埋め合わせデート


 あれから一週間の間、俺自身は平和な日々が続いた。

 平和な日々というのは赤ちゃんプレイとは無縁のいつも通りの日常という意味だ。明石涼子は共犯者として赤ちゃんプレイの事を噂するようなことはしなかったし、古條しずくとはお互いに色々と弱みを握っている関係なので彼女の口から話が漏れることはないだろう。


 一時は死んだかと思ったが今も俺は社会的に生きていた。

 霊長類の長たる社会的動物のヒトとして、人としての尊厳を失うことなく何とか無事に生きていた。人としての尊厳というものは、人と人の間に生きる、人間。すなわち社会に生きる者にとっては生命線だ。尊厳を失くしたまま生きていくなら、きっと社会的動物である必要はないのだ。


 社会にとって性癖というのは難しい問題だ。

 社会が価値観の多様性を認めてそれを許容することは実のところかなり難しい。


「バブバブ~。ママー、ママー、おっぱいちょうだぃ~」


 などと、ほざく成人男性が真っ当な社会人として認識されるかと言えばどう考えても無理だ。だから人は性癖を隠す。性癖を隠すということは大っぴらに言えないということだ。そして多くの人が性癖を隠すから性癖を大っぴらに言えない社会が出来上がる。


 なんて世知辛いのだろう?

 寛容の心を失った社会の中で俺たちは窮屈に生きていくしかないのだ。その窮屈さはストレスとなって現代人を蝕んでいる。蝕まれた心は抑圧されたまま解放を求めてくすぶっているに違いない。


 目まぐるしく変化していく街の喧騒の中で俺はふとそんな事を考えていた。

 携帯電話を耳に当てながら誰もいない空間にお辞儀をしている営業マンらしき男性を眺めながらコーヒーカップを口に運んだ。もし携帯電話が発明されていない時代の人があの営業マンの姿を目にしたらきっと気が狂った精神病患者だと思うだろう。


 街には他にも忙しそうな社会人が大勢いた。

 大学生というモラトリアムを満喫している俺は大学近くのカフェテリアで雛姫が来るのを待っていた。引っ越しのお礼と前回の埋め合わせの意味も兼ねて、彼女を夕食に誘ったのだ。


 可愛い妹が来るのを待ちながら一生懸命に働いている人たちを横目に飲むコーヒーは控え目に言って最高だった。謎の優越感がある。彼等とは異なるゆったりした時間の流れを生きているような気がして、なんだか気分はブルジョワジー。俺はそんな屈折した優越感に浸っていた。


「お兄ちゃん、お待たせ」


 声が聞こえて顔を向けると淡褐色のタートルワンピースを着た雛姫が立っていた。雛姫は前髪を赤いヘアピンで左側に寄せて、額に流れる細くて整った眉を見せている。身体のラインがはっきりとするワンピースを雛姫が着ると、服の上からお椀型の大きな胸がその存在をはっきりと主張していた。雛姫の母である美奈子さん、つまり俺の義理の母にあたる人物のDNAを色濃く受け継いでいるのが良く分かる。


 雛姫は母親似なのだろう。美人の美奈子さんをそのまま幼くしたような顔をしていた。目元がくりっと大きく可愛らしい。身長は154㎝でやや小柄なため人懐っこい小動物のような印象だ。


「ああ、ありがと、よく来てくれたね」


「お兄ちゃんの奢りだもん、そりゃ~無理してでも来るよ。“If I were a bird, I would fly to you” というヤツだよ」


 高校三年生の受験生らしい言葉で雛姫は俺のお誘いを歓迎した。

 あれから俺と雛姫はメールのやり取りは何度かしていたけれども、こうして実際に会うのはあの日以来になる。

 実のところ、少し気恥ずかしい。この天使のような雛姫の膝枕でバブバブしていたのかと思うと、俺は視線を泳がせたままなかなか彼女と目を合わせられないでいた。目の前の女の子が雛姫ではなく古條しずくだったら「キミ、さては童貞君だね」と言われていたかもしれない。でも、もちろん雛姫はそんなこと言わない。天使のような外見の雛姫は中身までちゃんと天使なのだ。


