必死の脱出

 その時バーのベルが鳴った。バーテンダーによるとそれは一足先にこのバーに複合されたホテルに行ったミリアーナからの内線電話だった。ヴェッキーが出る。

 コードレスフォンを受け取り、ヴェッキーは店の外に出た。すでに外は寒空、寒暖差の激しい砂漠は予想以上の冷え込みを見せる。さっきまでヴェッキーがいたバーの仄暗い間接照明と、楽しげに談笑する影が磨りガラスに映る。

「どうした、ミリアーナ? オレだ、ヴェッキーだ」

『もしもしヴェッキー? アンタ達の部屋の鍵はアタシが預かってるから適当なところで帰って来なさいよね。あのチャランポラン達と違ってアタシ達は忙しいんだからさ』


「あぁわかってる」


『その宿屋なんだけど、本当全然客も従業員もいなくて。アタシがベルを鳴らしてから三分も出てこなかったのよ、ホントあり得ないわよね!』

「あぁわかってる」

『ていうか、この町?いや村か。村自体にホント人が少なくて、外に出てもアンタ達のいる店以外どこも開いてないし。訳わかんないのが、どこの店もネオンだけ光らせて店しめてんのよ!おかしいでしょ?』

「あぁわかってる」

『適当に相槌打ってんじゃないわよ!』


 電話越しにミリアーナのキンキンした叫び声がした。


『ところで、その二人に関する情報はつかめた?』

「まぁな」


 実はミリアーナはまだあの二人がキングマンで会ったヴァンパイアハンターの仲間ではないかと疑っていた。

 そこで彼らと共に移動している途中でヴェッキーに彼らに根掘り葉堀り聞くことを命じていたのだ。マルタウスは世界遺産型吸血鬼に悪い奴はいないなどという超理論を展開していたが、そもそも世界遺産型吸血鬼であるのかどうかを確かめたかった。


『で、結果は?』


「シロ。あいつらは世界遺産型吸血鬼だ」


 ミリアーナの安堵のため息が聞こえた。用心深い彼女のことだ、疑いたいわけではなかったが人一倍神経を張り詰めていたのだろう。緊張を解いたミリアーナはヴェッキーにもう一つ質問をして来た。


『そう。じゃあ二人はそれぞれ何の世界遺産型吸血鬼だったの?』


「二人とも同じ世界遺産だ」


 ミリアーナがふ〜んと言う。確かに同じ世界遺産の吸血鬼がいるという情報は重大だ。ヴェッキーにももしかすれば同じ「グランド・キャニオン国立公園」の兄弟がいるかもしれない。


「あいつらは十年ツケダルの中で野菜と一緒に浸かってできた、「和食」の世界遺産型吸血鬼らしい」


『アッハッハッハッ!何それ、人間ピクルスってこと?バカっぽいわね!』


 ミリアーナはしばらく受話器の向こうで笑い声をあげていたが、いきなりその声が聞こえなくなった。


『……』


 奇妙に思ったヴェッキーはミリアーナに呼びかける。

「おい、ミリアーナ。どうかしたのか?」


 しかしミリアーナは何も答えない。その不気味な沈黙はヴェッキーにミリアーナが襲われたのではないかというあまり考えたくない想像を抱かせた。


「なぁ!ミリアーナしっかりしろ!」


『ヴェッキー……今からアタシの言うことを落ち着いて聞いて。絶対に声をあげてはダメ。これから通話の終わりまでアタシに対する応答は全て「Yeah」に統一して。絶対よ、絶対って約束して』

 突如返答をして来たミリアーナの声は先ほどと違って重々しいトーンになっていた。それこそ誰か親しい人の訃報を告げるかのようなトーンで。

 ヴェッキーはあたりに誰もいないことを確認してから、マイクに拾われるギリギリの声を出した。

「Yeah」

『結果からいうと、アタシ達は嵌(は)められた。罠にかけられたのよ。そいつらは嘘をついてる』


「いえぇ?」


『なぜかというと……ユネスコの世界遺産リストに「和食」はないの。アタシも全ての世界遺産を覚えているほどのオタクではないけれど、少なくとも「和食」が世界遺産に登録されるはずがないことぐらいはわかるわ』


「おいおい、そりゃあどういう……」


『だから「Yeah」しかいうなって言ってるでしょ?死にたいの?

