第3章 黒い泉の謎(4)

 いい加減眠くて、このまま放置しておこうかとも考えたが、エナの身に何かあったら、護衛を任されているというか、守ることが義務付けられている勇士としての存在価値がない上に、制裁を受けたらかなわないと思ってそっと後をつけることにした。

 足元を見ると、一応、靴を履いているので安心したが、星が降りそうなほど冴えわたる真夜中の空気は容赦なく身を刺す。

 エナが向った先は集落の西のはずれ、共同墓地である。怪談話の類が苦手な雪也はできれば近づきたくなかったが、今はそうも言っていられない。エナは早速、ある墓地の前にしゃがみこみ、鳥の囀りのような歌を歌い始めた。

 エナは両手を墓の盛り土に投げ出すと、じっと動かなくなった。

「ねぇ、いつまでそんなことをしてるの? 体が冷えるよ!」

 雪也はエナの隣に立ち、エナを連れ戻そうと試みたが、エナは独り言を繰り出している。

「――それはいつ? わからないの? サザメ、あなたは強力な巫女だったんじゃない。子供の命が危ないって言うのに、それを防ぐことができないなんて。ああ、もういいわ」

「エナ! 誰としゃべってるんだ。帰るよ!」

 半ば強引に墓から引き離し、雪也は暴れるエナを抱えるようにして連れて帰った。

 巫女の家に着くと、とたんにエナは眠そうな顔をして敷物に倒れ込み、そのまま深い眠りに落ちていった。

「昨日の夜中、墓地に行ったの覚えてる? あそこ、サザメが埋葬されてるとこだろ? サザメの霊と交信したの?」

 結局、雪也はそう結論づけざるを得なかった。エナは死者と会話することができるのだ。翌朝、夜中に起きたことを話すと、エナはとっくに雪也がそのことを知っているものだと思っていたらしく、逆に驚いている。

「今頃気付いたの? あたし、ここの村のこと知らないからサザメに色んなことを教えてもらったの。巫女は未来のことも死者のことも、精霊を通じて何でもわかるのよ。サザメは沢霧の村で生まれ育った娘で、母親も巫女だったらしいわ。三人の子供を産んだんだけど、産むたびに守護精霊が増えて力が増していったんだって。二十代半ばが一番力が強かったみたいだけど、それから急に精霊と会話がしにくくなって、とうとう病で死んだわ」

「どうして急に力が衰えたんだろう……」

「それは夫である前の村長が死んだからよ。つまり、カケルの父親ってこと。巫女のこの世での片割れが消えてしまったから、サザメを助けてくれる精霊が少なくなってしまって、自分も病に倒れたの」

「それって、エナも片割れを必要とするってこと?」

 特に深い意味はなく、何気なく問いかけたのだが、エナは俯いてしまった。数拍分の沈黙の後、エナは残念そうに答えた。

「沢霧の村の巫女は、大鵥の村と同じようにその村長と結婚しなければならないのよ。あたしが生まれた小滝の村は巫女はずっと一人だったのに」

 以前、エナは故郷には帰れないし、帰りたくないと言っていた。でも、本音ではきっと帰りたいのだろう。死ぬまで孤独の身であるか、決められた結婚か、どちらもありがたいとは思えない境遇を巫女は強いられる。それでもエナは孤独を選びたかったらしい。とはいえ、今では小滝の村は大鵥の村の配下にあって、エナが戻ってもキビタキからは逃れられないのだ。

「じゃあ、いずれエナはカケルの妻になるんだね。カケルなら男らしいし、いいやつだから――」

「嫌よ! ……好きじゃない人と結婚するなんて」

 巫女がそんな我が儘でいいのかなと思った雪也だが、涙目になって自分を見上げているエナが視界に入ると、今考えていたことを撤回した。縄文時代だって、こんな若い女の子から自由を奪われていたら苦痛であることには変わりないのだ。

「巫女は辞めることはできないの? 逃げるとかさ。そしたら、俺も楽だし、エナに帰り道を探してもらいながら暮らせばいいし」

「やっぱり、ユキヤはあたしの勇士でいることが面倒なのね」

 俺も楽だし、というのは気休め的に言っただけだったのだが、エナは真面目に受け取ってしまったらしい。まずいなと慌てたが、長い睫に縁どられた大きな瞳からは本当に涙が零れ落ちてしまった後だった。

「せっ、精霊があたしを選んだから、精霊が辞めていいって言わない限り、巫女であり続けなけなきゃいけ、ない、の。逃げ出したら、精霊たちが怒って、皆に災いをもたらすわ」

 これ以上泣かないように、エナは堪えている。雪也の目の前にいる女の子は、雪也が知る限り、最も過酷な運命を背負っていた。以前、アセビ爺さんから聞いたことだが、巫女のせいで村に災いがもたらされてしまった時は、容赦なくその巫女は殺害されることもあるという。

「言い方が悪かったよ、ごめん。勇士が大変っていうだけで、別にエナのことが嫌なわけじゃないよ」

 現代でも縄文時代でも、雪也は女の子の機嫌を損ねてしまうのだった。

 何とかエナの涙が止まった時、巫女の家の戸口に人の気配がした。しかし、雪也が確かめると誰もいない。ミウはキララが遊びたいと連れていってしまったので、ミウの仕業でもない。

「気のせいかな」

 雪也は首を傾げながら、部屋の中に戻った。

「そういえば、昨日の夜、サザメと何の話をしたんだ? 子供の命が危ないとか言ってたけど」

「そう! 沢霧の村の子供が悪い精霊に連れて行かれるって! でも、誰かわからない。ミヅキのお腹の子だったらどうしよう。手遅れにならないうちに、早く村長に知らせないと」

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