第37話 邂逅
目的地の最寄駅を出た途端、視界が切り替わるのを感じた。この感じはどうやらVRモードに変わったらしい。高性能な視界認識を利用しているのだろう。おそらく、行き交う人も車も実際にそこに動いている人たちだろう。
『ここからは、私がご案内いたします』
そう言って、俺を先導する形で現れたのは、ピコだった。その雰囲気はどこかハルに似ていた。
「ピコ、もう大丈夫なのか?」
『あら? 私はハルですよ? ああ、このモードになると自動的に初期AIのモデルに変更されるんですね。それは、良かった』
目の前の彼女は自分はハルだと名乗り、ピコの姿であることをどこか喜んでいるようだった。
『礼斗さん、ちゃんと付いてきてくださいね。じゃないと、安全は保証できませんから』
ぼーっとしている間に、彼女といくらか距離が開いていたのか、そう呼びかけられた。
それから、彼女の先導に従って、住宅街を歩いていく。路地を右へ左へと曲がりながら10分ほど歩いたころだろうか。ハルは1棟のマンションの前で立ち止まった。
「ここなのか?」
『はい。こちらに主様がお住まいになっている部屋があります。そちらまでご案内いたします』
そういうと、彼女はマンションの中に入った。ここまで来たんだ。そう思い、彼女についていく。AIはエレベーターのボタンが押せないからなのか、何の迷いもなく階段を上がっていく。
「何階なんだ?」
『5階です。エレベーターの方が良かったですか?』
「どちらかというと」
『そうですか。すみません、気が利かなくて』
「別にいいけど……」
姿だけではなく、声までもピコと同じなのだ。いつものあの元気な声色で、ハルらしいお淑やかな喋り方はギャップがある……というよりかは、違和感がものすごい。慣れていないからかもしれないが……。黙々と階段を登っていく。マンションの5階ってこんなにしんどかったか。日頃の運動不足が祟って、そろそろ息が切れてきつつある。そんな俺の様子に気づいたのか、踊り場で立ち止まったハルがこちらを振り返る。
『大丈夫ですか?』
「何とか。あとどれぐらいだ?」
『この踊り場を超えて登り切れば、5階です。もう少しですよ』
「そうか……」
俺は、大きく息を吸うと足を進めた。
突然ハルが立ち止まった。思わずぶつかりそうになる。
「どうした?」
俺が問いかけると、彼女は『こちらです』と答えた。俺は、インターフォンを押す。
『はい』
あ。なんて答えたらいいんだこれ……。考えなしに押してしまった。とりあえず、正直に言ってみるか。
「あ、あのAIに駅からここまで案内されたんですけど……」
『…………』
返事がない。怪しまれたのだろうか。怪しいし、頭がおかしいと思われたのかもしれない。ハルは横でニコニコしているし。助言ぐらいしてくれてもいいんじゃないのか。……あれ? でもまてよ。切られてない?
『ちょっと待ってね、今開けるから』
あ、通じた? これで良かったのか……? まあ、わざわざAIに案内させたんだから、大丈夫だろうとは思ってたけど、良かった。とりあえず頭おかしい人みたいな扱いはされていないらしい。そんなことを考えていると、扉が開いた。
「どうぞ、入って」
部屋の主らしき、男性はそう言った。彼は髪を後ろで一つにまとめ、細い黒ぶちのメガネをかけていた。服装はTシャツに半ズボンといったラフな格好。彼が玄関のドアを開けた時、VRモードが終了した。
「お邪魔します」
そういって、マンションの一室に足を踏み入れた。
整頓され、靴のほとんど出ていない玄関。その中央で俺の目を引いたのは、ヒールのある女性ものの靴だった。
「コーヒー飲める?」
奥から、そんな声が聞こえる。
「はい」
「なら良かった。そんなとこに立ってないで、上がって」
俺は、「失礼します」と声をかけ、靴を脱ぎ家に上がった。部屋に入ったところで見覚えのある後ろ姿に思わず固まる。
「ゆりあさん?」
「え?」
目の前の彼女は椅子に腰掛けたまま俺の方を振り返る。
「その声、礼斗さん?」
「はい」
「二人とも知り合いかい?」
コーヒーをテーブルの上に置きながら彼はそういった。
「そうですよ。ご存知でしょう」
「まさか。私はゆりあちゃんとやりとりしている相手の外見なんて知らないからね。知っているとしたら、アイチップの識別番号ぐらいだよ」
