第32.5話 上原さん


 お祭り会場をぐるりと一周して、気が付くとまた元の駐車場のところまで帰ってきていた。お祭りのメインとなる花火大会まではまたあと少しの時間があり、それを目当てに訪れる地元の人も多いらしく、駐車場にはまだ新しい車が入ってきている。

 新たに駐車場に入ってくる一台の白いワゴン車に四角いブルーのマーク、車いすのマークが自然と目に入ってしまうようになったのはいつのころからだろうか。路肩を歩きながら縁日の二週目に突入しようとするわたしたち二人の視線は、真新しさを失った屋台の列やにおいよりも自然とワゴン車の方に向けられていた。

 駐停車とともに助手席から若い女性が飛び降りた。目つきのやや鋭い、いかにも知的そうな女性だ。わたしたちよりもやや年上、二五、六歳といったところだろう。艶のある黒髪はうしろで一本に束ねており、ストレッチ素材のデニムパンツとコットン生地のベージュのシャツ。袖は二の腕のあたりまでたくし上げられている。後部座席のスライドドアを勢いよく開けて社内に飛び込み、両腕に一つづつ、二台の折りたたまれた車いすを車からおろすとまたすぐに車内に飛び乗った。おそらく車椅子はもっとあるのだろうということが想像できるが、もうそのときすでにわたしと崇さんは言葉を交わすでもなく、それがいつも0の習慣のようにその車の方へと駆け寄っている最中だった。

「手伝います」

 と言ったわたしたちの前には四台の車いす。車内には老齢の方が二人、それに脳性マヒたど思われる比較的に若い障害者の方がいた。直感ではあるが、いずれも自分の力で車いすを動かすのは難しいのではないかという印象を受ける。その若い女性の(おそらく)ヘルパーともうひとり、運転席から四十代くらいの落ち着いた印象の女性のベテランヘルパーも降りてきていたが、それでも二人で四台の車いすを押しながらどうやってこの人ごみの中を移動するつもりだったのかを考えると恐れ入るところだ。

「たすかったわ。あなた達、若いのに随分慣れているのね。同業者?」

 車外で広げた車いすに、わたしと崇さん二人一組で一人づつ乗せていく様子を見ていた、上原と名乗る若いヘルパーはそういった。

「いえ、ただのボランティアで経験があるだけです」

「ふーん、そうか。まあ、なんにせよ、若いのに感心だ」

 見た目の印象では少し怖そうなイメージもあるが、その言葉は素直に優しさがあった。「いや、そこまでしてもらうのは悪いよ。せっかくのデートなんでしょ」と彼女は言ってくれたが、このまま放ってごみに送り込むことを考えると、その方が居心地が悪い。それに縁日だってひと通り見て回った後で花火までの時間をもてあましていただけだ。わたしたちはそのまま車椅子を押して縁日を見て回ることを申し出た。車いす四台で四人、ちょうど人数もいい。

 縁日をまわりながら花火大会の会場となる海岸沿いの防波堤付近までつき、船舶が停泊している付近の最前列のあたりにはもうすでにたくさんの人だかりが所狭しとにぎわっていた。前方はよく見えない。たった大人ならさしつかえもないだろうが、いかんせん車いすに座った状態の障害者の方々はいかがなものだろうかとも思った。周りでは小さな子供を肩車しているお父さんの姿もちらほら見かけるが、まさか私たちが障害者を肩車するわけにもいかないだろう。その時、ひとだかりの最後尾あたりにいた誰かが「おい」と周りに小さな声を掛け、その小さな掛け声は人だかりの何人かを振り返らせ、わたしたちの押している車いすの前にまっすぐと一本の通路が出来上がった。周りにお礼を言いながらその通路を車いすを押して通って行く。最前列まで来ると車いすを横一列に並べた。すごく見晴らしのいい、まさに絶景ポイントだった。そして車いすの後には十分すぎるほどの広いスペースがあり、そこでわたしたちは悠々とした恩恵を預かることになった。

