第37話 


◇◇◇―――――◇◇◇


【SIGNAL LOST】


 レーダーモニター上で、つい数秒前まで〝ラルキュタス〟の存在を表示していた地点に、その無機質な文字が羅列した時、レインはぽかん、とモニター上のそれをなぞった。

 眼前では最後の〝イェンタイ〟が力なく漂流し、彼らの母艦であった北洋級艦も出力1%の〝プロメテウス〟砲を機関部に浴びて航行不能。〝オルピヌス〟ただ1機が、満身創痍になりつつも稼働可能な状態を保っている。



 ソラト………? 【SINGAL LOST】の意味を悟るのに数秒。のろのろ、とコントロールスティックに手を伸ばし直すのにまた数秒。


 どう操縦したかも分からない。気づけば前方に〝ラルキュタス〟と〝エクリプス〟の姿が見えた。〝エクリプス〟はコックピット部分を長剣で貫かれて、力なく無重力を漂い、〝ラルキュタス〟は………!



「ソラト………返事………返事してよッ!! ソラト!!」



 何度もその名を呼ぶ。だがコックピット部分が半壊した〝ラルキュタス〟からは一切応答が無い。

 限界まで〝オルピヌス〟を接近させ、〝ラルキュタス〟と抱き合うような姿勢で静止。コックピットハッチが開かれるのももどかしく、レインは宇宙空間へ……〝ラルキュタス〟目がけて飛び出した。



 レインの視界に飛び込んできたのは………ほとんど原型を留めず圧壊したコックピット。飛び散る火花、その奥に………



「ソラト! ソラトっ!! ソラ………!!」



 破壊されたコックピットの奥。

 無数の破片が食い込み、うなだれた姿勢で動かなかったその影がピクリ、と動いた。


 良かった、生きてる………! だがレインの胸に芽生えた希望は、コックピットの奥に潜り込もうとして見てしまった………腹部から下が完全にコックピットの構造に潰されてしまった光景によって、絶望へと変わる。



『レイン………』



 ゆっくりと、瀕死のソラトは顔を上げた。ヒビが入ったヘルメットで、表情はよく見えない。それに、溢れ出る涙で視界すら………



『レイン………』

「ソラト! 今助けるからっ!!」

『も………いい。早く……逃げ………』

「できないっ!!」



 がむしゃらに、レインは破壊された〝ラルキュタス〟のコックピットへと潜り込もうとする。あと少し、あと少しで………!

 必死に伸ばしたレインの手が、震え、それでも差し出されるソラトの手を掴んだ。パイロットスーツの手袋越し。それでもソラトの体温、それに生命が確かに感じられる。



「ソラト………! 生きて……お願い………っ!!」

『レイン………生きて……逃げ………』



 ソラトも! だがソラトの手は、するりとレインの手の中から離れる。ソラトが、自分の意思で離してしまったのだ。



「だめ………っ! しっかり………!」

『俺……は………だから………』



 聞こえない。その時、再びソラトは顔を上げた。

 最後の力を振り絞って………ソラトは、レインに笑いかける。



『俺は……ステラノイド……だから………っ。レインのために……死……で……幸せ………』



 人間のために役に立つこと。

 自分を犠牲にすること。


 遺伝子に刷り込まれたその命令を最後まで果たし、ソラトは……満足感に満たされていたのだ。

 その瞳から少しずつ生気が失われていく。レインは、その名を呼びながら必死に、ソラトの温かさに触れようとする。



「いや………いやッ!!」



 死なないで! レインは、ソラトの手が………まだ生き残っていたコントロールパネルの一つを叩いていることに気付かなかった。

 次の瞬間、背後で静かに待機状態にあった〝オルピヌス〟が唐突に動き出し………その手がレインの全身を掴む。



「え………?」



 それがソラトの遠隔操作だと気づく余裕すら無く、レインは必死に、その手から逃れようとした。だがレインにダメージを与えないよう優しく、それでいてがっちりと掴んだその手は緩むことなく………レインを〝オルピヌス〟自身の胸部コックピットへと押し込んだ。



