奴隷邂逅【9-1】


【19】


 二十世紀末、とある青年実業家が、観光地ブライトンに中堅リゾートホテルを開いた。国内外からの評判は上々、現在は一年を通して客足の絶えないこのホテルだが、最近になって別分野へと業務の手を広げる。

 この起業家の来歴だが、何とも数奇な道程と評す他ない。裕福な資産家の許、元気な双子の弟として荒んだ現世に生まれ落ちた彼は、親の設けた軌道を何不自由なく滑走する、その筈であった。ところがこの童、神様が頭の配線をしくじったのか物心付くと親の言に反発し、いやがおうにも我が道を突き進んだ。双子の兄も同様であったが、口が達者で幾らか世渡りが上手いだけ、弟よりは問題のないように見えた。が、その憶測は完全な誤診であった。元よりこの兄弟は、ぬるま湯に首まで浸かった両親の手に負える怪物ではなかったのだ。

 弟は幼稚園の時分から暴虐の限りを尽くした。並み居る人を蹴落としてでも他人の上に立とうとし、それが原因で両親に頭を下げさせた回数は計り知れない。兄は兄で上手くやっていた様に大人からは見えていたが、その実は水面下で恫喝や裏取引を巧みに行使し、子供らの社会を影で牛耳っていた。弟がスターリンの生き写しが如き独裁者だとするなら、兄はT・ルーズヴェスト二世とでも呼ぶべきか。何れにせよ、幼少期にこの兄弟の同輩となった児童らには合掌を禁じえない。まだ子供だったのに、可哀想なやつら。

 そんな悪童ふたりにも、人生の進路を定める頃合いが訪れる。彼らの行く先には、親の意向で経済の道を志す滑走路が誘導灯を点滅させていた。この万人が羨むフライトのチケットさえも、暴君らには外れ馬券と同価値であった。「親父みたいなつまらねえ大人になりたくない」と弟は学校の資料を破り捨て、兄は「外の世界が見たい」と暴力的ではないにしろ、親の希望を踏みにじった。母親は涙に暮れ、父は激怒して弟に平手を喰らわせようとした。とはいえ、もっぱら喧嘩強かった愚息に甘っちょろいブルジョア・ビンタは届かず、かえって路地裏格闘術の洗礼に鼻柱を折る憂き目を喰った。それでも父親は心までは折られず、せめて軍の士官学校へ入学する様に頭を下げた。さもなくばこの場で命を絶つと包丁を手に泣き落とされ、さしもの残酷兄弟も観念し、サンドハースト陸軍士官学校への切符を受け取った。

 士官学校を卒業した兄弟がエリート街道を驀進すると胸を撫で下ろす両親であったが、これがとんでもない誤算であった。年齢的には何ら不思議はないものの、彼らは勝手にパラシュート連隊の選抜をパスして現場勤務に身を投じた。兄弟の気勢は殺がれず、そこで三年を過ごすと陸軍で最も苛烈なSASへの配属を志望し、二人して冬のブレコン・ビーコンズの丘陵を踏破した。これが元で兄弟はとうとう父親から勘当されるが、彼らにすれば願ったり叶ったりである。親不孝もここまで来ると笑える。

 以降、兄弟はアルゼンチン軍に占拠されたぺブル島奪還や、北アイルランドでの諜報活動、ボスニアでカラジッチを始めとする戦犯者の逮捕に駆けずり回り、利権争いで内戦が泥沼化するシエラレオネの民兵に特殊部隊の統率された暴力を味わわせた。

 そうして現役を引退する頃合いになると兄はそのままSASに居座り、弟は将校の椅子を蹴って軍を抜け、貯金と現役時代に築いたコネクションを利用して商社を立ち上げた。事業は波に乗り、利益を元手に彼はブライトンにホテルを設ける。安定感と奇抜性を兼ねたサービスが客足を呼び、件のホテルは今日を以て陰の人気株と目されるまでに成長する。だが、この鬼才は札束の上にあぐらをかく男ではなかった。

