1〜5
ダイニングチェアに腰掛けたまま眠りに落ちている男と、その前に立って目を閉じている
曰く、感覚的なものだから、それがどう見えているのかは分からないけれども、
いや、まず、そもそも見えるものなのか、聞こえるものなのか、俺は知らない。
ただ、
「いやぁ、どうだろうねぇ」
やけに間延びした声で、
ただ、何かしらの事情を知っているようではある、ということだ。
その事情の一端でも掴めるのなら、格段に捜査期間が短縮出来る。
殺人事件の時効が廃止になって、
猫の手も借りたい、などと言えば聞こえは悪いけれども、まだまだ解決に至らない事件が山ほどあるのだ。
「アイツなら……何かは掴みますよ、必ず」
二人から視線を外さないまま、俺は、確信を持ってそう答えた。
掴まないはずがない。
これも、
勿論、期待はある。
というより、期待をしていないはずがない。
けれどもそれ以上に、それまでの実績がある。
そして、
まぁ、こんなこと、本人に向かっては絶対に言わないけれども。
そもそもこうして考えてしまっている時点で気恥ずかしいというか、妙に落ち着かない気分だというのに、口に出すのは何となく憚られるのだ。
細く長く、息を吐いて、そうしてから自分よりほんのわずか、数センチ低いところにある横顔へ視線を向ける。
俺はまだ、
「それで、今回は」
「うん、そうだなぁ。簡単に言うと、過去にとある事件が起きていたらしい……というか」
「と、いうか?」
「いや、あそこの彼にはね、その犯人だって疑いがかかってるわけじゃないんだけど……ああ、これは言ったんだっけ。それで、場合によってはもう時効が過ぎちゃってるっていうのもあるし、何とも説明しづらくて。あ、本当はそもそも説明しちゃだめなんだけど、ま、それはそれとして。
そう言うと、ワイシャツにスラックス姿のその人は、眉間に皺を寄せてくしゃりと笑った。
いつの間にか、ひとの懐にするりと入り込む。
こんな言い方は失礼だけれども、刑事よりよっぽど、営業職などの方が合っているのではないだろうかと思うことがよくあった。
とはいえやはり、ふとした瞬間の顔付きは、経験豊かな刑事なのだろうな、という雰囲気がしているのだから、意図してやっているのかもしれないとも思う。
そうならそうで、納得だ。
素人には少しも気付かせないでやり遂げる――たぬき爺と人によっては思うだろうけれども、俺はただただ感嘆せずにはいられない。
俺がそんなことを考えていることなど知らないだろう
「何とも妙な話なんだよねぇ」
説明しづらくて、と言うものだから、それ以上の説明は得られないものなのだと思っていたけれども、そうではないらしい。
続く言葉を待っていれば、
「ほら、さっきも言ったけど、
「はぁ……まぁ確かに、
「そうそう。私らだってね、組織内で情報共有することはあるけど、さすがに誰彼構わず言いふらすことなんかないし、そもそも守秘義務ってモノがあるから、こっちから出ることはないはずなんだよね。あ、これ、こうやって協力して貰って色々話してるのに説得力ないかな」
ひょい、とアメリカナイズされた動きで肩を竦める
そうですねなどとはまさか言えるはずもないし、かといって、そんなことはないですよときっちり否定することも正直に言えば、出来なかった。
まぁ
「出るとしたら、今までの事件関係者だと思うんだけど、わざわざ名乗らせたりしてないし……そんなこと言っても、まぁ、呼びかけるときは当たり前に苗字で呼ぶし、あとはほら、抜群に顔面の偏差値が高いとかね、特定しようと思えばいくらでもやりようはあるとは思うんだけど。とにかく、あそこの彼から何か少しでも知れれば良いって話で、
そのゆったりとした語り口に、なるほどとだけ返して、俺はまた二人の男を眺めた。
今回は、過去に起きた事件の捜査をしているらしい。
それがどんな事件なのか、
どのくらいがたったのか。
俺達には見えない紐を持ったままの、その右手が微かに動いた。
何を見つけたのか――何を見つけてくれたのか、期待と不安が、肚の底に渦巻いているような心地がした。
細く細く、息が吐き出される。
静かな部屋の中に、その音だけが妙に響いた。
紐を持ったままの手が男の上に掲げられたかと思えば、ゆっくりと、
身じろぎ出来ないまま
かちり、と、時計の針が動いた。
鐘は鳴らなかったけれども、ああ、丁度の時刻を指したな、と頭の中にどうでも良いことが過る。
少しだけウェーブがかった髪が微かに揺れて、そして、
垣間見た真実を思い返すかのように視線を斜めに上げて、紐を持っていた方の人差し指で、つい、と自らの唇をなぞる。
「これを今になって立件することは、難しいでしょう」
開口一番そう発した
先程も『時効が過ぎちゃってる』と言っていたし、そういうことなのかもしれない。
「彼、随分と学生時代とは性格が変わっているようだ。顔も名前も出て来ない。関わり合いにもならないようにしているから、見て見ぬふりを決め込んでいた」
「ううん、そうなの」
参ったな、と
その声が、どこか遠くで聞こえているような気がしていた。
この感情は、なんだろう。
落胆だろうか。
それとも、
長い付き合いで、コイツについてはよく知っているというのに、自分勝手なその複雑な感情が渦巻いてしまって仕方がない。
下唇に強く歯を立てて、振り払った。
「ただ、全員が全員そうではなかったらしい。やっていたのがクラスの中心にいるようなタイプだから、他は口出しし難かった、というような雰囲気でしょう」
「ははぁ、まぁ、そうか。なんだかいやになっちゃうねぇ、そういうモンなのかな。……現役の教師として、
「え?」
そもそもどんな事件なのかも聞かされていない人間には、二人が何について話していたのか、何を聞かれたのか、さっぱり分からないだろう。
ただ『クラス』やら『現役の教師として』という言葉で、学校で起きていた話なのだとは思った。
そうなると、あれだろうか。
「あ、そうだ、
黙り込む俺に、ごめんごめんと
離れたところでは、
ダイニングチェアに腰掛けたままの男は、未だに眠っている。
「いやぁ、まぁ、簡単に言っちゃうと、イジメ問題でね。それが五年前のことなんだけど、当時はほら、あんまり問題にされないで、ニュースとかにもならなかったみたいなんだよね。でも話を聞く限り、っていうより、訴えの内容からするとちょっと……いや、大分酷かったみたいだから」
「事件化するほどにですか。暴行とか、そういうことがあったと?」
「まぁ、うん、そうだね」
ただ、その目は鋭く、じっと射抜いてくる。
口の中がカラカラに乾いてしまうような、そんな心地になりながら、俺は二人を順番に見た。
「俺は……教師としての俺は、そんなことは起きていないし、起こさせるつもりはない、と思っています。ただ……」
「うん」
「俺自身としては、あり得ると思う」
つぶやいた俺の声は、思ったよりも弱々しかった。
情けないと思うけれども、どうしようもない。
右の手で、胃の辺りを押さえて握り締める。
手の中でシャツがぐしゃぐしゃになって、ああ皺になるな、と思った。
それでも、やめられない。
左手に、温もりが欲しかった。
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