「ねぇ、お兄ちゃん。今日はどこへ連れて行ってくれるの?」


「イタリアンだよ。前々から気になっていたお店なのだけれど、どうにも男一人では入りづらくてね。雛姫が付き合ってくれると助かるんだ」


「いいね~、イタリアン。アツアツのピッツァが食べたい気分かも」


 雛姫は左手で頬を抑えてうっとりとした表情になる。まだ何も食べていないのに既に美味しい物を口にした顔になっている。とても幸せそうだ。雛姫が嬉しそうにしていると俺も心が温かくなってくる。


 しばらく歩いて到着したのはレストラン「アルモニア」

 洋風の一軒家といった雰囲気で入口までの地面は大小さまざまな形の石畳が敷かれていた。入口は古めかしい赤褐色の木製で観音開きのアーチドアになっている。数年前に建てられたばかりのお店だが百年前からあったと言われても驚かないだろう。建物からはヨーロッパのノスタルジックな雰囲気を感じることができた。


 店内へ入ってみればテーブルは八割がた客で埋まっており、BGMにはクラシック音楽が流れていた。俺が間違っていなければドッビュッシーの月の光だろう。各テーブルの中心にはキャンドルが立てられており、たくさんの火がゆらゆらと揺れ動いていた。


「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」


 ブラックのフォーマルベストを着たウェイトレスが尋ねたので、俺は「二人です」と二本の指を立てた。俺たちはすぐに窓際の席に案内された。着席すると黒い楽譜台紙のようなメニューを渡されたので、俺はそれを雛姫に回した。メニューを開いた雛姫はしばらく眺めたあと難しそうな顔をして言った。


「お兄ちゃん、ここ大丈夫なの?」


「大丈夫って、何が?」


 そんな変な店か?と疑問に思い首を傾げた俺に、雛姫は「高そうじゃない?」と付け足した。雛姫が心配することではないのだが確かに少しだけ高い。けれども法外かと言えばそうでもないだろう。単純に雛姫は大学生の俺にとって財布に痛くないだろうかと心配してくれているのだ。


「問題ないよ。以前も言ったと思うけれど臨時収入が入ったんだ。遠慮はしなくていいよ」


 臨時収入とはもちろん『年下ママンとの甘いあま~い赤ちゃんプレイ』のシナリオを書いた報酬のことだった。年下ママンを売って稼いだお金で義妹ママンに貢ぐわけである。そう表現するととても犯罪的だが、年下ママンは非実在美少女なので全然犯罪ではない。

 ちなみに義妹ママンも響きが犯罪的だし実在美少女なので微妙なラインだが、雛姫は高校生だがすでに十八歳なのでセーフだ。色々とセーフなのだと俺は主張したい。


 飲み物は俺がペリエを頼んで、雛姫はウーロン茶を注文した。

 注文の時、ペリエをカクテルの一種だと勘違いした雛姫は「お酒飲むの?」と尋ねたが、ペリエは炭酸水だよと教えてあげると少し恥ずかしそうにして「そ、そうなんだ」と言った。


 メインで注文した『バジルとモッツァレラチーズのピッツァ』と『アンチョビとバジルのトマトパスタ』は二人で分け合いながら食べた。二つの大皿を分け合う俺たちの姿は傍目からはきっと恋人同士に見えることだろう。

 しばらく俺たちは美味しいイタリアン料理を黙々と食べていたが、しばらくすると雛姫は食事の手を止めて口を開いた。


「ねぇお兄ちゃん。気になっていたんだけどあれから大丈夫だったの?」


「あれからっていうと、あの話だよね」


「そう、あの話だよ。ごめんね、お兄ちゃんあ~ゆ~のが好きなのかと思って調子にのっちゃった。まぁ、私は楽しかったけれどね。あれからお隣さんと大変だったんじゃない?」


 雛姫の言った通り、それはもう大変だった。

 大変だったがその具体的な内容を雛姫に話すわけにはいかない。バブバブの芽を摘みに行ったのに、バブバブの芽が二つに増えてしまった事の顛末まではさすがに話せない。


『雛姫の膝枕の上で甘えていた二時間後にはお隣さんの膝枕の上で甘えていたんだよ』


 などと馬鹿正直に言おうものなら雛姫の俺への印象は最悪なものへと変わるだろう。今のところ恋人同士というわけではないので浮気とは違うような気もするが、どうにも後ろめたいのはやましい気持ちがあるからだろう。やらしい気持ちも少しはあったからだろう。


