まつろわぬ踊り一座のト書き

みやこ留芽

第1話『緑の幌馬車』


「久しく立ち寄らないあいだに、この国は煙臭くなったね」


 石造りの病室。豪奢なベッドと窓さえなければ独房と変わらないであろう空間に野花を飾りながら、世捨て人然とした男は言った。

 深緑のローブと、魔術師のごとき円錐帽。肩幅と背丈の他は窺えない体つきは、姿勢の良い老人にも痩せぎすな女にも見える。


「おまけにセレ、君はそんなことになっている。いや、それはさしたる問題ではないのだが、母君のことは残念だった」


 セレ、とローブの男は相手を呼んだ。そう彼を呼ぶのももはやこの男ひとり。この時点では、まだ。


「君を逃がそう、教え子セレ。ここにいては殺されるのを待つだけだ。さて行き先だが、どんな場所がいい?」


 そこで初めて、一方へ流れきりだった言葉に返事がある。ベッドで身を起こした少年はそれをひどく厭世的に吐き出した。


「……生涯争うことも、愛することもない場所へ」


 魔術師は幼子の夢でも聞くかのように、いい加減かつ微笑ましげに頷いた。


「なるほど、しかしそれは君次第だよセレ。人の道はどこであれあらゆる場所に通じている。乞食が王となる道もあるものだから。けれどそうか、それならば……」


 袖から出した若木の枝を、活けた花の蕾へと男が寄せる。すると枝の先の新芽がふくらんで、全く同じ蕾になったかと思うと小さな青い花を咲かせた。微かな花の香りが部屋に漂う。


「君を私の弟子の元に送るとしよう。畑違いだから君にとっての兄弟子というわけではないが、面白い男だ」


 言い終えたときには、男は既に部屋のドアを開けていた。


「教え子セレ。セレジェイ=ナナエオウギ=ガウェン。星の数より多い道から、ただ一本を選び続けるその罪深さを厭うなかれ。君への苦難と加護を祈ろう」


 巡礼者のごとき男は、それを最後に風となって姿を消す。

 後には空の病室と、蜜の香りだけが残った。



                  §



「やっ……ちゃったあ……」


 酷い夢の残滓と共に、ラピス=シャーリクはむくりと身を起こした。

 ルドニール地方ヴァレスの町。ラウルス共和国の代官であることを示す鱗の紋章を掲げ、一面を赤色で染めあげた領主の館。

 その二階の窓から、ラピスは土色の町へと半ば開いたまなじりを流す。

 太陽は白く東の空に照り、赤銅色の地平線の上に広がるその領域は青かった。

 手前に横たわる地平と同じ色の丘陵を眺め、思い出したように身震いする。


 窓枠に吊るされているのは蜘蛛の巣のようなオブジェ。

 悪夢を絡めとるというお守りで、父が都へ出かけた際みやげに買ってきた物なのだが、宿った妖精が怠け者なのかまるで効果がない。

 今も寝汗で白いワンピースの寝間着をぐっしょりとぬらした主を尻目に、のんきに鼻提灯など吹いていた。


「だから、少しは遠慮してって言ってるでしょうっ」


 ぼすん、とオブジェめがけて枕をぶつける。寝間着の肩紐がずりおちて朝の空気が胸元へ滑り込む。

 人間の老人のような矮駆に、バクの頭。女物のようなピンクのパジャマとナイトキャップを被った親指ほどの夢の妖精は、まるで冥府の審判から逃れようとする罪人のごとく必死な様子で蜘蛛の巣の下へしがみついた。


