義妹ママ VS 後輩ママ①

 夜の繁華街を歩く俺の右腕には雛姫の腕が組まれており、左腕には明石涼子の腕が組まれていた。うら若き乙女の二人が俺を挟む形で腕を組んでいる、という状況だ。


 タイプは異なるが雛姫も明石涼子も魅力的な女性だ。

 小動物的な可愛らしさ溢れる雛姫は誰から見ても可愛い美少女だ。

そして健康的な小麦色の肌と鍛えられたしなやかな肢体を有した明石涼子も相当な美人であることは疑いようもなかった。


 両手に花とはまさにこの事だろう。

だから道をすれ違う見知らぬ男たちは美少女二人を侍らす俺に向かって嫉妬に満ちた視線を送っていた…… というような事は全然なかった。


 なぜならば俺は二人に挟まれたまま死んだ魚のような目をして項垂れており、どちらかといえば痴漢容疑で駅員室へと強制連行される容疑者のようにしか見えなかったからだ。

 よって俺へと向けられる視線は『この男は一体何をやらかしたんだろう?』という不審者を見るソレであり、客観的にも羨ましい状況とは言えなかったのだ。


 俺は絞首台の階段をあがるような気分で二人に導かれるまま歩いていた。

 カラオケに向かっているという話だが、どう考えても和気あいあいと歌で勝負を決めましょう、という雰囲気ではなさそうなのだ。


 雛姫は俺の肘にしがみついたまま親の仇を見るような目で明石涼子を睨みつけており、明石涼子はその視線を氷の女王さながらの不敵な笑みでいなしていた。

 その二人の静かなる激闘に挟まれた俺は委縮するしかない。戦々恐々とした気分で恐ろしい嵐が過ぎ去るのを大人しく待っていた。


「ついたわ」


 明石涼子の声がして俺が顔をあげるとそこにはカラオケの有名チェーン店があった。三階建ての建物でエントランスに置かれた青い看板には料金表が提示されていた。灰色の外壁はどことなく要塞のように厳めしいが、店内は明るくて誰にでも入りやすそうな雰囲気だった。


 明石涼子はようやく俺から腕を放すと慣れた様子でカウンターへと歩いていき、受付を済ませた。リモコンとおしぼりの入ったプラスチックのカゴを受け取った明石涼子は、こっち、と言って俺たちを二階の角部屋へと案内した。俺たちは黙って明石涼子に従う。


 階段を昇っている途中で顔がパンで出来たヒーローのテーマ曲を全力で歌う女性の声が聞こえてきた。オペラ歌手のような独特な歌い方で子供ではなく大人の女性の声だ。とても力強い歌声なのだが、逆に何か辛い事でもあったのではないかと心配になる。


 不思議と耳に残る感情のこもった歌い方だった。

 成人女性にだって全力であのテーマ曲を歌いたくなる瞬間がある、という気持ちが伝わって来て俺は強い共感を抱いた。きっとこの女性にとってそれは密かな楽しみであると同時にそれが救いなのだ。そうでなければあんな歌い方にはならない。


 密室というのは自分を曝け出すことができる空間だ。

 成人女性が公衆の場であのテーマ曲を全力で歌いだしたら十分に奇行だが、密室ならばそんな奇行もこのように許容されている。密室とは元来そういう場所であるうえ、ここは歌う事に特化した場なのだから当然だろう。何を歌っていても文句は言われないし、いきなりJASRACがやってきて「お金を払ってくださいね」と言われることもない。著作権料ならすでにカラオケ店が払っているからだ。


 カラオケ店というのは造りがなんだかエッチなホテルと似ていると俺は思う。狭い通路にたくさんの部屋。そして色々と発散する場という共通点もある。

 密室で行われる行為の内容は全く違っているが方向性は同じなのかもしれない。


 誰にも邪魔されない空間というのはとても大切なものなのだ。

 何をしていても外部には知られることのない空間。誰にも干渉されない空間。

 そういう空間というのは己の欲望と向き合うのには最適な場所だからだ。


 このストレス社会において発散を必要としない現代人はいない。

 発散を適切に行うことは現代人に求められる必須スキルなのだ。

 それができない人間はかなり生きづらい人生を歩むことになる。

 発散できない『何か』は逃げ道を求めるがやがて行き場を失う。

 適切に発散しておかないとその『何か』はいずれ爆発を起こす。


 ちゃんと密室を選んだうえパンがヒーローのテーマ曲を全力で歌うこの女性は、こうして歌声を聞いているとちょっと変人っぽく思える。しかしながらその力強い歌声は、彼女がちゃんと適切な発散の方法を知っている真人間である証拠でもあるのだ。




