二人の黒歴史

 俺は一旦立ち上がり二杯目のコーヒーを持ってくると再び席へと戻った。まだ次の講義の時間までしばらくあるのでゆっくり話ができるだろう。三上翔子はそわそわしながら俺が戻ってくるのを待っている。身長高いわりに挙動が小動物っぽくて可愛い。早くお弁当を食べれば良いのに、と俺は思いながら椅子に座った。


「おまたせです。えっと、もともと古條さんとの初コンタクトはネット上なんです。俺がブログをやっていて、古條さんが俺の読者だったんですよ。初めて古條さんから書き込みがあったのは俺がまだ高校生の時でしたね」


「へぇ、赤坂君としずくってそんな前からの知り合いだったんだ」


「まぁ、実際に会ったのは大学入った後ですけれどね。古條さんのコメントで俺の家からそう遠くない場所に住んでいるのは知っていたんですけれど、大学が一緒になったのは本当に偶々です」


「で、一体どんなブログを書いていたのかな?」


「フツーの日記です。どこどこへ行ったとか料理を作りました、とかそういう日常的な出来事を淡々とあげてましたね」


「それでしずくが赤坂君に興味を持った、と」


「なんか彼女、俺のことを女の子だと思っていたらしいですよ。まぁ、性別に関してははっきりと明言はしてなかったから不思議ではないですけどね。別にネカマやっていたわけではないですが、しょっちゅう料理を作っては写真をアップしていたので女の子と思われても仕方がなかったですね」


「なるほど」


「ところで三上さんは古條さんのハンドルネームって知ってますか? いわゆる、ネット上の古條さんのあだ名みたいなものなんですけど」


「いえ、全く。LINEの名前も本名なのでちょっと分からないかな」


「古條さんが当時使っていたハンドルネームは『おぱんつ博士』ですよ」


 俺が古條しずくの黒歴史に触れると、


「か、可愛い!」


 三上翔子はグゥにした両手を口元に当てながらそう叫んだ。

 俺は『何その反応、お前の方が可愛いよ』と言いたい気持ちをグッと堪えた。


 可愛いか? おぱんつ博士だぞ。

 もしかしたらコイツは古條しずくがやる事ならなんだって良いんじゃないだろうか? おぱんつ博士ってどう考えても頭おかしい。明らかに欲望丸出しだし変態ロリコンオヤジの名前だろう。


 三上翔子は古條しずくが名乗っていたというだけで可愛いと感じたのではないだろうか? 賭けても良いけれど、もし俺のハンドルネームがおぱんつ博士だったら三上翔子は今みたいに可愛いとは言ってくれなかったぞ。


「で、当然、俺は俺で彼女の事は男性だと思ったわけですよ」


「でもどうして。おぱんつ博士だけでは男性とは限らないでしょう?」


「もちろん、そうです。けれども何度もセクハラコメント残していくし、コメント欄でしょっちゅう俺を口説こうとするし、男だと思うのは当たり前じゃないですか」


「え、赤坂君、しずくに口説かれたの?」


「ええ、まぁネット上ですけれどね」


「えっと、それっていつの話?」


「う~ん俺がブログを開設したのが高校二年の頃だから、だいたい四、五年前の話でしょうか」


「赤坂君、それ本当?」


 切れるナイフのような眼光で三上翔子は俺を睨んだ。

 美人が怒った顔は本当に怖いので正直止めていただきたい。

 明石涼子の時にも思ったけれども、美人は敵に回したくないのです。


「お願いですから俺を睨まないで。まぁ、そこは諦めて下さい。もともと古條さんってそういう人じゃないですか」


 沸々とした怒りを露にする三上翔子を俺は冷静な口調で宥めた。

 彼女の怒りの理由ははっきりしていた。古條しずくと三上翔子は高校二年生の頃から付き合っていると聞いている。つまり古條しずくは三上翔子という恋人がいながら、当時の俺を口説いていたことになるのだ。