「役得よね」

 わたしの耳元で上原さんが言った。

「なんだか申し訳ないわ」

「ううん、そんなことない。神様からのご褒美よ」

 上原さんが目尻に皺を寄せてほほ笑んだ。


震災以来、大船戸祭りの花火大会の前には会場となる海にたくさんの行灯が流されるようになった。海に流されていく行燈のかがり火は宵闇に沈んでいく大海原へと旅立っていく。果たしてそれは津波とともに流されていった人々に届ける想いか、それともがれきの下敷きとなってさまよい続けた御霊の道しるべか…… そして沖へと流れ行くかがり火がまるで天国へ上っていくかのように、海の上に大きな花火が打ち上げられた。次々と打ち上げられる大輪の轟音が振動となって全身を震わせる。空を見上げるわたしの手を突然崇さんが強く握った。

「いたい……」

 かすれるような声で小さくつぶやいたが響く轟音で崇さんには聞こえなかったらしい。見上げる崇さんの顔は赤や黄色、緑色へと次々に移り変わっていく。その頬がキラキラと光って見えるのは花火の光の反射のせいか、あるいは……

 わたしはそれを見ないであげることにした。そして握られた手を強く握り返す。その時、奈緒がここにいるとかいないとか、そんなことは一切頭をよぎらなかった。


 一通り花火が終わり、会場から人が少し減ってくるまでしばらくその場にいた。花火終了直後の、人の流れの多いタイミングをやり過ごすためだ。その間、上原さんは色々な話をしてくれた。なぜヘルパーの仕事をするようになったのかをわたしが聞くと、「因果なものよねえ」と彼女はせつなそうに言った。

 今から十年前、震災があったのは彼女が高校生の時だった。せっかく入学した地元の名門校ではあったが、施設のほとんどは津波に流され、避難所で暮らす生活は名門校どころか授業さえロクに受けることはできなかった。それ以前に避難生活の日々の中で、いい大学に進学していい就職先を見つけて――。という彼女の中の絶対的な価値観が揺らぎ始めていた。

 高校を卒業――、とはいえ、実際そのほとんどは授業らしい授業をしたような記憶もないのだが、(実際、授業自体は執り行われてはいたのだが、彼女の中で授業に集中するという気持ちにはなれなかったということもある)大学に進学する気持ちはすっかりなくなってしまっていた。突如目的を失った彼女の目の前には就職という現実があったのだが、その時にヘルパーという仕事を選んだのには昔のあるきっかけがあったという。

 彼女は中学生時代、クラスに障害を持った生徒がいたらしい。そしてその生徒の身の回りの世話を率先して行った。それは確かな善意などではなく、そうすることによって自分が偽善者として周りからよく見られたいということがあったという。

 しかしながら、そこでの経験が奇しくもその技量につながっていた。災害時、皆で率先して行ったボランティアの時、同世代のどの子よりも車いすの扱いがうまく、そのことが原因で周りのボランティアやヘルパーの人たちから一目置かれるようになり、ボランティア活動の時にもチームリーダーに選ばれていた。その時に人から期待される、信頼される喜びを覚えた。そしてその記憶がヘルパーという仕事を選択させるきっかけになったらしい。

 元来は善意などではなかった障害者へのケアが将来の自分の職業につながった事実に上原さんは『因果よねえ』と言ったのだ。

 そう言って――。昔を思い出すように一度目を瞑り、目を開けた。

「ふふふ、因果というより、呪いかもしれないわねえ」

「呪い?」

「そう、あの時の彼、まだおこってるかなあ、もう忘れちゃってるかも…… もう、生きてなどいないかもしれないけれど……」

 なまあたたかい潮風に硫黄のにおいが混じり、鼻先をくすぐる。罪悪感が映る上原さんの瞳に、〝もしかして〟という気持ちがおきる。


 もしかしてその同級生というのは――。


 わたしがなにかを言い出そうとした時、崇さんはそっと私の手を強く握った。おそらく『それ以上言わなくていい』という意味なのだと思い、喉元まで出かかっていた言葉を飲みこんだ。

 あの崇さんの手記を見る限り、あの時点で崇さんはおそらく伏見さんの過去の思い出話を聞いていたのだろうし、その時点で崇さんが上原さんの正体が誰であったのかについて、ほぼ確信的なものがあったのだろう。その上あえてわたしにそのことを言わせないようにしたのはなぜだろう。そこには男同士でしかわからない何かがあったのかもしれない。

 しかしながら、こんなところでこうして上原さんに私たちが出会ってしまったということ、それは今から思えばやはり因果なのだろう。


 ――あるいは呪いかもしれない。

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