「きゃ………な、何で……!? 開けてっ!!」



 レインは端末の開閉コマンドを叩く。だが、どれだけ押しても、それに他の操作すら一切受け付けず、〝オルピヌス〟は〝ラルキュタス〟から離れていく。



【AUTO PILOT MODE】



 いつの間にか脱出ポイントへと目的地が指定され、自動操縦モードで〝オルピヌス〟はバーニアスラスターを点火する。



「何で………止まってッ!! ソラトがまだ………っ!」



 メチャクチャにコマンドを叩き、コントロールスティックを押し引く。だがコックピットからの直接操作を一切拒絶した〝オルピヌス〟は淡々と、真っ直ぐ脱出ポイントへと飛翔する。


〝ラルキュタス〟は、もう姿も………。



「―――――――――――ッ!!!!」



 零れた涙がヘルメットに溢れているのも構わず、レインは声の限り叫んだ。











◇◇◇―――――◇◇◇


「レイ………ン………」


 これで、いいんだ。


破壊されたコックピットの裂け目から、ソラトは自動操縦に設定した〝オルピヌス〟が遠ざかっているのを見守った。

もう………身体の感覚が遠い。指一つ、動かせない。

青い、綺麗な光が、一瞬ソラトの目に映った。

地球。人類が生まれた星。〈GG-003〉では、ただの青い点に過ぎなかったのに、ここから見る青い惑星は途方もなく大きく、綺麗だ。



 その光景が、ふいに歪む。瞼で温かい何かが溢れて、頬を伝う。

 それが『涙』だと気がつくのに、少し時間がかかった。今まで、涙なんて流したこと無かったのに………



 ああ、そうか………


 ソラトはようやく、自分の涙の意味を知った。

 もうレインに会えない。あの笑顔が、自分の瞳の中に映ることは、もうない。


 それでも、ソラトは満たされていた。満たされて、それが『幸せ』と呼ばれる感覚だと理解した。

 ステラノイドとして、人間の被造物として生き、遺伝子に刷り込まれた使命を全うした。

 今まで死んでいった仲間たちも、同じような感覚だったのだろうか?



 それでも………胸の一抹に残る別のこの感覚は、一体何なのだろうか?

 レインが傍にいることで満たされ、傍にいないことで満たされない。



 レインの傍にいたかった。レインの傍にいて、この思いを満たしたかった。



 それをどのような言葉で表せばいいのか分からないまま、ソラトの意識は徐々に闇へと引き寄せられていく。まるで、眠るように。



 また、涙が頬を伝う。悲しいから泣いてるんだと、ぼんやりそう思った。

 ソラトのレインの涙を見た。それでも生きてほしくて、無理やり脱出させた。



「ごめん………レイン………」



 会いたい。

 でも、もう会えない。



 ステラノイドとしての満足感だけを胸に、ソラトは最後に残った意識すら放り出し、生命力が完全に尽きるのを待………











『歯ァ食いしばって生き残れっつっただろうがッ!!!』












 突然、耳元でがなり立てられ、ソラトの意識は強引に引き戻された。

 そして衝撃。攻撃ではない。何かに機体全体を押し出されているかのような加速感………



「………?」



 ほとんど感覚のない首を動かし、ソラトはまだ生き残っていた側面モニターに目を向ける。

 そこに〝シルベスター〟の、見慣れた眼球型アイ・センサーが大写しになっていた。

 それにさっきの声………



「月雲………大尉………?」

『おう! 生きてるなソラト! もう大丈夫だ』

「なん………ここに………?」

『はは、何言ってやがる。知っての通り、俺は〝アメイジング・パイロット〟なんだぜ?』

「大尉………俺……もう………」



 もう途切れそうな意識。痛覚はとっくの昔に消え失せ、全身を襲う気だるさと眠気はもう止めら………

 だが、ガン! と〝ラルキュタス〟の全身を思い切り揺さぶられて、その都度ソラトの意識は引き戻されていった。

 月雲大尉は怒鳴る。




『死ぬんじゃねえ! もうお前一人だけの命じゃねえんだよ!!』

「俺………」

『レインのことが好きなんだろ!? 何でそう伝えねえ!? いいか、歯ァ食いしばって生きて、レインの前で好きだって、愛してるって伝えるんだよッ!! 