「まぁ何とかしたよ。大変といえば大変だったけど、社会的には死なずに済んだ」


「そっか、なら良かった。そういえば一つ聞きたかったんだけどさ。どうしてお隣さんが引っ越したばかりのお兄ちゃんの携帯番号を知っていたのかな?」


 雛姫はピッツァを千切りながら何気ない感じで俺に尋ねた。

 あまりにも雛姫の様子が何気なかったので、俺は特に警戒もすることなくその質問に答える。


「ああ、彼女は大学陸上部の後輩なんだよ」


 俺がそう答えると雛姫は美味しそうにピッツァを食べていた手をピタッと止めた。


「彼女…… その人は女性なの?」


「ん、ああ。まぁそうだね」


「どんな人なの、お兄ちゃんとは仲良いの?」


「ま、まぁ普通の友達だよ。仲は悪くないけど特別良いというわけではない、と思う」


 俺は雛姫から目を逸らしつつそう答えた。確かにあの日までは特別仲が良いというわけではなかった。あの時点なら嘘ではなかっただろう。だが、あの日からぐっと距離が近くなった。俺は明石涼子の膝枕でバブバブと甘えて彼女の人差し指をチュパチュパと舐めた。女性の膝枕で成人男性が女性の指をおしゃぶりに見立ててチュパチュパとしゃぶる。それを一般的には普通ではなくアブノーマルというのだ。


 雛姫は俺の微妙な言葉尻を捕らえるとボソっと言った。


「と思う……ね」


 ニコニコした笑顔なのだが雛姫の目だけが笑っていない。彼女の態度には嫉妬の気配が色濃く表れていた。雛姫が俺に寄せている好意を知っている以上、さすがの俺もそれに気が付かないほど鈍感ではなかった。


 まずい、と思いつつも俺は嫉妬する雛姫を可愛いと感じた。三上さんをわざと怒らせる古條しずくの気持ちも何となく分かる。だって、嫉妬する女の子は可愛いのだ。

 しかしいくら可愛いといっても、嫉妬の炎への対応方法まで古條しずくの真似をするわけにはいかない。アイツはわざと炎に油を注ぐ。もちろん、俺にその度胸はない。


「その人って綺麗なの?」


「一般的には綺麗だと思う。でも雛姫の方が100倍くらい可愛いかな」


 俺は雛姫に芽生えた嫉妬の炎を全力で鎮火するべく保身に走った。我が身の可愛さに火のついた油に対して全力で水をぶっかける選択肢を選んだのだ。

 でも気を付けよう。火が付いてしまった油に水をかけてはいけない。なぜならば、高温の油に水を入れると…… 爆発するのだ。


             ボンッ


 雛姫の顔が大爆発を起こした。それは水蒸気爆発というレベルを通り越して、もはやビックバンだった。俺は人の顔がこれほど一瞬で真っ赤になる瞬間を初めて目の当たりにした。雛姫は言葉を失ったまま半開きの口をあうあうと小刻みに震わせている。


 どうやら俺はやりすぎたらしい。気が付けば俺は無自覚に雛姫を口説いていた。そんな反応をされると俺の方も恥ずかしくなってくる。


「お、お、お、お、お、おにいちゃん?」


「な、なに?」


「あ、あ、あの、いまの、ほんと?」


「あ、ああ、うん。」


               ボンッ


 小規模爆発がまた起きた。頭から湯気がでているから今度こそ水蒸気爆発だろう。完熟したトマトみたいに真っ赤な顔を俯かせたまま雛姫はもじもじしている。なに、なにこの可愛い生物。こんな可愛い生き物が俺の義理の妹だなんて人生捨てたもんじゃねぇな。もしできれば俺の部屋で飼ってあげたい。飼って毎日頭を撫でていたい。

 俺はちょっと危ないことを考えながら雛姫に視線を向けた。


 雛姫は目玉をクルクルと回しながらニヤケ顔で大混乱に陥っている。

 言いくるめるタイミングは今しかないと思った俺は、この状況から畳みかけるべく口撃を開始する。どうやら明石涼子との一件以来、俺は交渉術を確立しつつあるらしい。それは自分へのダメージすら顧みず一点突破で活路を見出す、自爆交渉術だ。