 1972年にユネスコ総会で採択された世界遺産条約は、人類や地球にとってかけがえのない価値をもつ記念建造物や遺跡、自然環境を人類共通の財産として保護するもの。でも、世界遺産は山や建造物などの不動産であることが前提なの」

「Yeah」


『不動産を保護する世界遺産とは別に伝統、芸能、慣習、技術などの形にできないものを保護する「無形文化遺産」というものがあって、「和食」はそっちに登録されている。そもそも樽の中の野菜からどうやって体質を変化させられるほどの巨大な形相エネルギーを吸い取れると思うの?』


「Yeah」


『つまり、そいつらは世界遺産型吸血鬼じゃない。そのふりをしてアンタ達に接触して来たヴァンパイアハンターの仲間よ。アタシ達はまんまと相手の牙城に誘導されたってわけ。だとすればこの村自体がグルで、この通話もとっくに盗聴されているかもしれない。ヴェッキー、この通話が終わったらできるだけ早くマルタウスを連れてその店から逃げて。アタシは村の入り口付近に車で先回りしているからあとで合流しましょ。絶対に……そいつらに怪しまれる素振りを見せないで』


「Yeah」


 そこでミリアーナからの通信は途絶えた。ヴェッキーは生唾を飲み込んだ。


「逃げろって……どうやって逃げだしゃいいんだ」


 ミリアーナの話をマルタウスにするチャンスがない。だとすればマルタウスを適当に言いくるめて、もっともな言い訳でこの店から引っ張り出すしかないのだろうか。考えが頭の中で堂々巡りする。

「うわぁぁぁっ」

 バーの店内から発せられた、それらの考えを吹っ飛ばすかのようなものすごい喧騒がヴェッキーの耳をつんざいた。



「マルタウスッ!」

 ヴェッキーは店の内部に取り残されたマルタウスを救出するべく、ドアを開けようとした。

「くそッ鍵がかかってる!」

 いくらドアノブを捻っても、ビクともしない。続いて突撃部隊のようにドアに思い切り体当たりをするが、重い金属でできたそれからは開きそうだという手応えは感じられなかった。


「畜生、どうすりゃあ」


 いや、手はある。今使わなくていつ使うのか。ヴェッキーは思い出したように右手に意識を集中させた。

 体の中を満たしている形相エネルギーと質量エネルギーが混ざり合い、確かな現象を現実態(エネルゲイア)化させる。そしてそのまま大きく後方に仰け反るように腕を振りかぶると、渾身の力で拳をドアにぶつけた。

 ドアの中心部は散り散りになって爆散したかと思うと、瞬時に消滅しぽっかりと穴が開く形となった。振り下ろした腕をしまい、ヴェッキーはその先にいるであろうマルタウスの無事を確認したかった。

「マルタウス!」

 マルタウスはバイク乗りの二人だけでなくスキンヘッドのバーテンダーも含めて三人がかりで床に押さえつけられており、呻き声をあげながらその下でじたばたしていた。

 バーテンダーが彼の背中にまたがっていて、とてもじゃないが起き上がれそうになかった。


「どきやがれ!」


 ヴェッキーが思わず彼らの元に走り込みマルタウスの上に乗ったバーテンダーのつるつるした頭を殴り飛ばした。バーテンダーはパンチの勢いで後ろに吹き飛ばされるものだとヴェッキーは思っていた。しかし、そうではなかった。

 バーテンダーの首から上が消滅したのだ。首が飛んだのではない、消滅した。バーテンダーの体は力なく膝を折ると床に倒れ込んだ。さっき会ったばかりなので彼の髪型以外はあまり思い出せなかった。

