八/顕現


 びょうと一陣風が窓から病室の中へ吹き込み、窓際の棚の上にあった籠が床に落ちると、小澤をはじめ一同の視線が風の始まりの一点に集まる。細く骨ばった手指でカーテンレールを掴み、漆黒の色をしたデニムと登山靴さえ思わせる無骨なシルエットのブーツでサッシを踏みつけているその肌は軽く日に焼けてわずかに黒く、白い病院の室内の色合いに比して尚も白く煌々と輝く瞳と、不可思議な光を放つ固められた頭髪とは奇怪な風貌を強調した。

 彼の衣服は幌と、それから牛革と鋲と諸々の金具とチェーンでほとんど構成されていた。奇妙なことには金属製のパーツはどれほど小さなものであれ黒色を呈して、革製ジャケットの左胸の下部にとめられたワッペンの文様は、これまたモノクロームで構成されている。ジャケットの下の黒いVネックにプリントされた円形に並ぶ小さな卍も、一点の濁りのない白色であった。

 ぐらぐらと吹きこぼれる鍋の感覚、全身を覆う不気味な皮膚感覚が全員を襲う。小澤には覚えのあるものだったが、その様相の似て非なることには二人とも気付かなかった。男は窓のサッシに足を付けたままぐるりと首を回してめいめいの顔を見渡して、三日月のように高々と口角を上げて言った。

『はじめまして諸君。俺はパルタイ・マリヤ。君たちに対する、復讐の、代行人だ』

 男の輪郭が揺らぐ。揺らぐとしかその見え方は説明できなかった。陽炎に包まれているようだった。

 時の隣にいた襟足を伸ばした金髪の少年が隠し持っていた警棒を引き抜き、前へ踏み出す。男の脳天めがけて振り下ろされた警棒が、とさかのような髪に近付いた。しかし次の瞬間には、警棒も少年も宙を舞う。窓にあった男の姿は、今やそこには影一つなかった。

 警棒は少年の手を離れて床に落ちる。少年はほぼ真上に飛んだ。男がいるのは、その真下。滑るように床に落ち、天地を逆さにして両手で着地したパルタイは、そのまま体のばねで跳び上がり、前のめりになっていた少年の顎を打ち抜いて、今ふたたび窓に正対して着地したのである。

 低い姿勢の着地だった。すぐに体を反転させて前進し床でのびている少年が気絶していることを確かめると、彼は言う。

「こいつ、名前は?」

 同じ頃廊下の一角でフェルミが棒立ちから重心を下げて膝を沈めた和久田を制するように言った。

『待ってなさい、ワクタさん』

を感じてるのがばれるからってか」

『ええ』

 秘密にしておきたいならその方がいいでしょうよ、西門さんなんか勘が鋭そうじゃないですか、云々。

「もしかするともうばれてるかも」

『かもしれないですねえ。前も聞きましたけど彼って口硬い方なんです?』

「軽くはない」

『でも結局どうしたいんです?』

「パルタイが人を殺しうるとしたら、おれはそれを止めたい」

『まだ一人も死んでませんけどね』

「でもかなり危ないようにおれには見えるよ。それに、死んでからじゃ手遅れだ」

 すると同じ方から何やら床に倒れる鈍い音とにわかに立ちのぼるざわめきとが聞こえてきた。階段を一段とばしで上り病室へ向かう。病室には六つのベッドがあり内入口から最も遠い窓際の二つを西門の知己が占めていた。汚れと洗剤の染み付いた薄緑色のカーテンがそれ以外の四つのベッドを廊下から隠していた。見ると窓際にほど近い左右の中心辺りに一人大の字になって倒れている。ちょうど人垣が左右に割れていて、カーテンと人の列の間にその少年、警棒、そしてもう一人の沸騰する空気の中心たる人物が見えた。光を通さずかえって己が光を放つ白い瞳、全面が輝いているためにかえって輝きのない瞳が滑るように動いて和久田を見た。男は既に立膝の姿勢から立ち上がっていた。そしてその場の全員が思いもかけない時機を見計らって後方に跳び、窓のサッシに足をかけて再度、今度は左へ跳び上がって、人垣の最前列にいた一人が窓から身を乗り出して行方を探そうとした時には、地上四階の高さのある窓からはその姿は完全に見えなくなってしまっていた。

 そして置き土産とばかりに一つの黒い弾丸が正面にいた和久田の足元に突き刺さって、次の瞬間柔らかく綻んで浮かび上がった。

 黒い羽毛である。羽ペンに使えそうな細長い羽であり、鶏というより鴉のもののように見えた。和久田が拾い上げたそれは、彼が立ち上がろうとすると、霞のように消えてしまって、後には倒れた金髪の少年の顎に負った傷を除き、あのパルタイがこの場にいた証拠は一つとして残らなかった。

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