2-7.水の女神とおかしな子供

 らんらんらーん


 お菓子の家は、魔女の家ー


 子供をたくさんつれてきてー


 まるまるまるまる太らせるー


 お菓子の家は、魔女の家ー



「あははは!」

「きゃははは!」


 二人の子供は手を繋ぎ、明治通りの真ん中を飛び跳ね、くるくると回転しながら駆け回る。

 それはとっても無邪気な子供の姿。愉快なテンポの歌を元気良く歌いながら、二人の足は確実に対象人魚姫へと向かって進んでいた。




「ふぅ。一件落着といったところかしら」


『何がだ!』とアンデルセンがモニターの向こうで激しくツッコミを入れるだろう発言をさらりと述べる人魚姫。


「王子様……、あなたの愛してくれた魚たちの仇、この私がたしかに討ち果たしました」


 人魚姫は『王子様』と言うと、ぽうっと頬をピンク色に染める。眉毛を垂らし艶っぽい表情へ変わり、しなやかな指先で唇をなぞる。


 人魚姫は愛する王子様のことを思い出していた。人間ではなく人魚であるこの女性のことを心から愛し、生涯を共にしたいと誓ってくれた国の王子。


 人魚姫は王子様と共に生きていくため、人間として生きていくために海の魔女に頼み、魚の体の代わりに二本の足を貰った。人間の足だった。人魚姫は大変喜んだ。『これで王子様と幸せに暮らせるわ』、そう胸を高鳴らせた。


 しかし現実、人魚姫は慣れない足を与えられたことにより非常にツラい激痛と戦った。痛みに唸り、滝のような冷や汗を流し、歪んだ表情で唇を噛み締めた。


「王子様……、すべてはあなたのために……」


 すべては愛する王子様のため。

 人魚という立場を捨て、痛みに耐え、人間になるためにその人生を捧げた。


 しかし人魚姫は、後悔なぞしていなかった。

 王子様と幸せに暮らせるのなら何だってできた。

 激痛は王子様への愛に比例し、より人魚姫の中で王子様へと愛を膨らませていった。




「あら、これは――クッキー?」


 王子様のことを考えながらもじもじしている人魚姫がふと足元を見ると、チョコチップをまぶした美味しそうなクッキーがひとつ落ちていた。


「こんなところにクッキーなんて。誰か落としたのかしら?」


 人魚姫はニコニコしながらクッキーを拾おうと手を伸ばす。



 チッチッ



「何かしら、この音」



 チッチッ



「そんなことよりもクッキー、届けてあげなきゃね」



 人魚姫の指がクッキーに触れようとしたその瞬間――

 目を瞑るほど眩しい閃光がその場を包み込む。


 半径数メートルにもおよぶ爆風、そして時間差で訪れる凄まじい爆音。

 その猛烈さに周囲の建物はぐにゃりと歪み、一瞬で粉々に砕け散っていく。

 クッキーがあった場所を中心に硬いアスファルトはその重みに耐えきれず、地鳴りとともに亀裂が走る。隙間なく埋められた建物に次々と燃え広がる炎により、炎の海へと沈んでいく通りの景色。