 膨大な資本を元に、暴君(弟)は新たな事業へ照準を定める。大英帝国に企業は数あれど、多くの文民はその業種の存在すら耳にしない。PMC――またの名を『民間軍事企業』である。最近は世論を厭ってPSC『民間警備企業』などと呼称を変えてはいるが、本質は同じだ。新品のオフィスで紅茶を嗜むのも程々に、悪魔の弟は民間の生活へ溶け込めないでいる戦友の許を訪ね回った。文民と同調出来ずにいた以前の同僚に、もう一度兵士の栄華を取り戻す機会を与えたのだ。彼らは現場に派遣されるオペレーター(警備要員)の訓練を担当するインストラクターや、顧客に施設警備のアドバイスを提供するコンサルタント、広報活動を行う緑混じりのホワイトカラーへと姿を変え、気の置けない旧友との共同作業に歓喜を沸かせた。

 さて、遅ればせながら流星の如き勢いで成長を遂げたこの企業、その名を『クラプトン・グループ』という――。



 七月の終わり。イギリスに似つかわしからぬ、からりと晴れ渡る青空の展開する朝であった。緩衝剤の詰まる樹脂のケースに整備を終えた〈ナイツ・アーマメント〉SR-16カービンを収め、ガレージのBMWへと積む。他にもマークスマン・ライフルのMk14やMP5サブマシンガン、驚異的な制圧力を誇るMk46分隊支援火器、愛用のシグP226、それから〈アキュラシー・インターナショナル〉のアーティク・ウォーフェア――陸軍ではL118A1とか呼ばれている狙撃銃を積み込む。銃のケースは以上だ。更に私用で買った〈パラクレイト〉の戦闘ベストに、各種ポーチを装着した幅広のベルトにサスペンダーが付いた『ベルトキット』。最後に数日分の衣服を詰め込んだボストンバッグと、私物を詰めたスリーデイパックを投げ込んだ。男のくせに荷物が多いのは自覚している。すげえ、しょぼい戦争が始められるぞ。石を投げればSASにぶつかるこの街で、そんな溶岩に突進する無茶はごめんだが。

 思い出と因縁深い愛車に背中を預けて一息ついていると、ブリジットが玄関ポーチから足取り軽くやってくる。我が家に来た時から使っている革張りの旅行鞄を手に、アップテンポな鼻歌付きだ。その姿はいつもの給仕服ではなく、青いボタンシャツにアイボリーのカーゴパンツと、平時の業務より活発な印象の格好だ。以前は飾り気なく下ろしていただけの髪も、大きめに作った三つ編みがフローラルピンクのリボンに結われている。可愛い。

「私の荷はこれで全部です。ヒルバート様は?」

「こっちも終わった。あとは手荷物だけだ」

 同居人の鞄を後部座席へ収め、防弾仕様の重たいドアを閉じる。リアウィンドウへは何とか視線が通るが、とんでもない貨物になってしまった。

「あと十分ほどで少佐がお見えです。それまで中でお休みになっては?」

 同伴者の提案に肯定し、ガレージのシャッターを開けたまま玄関ドアを跨いだ。

 決して休日ではないこの夏日、朝っぱらから物資の用意に勤しんでいるのは、何もピクニックに出掛ける腹づもりからではない。クラプトン・グループ――親父の弟、即ちは叔父が経営する会社が、最近になってPSC部門を設けた。当該企業では新人の育成にベテランの指導員――この場においては元SASの連中が訓練を施すのだが、彼らの技術が最新鋭であったのは過去の話だ。今日日、埃を被って現場では使われない悪癖さえ存在する。そこで出てくるのが、我ら現役のSAS隊員たるリチャード・クラプトンの息子達だ。かくして我々クラプトン兄弟は、二一世紀の戦場で無法者を屠る技術を偉大なるOBへ仕込む目的で、三日間の出張に出向く成り行きとなった。但し、我々は報酬の一部としてホテルでのリゾート気分を満喫する為に、累計では四泊五日の旅行日程となる。叔父さん太っ腹!