「お隣さんとは色々あったけれど、雛姫が心配することは何もないよ。だって雛姫より可愛い女の子、俺見たことないし」

「お、お兄ちゃん。止めて。恥ずかしくて死ぬから」


 うん、正直俺も恥ずかしい。しかしどうやら目的は達成しつつあった。もう雛姫の中では明石涼子のことはどうでも良い話題になっているはずだ。

 雛姫はしばらくテーブルに突っ伏して悶えていたが、しばらくして突然立ち上がると「ちょっと、お花を摘み」と言い残して行ってしまった。戦略的撤退、というやつだろう。


 一人テーブルに取り残された俺は雛姫の姿を目で追いながら、グラスのペリエを一口飲んだ。お花を摘む、という表現に雛姫の育ちの良さを感じる。可愛らしい表現だ。雛姫なら本当に綺麗な花を持ってきてくれるかもしれない。


 そういえば古條しずくは地元で有名なお嬢様ばかりが通う女子高に通っていたそうだが、そこでは小さい方のことは『お花摘み』と表現し、大きい方は『バラを伐採』と表現していたらしい。

 その話を聞かされた時は話の内容よりも、古條しずくがお嬢様高校出身だったことの方が衝撃的だった。だが冷静に考えてみれば中身がオッサンなのにお嬢様高校に通っていたというより、中身がオッサンだからお嬢様高校に通っていたのだろう。美女の皮を被ったオッサンにとってお嬢様ばかりの環境は天国だったに違いない。


 そんなくだらない事を考えていると雛姫が戻ってきた。


「お待たせです」


 ふたたび着席した雛姫の顔は先ほどと比べて若干赤みが引いていた。まだ少し頬が桃色になっているが、どうやら会話できるまでは立て直したらしい。


「まったくもう。お兄ちゃんがいきなり変なこと言い出すからびっくりしちゃったよ」


 雛姫は非難じみた口調で言うものの、口元が緩んでいた。なんだかんだ、可愛いと言われたのが嬉しかったのだろう。俺はさらに『変なことじゃない。俺は心からそう思っているよ』と言おうかと迷ったが先ほどのやり取りの繰り返しになりそうな気がしてやめた。


「ごめんごめん、ほらピッツァが冷めちゃうよ」


「うん、そだね」


 しばらくの間、お互いに黙って食事の続きをした。

 料理は少し冷めていたが十分に美味しかった。

 二つの大皿が空っぽになるとすぐにウェイトレスがやって来てお皿を下げていった。それから三分もしないうちにデザートと食後のコーヒーが運ばれてきて俺たちの目の前に置かれた。


「こちらは洋ナシの赤ワイン煮です」


 赤ワインがたっぷりとしみ込んで赤紫色をした洋ナシにバニラアイスが添えられていた。ワインの芳醇な香りと洋ナシの甘い匂いが合わさって凄く美味しそうだ。


 雛姫は一口食べると、んん~~~~~~っっ、と頬に手を当てて唸るような声をだした。本当に頬っぺたが落ちてしまいそうなリアクションだった。


 俺も一口食べてみた。

 良く煮込まれた洋ナシのシャクとした柔らかな触感がなんとも心地いい。噛んだ瞬間に、果汁と赤ワインの合わさった汁の甘さが口いっぱいに広がり、口全体へとその旨みがしみ込んでいくようだった。アルコールは抜けているはずだが、仄かに残るその痕跡が繊細な味を引き立てている。添えられたバニラアイスと一緒に食べると、アイスの甘さと冷たさが洋ナシとよく馴染んで舌を喜ばせた。


 洋ナシの赤ワイン煮というのは初めて食べたが、あまりの美味しさに思わず感動してしまった。今度ネットで作り方を調べて作ってみよう、と俺は思う。雛姫が気に入ったのなら今度作ってあげよう。きっと喜ぶだろう。