「せめて見えないようにサボってよ、もう」


 人はだいたい七歳くらいまで妖精が見えるという。

 もうその倍は生きているはずのラピスからすると不思議な話だが、平均してそんなものらしい。終生を妖精と睦んで暮らした町娘もいれば、ついぞ見なかったという狩人もある。


 だが存在を疑う者はそういない。

 かつて森と共に栄えたというラピスたちの先祖は、土や水と言葉を交わし良い関係を保つことでその礎を築いた。

 人の歴史は妖精と共にある。

 今ではこのお守りのように、妖精の力を利用した道具も珍しくない。


 突然ふってきた枕に飛び上がった羽ぼうき鳥キキーモラが、文机を転げ落ちて絨毯の柔毛にからまっていた。

 嘆息。子供のようだと思いつつ、足に毛布を巻きつけたまま身を乗り出す。

 白くまん丸な体に不釣り合いな長い羽をもつその毛玉をラピスがつまみあげると、シャシャっと箒が床を走るような鳴き声と共にその姿が掻き消えた。

 文机のインク壷がことりと鳴る。さしっぱなしの羽ペンが、物言いたげに身を震わせた。


「――いっけない、伝書屋さん!」


 言うが早いかラピスは机のふちにかかっていた封筒をひったくる。昨夜書いた遠国の兄への手紙を一日でも早く出さねばならない。

 都会で華々しい社交生活を送る彼からの手紙は、岩と土しかないこの国に住むラピスにとって何にも代えがたい楽しみだから。

 蝋封用の赤いロウソクに火をつけ、芯の周りに溶けた蝋が溜まるのをじれったい気持ちで待ちながら、眼下に望む町の入り口あたりを見やった。


「……? 何だろう、あれ」


 伝書業者のしるしである白黒赤ののぼりはまだ上がっていない。あるいは、もう行ってしまったのかもしれないが。それよりも。


「……緑の、馬車……?」



                  §



 子供の背丈ほどもある車輪が四つ。

 天辺をアーチで丸めた荷台はテントのように油布で覆われ、側面には太い横線で緑のラインが引かれている。

 ほろ馬車だった。それも貴人が急ぎで乗るものではなく、移民たちが家財一切を乗せていくような。

 繋がれた馬たちは早馬ではありえないぼっこりとした脚筋から湯気を立ちのぼらせ、大人しげに首を上下させている。

 御者の姿は見えず、であれば今、幌へと向けられている好奇と侮蔑の混じった視線に頓着する者もない。


「……森人」「異教徒だ」

「よせ、ケガレにあてられるぞ!」


 珍しそうに馬車へと近付こうとした少年を、父親らしき男がひっつかまえる。他にも漆喰塗りの住居の陰や、広場へ続く大通りにずらり並んだ露店の脇に、いつの間にか小さな人群ひとむらができあがっていた。

 ひそひそ、ざわざわ。

 人群が人垣へと変わるころ、見かねたように後列からしゃがれた声が上がる。


「これ、よさんか。森辺の民を冷遇すれば災いが起こるぞ」


 ルフ爺、と誰かが言った。白髪の禿げた老翁は手にした杖をつき、騒ぎの中心近くまで進み出るとすぅと息を吸う。そして。


「客人なり! この寄る辺なき荒野で町を頼ってきた者は誰であれ受け入れよう! 聖手の神とてそれを咎めはすまい!」


 静寂が場をうつ。翁はその隙をぬうように御者ぎょしゃ台へと歩み寄ると、胸の前で手を組み合わせてその内側へと言葉を投げた。


「問う問う。御内みだいは古きよりの祭儀をる者か」


 返事は即座。


「いかにも。踊り子とその座頭ざがしらなり」


 若い男の声。そのことに翁は少しだけ目を見開いた。だがその口上は途切れない。


「どうか車を軒へ入れ、旅の疲れを落とされよ」


 そう、これは口上だ。ずっと昔、彼らが森を追われ荒れ地へ逃れ、祭祀の場をも失ったその時から続けられる。


「当方森と交わりし身なれば、叶わず。当夜ここを発たん」


 朗々と遣り取りされる時代を越えた言葉に、誰もが耳をそばだてていた。


「重ねてその逗留を願う。く疾く軒へ」

「かたじけなし」


 詩の決まった予定調和。にもかかわらず今ここには、己が身に宿した病を洩らすまいと申し出を辞したかつての祭儀官と、それを強いて歓待した長老が蘇ったかのごとく見る者の目に映った。そんな中。


「うっわわわ、お尻押さないでくださいよう!」


 御者台の背の部分、閉じた幌の幕間から飛び出したのは牛飼い帽。を、目深にかぶった少女だった。

 さっぱりとさらされたうなじが白いのは、日頃つば広の帽子を脱がないせいだろう。ついであらわれた小柄な肩とそこへ掛けられたサスペンダーに挟まれたシャツのたっぷりとした膨らみが、首から上の少年然とした印象を即座に覆す。

