義妹ママ VS 後輩ママ③

 雛姫は立ち上がると席の移動を開始。

 俺の隣へやってきた雛姫はなかなか俺から離れない明石涼子に対してテーブルの向かい側を指して「あなたはこっち」と言った。


 明石涼子は渋々立ち上がると席を移動して監視カメラのカバー役を引き受ける。

 そして雛姫は俺の隣に仁王立ちになると見下ろすようにして俺をジトッとした目で見た。

 悪戯を現行犯で見つけられた幼稚園児のような気分で俺が怯えていると、雛姫は俺の顎に手を当てると顔を近づけて唇、両頬、額、唇の順番でキスをした。


「んなっ、あなたさっきキス禁止って自分から!」


 雛姫の不意打ちのキスに俺が反応するよりも先に明石涼子から抗議が入った。

 雛姫は姿勢を起こすと悠然とした雰囲気を纏いながら明石涼子にこう言った。


「私はお兄ちゃんにキスしたのであって、赤ちゃんにキスしたんじゃありませんから。だって、まだ涼子さんは開始って言ってないじゃないですか?」


「ぐぬぬっ…… はい開始、試合開始っ!」

 明石涼子は苦渋の表情で早々に試合開始を告げた。


 格闘技で例えるならそれは試合開始のゴングがなる前に相手に殴りかかるような暴挙だった。俺はあまりの不意打ちに頭が真っ白になったまま反応ができないでいた。明石涼子にプレイ中にキスされた時よりも雛姫にキスをされた時の方が衝撃的だった。義妹とはいえ妹とキスをしてしまったのだから俺の混乱は当然だろう。


 なんてことだ、妹とキスをしてしまった……


 俺が呆けたように視線を雛姫に向けると、雛姫は頭を寝かせるように自分の膝をポンポンと叩いた。混乱状態の俺は雛姫に誘われるままに頭を膝に乗せた。


 とても柔らかい膝枕だった。温かくて優しい膝だった。

 自分用にわざわざカスタマイズした枕なのではないかと思えるような、しっくりとくる柔らかさだ。ああこれは懐かしくて馴染み深い、幼少の頃に親しんだ膝枕と同じだ。その素晴らしい癒し効果に俺は一瞬で赤ちゃんへと退行した。


「ば、ばぶぅぅぅぅぅっっ!」


 即効性の母性が俺の身体をあっという間に支配した。

 麻薬を打たれたと言われたら素直に信じてしまうほどの陶酔にも似た多幸感だ。

 その即効性と威力を麻雀の役っぽく例えるなら

 バブリー、一発、赤チャン、平和といったところだろう。


 まるで魔法の膝枕だ。

 俺は気が付けば雛姫の太ももを撫でていた。

 成人男性が女子高生の太ももを撫でている姿は犯罪的な気もするが、今は赤ちゃんだから問題ない。何も問題ないのだ。


 雛姫は太ももに夢中になる俺の姿を満足気に微笑んだ。

 そして慈しむようにして俺の頭を優しく撫でた。


「ん~、イイ子でちゅね~。ぎゅ~ってしてあげまちゅよ~」


 雛姫は俺の上体を起こすと母親譲りのその巨乳で俺の顔を優しく包んだ。なんという母性。明石涼子の時とは違ってちゃんと下着の感触はするが、頬には十分な柔らかさと温かさが伝わってくる。


 おっぱいとは…… おっぱいとはこれほど素晴らしいものだったのか!

 柔らかくて暖かいこの安心感の正体。これが母性というものなのだろう。

 おっぱいには母性が一杯詰まっていて、それが赤ちゃんを安心させてくれるのだ。


 完全に赤ちゃんになりきっていた俺は雛姫の大きな谷間に頭を埋めながらも、不思議といやらしい気持ちにはなったりはしなかった。それは癒しというよりも、もはや救いだった。柔らかな二つの肉玉に顔を埋めた俺の心は救済されていたのだ。


 気づけば自ら両手を雛姫の背中に回して木に捕まるコアラのように抱きついていた。

 もちろん、コアラのように、といってもそのキモさは某プロ野球球団の公式マスコットキャラの比ではないだろう。成人男性がバブバブ言いながら女子高生に抱き着いているのだ。その異様な光景は客観的に見れば壮絶なものがあった。凄まじくヤバい絵面だった。


