「うつうつ音楽詩編集」: ぼくが「うつ」なときに「うつ」音楽対策集

やましん(テンパー)

第1話  シューベルト:「即興曲集」

 フランツ・ペーター・シューベルトさんは、ご存知の通り「歌曲」の作曲家として、とっても名高い方です。

              🎤


 しかし、たった31年の生涯の中で、「交響曲」から「宗教音楽」や「オペラ」まで、信じがたい数の作品を作曲をしました。

 おおかたで言えば、未完成の曲や、スケッチだけの曲などもひっくるめると、千曲に近い数の作品があるとか。


 まず「歌曲」だけで、600曲以上はあるといいます。

 確かに短い曲も多いですが、「歌曲」と言っても、中には省略しなかったら20分はかかる、なんてものも結構あります。

 ずいぶん昔に出た、フィッシャー=ディースカウさんの歌曲全集のCDを解説を見ながら聞いていると、「何節か省略」した、という注記があったりします。たしかに有節歌曲の場合は、そうした処置は、よくありうることでしょうね。でも、なんだか本当は、全部聞きたい!と思いましたけれども。

 

 「交響曲」では、きちんと現存するのが8曲。

 書きかけを入れると、14曲はあるそうです。


 むかしから、シューベルトさんの交響曲は、数え方がまちまちだったりしました。

 完成された曲は七曲として考えられていた上に、「未完成」だけれど、あまりに美しいという事で、「第八番」に、あの「未完成交響曲」が入れられたようです。


 ちなみに、「未完成」である証拠としては、第三楽章の書きかけのスケッチが残されていることがあげられています。


 そこで、ぼくが若いころは、「未完成交響曲」は常に「第八番」であり、ハ長調の巨大な交響曲は、「第七番」だったり、「第九番」だったりしましたが、このごろは、新しいシューベルト全集に基づいて、「未完成」は「第七番」に定着してきているようです。


 こういうのは、習慣と言いますか、年寄りの昔覚えと言いますか、今でも「未完成」は、八番よ!という固定観念が強いものですから、なんとなく違和感があります。


         🎶 🐦


 よくご存じの方には、ちょっとごめんなさいしまして、これからCDで「未完成交響曲」でも、聞いて見ようかな! と思っていらっしゃるという方、なんだか「八番」と書いてあったり、「七番」だったりするぞー、と思ったら、まあ、いろいろ裏事情があるわけです。

 しかしながら、この二楽章だけの、「歌う交響曲」が、他の多くの未完成曲をしり目に、なぜ正式な番号を与えられたうえ、二百年たっても、いまだに世界中で愛され続けるのかな、とまず思ってみてください。

 そうして、二百年も続いている「恋」と言うのがもしあるとすれば、それがどんなにすごいか、ちょっと想像を超えているでしょう?

 それだけの、恋する理由と価値があるからですよね。

 聞いていらっしゃらない方、生きているうちに聞かないと、絶対損です。

 演奏時間、約20分です。忙しい!忙しい!忙しい!方も、こんな文章読んでないで、どこかで時間を取ってぜひお聞きください!


 他でも、例えば、ドヴォルジャーク(これも、ぼくの世代は”ドボルザーク”なんですね。でも、実際のところは・・ジャークのほうが、原語には近いとか。もう一つ上の世代の方には、・・・ジャークとおっしゃる方がいます。)さんの交響曲第九番ホ短調作品95「新世界交響曲」は、昔は「第五番」でした。でも、ぼくの世代は、もう「第九番」になった後の世代です。なので、「第五」世代の方にとっては、最初は違和感が少しあったに違いないですね。


 これは、ドヴォ先生の若いころの交響曲作品が、昔は数に入れてもらっていなかったから、という裏事情があったようです。

 それに、これは勝手な推測ですが、交響曲で「第五」とか「第九」というと、どうしたって、ベートーヴェン先生との比較(あるいは比喩)が、裏で意識されていると考えて、そう外れてはいない、と思うのです。なので、ドヴォ先生の場合は、たまたま「第五」が「第九」になったことが、非常に覚えやすくて良かったのではないか、とも思います。