「古條さんって可愛い女の子がいれば見境なく口説くでしょう? つまり、俺もその犠牲になったということです」


「しずくちゃん、なんてことを……」


 三上翔子は愛しい人が犯した殺人現場に偶然居合わせてしまった恋人みたいに言った。


「しかもね、アイツの残していくコメントがまた酷いんですよ。

『キミの秘蔵おぱんつを食べたい』とか『キミの食べ残しをパクパクできたら俺は幸せになれるのに』とか『美味しそうな料理だね。でもきっとキミのアレの方がもっと美味しいんだろうね』とかね。なかなかに強烈な変態エロオヤジっぷりでしたよ」


 俺は赤ちゃんプレイをバラされた腹いせとばかりにアイツの黒歴史をどんどん公開していった。こうして思い出してみると、アイツとんでもない奴だな。


「ねぇ、キミはどうして自分が男性だと伝えなかったの?」


「ネット上では性別不明ってことにしておきたかったのが理由の一つです。でも、一応おぱんつ博士には『もし俺が男だったらどうするつもりなんですか?』って聞いたことはあるんですよ」


「で、その質問に彼女はなんて答えたのかな」


「う~ん、とても言いづらいのですが。まぁ、原文ママで言いますと『仮にキミが男の子だったとしても、キミのオチンチンならペロペロしても私は一向に構わんッ!』でしたね」


「し、しずくちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん……」


 三上翔子はまるで自分の黒歴史が暴かれたみたいに顔を真っ赤にして悶えた。


 まぁ、そうなる気持ちは分かる。自分の恋人がド変態野郎だと知ったらショックに決まっている。三上翔子の場合は盲目的と呼べるくらい古條しずくが大好きなので、そのぶんだけ今の話はダメージが大きいだろう。しかも三上翔子はレズビアンだ。恋人である古條しずくが『オチンチンを舐めても良い』という趣旨のコメントをしたというのは衝撃的だったに違いない。


 三上翔子は涙目になって真っ赤な顔をしていた。

 背中をプルプルと怯える小動物みたいに震わせている姿は、庇護欲と加虐欲を同時にそそる素晴らしい光景だった。可愛がりつつもイジメたくなる、そういう姿なのだ。


 いいね、三上さん。あなたのその顔が見たかった!


 そんな不埒なことを考えながら俺は羞恥に悶える彼女の顔を堪能していた。我ながら俺もずいぶんと度し難い。古條しずくもこうなることを分かっていて俺に話をさせているのだ。なかなか良い取引を持ち掛けてきたものだと思う。


 今の話を聞かされても『しずくちゃんがそんなコト言うはずがないっ!』と言い返さないあたり、三上翔子も古條しずくならそれがあり得ることを良く知っているのだ。


「でも正直言えば、お互い楽しんでいましたよ。おぱんつ博士はしょっちゅうセクハラ発言をしますけど、基本的にマナーは良かったんで読者としては悪い人ではなかったんです。俺もまぁ、俺が男だと知らずにオッサン哀れだなぁ~、ってネカマ的な楽しさを味わっていたのは事実ですし」


「それが、どうして実際に会うって話になったの?」


「俺が大学に合格したことをブログで報告したら、しばらくして同じ大学に通っているので会いたいって向こうから言ってきたんですよ。正直、俺は同い年くらいだとは思っていなかったので結構驚きました。まぁ会う気になったのはその頃になると付き合いも長いですし、いつまでも俺を女の子と勘違いさせたままなのは可哀想かなって思ったから…… と、いうのは真っ赤な嘘です。本当は俺を男だと知って愕然とする野郎の顔を見て見たかったんですよ」


「で、実際会ってみた、と。どうだったの?」


「初めて会った時の古條さんの第一声は今でも覚えてますよ」


 俺がそう言うと、二人の会話に入るタイミングを窺っていたのだろう。

 颯爽とやって来て後ろから俺たちの会話に割って入る人物がいた。


「たしか『ブルータス、お前もか』だったね」


 古條しずく本人が黒髪をなびかせながら当たり前のように俺の隣の椅子に座った。カウンター席なら恋人の隣に座るのが普通なのに、わざわざ俺の隣に座ったのはお怒りモードの三上翔子を隔てる壁役が必要だったからだろう。