 細い腰で絞られたズボンの革紐あたりまで這いだしてから、日向で伸びる猫のような姿勢であたりを見回した。


「あ、どうも、どうも。えへへぇ、お騒がせしてます、どうも」


 薄い唇を笑みの形にしてへこへこと頭を下げる。


「ほ……」


 老人が呆気にとられたように固まる。少女はその体勢のまま振り向くように背を反らすと、幌の中へ抗議の声を上げた。


「ほらあ、一番部外者の僕が出たって仕方ないじゃないですかあ! 馬車引きと馬の世話以外は別でお駄賃いただきますからね、セレジェイさ、うぃあぁっ!」


 べしゃりとその豊かな胸が御者台にくっついてひしゃげる。


「そう思うなら早く前へ行け。お前の尻で入り口が塞がってる」


 少女の腰を乗り越えるように顔を出したのは、二十二、三と見える無精髭の男だった。同じ色の金髪がぼうぼうと顔を隠し、右目など完全に見えない。耳、下瞼、鼻、唇の下に連なった色の違うピアスが、彼の非社会性を物語っているようだった。


「あんたさんが座頭か」


 老人の問いにええ、とうなずく。のしかかられているも同然の格好に悲鳴を上げる少女の口を指で塞ぎつつ、柿色の外套を纏った痩躯を御者台へとずりあげた。


「最初に俺が顔を出すと印象が悪いみたいでしてね。非礼をお詫びします、長老殿」


 その呼ばれように老人はくすぐったそうに手を振った。


「なに、若いものでは分からんだろうと出しゃばったまでさ。むこうに行商人が使う車場がある。そちらへ案内しよう」

「感謝します。自分はセレジェイ。こちらは馬借のモニカ」


 セレジェイが手を差し出すと、老人はそれを取り片足を引きずるようにして馬車へと上った。三人並んだ反対側に腰掛けたモニカが、器用に手綱を操って馬たちの鼻先を変えていく。

 遠巻きにそれを見る人々の視線は、モニカを見て穏やかになり、セレジェイを見て再びひきつるようだった。


「この町の方々は、ずいぶん信心深いようで」


 苦笑混じりに言うと、老人もまた曖昧に笑って答えた。


「十幾年か前、聖手教の立派な教導舎ができてな。町の女たちは皆そこで仕事を貰うせいで自然とそうなる。朝昼と鉱山へ働きに出とる男連中はそうでもない」


 なるほど、とセレジェイは相槌を打った。


「聖手教は働き手を守る存在。その加護が厚いというのは素晴らしいことです」


 その手が流浪の民にまで伸ばされないのは残念ですが、と付け加えると、老人は義理とも思えぬ強さで然りと手を打つ。そしてわずかの寂しさを皺だらけの口元ににじませた。


「何年か前までは、緑の幌を見ればあれは祖先様の名残よと子に教える親もあった。だがその親も今となってあれは異教の者と言う。聖手の教えに背く、生まざる手とな」


 縄越しに馬の首を擦りながら、会話の途切れ目をはかってモニカが言う。


「僕の同業でも、聖手教のお守りを持ってる人がいますよ。馬借は何か作る仕事じゃないですけど、人や物を運ぶことでそれを支えてるから、聖手の神様の加護を受けられるって……そういうのがアリなら、セレジェイさんたちみたいな、踊り子さん?だっていいことにならないんですかね?」


 考えの壁にぶつかったように空を見上げたモニカの後ろ髪を、何気なく伸ばされた手が撫でた。


「ふぃあッ、な、何ですかセレジェイさん?」

「いや、楽器の腕に加えてお前のその純粋さは好ましいと思ってな。もしもお前が教導官シスターだったなら俺ももう少し信心深くなったろう」


 言った端からモニカの首や耳は赤く染まっていき、終わる頃には深く下げられた帽子で隠れてしまっていた。


「やっ、やですよセレジェイさん。前から言おうと思ってましたけど、大袈裟です。僕みたいな、ただの馬飼いに」

「美しいものをそうと言って何が悪い。そもお前は、っと!」


 馬車が路地の壁へ擦りそうになったのを、手綱を握った手ごと掴んで持ち直す。はっとしたモニカがすかさず驚いた馬をなだめるように声をかけた。


「どうどう! ごめんなさい、どうっ!」

「ああ、気をつけろ。後が怖い」


 後部の荷物その他を気にしつつセレジェイが応じ、馬たちの苦情が収まったあたりで老人が大通りの一角を指さした。


「そこへ入れるとよい。それから町へ立ち寄ったということは仕事をお探しか?」

「ええ、見目よい御者を雇ったら路銀が尽きました。実を言えば、町に入れてもらえなかったらどうしようかと」


 老人は吹き出して笑うと、ならばちょうど頼みがある、と膝を打った。


                  ◇

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