 だが、ヴェッキーはその光景に眉ひとつ動かさなかった。今は臆している暇はない。マルタウスを助けなければという意思だけが彼の中で先行していた。

 首なしになったバーテンダーの姿に気を取られた二人組をまとめてローキックで薙ぎ払うと二人は激しく壁に叩きつけられた。

 そのすきにマルタウスの腕を掴む。

「大丈夫か」

「ヴェ……ヴェッキー、これはどういうーー」


「いいから急げ、この店にいちゃあ危険だ!」


 ヴェッキーがマルタウスを引っ張り上げたその時、予想できないことが起きた。

 首から上を失ったバーテンダーの遺体がひとりでにむっくりと立ち上がったのだ。そしてその体は完全にヴェッキーたちを捉えていたのだ。目がなくても、こちらの場所が分かっているようだった。


「ゾッ……ゾンビだぁぁっ!」


 マルタウスは目の前の光景に青ざめ絶叫したかと思うと、がくんと項垂れシステムダウンした。


「おっおい⁉ マルタウス!」


 肩を揺するが反応がない。正直目の前の光景を見ればそうなる気持ちも分かる。ヴェッキーだって卒倒したいが、一刻も早くこの村から脱出する方が先だった。ヴェッキーに蹴りを入れられた二人も壁に寄りかかりながら立ち上がり始めた。思ったより彼らの動きは遅かったので、ヴェッキーはマルタウスを肩に担ぐと彼を店の外に運び出した。

 そこで待ち受けていたのはどこからともなく現れた大勢の住人たちだった。皆が皆鍬や包丁などの思い思いの武器を持って、店を出てきたヴェッキーのことを瞳孔の開いた瞳で見つめていた。背後には三人の男たち、目の前には六十人余りもの住人たち。


「おいおい、冗談きついぜ」


 店の前に出してあったスチールの看板を持ち上げるヴェッキー。それを手に取ると人の海を割るように、乱暴に振り回しながら民衆を掃海した。


「オラオラ!死にたくなかったらそこをどきな!」


 目の前に空間を作ってそこを突き進む。しかし、背後からはゆっくりではあるが確かに民衆たちがヴェッキーの方へ歩き始めていた。マルタウスを担ぎながら逃走するヴェッキー、そのすぐ後ろを追う住人たち。その様子はまさしくB級パニックホラーだった。


「ちきしょう! なんなんだこりゃあ!」


 その時前方にミリアーナの赤い車が見えた。すでにエンジンを温めていたようで、いつでも発進できる状態だった。


「ヴェッキーこっちよ! 早く!」


 最後の力を振り絞り、今出せる全速力で後部座席に飛び込んだ。それを確認するとミリアーナが車を発進させ、大急ぎで元来た方向へ戻る。ここに来る時もそうだったが、街灯がまばらなので車はひたすら闇の中をヘッドライトで切り裂いて進む。

「ひどい目にあったぜ……」


「えぇ、見てたわ。もう少しで捕まるところだったわね。正直もうこんなのはうんざりだわ。州間高速道路に乗ったらロサンゼルスまで夜通し一直線でぶっ飛ばすわよ!」


 ヴェッキーはマルタウスを深く座らせると、ひとまず大きく息を吐いた。本当に外の世界は危険で満ち溢れている。グランド・キャニオンで目覚めてから面倒な奴に狙われるのはこれで四度目だった。もう流石にこれで最後だよな、と思いたい。ヴェッキーは普通に楽しい旅がしたかった。


 石がぶら下がっているのではと思うほど瞼が重く感じられ、ヴェッキーはつかの間の穏やかな心持ちで目を閉じた。



「……ッキー、起きて……エッキー」

 肩を強く揺さぶられヴェッキーは目を覚ました。どれくらいの時間が経過したのだろうか。窓からは柔らかい日差しが差し込んでいた。いつの間にか太陽が登っていたのだ。


「なんだ、もう着いたのか? 寝てたらすぐだったぜ」


「呑気なこと言ってんじゃないわよ!」


 ミリアーナに目覚めのビンタを食らい。冷や水を頭にかけられたかのように、一気に意識がはっきりする。外を見るとそこは長閑かな田園の小道だった。クーパーはその路肩に停まっているようだった。


「ここはどこだ?」


「それがアタシも分かんないのよ。気づいたらここに来てた。いつの間にか昼になってるし……」


 ヴェッキーは頭を抱えた。昼夜が突如逆転することはおろか、見たこともない場所へ迷い込んでしまったのだ。

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