 人魚姫の悲鳴は一瞬で轟音にかき消され、明治通りの一部はひとつの小さなクッキーによって、ものの見事に地獄と化した。


 そんな中、二人の子供が手を繋いでくるくると回りながら楽しそうに笑い声をあげている。


「わーグレーテル、やったね! 見つけてすぐにやっつけちゃったよ!」

「やったー! あたしたちも結構やるねー、ヘンゼル!」


 まるで子供のお遊戯のように飛び跳ねたり、手を叩き合うのはヘンゼルとグレーテル。

 見た感じ一般の家庭にいそうな可愛らしい兄妹であるが、炎の中喜ぶ二人の姿は“普通”の子供ではない雰囲気を感じ取るのに十分すぎるほどだった。



 しかし喜ぶ二人を遮るかのように、水の刃が黒煙の中から兄妹目掛けて飛び出した。


「わぁっ!」


 と二人同時に声を上げ、左右にころころっと転がるように避ける。

 きょとんとしながら煙の方を見つめ、様子を伺った。



「子供のお遊びにしては、おいたが過ぎると思いますよ、お二人さん」



 ハッキリと聞こえる女性の透き通る声。

 そしてそよりと吹いた風により、黒い熱蒸気が散り散りとなる中に見えたのは、薄い水の膜を張り、その身を守る人魚姫であった。

 水の巨大な鎌を前に構え、更にそこから受ける恩恵により水の膜はより強度を増している。


「あれー? 死んでない」

「死んでないね、おかしいなぁ」


 兄妹は瞬きのない目をぎょろりと開き、人魚姫を凝視している。

 ゾクっとするような二人の表情。さすがの人魚姫も無意識の汗が頬を伝う。


「もう一回やってみようよ、グレーテル」

「そうだね、ヘンゼル」


 人魚姫はその名に反応した。


「ヘンゼルと、グレーテル……。あのグリム童話で有名な……。あなた方も参戦していたのですね」


「お姉さん、僕たちのこと知ってるのー?」

「ヘンゼル、あたしたち有名人なんだね!」


 兄妹は何だか嬉しそうに顔を見合わせる。


「お姉さん、名前はー?」

「お姉さんのお名前、なーんだ?」


 チッチッ


「わ、私の名前ですか?」


 チッチッ


「私は、人魚――」


「「ブー! 時間切れー‼」」


 笑顔で両手を天に広げている兄妹。

 人魚姫が何かを察知し空を見上げると、先程のクッキー爆弾と同じクッキーが、人魚姫の真上に二つ浮いていた。


「い、いつの間に――」


 そして再び激しい鳴動とともに空間が唸る。

 ひとつのクッキーであれだけの威力を誇っていた爆弾が二つも破裂したのだ。これまでに味わったこともない感覚が人魚姫を襲う。

 あまりの激しさにブラックホールのような真っ黒な衝撃空洞を生み出し、周囲の瓦礫がそこに吸い込まれ、あたりは一掃したように綺麗になった。


 その場に残っているのは二人の子供と傷ついた人魚姫。

 もはや薄い水の膜だけでは全くもって事足りず、膜はあっさり打ち破られ、人魚姫は体の至る所から鮮血を流す。


「なんという子供たちなのかしら……」


 水のように透き通った美しい肌に、傷を負った箇所が何とも痛々しく映える。


「でも敵と分かれば、私だって容赦はしません」


 人魚姫がそう言うと、まるで華麗なダンスを踊るように水の鎌を何度も振り、それから生み出すいくつもの水の刃を兄妹に向かって放出させた。それは地面に亀裂を生みだしながら疾風怒濤の如く二人に襲い掛かる。

 兄妹よりも大きな水の刃は、「うわぁ!」といかにも子供らしく驚き、叫び、逃げようとしている兄弟に容赦なく衝突する。


 激しく衝突してくる水の刃で「きゃあ!」と悲鳴を上げるグレーテル。

 そんな様子を見たヘンゼルは、「よくも!」と言いながら紙に包まれリボンのような形をしている飴玉を三つほど放り投げた。


 すると飴玉にヘリコプターのような羽が生え、迷いなくまっすぐ人魚姫に向かって飛んでいく。


 人魚姫はひとつを水の鎌で真っ二つにし、もうひとつを兄妹に向かわせていた刃をひとつこちらへ戻し破壊させた。


 そして人魚姫の攻撃をするりと交わした最後の飴玉から手足が生え、人魚姫のむき出しのふくらはぎに虫のようにくっつく。

 ひやっとした感触に思わず人魚姫が声を漏らしたと同時に、小さな飴玉は一閃に包まれ爆発した。


 肌の上で直に破裂した爆弾により、人魚姫は痛苦の声を上げる。バランスを崩し、地面へとへたり込んでしまいそうになるのをもう片方の足でグッと堪えた。

 飴玉の形をした小型爆弾により、粉砕した人魚姫のふくらはぎ。肉はえぐれ、筋は切れ、骨も砕け、血が噴き出している。


 激痛により人魚姫の綺麗な顔が、苦痛の表情に歪む。歯を食いしばり、必死に耐える。


 一定の距離を置いた先には水の刃に撃たれ、痛みでぐったりしているグレーテルと、あのゾクッとする表情を浮かべてまっすぐ人魚姫を見ているヘンゼル。


「よくもグレーテルを。殺す殺す殺す」


 まるで呪文のようにぶつぶつと呟いているヘンゼル。

 そして腰からぶら下がっている袋に雑に手を突っ込むと、手の中いっぱいの飴玉を取り出し、宙に向かって放り投げた。すると先程と同じように羽根が生え、人魚姫に狙いを定める。その数、およそ三〇。ヘンゼルとグレーテルの周りを囲むように飛んでいる飴玉に加え、ヘンゼルの手には、クッキー爆弾がたくさん握られていた。


「神様――」


 絶望的な状況。

 人魚姫は、覚悟の声を漏らした。



 ▽


 機嫌が良さそうに鼻歌まじりで、渋谷駅に向かっているひとりの女性。

 白い服に身を包み、桜色の髪をなびかせているのはナイチンゲール。ナイチンゲールが鼻歌を歌いながら歩くその道では、その歌声で自然の力が増大され、生き生きと覆い茂っていく。


 そこにサァッと風が吹き、ナイチンゲールは歌うことを止めた。


 風の音に耳を傾け、静かにその音を聴く。


「――人魚姫様」


 そう呟くと、ナイチンゲールはおもむろに足を速める。



 その時――


 ナイチンゲールの前にひとりの少女が現れた。


 焦点の合っていない視線で、まっすぐナイチンゲールに向かって歩いてくる。


「リンゴ。リンゴいらない?」


 最初ゆっくり歩いていた少女は、だんだん駆け足となる。


「リンゴ。リンゴ」


 ケタケタと笑いながらナイチンゲールとの距離を詰めていく少女。

 ナイチンゲールは立ち止まり、にこりと笑いながらこちらに向かってくる少女の姿を捉える。


「敵さんかしら。変な子ね。でもね――私はあなたと遊んでいる時間はないのよ」


 そう言うナイチンゲールの瞳は、怒濤の色に満ちていた。

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