 無論、国家の資産たるSASが組織外へ機密を漏らすのは禁忌に触れるが、そこは営利の絡む大人の事情だ。様々な手段で汚く綺麗になった金が、既に連隊の予算に水増しされている。女王の束を受け取ってしまった以上、紳士としてその分の働きはせねばなるまい。出所の知れぬ金で装備が潤い、仲間が生命の危機を脱する可能性があるならば、法律なんざ膝蹴りでへし折る覚悟だ。元より、個人的にも此度の出張には気乗りしているのだ。だって、基地よりだだっ広い屋外射撃場が貸し切りなんだぜ?昨晩からアドレナリンが止まらねえよ。

 来るテッポウ撃ち放題にリビングで思慕を寄せる内、表にぶーぶーがけたたましく大挙する。その数、計四台。兄弟の車と、親父とニーナのそれだ。家を出てブリジットに戸締まりをさせると、先頭車輌の助手席でにやける親父が興奮気味に叫ぶ。

「用意は出来てるな?よし行くぞ」

 こちらの返答を聞く気もなしにウィンドウをさっさと上げ、ニーナの駆る四駆が排煙を吹き上げて発進する。例によって無茶苦茶だとごちつつ、今日はメイドさんではないブリジットとBMWに乗り込み、キーを挿してエンジンを掛けた。

「さあて、どうなるやら」

 シートベルトを締める背後で、ガレージのシャッターが閉まる。車列の最後尾のヴェストが、兄弟の尻を追い掛けて走り出した。ヘリフォードとは、しばらくお別れである。カーナビとラジオを起動しつつ、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。どうしよう、爪先にまで興奮が満ちている。慣れ親しんだ愛車の加速が安定しなかった。

 兄弟の車を追って、M4自動車道を制限速度もぎりぎりに走る。かつては灰色一色に淀んで見えた街並みが、心地良い陽光の影響か素敵な情景に思える。ビビッドな常緑樹の葉のフィルターを抜ける木漏れ日が、ルーヴル美術館に飾られる一枚絵にさえ思えてくる。語彙の足りない妄想に耽溺している最中、大腿に柔らかい物体の接触を感知した。正体を視認するまでもなく把握し、げんなりとうなだれる。

「……言ったよな、ブリジット。相手は選べ」

「あら、ただ偶然に右手が触れてしまっただけですが?」

 このくそ生意気な屁理屈を受けて、でかい嘆息が漏れる。血に塗れた半生を彼女に説いた先の夜明け、この身は確かに、彼女からキスとか呼ばれる行為を受けた。それが何を意味するか彼女の内では明確に定まっているらしく、この晩を境に彼女の生活姿勢はやたらポジティブに激変した。早朝にまだ寝入っている主人の頬に口付けして起こし、紅茶を楽しんでいれば茶菓子を「あーん」と差し向け、ソファに腰を沈めてテレビを観ていれば「いい子いい子」と頭を撫でくり回し、帰宅時と就寝前にはごくごく自然な流れで唇を重ねてくる。おまけに当初は粘膜や頭皮に焼け爛れそうな電流が走っていたが、つい二日ほど前から威力が弱まっている感覚さえある。病が快方に向かう兆候とすれば喜ばしい報せだが、如何せん複雑な心境だ。傍からすれば、そりゃあ文句の一つでも垂らせばタオルに石鹸を包んだ棍棒で袋叩きに遭うだろう。だが三十路寸前のおじんを相手に、旬真っ盛りの女の子が人生を浪費するのは心苦しい。

 まあ確かに?俺だって、ちんちんがおっきしない欠陥品とはいえ男の子だ。多少なりとも性的な興奮はする訳だし、ブリジットを嫌う道理もない。むしろ心に幾らか陰を持ってはいるが、凄くいい子だと可愛くも思っている。それは事実だ。

 如何せん、ブリジットの直近の行動は不可解である。何故に俺なのか。肉体関係のみのセックスフレンドを求めている可能性は?果たして本心による行動なのか、理解に苦しむ疑問は後を絶たない。

「いつ何処でおっ死んじまうかも知れない野郎なんか選ぶなよ。もっとよく考えな」

「こういう事項は、熟考より直感がものを言いますから」

 一理ある。綿密に策定された机上の作戦より、現場における機転が功を奏した例は数知れずだ。尚且つ、相手は勘の優れた女である。返す言葉も見付けられずにうんうん唸っていると、頬に唇の奇襲攻撃が為された。皮膚に粘膜が触れた後にあっさりと退却した連れの女の子は、悪戯っぽくくすりと笑った。

