庭園への扉 ‐エクスキューショナー-

 大破したモビルが、黒煙を吐き出す。

 ゲオルグが乗り捨てた直後、それは炎上し、やがて爆発した。

 屍人軍隊の包囲網を強引に突破したゲオルグだったが、代償は大きかった。

 移動手段であるモビルを失い、これまでの戦闘で蓄積した疲労は、彼に重くのしかかっている。

 飛び降りた衝撃で左腕は折れ、あらぬ方向を向いていた。

 右腕で無理矢理に元の角度へと戻し、急速治療用微小体キュア・ナノマシンと鎮痛剤が封入されたアンプルを、彼は左腕へと突き刺した。

 一秒と待たず、負傷部分に到達した微小体が反応し、作業を開始する。

 腕の中身すべてが蛆虫に変わったような感覚にさいなまれることになったが、ゲオルグは僅かに呻くだけで立ち上がった。

 身体にまとわりついた雪を払い落とし、損壊したヘルメットとゴーグルを投げ捨て、脂汗をぬぐう。

 そうして彼が見上げるのは、この星のどんなものよりも巨大な構造体だった。

 あらゆる〝神樹木〟の起源──〝世界樹エメト・オリジン〟。

 灰色の雲を貫き、どこまでも、どこまでも高くそびえ立つその珪素の樹木は、常人であれば卑小感に押しつぶされてしまうような神々しさを発している。

 ゲオルグは背嚢を漁ると、腕と同じくらいの刀身を取り出した。

 逆三角形を垂直に引き延ばしたような剣。

 それを手に、彼は世界樹へと踏み込もうとした──

 そのときだった。

 ゲオルグの周囲に──否、が供給される。

 量子モノクルを失っていながら、しかしゲオルグにはそれが見て取れた。

 彼の視界が、純白に染め上げられて──


「────」


 視界が回復したとき、彼が立っているのは雪原の大地ではなかった。

 そこは。

 そこは、一面にスミレソウが生い茂る──

 ただ、相違点もあった。

 空の色は虹色ではなく、重く立ち込める鈍色の雲だったのだ。

 ゲオルグが左右を見回すと、100メートルほど前方に、奇妙な揺らめきが生じているのが目に入った。

 その方向へと足を進めると、なにかの音が聞こえた。

 音──声である。

 声の出所を探り、視線を足元に落とせば、そこに中性的な首──ヒラリオンによく似た顔のなにかが、転がっている。

 それが、口をきく。


「更新された現地呼称を確認──ゲオルグ・ファウストと断定──。この端末の名はヴェルト。ヴェルトは貴方に警告を発する」

「直轄者か」

「ヴェルトはヒラリオンの代理者。収穫の刻限を告げるものが停止したため稼働した、臨時執行者エマージェンシー・エクスキューショナーである」

「なにをしている?」


 ゲオルグが冷徹にそう問えば、執行者は一時の沈黙のすえ、淡々とした声音で答えた。


「Z-0型ガーテン・リッターの停止処置に失敗し、大部分の機能を損失、奪取された。このままでは命題タスクの履行は不可能である。そこでヴェルトは、貴方が提案に同意することを望む」

「提案。おまえが、俺にか。いまさら、どんな感情でそんなことを言う?」

「我々に感情と呼べるものは存在しない。故に、現生人類が持つ恥辱というものに該当する行為に、躊躇はない。現地呼称ゲオルグ・ファウスト、我々に協力してほしい」


 ゲオルグは、ありえないといった表情で首を振った。

 彼の目的は、いまだになにひとつ変わっていない。

 ただただ、ひとりの屍人を、多くのことを知らないまま失った憐れな娘を、一人の命ある少女へと変えたいだけなのだ。

 それを殺そうとしたものと、一時的とはいえ手を結ぶなどという選択肢は、ゲオルグのなかには微塵も存在しなかった。

 彼が執行者を無視し、歩き出そうとしたときだった。

 ヴェルトを名乗る存在は、突拍子もないことを言いだした。


「貴方に、真実を開示するとすれば、どうか?」

「……なに?」

「ヴェルトに残された演算リソースをすべて投入すれば、貴方の消去された記憶を取り戻すことが可能だ。そして、そのときゲオルグ・ファウストは、間違いなく庭園騎士ツェオ・ジ・ゼルの敵対者となる。これは、我々にとってなんら損害のない、有意義な提案である」

