03 ドラゴンスレイヤー

 聞いたこともない単語に老婆は首を傾げる。


「それで? 病がかっけ? じゃとして、なんじゃ?」


「名のある病のほとんどは治療法がある。だけど僕は帝国の……いや、」


 言いかけた言葉を飲み込んで、僕は眠たげなプラシアに身体を向けた。


「プラシア。米を炊いてくれないか?」


 老婆に似た仕草でプラシアは首を傾げる。老婆と違ってこちらはかわいい。


「おっと、ごめん。言葉が通じないんだったね」


 代わりに老婆が通訳した。

 プラシアは大櫃から米を器に移し、杓子で水を汲む。

 シャカシャカと研ぎ、器の水を捨てようとしたので止めに入る。


「その水、こっちの器に移してくれないか?」


 器に指差し、プラシアに微笑む。

 何か言った後、不思議そうな顔で器に水を捨てた。

 僕は汚れてない布を空の器に掛け、何度も中身を入れ替える。


「それは捨てるゴミじゃぞ? なにしとるんじゃ?」


 素朴な疑問に、せっせと仕事をしながら答える。


「婆さん、ぬかはゴミじゃねえ。世の中には水に溶ける栄養素があるんだ」


 丁寧に濾した水を今度は飲水用の器に移し替えた。


「出来上がり。あとはにんにくがあれば、より効き目があるんだが、あるか?」


 老婆に話を持ちかけられたプラシアは打って変わって元気よく返事をした。

 きっと今まで知らない言葉で会話に混ざれなかった反動だろう。

 嬉しそうな足取りで出入口に向かって、翼を大きく広げてちらりと振り返った。


 僕が気づいて視線を移すと得意げに飛翔する。

 窓から乗り出し薄雲の空を仰いだ。青い翼が目にも留まらぬ速さで森へ飛ぶ。


「あの子はのぉ、昔のわしそっくりじゃ。速く飛べるのが誇りなんじゃろう」


「そうか……。俺たちはアンタらの空を奪ってしまったのかもしれないな」


 物憂げに眺めた空にはお菓子のような雲が浮かぶ。色付きの雲まであった。


「自由に空を飛べれば甘そうな雲も食べられそうだな」


 軽く笑って村の風景を眺める。川べりで男たちが忙しそうに働いていた。

 滝壺と反対側の村の端で、彼らはイカダを作っている様子だ。

 どうやら軍人の遺体を川に流し、弔うつもりらしい。


「婆さん、ちょっと待っててくれ!」


 勢いよく立ち上がり、男たちの作業する川べりへ走る。

 安置された遺体に寄ると初老の男性に片言の言葉で足止めされた。


「約束する! あの婆さんの病は僕が治す」


 男性は信じられなさそうにしたが、一縷の望みに賭けるように道を譲った。

 僕は焼け焦げた軍隊手帳を検め、煤まみれの身分証明書を開く。


「連邦軍の、……挺身兵? 帝国でいう特攻隊みたいな、……待てよ?」


 鉄砲指をあごに当てて思案に耽る。

 どうしてそんな兵士がここにいるんだ?