「油断大敵、ですよ?」

「大人をからかうんじゃありませんっ」

 熱を帯び始めた顔を少しでも見られまいと、ダッシュボードから〈オークリー〉のサングラスを取り出して掛け、その後の道程を辿った。全く、どっちが餓鬼だか分からん。


 ブリジットの挑発に乗るまいと、むすっとした態度を続けて三時間と半刻。我々の車列は目的の地点へ辿り着いた。街の喧騒から離れた、自然豊かな山道。ゴルフ場を彷彿させる玄関口に掲げられた真新しい看板には『エグゼクティブ・プロテクション・トレーニングセンター』との文字が誇大に打ち付けられている。どんな感想を述べるべきか頬を掻いていると、併設された駐車場に車を停めた親父夫婦と兄弟がやってきた。

「うっわあ、あの馬鹿本当に造ってやがる」

 どの口が言えた言葉か。喉に出かかる一言を飲み込み、「あー」とか何とか相槌を打った。各々が荷物を抱えて施設の玄関をくぐり、警備員付きの受付に顔を出すと、見慣れた顔の複製がそこにいた。

「よう、遅かったじゃないか。シフトレバーと自分のちんぽこを間違えて事故でも起こしたか?おっと、そんなにでかくねえな!」

 他にも標的がいるのに、そいつはわざわざ次男坊の股間へ目線をやって哄笑する。快活にでかいのどちんこを揺らす、手入れの度に理容店を使っているらしい毛並みの口髭を生やすこの男こそ、我らがパパたるリチャード・クラプトンが弟君、パトリック・クラプトンである。腹は兄と違って引き締まり、自社製のチノパンとポロシャツが屈強なラインをなぞる。見かけは〈ユニクロ〉のそれと大差ないが、通気性と耐久性、運動性能に優れた繊維と縫製技術が詰め込まれている。後で何枚か貰おう。

 下品に高笑いしていたCEOは、やがて俺の隣で旅行鞄と巨大なMk46のケース――自分が持つと言って譲らなかった――を提げるブリジットに目を付けた。ああもう、やだなあ。外見は親父に似ているけど、この御仁の中身はジェローム寄りであらせられる。パトリックは脂ぎった関心も露わに目を輝かせ、ブリジットへ向けて手を差し伸べた。

「お前さんがヒルバートのとこのメイドかい?パトリックだ、よろしくな」

 少年の様に歓声を上げる手を臆面なく握り返し、ブリジットは柔和に目を細める。

「ええ、ブリジットです。こちらこそ宜しくお願いします、叔父様」

 なあにが叔父様だよ、ええ?聞いた傍からこちらへ含み笑いを向ける叔父に、嫌気も隠さず眉をひそめる。訓練中に、事故を装って背中に大穴を空けてやろうか。

 挨拶代わりの軽口も程々に、パトリックは我々を引き連れて建築を案内した。休憩所兼食堂らしき清潔感溢れる広間には、既に年齢層の揃わない三十人ほどの男が談笑したり、壁にもたれて煙草を咥えたりしていた。軍の連中とは一味違うやり辛さが顔に出ている。PSCなんて傭兵まがいの職場に身を投じたのだ。各自が特殊な事情を持っていると見て、まず間違いないだろう。我々はその一角で一部から好奇の、そして一部からは敵対する視線を受けつつ、やたらでかいだけで味気のないハンバーガーを貪って腹を満たした。その間、野郎共の肉欲にまみれた眼光が、絶えずニーナの肢体を舐め回していた。止めておけよ?そいつの歳の離れた旦那が黙っちゃいないし、その女はてめえらの大事な息子さんをナイフでちょん切った挙句、農場の豚に食わせる鬼女だぞ?冗談じゃない、馬鹿な真似は止せ!

 食事を摂ると、逸る気を抑え切れない様子のパトリックが駆け足に我々を射撃場へと誘導する。大荷物を運ぶ我々に引き続き、ポロシャツや迷彩服と装いもばらばらな面子が三々五々の面持ちでわらわら着いてくる。今から気に入らないやつの家へ殴り込みにでも行きそうな光景だ。

 射撃場へと向かう最中、ふと物思いに沈む。PSC――彼らの存在は現代の戦争において、戦略的に不可欠な存在となっている。昨今の戦場では石油施設や政府高官の勤める要所の施設警備を民間に委託するケースが爆発的に増加しており、それこそがPSCの十八番だ。訪問者のボディチェックから、場合によっては爆弾を満載して特攻を仕掛ける車輌を対物ライフルで制止する荒業も担う。この他にも正規軍の支援として兵站任務――食料や弾薬といった物資を前線へ、輸送する運ちゃんも任される。無論、敵側にすればPSCは軍に肩入れしている訳で、道路上で非情な待ち伏せ攻撃を受ける事もままある。襲われて武器を取り上げられ、物資を奪われるなり破壊されるなりなら、命は助かる。現実はそう甘くない。