「しずくちゃん…… 聞いたよ?」


 怒りのあまりおどろおどろし口調になった三上翔子の言葉を受けながら古條しずくは平然としていた。平然としているどころかむしろ愉快そうだ。あえて彼女の態度を言葉にするのなら『怒ったキミの顔も素敵だよ』といったところだろう。


「まぁ、なんだ。若き日の過ちというヤツだよ。私も反省しているんだ。これはアレだ。時効ということで許してくれないか」


 そう言う古條しずくの様子からは全く反省の色は見られなかった。俺に言わせればそれは先天的に罪悪感が皆無の凶悪犯が裁判の時に口にする、反省しています、と同じくらいの信憑性しかなかった。しかしそんな軽薄な言葉に耳を貸してしまう甘ちゃんもいるのだ。三上翔子は頬を膨らませつつ、


「絶対だよ。もう絶対そんなことしないってボクに誓うなら許してあげる」と言った。


 チョロイなこの人……

 痴呆の初期症状が出始めた金持ちの老人をオレオレ詐欺で騙すよりチョロイぞ。


 三上翔子にとって恋人が古條しずくだったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。彼女は間違いなく、駄目な男や悪い男に騙されたり利用されたりしてボロボロになっていくタイプだ。古條しずくは外道ではあるが、致命的に人を傷つけたりするタイプではない。もし付き合っているのが悪い男だったら、とても可哀想なことになっていただろう。


「しかしキミも嘘は良くないな。私が赤坂を女性だと勘違いしたのは料理の写真を載せていたからだけじゃないぞ。だってキミは……」


「わ~わ~、やめて下さい。それは俺にとっても黒歴史なんです」


「ははは、良いじゃないか。お互い、もう時効だよ」


「えっ、何それ。ちょっと気になる」


 古條しずくの言葉に三上翔子が興味を示してしまった。


「ふふ、コイツな。ブログで恋愛小説を書いていたんだ。しかも盲目の少女が主人公のかなり乙女チックな18禁の恋愛小説だ」


「古條さん。いくらあなたでもぶっ飛ばしますよ?」


 自分の黒歴史をほじくり返されたら堪らないと俺はかなり本気の口調で古條しずくを脅迫した。さすがにこれ以上はヤバいと思ったのか古條しずくは両手をあげて降参のポーズをとる。


「分かった、分かったからそう怒るな。まったく、私の可愛い紫音ちゃんは何処へ行ってしまったのか……」


 古條しずくはさらりと俺が名乗っていたハンドルネームを暴露しつつそう嘆いた。


「おい、これ以上は本当に許さんぞおぱんつ博士」


「むぅ、紫音ちゃん。昔みたいに仲良くしようじゃないか」


 おぱんつ博士は可愛い子ぶって口を尖らせたが俺の心には響かなかった。そんな俺たちを古條しずくは心底羨ましそうな視線で視ていた。


「う~、そうなんだ。赤坂君はそんなにもしずくと昔から仲良くしてたんだ」


「いや、してないからね。コイツが一方的に迫ってきて、俺がハイハイってあしらっていただけだからね」


「そうなんだよ、翔子。赤坂はその頃からハイハイが上手だったんだ」


 古條しずくは俺の赤ちゃんプレイのことを茶化して言った。

 くそぅ、上手いこと皮肉りやがって……


「赤坂君…… ハイハイが上手だなんて可愛いっ!」


「アンタもたいがいズレてるよね……」


 目を輝かせた三上翔子に俺は呆れ気味にツッコミを入れた。


「まぁ、ブログを読んでいたから私は赤坂の執筆能力は知っていたわけだ。だから私たちのサークルの脚本家を頼んだのさ。赤坂の文章力はそこそこだが妄想力には光るものがあるからね」