 脱線しましたが・・・・・・


 まあ、こうした細かいお話は、あんまりおもしろくないので、やめます が、まあ、考えてもみてください。


 シューベルトさんの人生、かっきり31年としてしまって、うるう年とかは考えないこととしましょう。

◎ 365×31=11,315日

 生まれてすぐに作曲し始めたとしても

◎ 11315÷1000=11.315

 つまり日に11曲程度は作曲していたというわけです。

 1日24時間ならば、まあ計算することもないでしょうけれども、24時間働き続けていたとしても、2時間に1曲程度は作っていたわけ。


 それも、歌曲だけじゃなくて、大きな交響曲や、室内楽や、ピアノソナタや、オペラ、ミサ曲をはじめとするかなり大掛かりな宗教音楽、世俗合唱曲、各種独奏曲・・・。これで、ご飯食べたり、友人とお酒を飲んで騒いだり(なので貯金はできなかったとか・・・)、歩いたり、寝たりとか、していたわけなのですし、実際の活動期間は、というと、1810年から亡くなる1828年までの、18年ほどですから、まあ、いったいどんな日常だったのかと思ってしまいます。


 確かに、少しだけしていた教員時代に、授業中黒板に向かって作曲したとか、(むかしの映画にありました、そんな場面が。)レストランで、食事中に、ささらっと書いてしまったとか、そう言う逸話も、なるほどなあと思います。


 ただ、反体制派でありながらも、一部の自分の有力なファンでもある権力者とも懇意な関係を作り、政治力と権力もそれなりに握っていた、べー先生は、自作品の演奏や、その準備にも、かなり忙しかったと思われます。


 一方、そうした世事には、まったくうとい、シューベ先生には、そこらへんに時間を取られてしまうことが、少なかったとは、考えられます。


 だいたいシューベ先生は、自分の作品がオーケストラで音にされるのを、実際に聞く機会は、本当に少なかったようです。それで、頭の中だけで、今日聞くような管弦楽の作品を作ってしまっていたと言うのは、やはり奇跡としか言いようがないですね。


 なお、その放浪者的な生活のシューベ先生も、反体制派の友人に連座して、一度逮捕されたことがあったとのこと。(1820年のことです。)結局危険人物ではないということで、すぐに解放されたらしいですが、友人の方は、自由主義を標榜した集会を開いたとして、かなり長く拘留されたうえ、「危険人物」のレッテルを張られたとのこと。むかしの事ではありますが、こうした管理社会は、やはりなんだか怖いなあー、と思ってみたりもします。


 ついでに言うと、なんとなくベートーヴェン先生と比べると、シューベ先生は「小さくて、可愛い曲の作曲家」というイメージがあるかもしれませんが、どうしてどうして、大曲も多いし、その音楽の奥の深さは、とうてい想像しがたいものがあります。べー先生とは異質な、新しい時代を示すところも、当然ありますが、同じ時代を生きていたし、非常に尊敬もしていたので、なんとかべー先生風の曲を作ろうと意識していた様子もあります。弦楽四重奏曲のト短調ドイッチュ番号173番とか、ホ長調同じく353番とか聞くと、けっこうべー先生的な部分が頻発していたりもします。


 べー先生は1770年生まれで、シューベ先生は1797年生まれではありますが、べー先生が亡くなったのは、1827年。シューベ先生の亡くなる前の年です。べー先生は古典派、シューベ先生はロマン派、と教科書的にビッチり分けてしまうというのも、ちょっと、どうかな? という気になります。(ちなみに、ドイッチュ番号は、音楽学者、O.E.ドイッチュさんによって、1951年に作られた作品目録の番号です。以下「D])


 実際べー先生の晩年のピアノソナタには、逆にべー先生がシューベ先生に近寄った感がすることもあります。例えば、第27番の、ホ短調のソナタとかも。


 あらら、本題はどこに行ったの? 