 その様子を目の当たりにした明石涼子は自身の失態に気が付いてぐっと唇をかみしめた。

 赤ちゃんプレイに関しては先攻よりも後攻の方が有利なのだ。

 赤ちゃん役の理性が残ったままで躊躇いがちな先攻と比べて、既に理性が曖昧になった後攻の方がプレイへの没頭感が違ってくるという事実に明石涼子は今更ながら気が付いたのだった。


「はい、イイ子でちゅね~。ママが赤ちゃんにご褒美をあげまちゅからね~」


 雛姫はそう言ってハンドバックから何かを取り出すと、テーブルの上で何やらゴソゴソと作業を始めた。


「あ、あなた、そ、それは!」


 その作業を眺めていた明石涼子は完全に狼狽していた。

 雛姫はそれを手に持ってニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべると、俺に向かってではなく明石涼子に対して言った。


「反則、にはならないですよね?」


 雛姫が手に持ったそれは哺乳瓶だった。

 中には白い液体が入っており、俺はすぐにそれがカルピスだと悟った。

 どうやら試合が始まる前から準備を進めていたのは明石涼子だけではなかったようだ。雛姫が自分用と思わせてドリンクバーから持ってきたカルピスは哺乳瓶にいれる疑似ミルクとして用意したものだったのだ。


 そして雛姫が哺乳瓶を持っていたという事実は俺をある確信へと至らせた。

 それは雛姫が今日のデートを迎えるにあたって最初からそのつもりだった、という確信だ。もともと、俺たちは天馬荘へ戻る流れになっていたのだ。つまり、雛姫はその時のために予め哺乳瓶を用意していたことになる。


「はい、赤ちゃん。目を瞑ってくだちゃいね~」


 雛姫がそう言ったので素直に従うと両頬が柔らかな胸の感触に包まれた。そして、しばらくすると口の中に哺乳瓶の先端が入ってきた。


「よくできまちたね~。これをママのおっぱいだと思ってチューチューしまちょうね~」


 シリコンゴムで出来た哺乳瓶の乳首は実によく出来ていた。目を瞑ってゴクゴクと吸ってみると本当に雛姫ママのおっぱいを飲んでいるような気分になる。日本の企業努力と技術の進歩がこんな些細な部分にまでしっかりと反映されている証拠だった。

 哺乳瓶の乳首と本物の乳首で赤ちゃんを混乱させないための企業努力。その事業努力が思わぬ方向性で大成功を収めていた。

 もちろん、企業側としては不本意極まりない大成功に違いない。


 こ、これはすごい。本物みたいだ。

 しかも甘い。当たり前だ、中身はカルピスなのだから。


 俺は哺乳瓶をチュ~チュ~吸うという行為にまるで本物の赤ちゃんみたいに没頭していた。雛姫は俺が一生懸命になって哺乳瓶を吸っていると時折、頭を優しく撫でてくれた。こうして撫でられていると次第に赤ちゃんに戻ってしまったような感覚が襲ってくる。


「ば、ばぶぅ~、ごきゅごきゅ…… ば、ばぶぅ」


 あ、アレ、なんだか…… 涙が……

 何故だか分からないが涙が溢れてきた。泣きたくないのに自然と涙がとめどなく溢れてきたのだ。最初、その理由は分からなかった。訳も分からず泣いていた。実際の赤ちゃんなら特に理由もなく泣くこともあるかもしれない。けれども大人である俺が理由もなく泣くようなことがあるだろうか?


「ば、ばぶぅぅぅぅ」


 俺の頭を撫でていた雛姫に動揺が走ったのが伝わってきた。

 不思議なもので目を瞑っていても母親の動揺というのは赤ちゃんに伝わるものなのだ。

 雛姫は本能的に優しくギュッと俺の頭を抱くと撫でるスピードを速めた。


 しかし、撫でられれば撫でられるほど涙が大雨の日の川のように増えていくのだ。

 知っている、と俺は思った。俺はこの感触を知っている。俺はこんな風に抱かれたことを覚えている。きっと、赤ちゃんの頃じゃない。あれはもう少し成長した後の……


『ねぇ、和君。お父さんをよろしくね。あの人は和君よりもだらしない所があるから、和君がしっかりしてくれると嬉しいな』


 母さんの声が聞こえた気がした。

 病室のベッドの上で俺を抱き寄せてそう言った母が生きていた頃の最後の記憶。痩せこけて骨ばった母の身体はそれでも暖かくて優しかったのを覚えている。あの時、俺はあれからどうしたのだろう? 母に抱かれたまま寝てしまったのだろうか。よく覚えていない。俺が覚えているのはその言葉と今はっきりと思い出した母に抱かれた感触だけだ。