 PSCは、傭兵ではない。契約で指定された業務に就く『民間人』である。ジュネーヴ条約によれば、迷彩服を着用せずに武装していない人間は『非戦闘員』とみなされる。ここで矛盾が生じる。民間人の装いでM4やAKを携行するPSCは、果たして非戦闘員と呼べるのか。有名無実な条約に従えば、軍人は民間人に対して虐殺行為を許されず、また敵戦闘員を捕虜に取った場合は、人道的な扱いを施す様にとある。PSCはそのどちらの枠からも外れた非常に曖昧な存在で、それ故に陰惨な事件に巻き込まれる事象も少なくない。

 二〇〇四年の四月。イラク戦争における市街戦で最も大規模となった『ファルージャの戦闘』は、元をただせば米PSC〈ブラックウォーター〉の社員四名が、車列警護の任務中に惨殺された事件に端を発する。この事件は実際には人災とも捉えられるものだったが、まあこれは割愛しよう。本事件でも物議を醸したが、PSCは常に死と隣り合わせの現場に身を置くにもかかわらず、その身分は民間人という扱いである。大国の軍であれば、強力な航空支援を得られるが、彼らは自社の装備のみで問題に対処せねばならない。高名な特殊部隊出身の社員は一日で千ドル以上を稼ぐとの噂があるが、丸裸で飢えたワニのプールにぶち込まれると考えれば、その見返りは決して安くないと分かる。

 加えて、テロリストと地元犯罪組織の間には、一種の誘拐ビジネスが確立されている。アルカイダ系のテロリスト連中を例に取れば、アメリカ人を誘拐して犯罪組織の手に引き渡した者には、一人につき五万ドルを支払うといった次第だ。この観点からすると、PSCは恰好の標的となる。政府高官やCIA職員といった肩書きのない彼らは、本国への取引材料としては不足しているし、そもそも公に要求を呑んだら「テロには屈しない」の声明を反故にしてしまう。その点にテロリスト側は付け込む。最初から、殺すつもりで誘拐しているのだ。人質を殺害した事で、テロリスト側にデメリットは生じない。何故なら、母国の遺族が保険金を受け取る為には、物理的な死体が必要であるからだ。その際、誘拐された人質は惨殺の光景をビデオに撮られ、Youtubeを初めとしたメディアに映像が流される。これを受動的に観た文民が戦争に対して思慮なき反発感情を抱き、兵士の撤退を訴える下らない集団声明と化して、あろう事か自国をたたき始める。それこそがテロリスト共の魂胆であるとも知らずに!

 話は逸れたが、つまりPSCはその職業柄、福利厚生もなく二四時間体制で決して楽ではない業務に従事するヨゴレなのだ。大概の職員は軍を退役後に金に困るか、一般社会に自分の居場所がないと悟ったやつらだ。自ら希望して身を置いているやつは、アドレナリン中毒に頭のボルトが弾け飛んだ阿呆だろう。それも、我々SASとは比較にならない気狂いである。もっとも、三十路前のおっさんを相手に色目を使う少女よりはまともやもしれない。

 ここ、エグゼクティブ・プロテクション・トレーニングセンターは、言うなればパトリックが警察関係者や法執行機関の人間に戦闘訓練を仕込む目的で設けた、広大な訓練施設だ。元々は手付かずであった個人所有の山林を使用した当施設は、拳銃やライフルのシューティングレンジ、SASのキリングハウスを模した建造物群、千メーター超の長距離レンジと、各ブースに分けられている。希望次第ではヘリコプターからの狙撃も行えるというから、その施設運営費はおよそ考えの及ぶところではない。我々はこの訓練施設をフルに活用し、発足して間もないPSCのインストラクターを養成するセミナーを催す成り行きとなった訳だ。指導員を作る為の教師。まだるっこしい話である。