 ……………………。

 …………。

 ……。


 パッと顔を上げ、翼の男たちを押しのけ遺体に刺さったパイプに触れた。


「間違いない。魔法兵器の破片だ。この形状は銃砲の類だが……、信号弾か?」


 行軍していた時とは打って変わって魔法兵器から恐る恐る手を離す。

 ゆっくりと空を仰ぐと二色の積雲が遺体の真上に浮かんでいた。

 顔にかけられた布をめくると兵士は満足げな表情で安らかに眠っている。


「僕が帝国の軍人だと言ったら笑ったのはそういうことか。クソ連邦軍め!」


 握りこぶしで地面を思い切り叩く。男たちが作業を止めて叫んだ青年を見た。

 川の下流から、バララ、バララ、と不気味な駆動音が響き渡る。

 音のする方に目を向けた途端、空挺が現れた。


 民家ほどの大きさの船が宙に浮いている。

 駆動音はどうやら空挺の船上にある巨大な風車から鳴っているようだ。

 空挺が上昇すると風車から玉虫色の燐光が散った。


 空艇は脇腹をアコーディオンのように蠕動させる。


「みんな‼ 逃げ――」


 インディゴの叫びは空艇の低い唸り声に掻き消された。




            押

            し

 音と空気の圧が    寄    背を向け走り出した人々を吹き飛ばす。

            っ

            て、





 僕は村の中央を流れる川の水面に横っ腹を叩きつけて沈んだ。


 ……あの空艇の名前は「ドラゴンスレイヤー」だ。対ドラゴン用の浮空船。

 連邦軍の男は僕より先にこの村を発見した。

 いや、違うな。


 翼 人 族 が ド ラ ゴ ン だ と 気 づ い た の だ 。


 こんな戦線から外れた森に帝国軍の僕が来たことで疑念は確信に変わった。

 だから安堵し、笑って死んだのだ。

 なぜなら僕たち帝国の行軍した目的はドラゴンを探すためだったから。


 水面から頭を出して禍々しい輝きを放つ空艇や村の様子を視認する。


 重たい米俵の山が崩れていた。

 倉の屋根が剥がれて近くの民家を押し潰している。


 バララ、バララ、と音を立てて空艇が上昇した。


「逃げろ! 森だ! 森へ逃げろ!」


 喉を潰すほどの大声で叫んだ。

 村人たちは僕を不思議そうに見るだけだ。


「言葉が通じないのか……!」


 こぶしを水面に叩きつける。水しぶきの向こうで空艇は砲口を村に突きつけた。


 遠雷のような砲声が続いた後、広場の井戸や家屋が 爆 散 する。


 鈍い衝撃が大地を揺らした。


 一気呵成に始まる銃撃。男たちが翼を広げて飛び上がったところを狙い撃つ。

 ある男は頭から血しぶきを散らし、地面に叩きつけられた。

 翼を穿たれた男は揚力を失い、錐揉みしながら民家の屋根に墜落する。


「う、嘘だろ? 翼人族の見た目は人と変わらないじゃないか……。おい! 連邦のクソども、そいつらはアンタらの同胞を弔おうとしていたんだぞ!」


 川から出た僕は連邦軍の非道に怒りを露わにした。

 怒号の反響はバララ、バララ、という音にふたたび揉み消される。

 空艇が浮上し、空高く逃げた翼人族を一人残らず撃ち殺した。


 その様子を民家から首だけ足して女や子供たちが呆然と眺めている。

 平和ボケした彼らに叫ぶ。


「殺されるぞ⁉ あっちだ! 滝の方へ逃げろ!」


 滝の方角へ腕を突き出すと、わらわらと村人たちが飛び出す。

 目の前の民家は砲撃もないのに数秒後に爆破して瓦礫になった。


 僕に熱い視線を送っていた一人の少年が槍を片手に上空へ飛び出す。


 少年の勇猛な行いに奮い立った大人たちが武器を手に空へ舞う。

 女と子供は滝のそばで身を寄せて恐怖に耐えていた。


「狙い撃ちされたいのか! 散れ、散れ! 森へ逃げろ! 身を隠せ!」


 愚鈍な集団に駆け寄り、森へ移動するよう指示を出す。背後で唸り声が鳴った。

 空艇は片方のスラスターを蠕動させて旋回し、取り付いた翼人族を振り払う。

 デッキから煙が上がり、燐光を盛大に散らしていた。


「魔力がだいぶ漏れてるようだが……」


 ぐっと身構えたが、空艇は船尾を向けた状態で撤退した。

 どうやら鈍重な空艇は素早く飛べる翼人族に手痛い反撃を食らったらしい。

 駆動音が聞こえなくなり、女子供がおっかなびっくりしながら顔を出した。


 生き残った男は妻や子供と思しき同族と抱き合う。

 その様子に僕はほっと胸をなでおろし、初老の男性を見つけた。


「プラシア! 娘、いない! プラシア!」


 男性は片言の言葉で事態を説明した。


「落ち着け。プラシアは村を出て行ったからきっと無事だ」


 頼まれてにんにくを取りに行った。

 念じるように集中し、辺りを見回す。美しい少女の姿はどこにもない。


「そういえば婆さんもいないな。ということは……」


 老婆は足が痺れて歩けなくなっていた。

 高床式の元倉庫は木の壁が一部剥がれて、真下の土地は丸い穴が空いている。


「……なんだ、あの穴」


 はじめに来た時にはなかった窪みだ。

 初老の男は母を呼ぶような声を上げ、高床の家へ走った。

 階段をひとっ飛びして民家に入る。


「嫌な予感がする」


 男が民家に入ってからしばらくして、僕は大声を上げる。


「おい、戻って――」




          火 火

           火

 次の瞬間、穴から     が吹き出し、民家の中心を吹き飛ばした。




 熱気を孕んだ 爆

          が押し寄せ、反射的に目をつむる。

        風




 土煙が風で流れて露わになった家屋は高床を支える柱を残して全壊していた。


 僕は怖気づく膝を叩いて、老婆のいた場所に寄る。

 ひどく息苦しそうにしているのは、酸素が薄くなっているからだけではない。

 ブーツが焼けた羽根を踏んだ。足元に重なり合った親子の亡骸があった。



 もはや    ノ、  の  イ 木 −    をしていない。



 むごい死に方をしていた。



「うっ……」


 吐き気をもよおし、身体をくの字に曲げる。

 視線の先の瓦礫の下でうごめく何かがあった。

 本能的に身構え、しばらくして僕はその正体を理解する。


 全身に傷を負った人間だった。


 青い髪には泉で見た髪飾りがしてある。


「もしかして、プラシアか?」


「あ……、あ……」


 呻くだけで言葉にならないが、双眸は間違いなく僕に向いていた。

 急いでプラシアに駆け寄り、無事を確かめる。


「手、足、顔も身体も、ほとんど軽い火傷だ。これならすぐに回復する」


 煤をかぶった手を握り、少女を立ち上がらせる。

 通じない言葉で何度も痛みがないか確かめた。


 痛みを訴える様子もなく、呆然と立ち尽くすプラシアはふと空を仰ぐ。


 翼を広げると青い羽根が灰と一緒に舞った。


「……プラシア」


 インディゴは少女のある一点を凝視して、沈鬱な表情を浮かべた。


 プラシアの二枚あった 习 习 は、片方が根本から千切れている。



 翼の少女はもう飛べない身体になっていた。

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