「俺には、メリットがない」


 ゲオルグはそう突っぱねたが、その表情は硬かった。

 ヘレネーの言葉を信じるのならば、全知全能の存在が使役する直轄者──その臨時執行者が、この程度の反論を予期していないわけがないからだ。

 案の定、その首だけの執行者は、表情も変えずにこう告げた。


「貴方が記憶を取り戻せば、ツェオ・ジ・ゼルと対等に渡り合うことが可能である」

「…………」


 それは、現在の彼を揺り動かすには十分な重みを有していた。

 彼の目的は唯一。そのためには、ツェオと相対し、打ち勝ち、同時に救わなければならない。

 だが、彼自身、その力の開きを自覚している。

 もし、この執行者が言うとおり、その足りない力量を補う方法があるというのならば……それは確かに、ゲオルグにとって有意義な提案であると言えた。


「デメリットは存在しないと確約しよう。最終的な選択権は、すべて貴方にある。抹消されたこれまでの周回世界ルーチンを取り戻せば、我々が強制する必要はなくなる。此度はバーンアリスが生まれず、次回以降、が生まれるため、不必要なイレギュラーが取り除かれる。これだけで、月種には十分なのである」

「…………」

「その沈黙は肯定と受け取った」


 険しさを増したゲオルグの顔からなにを見て取ったのか、ヴェルトは一方的にそう告げると、ねじれた切断面を見せている首の付け根より、数十本の接続チューブを展開した。

 それが手足と同じように蠢くと、するするとゲオルグの身体を這い上がっていく。

 ゲオルグは無言のまま、されるがままになっている。

 やがて執行者は、ゲオルグの首許に到達すると、そのチューブ──プラグ端子の一本を、彼の脊髄へと突き立てた。

 鋭い痛みと、流れ出る血液。

 挿入される金属の冷たさに、ゲオルグは呻くが、抵抗はしない。

 ヴェルトはと笑うと、忘却再生プログラムを施行した。

 彼の首だけの身体を起点に、月種から膨大な電磁インパルス──そして高次観測による産物が、ゲオルグの脳髄へと送り込まれ、確かに作用して──


「どうだ、これですべてを──」


 ゲオルグはひとつ頷くと、首筋の執行者へと右手をかけた。

 そうして、執行者が間の抜けた表情をしている間にベリベリと音を立てて引き剥がすと、そのまま地面へとたたきつける。


「なっ!」

──


 振り下ろされる逆三角の刃。

 メギャリと叩き潰される、執行者だったもの。

 ヴェルトは、今際いまわのきわに叫んだ。


「こ、この座標を──我々がなんのために再現したと思って」

「嫌がらせ以外にあるものか」


 再度、振り下ろされた刃。

 そしてすべてを奪われた執行者は、そのままなにも言えずにこと切れた。

 珪素の眼球から光が失われ、急速に残骸と化すそれを、ゲオルグは勢いよく踏み潰す。

 念入りに、二度、三度と、もはやなにがあろうともそれが甦ることがないように、なにかに利用されることが無いように、微塵になるまでひきつぶしていく。

 やがて、完全に原型がなくなったころ、ゲオルグはようやく顔を上げた。

 その双眸では、鬼火が燃えていた。

 蒼い、青い焔がうねっている。

 彼は。

 は、大きく、溜め息をついた。

 かすれたような溜め息のあと、彼は空間のゆがみへと向かって進みだす。


「思い出した」


 繰り言のように、同じことを呟きながら。


「彼女の名はツェオ・ジ・ゼル──庭園を守る騎士にして悲劇のための愛しき乙女ジゼル・グレートヒェン


 己の名は。


「ゲオルグ・ファウスト──庭園の産物にして大切なものを抱く繰人ロイス・アルブレヒト


 歪みのすぐそばまで歩み寄った彼は、一度だけ振り返り、その光景を網膜に焼き付けた。

 どこまでも続く草原。

 可憐に揺れるスミレソウ。

 ただ、穏やかであった記憶の──いま、おぞましさに塗り替えられた記憶の場所を。

 前を向く。

 もはやゲオルグは振り返らない。

 進む。

 ただ前へと進む。

 歪みは扉。

 その扉を開けたさきに──


「おかえりなさい──愛しいひとアルブレヒト

「──ただいま、愛しいひとグレートヒェン


 世界樹の中心核。

 その上にそびえる王座に。

 純白の衣装を身にまとった鋼の四肢をもつ少女、ツェオ・ジ・ゼルが腰掛け、微笑んでいた。

 ゲオルグは、ゆっくりと奥歯を噛み締める。

 脳裏に、刻む。


 自らが────

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