 建物を出たすぐ右手に木造二階建てのロッジがあり、そこに各自の荷物が置かれた。内部には先に受講生の銃やバッグが所狭しと転がっており、自分の荷のスペースを確保するのには苦労した。くそ重たい装備を運び入れて一息ついていると、ブリジットがニーナに呼び付けられる。何でも、昼食のバーベキューの仕込みを手伝わされるらしい。つまり何だ、あの鬼畜女は訓練に参加しないのか。俺らなんかより怪物じみてるのに。

 数少ない女性陣が立ち去り、兄弟が私服から訓練に適した着衣へ着替え始める。肌着姿になると、スキンヘッドのラグビー選手みたいなアフリカ系が「良い身体してるね!」とのお言葉を掛けてきた。ホモじゃないといいんだが。

 ショーンはメーカー不詳のジャケットにジーンズという、PSCではごくありふれた格好になった。ジーンズは動き易い様に、大腿部が余裕を持った縫製になっている。ヴェストも同様で、こちらはブラックジーンズを履いている。ジェロームはチノパンにTシャツという、何ともラフな風体となった。俺はと言えば、普段から着慣れている格好が良かろうと、チノパンはそのままに英陸軍の迷彩スモックを羽織っただけで済ませた。とはいえ官給品のそれではなく、民間の市場で買ったものだ。アメリカならともかく、イギリスの支給品にはろくなものがない。その最たるものが携帯糧食だ。兵隊がひり出したうんこを、便器から回収して作ったとしか思えない味がする。入営して間もなく、官給品の野戦服は古着屋に売って小遣いにした。皆やっている事だから、俺だけを責められはしない。元を辿れば、欠陥品を兵士に押し付ける国が悪いのだ。規範たるべき士官がこんな始末だから、兵士はどんどん不良に育つ。ごめんよ女王!

 迷彩服の上からベルトキットと戦闘ベストを着込み、〈シュアファイア〉のキャップを被ってロッジを出ると、受講生が個人の銃を携えて集合していた。その中にパトリックと親父の姿もあって、二人も自前のカービンを胸の前に提げていた。その左方、青々と芝の繁る空きスペースで、ブリジットとニーナが手慣れた様子で七面鳥の尻に香草を突っ込んでいた。青空の下、美少女と美女がアナルフィストしてる。俗っぽい妄想を頭から追いやり、我々はのそのそと射撃場に向けて歩き出した。

 CEOと親父を含めて計三四人の受講生は四分割され、四人のクラプトン兄弟の下で指導を受ける。俺の担当には、九人の男が割り当てられた。生まれ育ちのてんでばらばらな連中に、先程の「良い身体してるね!」も混じっていた。いや、どう見てもお前の方がマッチョだよ。短期間の門下生を横一列に並ばせ、咳払いを一つやる。

「くそ暑い中お疲れさん。今回、お前さんらを扱き上げる命を授かった、ヒルバート・クラプトンだ。えーと、何か質問ある?」

 気だるい雰囲気の練兵担当に、一同は無言で否定の意を表した。四人兄弟でずば抜けて体育会系でないのが、数少ない自慢だ。

「うーん、それじゃあ名前と出身の部隊を教えてくれる?まずはお前さんから」

 そうして一番左にいた中肉中背のゲルマン系を指す。名をスタンリーといい、スコットランド・ヤードに十二年いたとの事だった。その隣のランディは近衛師団出身で、入営期間は八年。そのまた右隣にいた「良い身体」は随分元気よくチャックと名乗り、イギリス海兵隊出身だと叫ぶ。こういうキャラクターは扱い易い。彼とは上手くやっていけそうだ。

 それからジェフだのロジャーだのと各自の名を訊き出して、最後の受講生の番に回った時だ。膝の破れたジーンズ、腕にタコがのたくったみたいな青いタトゥー、耳にはどでかい風穴と、噛む様にして咥えられた煙草。嫌な予感がする。

「……お名前は?」

 おっかなびっくり尋ねてみると、火の点いたままの煙草を地面に吐いて、不機嫌そうにジェイクと呟く。

「何処にいたの?」

 サングラスの奥から睨み付ける視線をこちらへ投げ付け、工兵隊と呻く。参ったな、面倒臭いのを抱え込んじまったぞ。こいつを社員に起用しようとする人事を糾弾したい気持ちでいっぱいだったが、それは彼らを育ててからにしよう。私情と仕事を混同するなかれ。言われた事だけやればいい。……ああちくしょう、不安だなあ。