 無意識のうちに女性の歌声に耳を傾けて階段でふと立ち止まっていた俺に雛姫は、

「お兄ちゃん、どうしたの?」と聞いた。


「なぁ、雛姫…… 俺って真人間だよな?」


 あまりにも唐突な俺の発言に雛姫は眉間に皺を寄せた。

 そして拗ねたような口調でこう言った。


「誰の膝の上でもバブバブする大人赤ちゃんを真人間とは言わないと思う」


「雛姫、アレは誤解なんだ。好きでこんなことになったわけじゃない」


 言い訳をする俺の瞳を雛姫は見定めるようにじっと見つめた。まるで俺の目を見ればその言葉が真実か否か分かると確信をしているみたいに。しばらく見つめ合ったあと、雛姫は数秒間だけ目を閉じて目線を明石涼子の方へ向けた。


「まぁ、それならそれで良いんだよ。でもあの人とは決着をつけなくちゃいけない」


 明石涼子は208号室の扉の前に立つと扉を開けたままそこで俺たちを待っていた。

 どうやらカラオケルームという密室の中で決闘が行われるらしい。


 確かに密室は誰にも邪魔されずに自由になれる空間だ。

 だが、同時に何が行われても表沙汰にはなりにくい空間でもある。しかも複数人でいる場合は自由になれる場所ではなく、自分が自由にされる場所になる危険性も孕んでいるのだ。実際に、多くの凶悪犯罪は密室で行われている。


 可愛い女子高生と美人な女子大生と一緒にカラオケルームで三人。

 こういった状況でなければ素直に喜べるはずなのだが、今の俺はどちらかといえば無理矢理にヤクザの事務所に連れていかれた一般人みたいな気分だった。

 もちろん暴力沙汰にはならないはずだが、碌なことにならない予感しかしない。


 俺たちは208号室へと入るとL字に並んだ赤いソファーに座った。

 ソファーは八人分くらいのスペースはあるのに二人とも俺を挟む形で密着するように座っている。


 明石涼子は手に持っていたプラスチックのカゴをテーブルに置いて、中からリモコンを取り出すと室内に流れていたBGMの音量を小さくした。


「ドリンクバーへ行くけど二人とも何飲む?」と明石涼子は俺たちに聞いた。


「えっと、じゃあ俺はウーロン茶で」と俺は答えて、


「自分で行くから大丈夫です」と雛姫は答えた。


 明石涼子と雛姫が同時に席を立ちそのまま部屋から出て行った。

 残された俺は手持無沙汰にリモコン画面を弄って過去履歴を眺めた。


 色々な人が色々な曲を歌っていた。選曲の内容で前に来ていた客のだいたいの世代が推測できた。邦楽が好きな人もいれば、洋楽が好きな人もいた。ジャニーズを歌う人もいれば、アニソンやボーカロイド曲を中心に歌っているグループもあった。ただひたすら同じグループの曲を歌っている人もいれば、色々なジャンルの曲を幅広く歌っている人もいた。


 大勢の人たちがここに来て、これほど多くの曲を歌っているのかと思うとなんだか不思議な気分になる。リモコン履歴は100曲しか残されていないが、その何百倍、何千倍もの曲がここで歌われたはずだ。世の中には膨大な数の曲が存在しており、それを歌いたいという人たちが数多く存在しているのだ。歌にはそれだけの需要があり供給もあるということだ。


 しばらくリモコンを弄っていると二人が戻ってきた。

 雛姫が俺のウーロン茶は持ってきてくれたらしく、雛姫はそれを俺の前に置いた。

 雛姫はカルピス、明石涼子はメロンソーダを自分用に持ってきていた。


「さて、それでは早速ですが始めましょうか」と明石涼子が言った。


「ええ、始めてしまいましょう」と雛姫がそれに答えた。


 始まるって、一体何が始まるというのだろう。

 俺は不安げな表情のまま二人の顔を交互に見つめた。

 そして、嫌な予感を抱きつつ恐る恐る尋ねてみた。


「な、なぁ。一体、二人は何をするつもりなんだ?」


「先輩、そんなの決まっているじゃないですか」

明石涼子はサキュバスのように妖しげな笑みを浮かべた。


「そうだよ、そんなの決まっているよ」

 雛姫は可愛らしい肉食動物みたいに獰猛な笑みを浮かべた。


「どちらの方がお兄ちゃんのママに相応しいか二人で対決するんだよ」


「そう、どちらが先輩をより癒すことができるのか。そういう勝負なのです」


 つまり、俺のママンの座を賭けた勝負をするということらしい。


 どうやら、いつの間にか俺の立場が勝負の賞品として賭けられていたようだ。イカれたメロスとかいう馬鹿の都合で本人の知らない間に勝手に命を賭けられていたセリヌンティウスの気持ちを俺は今、初めて理解できた気がした。


         義妹ママ VS 後輩ママ


 そんな夢のようでもあり、そのまま夢であって欲しかった対決の幕が切って落とされようとしていた。





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