 それは褒めているのか貶しているのか判断に迷う表現だった。

 どうやら俺の不満が表情に出ていたらしく古條しずくはフォローするように付け加えた。


「私たちの作品があれだけ売れているのは赤坂の力があってこそだよ。翔子も感謝するんだぞ。彼がいなければ私たちはいつまで経っても弱小サークルのままだったはずだ」


「うん、感謝してる。赤坂君、ありがとう。これからもよろしくね」


「いえ、こちらこそよろしくお願いします」


 三上翔子の幼い少女みたいに純粋な眼差しでお礼を言われた俺はあっさりと機嫌を取り戻した。三上翔子ほど可愛い女性にそんな風に言われたら男なら誰だってそうなる。我ながら人のことを言えないほどチョロイがこれは仕方がない。


「それで二人に相談なんだが。実はそろそろ新作を作ろうと思っているんだ。前回『年下ママンとの甘いあま~い赤ちゃんプレイ』があれだけ売れている以上、私たちのサークルは今回も同じジャンルに挑戦したいと考えている。つまり、赤ちゃんプレイというジャンルにおいてサークルの地位を固めておきたいんだよ」


 古條しずくはサークルの次なる戦略についてそう語った。

 戦略としては妥当だ。下手に別ジャンルに手を出して前回の作品で獲得したファンを手放すという愚は犯したくない。別ジャンルに移行する前にきっちり前回獲得した多くのファンの信頼を『作品』ではなく『サークル』の信頼へと変えておきたいのだ。


「ふむ…… なるほど」と俺は相槌を打った。


 三上翔子は何も言わずにうっとりとした表情で古條しずくの言葉を聞いている。古條しずくを神聖視している三上翔子が彼女の意見に反対することはない。

 実質、サークルの方針は古條しずくの一存でほとんどが決まる。大まかな方針を古條しずくが決定し、俺と古條しずくが意見を出し合ってその内容を調整していくという形で進められる。


「もちろん、今回も脚本家として赤坂には活躍をしてもらいたい。そこで、キミにはもっともっと赤ちゃんプレイを体験してもらって作品のクオリティーを深めてもらう必要性がある」


 既に嫌な予感しかしない。

 俺は古條しずくが何を言いたいのか既にだいたい分かっていたが一応尋ねた。


「えっと、一体何が言いたいんですか古條さん?」


「そこでだね。もし必要なら私と翔子が君の赤ちゃんプレイの勉強に協力してあげても良い、ということだよ。キミにはもっと赤ちゃんプレイを学んでもらって脚本家としてその見識を深めてもらう必要性があるからね」


 なるほど、よく分かった。

 古條しずくが三上翔子に赤ちゃんプレイの一件を話したのは、この話を切り出すためだったらしい。趣味と実益を兼ねた古條しずくらしい策略といえた。


 だが、甘い。


 三上翔子に膝枕してもらってバブバブはかなり魅力的な提案だったが、易々と古條しずくの手の平で踊らされるのも癪だ。それに、たとえ研修名目であったとしても古條しずくと三上翔子にバブバブしたという事実が雛姫や明石涼子に知れたら、何が起こるか分かったものではない。俺は即座にその提案を蹴ることに決めた。


「いや、結構です。赤ちゃんプレイの相手には現状まったく不足しておりませんので」


 不本意ながら、その発言には一切の嘘偽りはなかった。

 今すぐ雛姫に『部屋に来てボクちゃんを慰めて欲しいでちゅ』とLINEでメッセージを送れば雛姫は迷うことなく俺の部屋にやって来て俺のママンになってくれるだろう。


 なんなら、今夜にでもお隣の部屋の扉を叩いて『明石ママン、今夜はボクちゃんをたっぷり甘やかしてくだちゃい』と言ってみても良い。直行で俺を天国のような膝へと連れて行ってくれるはずだ。


「赤坂君って本当に赤ちゃんプレイが好きなんだね……」


「赤ちゃんプレイの相手に不足していないって、キミは全くなんていう上級者だ……」


 憐れむような二人の瞳が俺を見ていた。

 本当に不本意なのだが、俺には二人の言葉を否定できなかった。

 気が付けば俺は大人の階段なのか子供の階段なのか、その判断に困る赤ちゃんプレイの道のりを着実に昇り始めていた。



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