プラシアの翼

etc

00 プロローグ

 人類が地上を失って空に暮らす現代でも、人は未だ空を飛んだことがない。


 ――『浮空から飛行へ 古代文明を読み解く』著・セレスト・ブルー



 青く広い海と緑豊かな陸がこの星にはあったという。

 でも、僕にとって神話の時代のことなんてどうでも良かった。

 なぜって? 僕には空に浮かぶ島々・ロフトピアでの生活があるだけだから。


 「生活」って言葉はすごい。生きて活きる、と書く。僕は逆だと思うけど。

 人類が地上に住んでいた頃は生存が当たり前で、その上で活動してたらしい。

 行き場……というか生き場を失った人類は、生きるために浮島で活きている。


 周りで歓談する兵士たちだって生きるため活きている。

 楽しくおしゃべりするのは軍用の輸送船が狭苦しくてたまらないから。


 トタトタと甲板を鳴らす軽い音が聞こえてきた。しれっとそっぽを向く。


 ぼんやりと眼下を眺めると、広がるのは真っ白な雲海。

 僕たちを運ぶ輸送船は雲の上を渡る浮空船だ。


「医官! サラ医官はどこでありますか! 具合の悪い者が多数!」


 甲高い声を上げるのは齢十六ほどの少女で、走る度に巨乳が服の下で揺れる。


「サラ医官! こんなところにいたん……ほにゃっ」


 誰かの足にけっ躓いて大きなお胸が僕の顔面にダイブ。

 ちなみにこの子、僕にできた初めての部下だ。

 こんなハッピーサプライズ、部下じゃなかったら嬉しいんだけどなぁ。


「僕にはサラテリ・ブルーって名前があるんだけど知ってる? カナリー看護官」


 彼女は飛び退いて、目が覚めるような金髪を目の前に突き出した。

 ポニーテールを丸くまとめた頭をぽんと叩くと、顔を上げてにへらと笑う。

 確信犯かな?


 やれやれと僕は頭を掻きながらカナリーの来た道を辿る。


「診察が必要な兵はどこにいる? 人数は?」


 後ろをついてきたカナリーはおっかなびっくりしながら問に答える。


「場所は機関室であります! 人数は……3人? 4人? であります!」


 輸送船を含めた浮空船は大きく分けて三つのパーツで構成されている。


 1つ目は甲板や船長室と言った乗員のための場所。

 2つ目は頭の車輪や脇腹の推力スラスターと言った沈まないための機構。

 3つ目は船を動かすための船員そのものだ。


 どれか一つでも欠ければ浮空船は浮空船でなくなってしまう。

 機関室に詰める船員は魔力を循環させ、船に浮力と推力を与えている。

 医官の僕の務めは彼ら船員の健康状態を維持することだ。


 機関室へ続く階段を降りると、蠕動運動を繰り返すスラスターが見える。


「ふむ、魔力漏れや魔力不足はなさそうだね」


 浮空船が前に進む理由は吸い込んだ空気を圧縮して後ろに押し出すからだ。

 吸い込んだ空気には雲海に含まれる豊富な魔力がある。

 機関室の船員はこの魔力を船上部の水平な車輪や他の機構の動力に変換する。


 つまり、機関室の船員に問題があれば、船の沈没に直結するわけで。

 あまつさえ、少なくとも3人が不調を訴えている。

 機関室の扉の前に到着し、中に入るべきか躊躇した。


「医官! ここです機関室! で、あります!」


「待て、カナリー。独断専行は危ない」


 もしかすると有毒ガスが発生しているかもしれない。


「カナリー看護官。さっきまで機関室にいたの?」


「はい? そうですけど……」


 胸が大きいとは言え、小柄な女の子が無事なら毒ガスの線はなさそうだ。

 ちょっとは安心したけれど、ゆるんだ顔を見られないように髪をいじる。


 キリッと表情を戻して機関室に押し入った。


「具合が悪い奴はどこだ⁉」


 四人の男が詰めており、うち一人は循環機の操作に専念している。

 残りの三人は僕を見るなり、後ろめたそうに目をそらした。

 目をそらした男の一人にパタパタとカナリーが駆け寄る。


「あの、具合はどうですか⁉ 医官が来てくれたので……え? もう大丈夫?」


 僕は不思議そうな顔のカナリーを引き戻した。

 ガスが出ているという状況でもないし、推進装置は問題なさそうだ。


 僕はため息を吐き、片手で小さな円を作って、指の間から男を覗き込む。


「アンタの病は仮病だ」



【仮病】-けびょう

 病人ではないのに病人のふりをすること。



 僕は髪を掻き上げて、カナリーと男を交互に見た。

 カナリーはきょとんとして、僕に向かって愛想笑いを送る。

 男は僕が頷くと観念したように目を伏せた。


「あんまりカナリーをからかわないでやってくれ。まだひよっ子だからな」


 男は驚いた表情を浮かべて僕を二度見した。

 状況をなにも分かってない様子のカナリーに説明する。


「彼らは仕事に疲れてるんだ。労ってあげるといい」


「ねぎらう……でありますか?」


 カナリーは男の手をぎゅっと握って「がんばるであります!」と声をかける。

 男は膝をついて「うおおおお!」と雄叫びを上げた。

 不思議そうに眺めて、カナリーは握手と一言だけで次々と男たちを跪かせる。


 最後に循環機の操作に専念していた男をねぎらうと、船がぐんと進んだ。

 小首をかしげながらカナリーが戻ってくる。


「これでよろしいでありますか?」


「うん、充分だよ。これからもみんなを今みたいに労うといい」


「はいであります!」


 カナリーが小さくジャンプすると、二つの大きな果実がぼよんと揺れる。

 どうやら島に到着するまでだいぶ暇を作れそうだった。


 ん、待てよ。カナリーがいなければ僕が駆り出される必要なかったんじゃ?

 年下の彼女を眺めると、にへらと笑みを向けられる。

 ……確信犯だ!



 ■



 とある世紀末、世界大戦によって大地は人の住める土地ではなくなった。

 新天地を求め、人々は空に浮かぶ島々・ロフトピアへ移り住む。


 旧来の人類は空に対して二つの思い違いをしていた。

 空はエーテルに包まれ、人が生きられるだけの充分な空気と温度があること。

 神の御前に足跡を付けると、天国の門番・ドラゴンと邂逅すること。


 ドラゴンは蜥蜴に似た体躯で、鳥のような翼で空を舞い、人の言葉で警告した。

 種の存続の瀬戸際にいた人類は持ちうる限りの戦力でドラゴンに弓を引く。

 多くの犠牲を出しながら、辛くもドラゴンを退くことができた。


 移民船は落ち、人類の大半は戦死し、文化と文明の多くを失った。

 それでも人類が住む土地を手に入れることができたのだ。

 長い戦いの中で、人類はあるものをもう一つ得た。


 それは、想いを現象に変える力。



 預言者はその力を 魔力 と呼んだ。


 どんな想いも現象に変えられる。

 ただし、力には限度があった。

 魔力の特性はたった3つ。


1.想いを現象に変えるには魔力を消費する。

2.消費した魔力は月の光を浴びることで回復する。

3.魔晶石を食べると魔力の限界が増える。


 それすなわち、魔力が多ければどんな想いも現象に変えられるということ。

 あらゆる願いが叶うかもしれない力は人々を空に駆り立てた。


 ――『「ドラゴン・センチュリー」について』筆・サラテリ学生時代のノート

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