 本日の訓練要項はカービンの取り扱いとCQB、それから海外の治安事情や留意事項の座学であった。他の兄弟は狙撃や格闘、防御運転、要人警護といった分野を指導する。特に、狙撃はショーンにしか教えられない範疇だ。メディアの影響で人気の高いカテゴリーであるが、存外におつむの出来がよろしくないと習得が難しい。任務に即して自分で弾薬を用意しなければならないし、風向きや地球の自転を計算して狙点を動かさなければならない。加えて長期間を要する任務ともなれば、風雨や汚泥、糞尿にまみれて何日も同じ姿勢で同じ場所を監視する忍耐が要求される。男の子は我慢が苦手だ。可愛い恋人と向かい合ってお茶していても、通り掛かった美女に視線を奪われてしまう。狙撃手は生理現象が許されない。一般の兵士が、そう易々となれる存在ではないのだ。

 紹介も終わったところで、訓練中に負傷者が生じた際の手順を説明し、イヤーマフを装着して、各々が零点規正(ゼロイン)を行った。百メーター先の標的に伏射で三発撃ち、集弾率を見る。それから照準器を調節して、着弾を正しい位置に持ってくる。かなり地味な作業ではあるが、これを怠ると実戦でまともに弾着しなくなる。百メーターで三センチのずれがあるとすると、二百メーターでは単純計算で六センチの狂いが出る。距離が伸びると空気抵抗や弾丸の回転による横方向への偏流といった要素も増えるので、現実では理論以上に命中を望めなくなる。死にたくなければ、零点規正は真面目にやっておくべきだ。

 受講生の銃が乾いた発砲音を発し、そこら中に空薬莢が飛び散る。遠方からも発砲音が届いてくる事から、他の兄弟も指導を始めたらしい。零点規正が終わると、わざわざ言わずともわきまえているだろうが、撃たない時はセイフティを掛けておく様にと告げてから、自分も零点規正に芝へ這った。まずは銃身が十六インチのSR-16。容量より二発少なく装填した弾倉をはめ、槓桿(チャージング・ハンドル)を引く。弾倉の最上部にあった弾薬が抵抗なく薬室へ運ばれ、ボルトがロックされる。悪くない、実にいいぞ。ちなみに名前はマック。発砲後に機関部が尋常でなく汚れるが、良い銃だ。何処かのメーカーがHK416より優れたガスピストン式のAR-15クローンを作るまでは、最高の銃に違いない。いつまでかは分からないけど。〈シグザウアー〉辺りが良い感じのカービンを発表しないだろうか。

 夢想じみた嘆きを、吐息に混ぜて体外へ排出する。肺から余分な空気が抜けて筋肉が弛緩するのを確認し、四倍率の照準器を覗き込む。高い工作精度のレンズを通した鮮明な視界に、木板に貼り付けられた標的のブルが見える。心臓の拍動の合間を見極め、遊びがなくなるまで引き鉄を寄せ、そして引き絞る。撃針がシアから解放されてプライマー(雷管)を叩き、発射薬の燃焼が始まる。金属薬莢の内部で爆発したエネルギーが弾丸を押し出して銃身で加速、マイルドな反動を残して銃口から飛び出し、ライフリング(条旋)で加えられた回転をその身に受けて飛翔する。発射ガスの一部がガスポートを通ってボルトキャリアを後退させ、バッファーが衝撃を相殺。エキストラクターに掻き出された空薬莢が、エジェクターに蹴り出される。初速が時速八百キロを超える小口径高速弾が着弾、ブルズアイの程近くに着弾痕を穿った。続けて撃った二発も初弾の近辺に着弾し、結果的に着弾点が全て繋がるワンホールショットとなった。困ったな。まるで見せ付けているみたいだし、今後の身の振り様にプレッシャーが掛かる。事実、既に冷たい視線が幾つか尻に刺さっている。違うんだ、銃の調子が良かっただけなんだ。せめてチャックが隣で「すげえ!」とか叫んでいるのが救いだった。お前、いいやつだな。