 長い間ずっと忘れていたことを思い出した俺は、おぎゃぁ、と泣いた。大人が泣くようにではなく赤ん坊のように『おぎゃぁ』と泣いたのはそれをプレイの一環と誤魔化すための俺の浅はかな知恵だったのか、それとも赤ちゃんに戻りたいという俺の潜在意識の表れだったのか。とにかく、俺は雛姫に抱かれたまま赤ん坊のように泣いていた。


 母が残した大切な言葉を今まで忘れていたことがショックだった。

 だが母に抱かれた最後の記憶を思い出すことができた恍惚にも似た喜びがあった。

 ここに母がいるような錯覚。本当の母はここにはいないという悲しみと実感。

 それらが俺の心の深い部分から揺さぶっていた。


 色々な感覚と感情が交ざり合って俺の心の中を駆け巡っていた。奇妙な感覚だった。俺が目にしているのは記憶の中の過去なのか、それとも現実世界の今なのか。いまいち時間の感覚がつかめない。目を開けると母によく似た雛姫の姿があるのだ。視界が涙で滲んでいる分だけ余計にそう思える。若いころの母はきっと今の雛姫と同じような容姿だったに違いない。

 だって、母にそっくりな美奈子さんに似た娘なのだ。母に似ていて当たり前だ。


「お、おぎゃぁぁぁぁぁぁぁ、おんぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 俺の姿はきっと酷く無様なことだろう。

 だが、俺は泣かずにはいられなかった。自分の思考とは関係のない所から俺は泣くように指示されていた。そうするべきだなのだ、と俺の中の何かがそう教えていた。


「ぼ、ボクちゃん、ど、どうしたの?」


 雛姫の動揺した声が聞こえた。俺は雛姫に抱き着いた。まるで溺れた人間が助けに来た誰かにギュッとしがみつくように。その異様さがプレイを逸脱したものだと理解した雛姫は叫ぶように言った。


「ボクちゃん、どうしたの? ねぇ大丈夫? お兄ちゃん、ねぇ、ねぇってばぁ!」


 雛姫の呼び方がボクちゃんからお兄ちゃんへと変わった。

 その瞬間、号泣スイッチがオフになったみたいにパッと涙が止まった。そうだ、俺は雛姫の兄なのだ。しっかりしなくてはいけない。俺は急に冷静になった。お兄ちゃんと呼ばれることで、赤ちゃんから雛姫の兄へと切り替わったのだ。


「まだ、持ち時間は残っているけれどどうやらここまでね」


 明石涼子の冷静な声が聞こえた。

 雛姫はコクリと頷いてその言葉に同意を示した。これ以上は俺への負担が大きいというそういう判断だったのだろう。


 雛姫は俺が泣き止んだのを見てホッしたような表情をすると、おしぼりを差し出してきた。どうやらこれで涙に濡れた顔を拭けということらしい。


 ありがとう、と俺はお礼を言って上半身を起こして椅子に座った。

「悪い、母さんのことを思い出してた」と雛姫に謝る。


 雛姫はとても申し訳なさそうな顔をしていた。


「そう。もしかして私、悪い事しちゃったのかな?」


「いや。雛姫は悪くないし、実のところ悪くなかったよ。なんだかすごく大切なことに再び出会えたみたいな、そんな気がする」


「そう。なら、いいんだけれど」


 雛姫は曖昧な調子でそう言った。本気で泣き叫ぶ俺の姿がよほど異様だったのだろう。雛姫はずいぶんと俺の調子を心配しているようだった。


 俺の頭はまだ混乱していたが、その混乱は不思議と心地よかった。

 その混乱をいつまでも覚えていたいと感じていた。その混乱を忘れ去ってしまうのは何だか悲しいことに思えたのだ。そこには忘れてはいけない大切な何かがあった。


「この勝負は…… 無効試合かしら……」


 明石涼子がそう言うと、俺と雛姫はこくりと頷いた。

 雛樹と明石涼子の決闘は勝者なしということで決着がついた。

 だが、俺にとっては実りの多い無効試合だった。

 この二人の決闘の中でもっとも多くのものを得られたのは間違いなく俺だっただろう。




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