 素晴らしいデザートの合間にコーヒーを飲んで一息つくと俺は今年、受験生である雛姫に状況を聞いてみた。


「なぁ、受験勉強は捗ってるか?」


「ん~、頑張ってはいるよ。模試でも志望校はB判定だったからあと一歩かな。絶対に受かりたいからね~」


「そうか。今日は、受験生を捕まえてちょっと悪いことしちゃったかな?」


 高校三年生にとって時間は砂漠における水のように貴重だ。

 本当は勉強をしなくてはいけないのに付き合わせてしまったことを軽く謝った。


 すると雛姫は小悪魔的な笑みを浮かべて「耳かして」と言った。

 俺が特に警戒することもなくテーブルを挟んで左耳を雛姫に向けると彼女はこんな風に囁いたのだった。


「先週は女子高生を捕まえてもっと悪いことしたでしょ?」


 そう言うと雛姫は最後に俺の耳を甘噛みした。

 先ほどの意趣返しのつもりだろう。


 背筋にゾクゾクッとしたものを感じて身体を元の状態へ戻すと、雛姫は例のCDを見つけてサディステックに脅迫してきた時と同じ目をしていた。天使だった雛姫はいつの間にか小悪魔モードになっている。雛姫は攻められると弱いけれども、攻める時はとても大胆になるのだ。攻めに転じてとても大胆になった雛姫がそこにいた。


 直感的に雛姫が俺を誘っていることが分かった。

 具体的な言葉を言わなくても、もう一度バブバブしてあげるよ、お兄ちゃん? そんな風に雛姫の目が語っているのが分かる。冗談めかした雰囲気ではない。目は口程に物を言う、というのは本当なのだ。


 俺はなんだか妙な世界に迷い込んだ気分だった。視界がグラッついて妙な引力を感じた。抵抗する気力が失われていた。いや、そうではない。俺は抵抗したくないのだ。


 ルナティックという単語を思い出して俺は思わず窓から空を見上げた。あれから一週間経った。今が満月のはずはない。見上げると夜空には下弦の月がほっかり浮かんでいた。月は俺を見下ろして嘲笑っているように見えた。あれはきっと俺を嗤っている神様の口だ。


 きっと、このことだろう。これが古條しずくの言っていた回路というヤツだろう。

『性的なコミットメントってのは一度行えば経験として回路ができるんだよ』と古條しずくは言っていた。


 俺たち二人の間には既に赤ちゃんプレイ用の回路が確立しているのだ。


 回路とは勝手に一方的なものだと勘違いしていたが、冷静に考えればそうではないことに気が付く。俺の方に赤ちゃんプレイ用の回路が確立すれば、同時に俺と一緒にプレイした雛姫だって回路ができているのは当然ではないか。

 自転車と一緒なのだ。一度やり方を覚えてしまえば、二度目は簡単。


 俺は雛姫の誘惑に抗うべく言葉を探した。

 必死に頭を回転させて小悪魔の誘惑に対処すべく選んだ言葉はこれだった。


「受験勉強はしなくて大丈夫なのかい?」


 俺は精一杯、妹の受験を案じる真っ当な兄を演じてそう言ったつもりだった。

 しかしこの時点で俺はもう真っ当ですらなかったのだ。だって、表面上の会話が成立していないことにすら俺は気が付いていない。


『先週は女子高生を捕まえてもっと悪いことしたでしょ?』という言葉に対して

『受験勉強はしなくて大丈夫なのかい?』と応じているのだ。


 それはまるで受験勉強が大丈夫なら部屋に来て良いよ、と言っているようにしか聞こえないではないか。


「勉強は十分にしているよ。それに、もっとモチベーションが欲しい」


 表面上の会話は成立していなくとも、雛姫との会話は成立していた。雛姫がちゃんと成立させていた。


「モチベーション?」


「うん、私の志望校ってお兄ちゃんと同じ大学でしょ」


「そ、そういえば、そうだったね」


「だから、お兄ちゃんと同じ大学に通いたい、っていうパワーがあればもっと頑張れると思うんだよね」


 雛姫は上目遣いに俺を見ながらそう言った。

 遠回しに、だから先週みたいなことしましょう、と雛姫は言っていた。


 これ以上の抵抗は不可能だった。小悪魔モードの雛姫に勝つことはできない。これは初めから勝敗の決まっているゲームなのだ。俺がゲームに参加の意思を示した時点で、俺はもう雛姫に負けていた。当たり前だろう。俺が雛姫に負けることを望んでいたのだから。


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