 レインのことを思い出せよ。好きな女の子の笑顔を思い出せ! 生きて、好きだって伝えたいと、そう願えッ!! そうすりゃ………助けてやる』



 好き。

 笑顔。

 生きる。



 その時ようやく、ソラトは自分の胸の中に秘められていた「思い」の名前を知った。

 全身に少しずつ、感覚が戻ってくる。


 生きたい。

 生きて、この気持ちを伝えたい………!!












◇◇◇―――――◇◇◇



『俺………レイン……好きだ………!』

「そうだッ!!」

『生き………レイン……会って……好き……て………!!』


「よっしゃあアアァァァッッッ!!!!」



 よく言った! ソラト!!

 月雲は思い切り、スロットルを全開まで押し込んだ。大破した〝ラルキュタス〟を抱えたまま、さらに機体は加速していく。

 だが、もうソラトは確かに………長くないだろう。

 一刻も早く、設備の整った施設で治療を受けさせる必要がある。

 だが、ブースターユニットを使い最短航路に乗っても、最寄りの月面都市やリベルター施設に到着するのは、早くて半日。それは、ソラトの生命力が持つわけがない。



 だからこその、この〝新装備〟だ。

 月から数十万キロ離れたリベルター艦隊まで。そして、そこからこの地球軌道上まで、単独かつ30分にも満たない短時間での移動を実現した新技術。



FTLドライブシステム。宇宙を最後のフロンティアに仕立てる、夢の超光速航法。



【FTL ONLINE】

【湾曲空間展開 エネルギーチャージ率74%】

【ニューソロン炉 FTLモードへ変更中】



 土星の変わり者の科学者集団が密かに開発したこのテクノロジーは、超光速で移動させたい物体を物理現象の理論的限界値を超越できる特殊な超空間によって包み、現実空間と超空間の位相差を運動エネルギーに変換して………とにかく、今の月雲に相応しいアメイジングな技術なのだ。



 バーニアスラスター最大で脱出ポイントへ向かっていた〝オルピヌス〟にも追いつき、その肩部をぐい、と掴み上げる。



『きゃあっ!?』

「こっちはレインだな?」

『え………月雲大尉!?』

「怪我してないか?」

『わ、私は………それよりソラトがっ!!』



 月雲は掴んだ〝オルピヌス〟の肩部をぐいと上げて、脇に抱えた〝ラルキュタス〟を見せた。



「心配するな。すぐ病院に運べば何とかなる」

『病院って………ここからじゃ!』

「そのためのFTL………いや、〝アメイジング・ドライブ〟なんだよッ!!」



 よく見とけッ!! と、パネルのコマンドをいくつも押し込んだ。

 その瞬間、〝シルベスター〟背部にマウントされていた装備………名付けて〝アメイジング・ドライブ・システム〟が羽根状の装置を展開し、淡く輝き始める。

 そこから漏れる光の粒子は、一瞬にして〝シルベスター〟〝ラルキュタス〟〝オルピヌス〟を包み込んだ。エネルギーフィールドに包まれた光景は、思わずAPFFを連想させてしまうが、これは、APFFよりもずっと濃く、強烈な光を放つ。



 ふいに〝シルベスター〟のコックピットに警報が走る。接近中の〝アーマライト〟が10機。〝オービタル・ワン〟辺りからの出撃機だろう。おそらくブースターユニットを装備。

間もなく敵機の射程内に。だが、もう月雲らを止めることはできない。



【湾曲空間展開 フィールド展開率100%】

【フィールド形状調整 完了】

【ニューソロン・ドライブ パワー供給固定】


【目的地設定完了】

【FTL DRIVE ALL OK】



 いいね。アメイジングだ………!



「よく見とけよ。これが〝アメイジング・ドライブ〟! そして………〝シルベスターアメイジングオーバーレイカスタム〟だッ!!! アメイジング・ファクター・マキシマム!! エン………ゲエエエエエエエエエエエエェェェェェイジッッッ!!!!!」



 その瞬間、フィールドに包まれた3機は超空間のその先へと呑み込まれていく。

 追いすがった〝アーマライト〟隊の眼前で、2機のデベルを両脇に月雲の……〝シルベスターアメイジングオーバーレイカスタム〟は、光速の1000倍以上の速さで、星空の果てへと飛び去って消えた。





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