの春から地元で一人暮らしを始め、週末になるとこうして二人で過ごすことが多くなっていた。

 もちろん六年目の恋仲である。どちらも激しくお互いを求める時期ではない。つまり、初期衝動の余韻ともいえる惰性で二人はこうしてベッドの上にいるのである。

 既に一度目のセックスは終えていた。低い天井と、先月のカレンダーの張られたままの白い壁。それに不釣り合いな大型液晶テレビと最新ゲーム機。

 テーブルの上には、赤茶色の空になったコンビニ弁当が二つ。焼肉弁当は健太が、小さな三色ご飯はパピ子が食べていた。それに灰皿と煙草の吸殻が置いてある。パピ子は煙草を吸わないので、それは全て健太のものだった。百円ライターがその傍らにあるが、それはつい先ほどガスが切れてしまった。なので事後の健太が上体を起こし、それを手に取って、何度火をつけようとしても無駄なことだった。

「切れてる」

 彼は一旦は唇の上に乗せた煙草を、箱に戻した。マルボロのアイスブラストだった。最近その煙草に変えていた。それまではクールマイルドを吸っていた。「ちぇ」

 そもそも馬鹿な男なのだ、健太というやつは。それがどうしてか、中学校で賢い部類だったパピ子に告白をして今に至る。典型的なヤンキーの健太と、典型的な優等生のパピ子だった。空想上の産物かとも思われた組み合わせだったがそれから六年後もこうして一緒にいるのだからわからない。

 パピ子は手を伸ばして、ベッドの下に置いたはずの下着を探す。だがそういうものほどなかなか見つかりはしない。クーラーの効いた部屋にいるので裸の身体はシーツを纏っているのだが、そのまま全てを隠して手のみを伸ばして下着を探すのは諦めたほうがいいかもしれない。

 時の流れは残酷だ。最初は、少しの明かりも嫌がっていたパピ子を、夕陽が差しこむ部屋に一糸纏わぬ姿で誘いだし、かがみながらベッドの下を覗き込み、自分の下着を探すことを良しとしてしまう。もちろん時の作用が働いているのはパピ子だけでない。健太も同じく、時の作用でパピ子の前でいつまで経っても裸でいようとする。

 食事をしたのが丁度、セックスの前だった。それが終わって、少しまどろみながら、現実と夢の境目を行ったり来たりした。

 いつものことだった。パピ子はパンティとブラジャーを見つけるとそれを身に着け、さらに上にTシャツを着る。健太は相変わらず裸だった。

「ライター、買いに行く?」

 パピ子は言った。ベッドに腰を下ろす。

「うん」と、健太。

「それじゃ服着て」

「わかった」

 健太は立ち上がり、ジーンズとTシャツを探す。パピ子の行動を追っているようだったが、他の場面でもそういうことは多かった。

 用意が済むと二人は1Kの部屋を出る。二階の角部屋だった。廊下を歩くと思っている以上に足音が響く。そんな安アパートだった。

 いつか結婚して、いつかこの人の子供を産むことになるんだろうか。

 階段を降りながらパピ子はそんなことを考えないわけでもない。

 そしてそんな未来が不安でもあるが、しょうがないと半ば諦めのような気持ちで受け入れている自分もいる。一応夢もあるが、このままではきっと実現出来ないだろう。そういう進路を選んでしまった自分がいけないし、そこから方向転換する勇気も今更ない。

「どうした?」

 階段の下で待つ健太が言った。馬鹿な男だが、気は悪くない。不良だし悪事も働いていたが、根っからの極悪人ではないことはパピ子が一番良く知っていた。

「なんでもない」

 彼女は言う。

 そんな人生も悪くないかとも思う。

「ちょっと先のコンビニ行こう」と、健太が言った。

「どうして?」

「一番クジやってて。ゴッドハンド輝の」

「好きだもんね、健太。いいよ。どこまで?」

「学校の先のところ」

「え? 結構あるじゃん」

「いいだろ、別に。散歩がてらさ」

 渋々と言った感じでパピ子は承諾した。

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