第7話『カフィと赤い石』
「やっぱりそうだ。さっきはありがとよ。噴水が止まってから通りの掃除も大変だったんだ」
気安くテーブルに手をつくと、のぞき込むように腰を屈める。
あ、とカフィが声を上げた。
「一番前で見てたおにーさんじゃん。何か用?」
おおかた公演前の顔見せで知り合ったのだろうとセレジェイはあたりをつける。カフィは育った土地柄なれているのか、酔漢に動じた様子もない。何故か少しとがった声に、男は情けなく開いた口元を引き締めた。
「いやその、あんまりスゴかったもんで、さっき出しそびれちまってよ。これ、受け取ってくれねえか?」
男の背後、二つ向こうのテーブルでドッと囃すような笑いが起こる。座っているのは同じくらいの若い男たちで、雰囲気から仲間だろうと知れた。
差し出された武骨な手にカフィは目をぱちくりさせて、それから面白がるように掲げた手をひらひらと泳がせる。
「え~、どうしよっかなぁ。おにーさん、あたしのことチビって言わなかった?」
「い、言った、言ったが。悪かった!」
男が過剰なまでに力んで頭を下げると、カフィはじゃあ、と言ってまんざらでもなさそうに差し出された手に顔を寄せた。
「わあっ。あれ、これ……」
開いた手にあったのは大ぶりな胡桃の実ほどの赤い石。
じぃ、と目をすがめたカフィの変化に気付かない男はふっと胸を張る。
「スゲェだろ、今日俺が掘り出したばかりさ。このデカさの紅玉は五年に一度も出るもんじゃね――」
「――トサカ石」
ぼそっと呟いたカフィの声にぎくりと男が口上を止める。
「だよね?」
確認を求められてセレジェイはろくに見もせずに頷いた。さっき実物を見せているし何より。
「だろうさ。踊りひとつでその大きさのルビイを貰うなら、よほどの
ちぇ、と唇をとがらせてカフィは、腹いせのように得意気な笑みを男へ向けた。
「で~? おにーさん、この石、あたしにくれるの?」
偽物と割れた時点で、男の当初の目論見はほぼ潰えている。後ろの爆笑をうっとおしげに睨みつけながら、男は自棄になったように声を荒げた。
「クソ……あー、持ってけ持ってけ! 最近はこればっかり採れやがる。かえってせいせいすらぁ!」
「ふ~ん、そうなんだー……じゃぁ、ね、おにーさん」
ついと男のシャツの裾を引いて見上げると、カフィは自身のローブの前を開く。そしてそのまま、薄い胸を覆う帯に指をひっかけて隙間を作った。
「そのプレゼント、おにーさんに入れてほしいナ?」
「ぅなあっ!」「ふわぁ……」「あら」「おおー……」
その大胆な媚態に男のみならずテーブルの全員が息をのんだ。ちょうど男を壁にして、彼の仲間たちからは何が起きているのか分からないようにしているのも巧みだ。
不機嫌だった男は一転、聖職者のように気真面目な表情で褐色の柔肌から目を背けた。だが貴石をつまんだ指だけはぶるぶると震えながらその隙間へと差し伸ばされていた。
「や~ん、ありがとー」
「い、い、いいってことよ! ガンバレよ嬢ちゃん! は、は、は、は!」
真っ赤になって言葉もしどろに席へ戻っていく男を笑顔で見送ってから、カフィは乳帯から取り出したそれを掲げて得意気な顔をする。
「へっへぇ、どんなもん――」
「カフィ! そういう真似をするんじゃないと言ってるだろう!」
終止渋面だったセレジェイが叱ると、それはすぐにぶすっとした不満顔に早変わりした。
「んだよ、別にいいだろ減るもんじゃなし。肌を惜しむ女はその日暮らしって言うだろ?」
カフィは聖手国領にある貧民窟の生まれだ。そこの環境は劣悪で、子どもといえど食い扶持を稼がなければ生きてはいけない。セレジェイは彼女を拾った時のことを思い出しつつも、厳しい表情を崩さなかった。
「俺たちは色を売って稼ぎを得るわけじゃない。お前が軽はずみなことをすれば他の踊り子までそういう目で見られる。マーガレッタはともかくエマなんかは危険だ」
「ちょっと、どうして私くしはともかくなんです?」
遮ったマーガレッタにセレジェイはぞんざいに答えた。
「お前は何をどう迫られようが一喝して蹴り飛ばして終わりだろ。逆にエマは何かの拍子にころっといきそうだ」
「あなたが私くしをどう見ているかよーく分かりましたわ!」
「何よころっとってぇ、どうしてそんな可愛くないこと言うのセレはぁ?」
眉間の谷を深くするマーガレッタに、珍しく大きな声で詰め寄るエマ。それから逃れるようぐっと身を乗り出して、セレジェイはカフィに目線を合わせた。
「それに何より、お前自身が安く見られる。そんなことは許さん」
「なん、あ、たしなんて、そんな大したモンじゃ……」
逃げ場を探すように目をさまよわせたカフィが、再度こちらを見るまで待って言い聞かせる。