 そうです、本題です。『ぼくが「うつ」なときに、「うつ」手段』として聞く 、「ありがたーい」音楽のお話です。実はシューベルトさんの音楽が、まずは最高に効くのです。

 実例として、いくつか挙げてみましょう。


 ピアノ曲がまずいいですね。そういう時には、あんまり大きな音がしない方が、ぼくにはありがたいのです。


◎ 「即興曲集」作品90  D899

  「即興曲集」作品142  D935


 こんなに素晴らしい音楽が、この世に残ったことは、本当にありがたい事です。どちらも4曲セットになっておりますが、ぼくにとっては、どれを聞いても効果抜群です。(もちろん、効果には個人差が、きっとあります!あくまで個人の感想です。健康食品の宣伝みたいですけれども。)

 演奏者による効果の違いも、それぞれ聞く方によって違ってくるでしょう。ぼくは、アルフレッド・ブレンデルさんの演奏が昔から大好きです。


 この方の、非常に理知的で、客観的で、分析的な演奏が、シューベルトさんとしては、かえって嫌われることもあるようですが、この、けっして聞くことを無理強いをしない姿勢が、この曲の演奏については、ぼくにはぴったりです。こちらから近づいて行こうとしない限り、無理に迫ってきたりしません。でも、調子が良いときに、もっと近づこうとすれば、それにきちんと答えてもくれるのです! 


 素晴らしい演奏家の方の名演奏でも、聞き始めると、無理やりでも聞かされてしまうタイプの演奏だと(つまり、語弊はありますけれども、あまりに名演奏過ぎて・・・)心が苦しいときには、もっともっと苦しくなってしまう場合があります。これは、「感動」と言えばそうですが、「感動」は、ときには拷問にもなるのです。

 

 ピアノ・ソナタにも、効果が抜群な曲があります。

 まず、なんといっても、第21番と言われる、変ロ長調D.960です。

 この曲については、学生時代から、リヒテルさんの録音に心酔してしまっておりました。

 この演奏についても、「これはシューベルトじゃない」という感じの、厳しい批評も出ていましたけれど、残念ながら音楽評論家の方は、ぼくの心を直接慰めてはくれないですから(諸先生方、申し訳ありません!)、批判もあるけれども、ぼくにとってはこの上ない素晴らしい演奏でした。

 

 その一つ前の、ピアノ・ソナタイ長調D959。

 これも効果抜群です。こちらは、さきほどのブレンデルさんの演奏が大好きです。

 この曲の場合は、先のD960番と違って、あまり、ゆっくりと、ねばらない方が、ぼくは好きです。それは、音楽の質の違いによるのだと思います。(あくまで個人の感想です。念のため。)


 この二曲は、演奏時間が少し長くなります。(とくにD960番の第一楽章の繰り返しの指示(リピート)をしっかり守ると、とっても長くなります。でも、それがまた、いいのですけれど。第一、それがシューベルトさんですからね・・・これも個人の感想です。いまどき、忙しい現代人に、繰り返し演奏して聞かせて、どうするの、というご意見もあります。)

 なので、長いのは苦手な方は、「即興曲集」が、あるいは、大変有名な「楽興の時」D780番なども、よろしいかと思います。


 ついでに、日本人には、合唱団にいらっしゃる方等は別として、「宗教音楽」は、親しみにくいかもしれませんが、シューベ先生の、「ドイツ・ミサ」曲 D872の最初の曲なども、なかなか日本人好みの名曲ですし、苦しい心の時には、大変結構な音楽です。


