犠牲 ‐サヨナラ‐

「ミルタ」

「ヘレネーよ」

「ミルタ、月種は総意をもって収穫の刻限を定めた。いまより5267000秒後、すべてに見切りをつけ、この予測不可状況イレギュラー・ステージを強制終了。あらたな播種はしゅを行う。現生人類は、ついぞ至れなかった」

「まだ決まったわけじゃないわ。それだけの猶予があるのなら、星の雫に到達するものがあるかも知れない。あるいは、もっと奇跡のような──」

。ヒラリオンは理解している。故に、この場で〝早摘み〟を行う。ミルタ、願い出るならば、帰還を承認するが?」

「あたしは……」

「……お喋りはそこまでだ」


 ヘレネーとヒラリオン、二者の視線が、その声の主の方へと向く。

 しんしんと降り積もった雪を、ざくり、ざくりと踏みしめながら、その男は歩んでくる。

 燃え盛る雪原を、一歩一歩着実に、酷く重たい荷物を抱えながら。

 ゲオルグ・ファウストは、覚悟に満ちた凄絶な眼差しで、ヒラリオンを見据える。

 振り下ろされる棺桶。

 雪花が空中に舞う。

 機構が展開し、その兇悪な姿がさらされる。

 ゲオルグの腕ほどもある巨大な弾頭を備えた高速飛翔体ミサイル──溶融燃焼榴弾が、有無を言わせずヒラリオンへと向けて射出された。

 高熱の燃料をばらまきながら、亜音速で直轄者へと飛翔するミサイル。

 その明確な破壊の意図を感じ取ってか、ヒラリオンはかつてとは違う動きを見せた。

 右手を開き、ゲオルグの方向へと振り払ったのである。

 起こったのは大爆発。

 凄まじい爆風が表層に積もった雪をすべて大空へと戻し、どこまでも延焼する炎がそれを溶かし、蒸発させ、焼き払う。

 だが、そのただなかにありながら、ヒラリオンはまったくの無傷であり、微動だにしていないのだった。

 その周囲にはうっすらと磁力障壁が展開し、すべてを弾いていることが、そこで初めてゲオルグには認識できた。


「ちょ、ちょっと!」


 ゲホゲホとせき込みながら、煤まみれになった──一部は焦げた──ヘレネーが、炎の中から転がり出てくる。

 若干涙ぐんでいる彼女は、ゲオルグに抗議の声をあげるが、彼は耳を貸さない。

 代わりに、


「何人死んだ?」


 確認するように、そう尋ねた。

 ヘレネーはギュッと口を結び、それから慎重に言葉を選んで、返答する。


「728名よ」

「あいつは、なにをしに来た?」

「収穫。言葉のとおり。あいつは──」


 ハッとふたりが顔を上げたときには、すでにヒラリオンは、ゲオルグたちの間を、歩いて抜けようとしていた。


「最大のイレギュラーを、ヒラリオンは処分する。現地呼称ツェオ・ジ・ゼル──Z-0型素体──本来呼称Gartenガーテン Ritterリッターのあらゆる権限を剥奪、この場で抹消デリートする」