「分かっていないなら頭に染み込ませろ。お前は美しい。手足も、心根もだ。それは他の誰に望むべくもないもので、だから俺は選んだ。もうお前の価値は、自分一人で決めるものじゃない」
言葉を重ねるたびに小さな肩がますます縮んていくようだった。
「へっ、変態野郎、ほ、本当のこと言うんじゃねえよ。……こんな時だけ」
強がっているのは言葉面だけで、うつむいた顔は不安げにテーブルとセレジェイを行き来している。
「あぁー……僕も多分あれにやられたんですねーって傍目に見るだけでも恥ずかしいぅぅあぁ……」
「わー、セレジェイさん、物語の皇子様みたい」
モニカが何かを思い出したように突っ伏し、ラピスが興味津々に見守るのを無視してセレジェイは弁を振るう。
「輝きが強いほどくもりも目につく。伸びると思えば厳しくもする。どんな宝石を積まれようが俺はお前を手放す気はないし、安易に見世物にもしない。いいか」
カフィは何か反論するようにきっと顔を上げて口を開くも、先にあった眼差しに気圧されるように再びうつむいた。
「あ、ぅ、ふ……ぅん……」
最終的にこくりと頷いた頭に手を伸ばそうとしてセレジェイは、はたと気付いてそれを引っ込める。何食わぬ顔で座ったその隣で、エマがふわりと微笑んでいた。
「すごいわぁセレ。いつの間にかすっかりお師さんに似て溶かし上手になってー」
溶かし上手、というのはセレジェイたちの師のあだ名の一つだ。人は生きているだけで日々いろいろな凝りを抱える。肉体の疲労であれ心の病であれ。他人のそういう凝り固まりを溶かせるような人となり。
「……褒められてるように聞こえないな」
「褒めてないもの」
すっと真顔になるのは恐いからやめてほしい、と言おうか否かセレジェイが迷ったとき。
徐々に部屋の明かりが落ちつつあった。
「ヒュウ、大将ー!」
さっきの若者たちのテーブルから歓声が上がる。
「大将……?」
片眉を上げたマーガレッタの声を道連れにするように、壁にかかったランプの最後の一つが、柄付きのカップを被せられ消えた。
暗闇となったホールに、シュルシュルと衣擦れのような音が響く。セレジェイは方角から、最奥のステージ背部に巡らされたカーテンだろうとあたりをつけた。
案の定、ステージにだけ明かりが灯る。光源に覆いをかけて光を絞っているようだ。Ω型に張り出したステージの中央は神秘的なほどまばゆかった。
「なんだ、あれは……!?」
だが、セレジェイが声を上げたのはそこではない。光でくりぬかれたステージの、かすかな余光に照らされた向こう側。
椅子が一脚、こちらを背にして置かれていた。
カーテンの引き払われた奥の壁に向けて。そうまさしく、壁のごときその楽器に向かって。
――広がった鍵盤は、巨人の歯列のように見えた。大人が両腕を広げてもまだ足りないであろうその裏側から無数に伸びるのは、鈍色の管。天井を突き抜けてそびえたつそれらは、太さや長さを変えながら鍵盤の両脇一面に広がっていた。
「パイプオルガン……! こんな辺境に……?」
信じられない、といった調子でマーガレッタがつぶやいた。
風妖精の力で音の異なる金管を吹き鳴らすパイプオルガンは、ラウルス共和国が先進する精霊学とガウェンの工業技術が合わさって生まれた文明力の結晶ともいうべき品だ。発明自体はもう十数年前に遡るが、その巨大さと生産費用、さらには宗教的な問題も絡んで実際に作られたのは数十基という希少なものだった。
「王都の聖人廟にあるのと同じくらいか」
「そう、ですわね。大きさだけなら」
中央大聖堂のそれほど巨大ではないが、十分規格外だ。昔、マーガレッタが誕生日にプレゼントされて持て余していたがそれは部屋の暖炉と同じくらいの大きさだった。
(あれはただの光背じゃなくパイプの一部か……)
壁一面に張り付いた放射状の模様を眺め、ぼんやりと考える。不意打ちのごときその威容に圧倒されて考えが働かない。ともすれば、それを狙った演出なのかもしれなかった。
拍手が前列から波の立つように打ち寄せる。
光の幕へ目を凝らすと、舞台袖から出てくる影が二人。一人は一礼してパイプオルガンにつき、もう一人は舞台中央へと進み出る。襟首の縁がレースになった詰め襟のシャツに灰黒の上着を重ねたその姿はまさしく。
「あらあの人……さっき広場で真ん中にいた……?」
エマが声を潜める。サトラン神父だった。両手で薄い銀の水盆を捧げ持ち、三度、向きを変えて目礼する。拍手がさらに大きくなった。
サトランは二歩前へ進みステージの手前側へ水盆を置くと、取り出した木の葉を一枚そこへ浮かべる。そしてもう一度正面へ礼をした後、左の肋骨の下あたりへと手のひらを当てた。
「おい、まさか……」
セレジェイが言うのとホール全体に響くほどの呼吸音とは同時だった。
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