 まあ、シューベルトさんの場合は、歴史上最高のメロディー・メイカーですから、心を救われる作品も、また、非常にたくさんあります。


 そうそう、「お花詩編集」では、くら~い、「冬の旅」の事も書きましたが、この作品は、ぼくのような「うつうつ音楽マニア」は別として、一般的には、心が苦しいときには、第五曲の「菩提樹」以外は、避けた方が無難な気がいたします。


   **********   ********** 


(追伸)

 シューベ先生の『イ長調のソナタ』といえば、若いころ(亡くなった時も若かったのですけど)書いた、D664(作品120)のソナタがあります。

 第一楽章の頭から、もう『歌そのもの』という感じの、楽しい旋律で始まります。

 これがまた、なんとも、いいのですねえ。

 時々、ふっと短調に陰ったりしますが、ここはもう、いかにもシューベルトさんなんです。

 こんな世界だったら、いつまでも終わらないでほしいな、と思います。

 この時間が、永遠に続いてほしいな。

 でも、どんなになごり惜しくても、終わりのない出来事はないのですから。

 すべては、結局は終わるわけです。

 でも、どんな理由があっても、他人が勝手に終わらせるのは理解できません。

 たとえ戦争であってもね。


 第二楽章は、少しだけ、深刻な何かを抱えているようです。

 それが何だったのかは、ぼくには、わからないですけれども。

 でも、とっても美しいです。

 最近は異世界ブームですけれど、ここにも明らかに他所の世界が見えています。

 ただし、とっても平和な、ちょっと哀しい世界です。


 第三楽章は、多分まだ二十歳過ぎなのに、もう悟りの香りが漂うけれど、それでも、まだどこかに現世への憧れも感じる、楽しい音楽です。       🕊️


 実際ここから、最後の作品『鳩のたより』まで、彼には、そんなに時間はなかったのですが。 

 


 、



・・・・・・うつ 😢😢😢 うつ・・・・・



さらに追加 (2023年)


 月日のたつのは、やはり早いものです。


 さて、ちなみに、シューベルトさまの交響曲には、多少オカルトめいたようなものもありますような。


 番号の混乱は、いまだあるようですが、私くらいの年代には、いまさら『未完成交響曲』は、第7番といわれても、やはり、ピンとは来ませんが、こういうのは、いずれ変わるものです。


 ときに、手元には、シューベルトさまの『交響曲第10番ニ長調』というLPがあります。D936A、とされています。これは、シューベルトさまが最後に書きかけていた交響曲で、未完成です。指揮をしている、バルトロメーさまが校訂したバージョンのようです。他のバージョンもあるとのこと。また、D849の交響曲というのがあり、『グムデン・ガスタイン交響曲』と呼ばれていました。これは、一時期、かなり謎とされていたみたいです。かつて『4手のピアノのためのソナタD812』が、その原曲とみる向きがあり、ヨーゼフ・ヨアヒムさまが、編曲し、そのCDもありましたような。(良い音楽です。)


 ところが、近年(もう、大分前だけど。)、その楽譜の写しが、とある方から出てきたこともありまして、録音もされましたが、それは、実はつぎはぎだらけの、偽作だったそうです。このCDは、まだ、聴いていません。聴かない方が良いのかも。(でも、聴いては見たい。)やましんの虎の巻『交響曲読本』にも、とんでも盤として、ちらりと書かれていたような。


 この『グムデン・ガスタイン交響曲』といいますのは、シューベルトさまが滞在していた地名に基づく名前で、シューベルトさまが、そこで交響曲を作曲してるんだ、と、お手紙に書いたりしていることから、必ずあるはずだとして楽譜が探されていましたそうな。しかし、いまは、おそらくは、現在は第8番とされる、ハ長調の交響曲のことを言っているのだろうと、されるのだとの事です。余談でした。



 🐶🐱🐾🐰🐻🐼🐵🐒 うつ 🐹 うつ 🐴🐘🐯🐺🐍🐭🐗🐸🐫🐩🐨


 


 


 


 


 

 

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