 その言葉の意味を理解することは、そう難しくなかった。

 だからこそ、ゲオルグはその両目を怒りに見開いたのだ。


「ツェオは!」


 棺桶を振り上げ、その超質量をもって直轄者を砕かんと振り下ろす。


「俺が、守ると決めた!」


 破城鎚となってヒラリオンの後頭部に直撃するCRA。

 岩盤すら破壊する一撃は、しかし。


「ヒラリオンは理解する。これは……憐みという感情だ」


 ──直轄者がなにひとつ抵抗しなかったにもかかわらず、無為に終わってしまった。

 ヒラリオンは身体を揺らがせることすらもなく、逆に、棺桶が嫌な音を立てる。

 直轄者に命中した部分から、ヒビが走り、そして──


「なっ!?」


 その半分が、砕け散る。

 複合調律解析機の連続性超構造体ストレート・フェムト・ストラクチャーが、ただそれだけのことで破損したのだ。

 ゲオルグは戸惑うように一歩さがり、歯噛みした。

 歯をむき出しにして噛み締め、圧し折れるほどに憎悪を募らせ、彼は下げたはずの一歩を踏み出す。

 もう一度棺桶を振りかぶろうとしたところで、横手から常軌を逸した力で突き飛ばされた。

 たたらを踏んだ彼が見たのは、視線で制してくるヘレネーであり。

 そしてヘレネーは、淡々とツェオへと向かうヒラリオンを睨みつけ、叫ぶ。


「たかが直轄者風情が! あたしが、この程度で臆すと思ったか!」


 自らを鼓舞するように怒気を上げた彼女は、両手を背後へと振りかぶる。

 指を折り曲げ形作るのは──アギト

 その両腕がたちまち筋肉と──あるいはそんなものですらない別の物質で盛り上がり、外装となって兇悪な凶器を形作り、放たれる。

 颶風ぐふうを伴った暴力的な一撃は、ヒラリオンへと激突。

 迎撃を一切しなかった直轄者の、その右手を食いちぎることに成功する。


「まだ!」

「──これを、庭園協定に基づく月種に対する反逆行為と再認定。個体──ミルタの一部機能を凍結する」

「ぐっ──!」


 ヒラリオンの言葉と同期するように、彼女の両目と鼻から出血。さらにヘレネーの右手に、ブロックノイズが走る。

 ヒラリオンによる干渉。

 それはそのまま膨張をつづけ、ついには彼女にすら持ち上げられない重き枷となった。

 ためらうことなくヘレネーは右手を切除。

 その場から飛退くと、ゲオルグへと叫ぶ。


「逃げなさいゲオルグ! ツェオちゃんを連れて、はやく!」

「……こいつは、此処で仕留める」

「無理よ! 現状、この星すべての知性体が、ヒラリオンを最上位の存在だと認識している! それではなにがあっても傷つけることはできない!」

「だがおまえはやった!」

「だから自分にもできるって?」


 ヘレネーは鼻で笑い、怒号を上げた。


!!」


 叫ぶなりヘレネーは、ふたたびヒラリオンへと襲い掛かり、その身体を伸縮性のものに変化させながら、直轄者に絡み付く。

 その動きを、僅かに封じる。


「これはこいつが許可しているだけ! こいつが、放置した方が円滑に進むと思っているだけよ! 僅かでも障害になれば、さっきのように凍結処理を行う! それではダメなの! それでは、現生人類は至れない!」

「なにを、なにを言って」


 困惑するゲオルグ、口を閉ざしツェオへと迫るヒラリオン。

 その両者を無視して、ヘレネーは絶叫した。


「あたしは望んだわ、星が芽吹く瞬間を! ひとがひとたるその時を! 愛しいすべてが、全能程度を吹き飛ばす刹那を願った! それが、たとえ月種の総意に反しても! だから、逃げなさいゲオルグ、逃げなさいツェオ! あなたたちは、あなたたちが唯一の可能性なのよ!」

「おい、なにをするつもりだ!」

「────」


 彼女はもはや答えなかった。

 ヘレネーの全身が、真紅の粒子をたたえて輝き始める。

 まるで、燃え尽きる一瞬の蝋燭ろうそくのように。


「ゲオルグ──僅かな時間だけど、楽しかったわ」

「──!」


 その声を聞いて、ゲオルグは走った。

 身動きひとつとれず、ただ虚ろな瞳でこれまでのやり取りを傍観し続けることしかできなかった少女のもとに。

 彼は少女の矮躯を背負い上げると、壊れかけの棺を握り締め、一度だけ振り返った。

 出会ったばかりの情報知性体は、柔らかく微笑み、彼らを見詰めていた。


「ミルタ、その行為は無駄だ」

「黙れヒラリオン、邪魔者こいがたきめ」


 硬質な言葉を吐いたその口元が、しかし次の瞬間には穏やかに緩む。

 こぼれ落ちたのは、慈愛に満ちた声音だった。


「ゆえに踊り──ゆえに走れ、ゲオルグ。振り返らずに」


 彼は、その言葉の通りにした。

 走った。

 ゲオルグは雪原をどこまでも。

 やがて遥か彼方で。

 なにかが爆発する音がして、世界が真っ赤に染め上げられた──

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