「そうですか」
バチバチと火花が散っていそうな、そんなやりとりだった。
「まあ、とりあえず、座りなよ」
俺は促されるままに、ゆりあさんの隣に腰掛けた。
「ゆりあちゃんは今、VRモードの中にいるから、君のこと見えてないと思うんだよね。君がここまで来た時と同じ状態といえばわかるかな? 今は多分、私以外の他人はその視界に表示されていないはずなんだけど……」
目の前の男性はそう言った。
「そうですね」
男性の言葉にゆりあさんはそう言い放った。
「あの……」
「何だい? 私に答えられる範囲なら何でも答えよう。呼び名が必要なら、私のことはレンと呼ぶといい」
「レンさんですか……」
「ああ」
「俺は、鳶礼斗です。好きに呼んでください」
「じゃあ、礼斗くんと呼ばせてもらおうかな。ゆりあちゃんに習って」
そう言った、レンさんにゆりあさんは怪訝な表情を向けた。
「そんな顔をしていたら、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」
「誰のせいですか」
軽口を叩いたレンさんに、ゆりあさんは取りつく島もないような声色で答える。
「何で、ゆりあさんはここに?」
俺の疑問に二人は口を揃えて「誘拐」と答えた。ハモったことがそんなに嫌だったのか、ゆりあさんは不快そうな視線をレンさんに向ける。こちらに一度も視線を寄越さないところを見るに、俺のことが見えていないのは本当なのだろう。
「誘拐?」
俺は二人の言葉を反復するように聞き返す。
「ああ。いや、何、途中までは彼女の意志だったんだよ」
「そうですね、ここの最寄駅に着くまでは」
最寄り駅まで自分の意志できた? 俺と同じように?
「もしかして、VRモード?」
「正解! いやー。さすがにここまで乗り込んでくるだけのことはあるね」
レンさんは嬉そうにそう言った。
「じゃあ、俺が見えてないっていうのは……」
「そう。今もVRモードが解除されてない」
「礼斗くんは、駅からここに来るまでにAIに何も指示を出さなかったのかい?」
「はい。特に必要もありませんでしたし……」
レンさんは俺の返答に、「信用してるんだね」と言った。
「今、私はVRモードを解除できない状態になってて、この部屋のなかならともかく、外を自由に歩くには視界に制限がかかっていて難しいの」
「具体的にいうと、車とか信号とか、自転車とか他の歩行者が表示されていないのだよね。道と建物しか表示されないから、踏切に突っ込むかもしれないし、車の前に飛び出してしまうかもしれない。そもそも、エレベーターや階段を使って下の階に降りようにも、その場所もわからない。表示されてないからね。だから、彼女はここに監禁されているようなものなのだよ。視界は人間の認識の上で重要な位置を占めているからね」
レンさんは少し嬉しそうな声色で、時折壁の写真と目配せしながらそう言った。AIでもいるのだろうか。
「そういうことでしたか。ゆりあさんのVRモードを解除していただくことは?」
「してもいいけど、そしたら礼斗くんも帰ってしまうだろう? もう少し、話をしようじゃないか。せっかく来てくれたのだから」
レンさんは、俺の要求にそう応えた。
少なくとも、ここに来るまでの俺の目的は、ピコを元に戻してあわよくば例のアドレスによるAI乗っ取りの解除をしてもらうことだった。そしたら、何故かゆりあさんはここにいて、監禁されているのだという。それは、さすがに見過ごせないと思ったのだが……。
「解除していただけたら話をしましょう」
「うーん。話してくれるならそれでもいいけど、君他にも色々要求するつもりだろう? それなら、全部まとめてやったほうが楽な気がするんだよね」
レンさんはそう言った。しばらくは俺の要求を飲む気はない。ということなのだろう。俺は、諦めて彼と話をすることにした。
「それに、ちょうど二人で話す話題も尽きて来たところだったんだよね」
そう言って、彼はゆりあさんの方を見る。2、3日はここにいるということなのだろう。大丈夫なのだろうか……。
「そうですか」俺が彼にそう答えると、彼は頷き、「私から質問してもいいかな」と言った。
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