 アフガニスタンの山岳地帯や砂漠のど真ん中でもない限り、現代の歩兵戦闘は交戦距離が五百メーターを超える事例は少ない。M4は有効射程が三百メーターだとか諸説あるが、大体はこの範囲の内側で行われる。要はその範囲内の敵を迅速に排除する能力が現代の兵士には求められており、それ以上遠くの敵には狙撃手や航空支援をぶつけてやればよいというのが、ここ最近の戦争事情である。流石にPSCは空爆要請する設備は持っていないので、そういう時はさっさと逃げてしまうか、さもなくばショーンみたいな腕利きの狙撃手に片付けさせればいい。

 そういう訳で、俺の受け持つカービンのクラスではごく近距離に配置した標的への敏速な対応、それらへの接近と撤退――米軍ではファイア・アンド・マニューバとか呼ばれている――を仕込む。まずは三十メーター先の標的に三発撃ち込む訓練から始め、それから次第に距離を伸ばしたり、制限時間を設けてやる。慣れてきたら左右に動く的も導入して、徹底的に反射的な射撃を身体に憶えさせた。使用する標的には、必ず銃を構える人間が描かれている。複数の重なった円とか、顔のない絵ではいけない。標的は必ず『人間』を用いなければならない。射撃を反復するのに違いはないが、実戦ではこの違いが如実に現れる。確かに、スイカや炭酸飲料のボトルを撃つのは楽しい。火薬入りの容器は派手に弾けて火柱が上がるから、動画受けもする。だが、戦場でライフルを向けてくるのは自分と同じく、四肢のある人間だ。例え接敵で前頭葉が混乱していても、本能を司る中脳が適切な行動を覚えていれば、反射で筋肉が動いてくれる。その条件付けが間違っていたら、そいつはしかるべき時に戦えない。だって、犯罪者やテロリストはスイカのプリントされたシャツを着ていないのだから。

 訓練の内容は至極単純だ。標的を視認して叫び、走り、そして撃つ。出来ないやつがいれば銃の調子を見てやり、出来るまで監督する。幸い、受け持った受講生にいわゆる落ちこぼれはおらず、課題に失敗する者が出てもすぐに問題をクリアした。愉快なチャックは指定した弾数より一発多く撃ち込むくらいに優秀だし、いい歳こいて反抗期を引きずっているジェイクも、特別目立った問題は起こさなかった。頼む、何事もなく三日間の訓練を乗り切らせてくれ。

 そんな都合の良い祈りが届いたのか、休憩時間の十六時を無事に迎えられた。零点規正での失態はあったが、非常に緩い指導法が受けたのか、その後に刺々しい視線は受けなかった。元来、俺自身の気性はガラパゴス諸島で日がな一日サボテンを食むリクイグアナみたいなものだ。何処ぞの海兵隊の先任軍曹みたいにがなり散らしたりというのは、まったりした性に合わない。一定の基準まで出来ていれば、文句なんかない。

 ペーパータオルで首筋の汗を拭いつつロッジへ戻ると、数台のグリルがロッジ前に設営され、折り畳みのテーブルに食材の山が積み上げられていた。おい一体誰だ、日本の米を持ってきたのは。着火された炭が赤々と熱され、陽炎が上がっている。腕まくりをした調理班の女性ふたりが、頭に迷彩のバンダナを巻いて要領良く作業を進めていた。ニーナはともかく、まさかアウトドアをもこなせる女だとは。その内に、地面から掘り起こした幼虫でも食べ出すんじゃないかと不安になる。かつて連隊のジャングルでの訓練で虫を始めとしたゲテモノ晩餐会が催されたが、俺は食後に他の隊員が寝たのを見計らって穴を掘り、泣きながら胃の内容物を吐き散らした経験があった。如何なる状況とはいえ、ありゃあ食えたものではない。養殖されていない生き物は、食うべきではないのだ。

 ステンレスの皿を手にブリジットへ労いの言葉を掛けると、「私にはこれくらいしか出来ませんから」と謙遜する。おじさん、涙の浮かぶ思いだよ。自分がいない間におっかない姉ちゃんに意地悪されなかったか訊くと、膝裏に鋭い衝撃が走った。くずおれて背後を見やれば、おっかない銀髪が鉄串を手に仁王立ちしている。おい、お前の旦那の次男坊だぞ。「ふん」と、高い鼻を鳴らして踵を返すニーナの背中へ悪態をつきながら膝の泥を払う間抜けを眺めつつ、ブリジットはくすくす笑っていた。

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