二章 いまだ消えない寵姫のうわさ_2


 それから数日のあいだ、ヴァルディールは生死の境をさまよった。

 エルンストから聞いたところによると、ヴァルディールが口にした焼きのひとつに毒物が混入されていたらしい。

 その焼き菓子を書斎に運んだとされるメイドは、すでに地下で息絶えていた。服毒自殺との見方だという。

 ヴァルディールの意識が回復したのは、まだ昨晩のことだ。

(──暗殺……か)

 暗殺すいの話も聞かされていたし、そばにいることでユーリアにも危険がおよぶかもしれないという話も聞いていた。けれど、たおれた彼を目の前にしてようやく実感した思いだった。

 彼は、命をねらわれているのだと。

「ユーリア、ひどい顔色だよ。きちんとてるかい? ショックを受けたのはわかるけど、ヴァルディールさまは命に別状ないとのことだから、もうすこし気を休めた方がいい」

づかいありがとうございます。でも、シモンさんの方がずっとおつかれのように見えます。すこし横になったほうが」

 あれからの数日間、いつも仕事の邪魔をするようにあらわれ、ひとの机にこしをかけてくれるエルンストもさすがに姿を見せず、ふたりはただもくもくと仕事をこなしていた。

 こうしてつきあわせた顔は、どちらもけっして明るくない。そのことにようやく気がついたように、シモンがしようした。

「そうだね。おたがいさまだ」

 ふたりは一時きゆうけいをとることにした。

 アームチェアに移動すると、メイドがかおり立つハーブティーを運んできてくれる。

「こんなおそくまでつきあわせて悪いね。でも、もうじきじゆんこうれいがあるだろう? それまでにあらかた片づけておきたいんだ」

「つきあわせただなんてとんでもない。足をひっぱっているのは私ですから」

 巡幸礼とは、オーバーラント公が領内の各しん殿でんをまわる巡礼だ。この時期は天けん峯に点在する四つの神殿が対象になっている。日程は十日間で予定が組まれていた。

(とはいえ、あんな事件があったばかりだもの。中止、もしくは延期って可能性のほうが高いだろうけれど)

 手をくつもりはないが、まさか昨晩意識をとりもどしたばかりのヴァルディールをあと二週間足らずで、さいこうほう一万四千五百フィートの山に連れ出すなんてことはないだろう。

「きみは足なんてひっぱってない。むしろ入ったばかりなのによくやってくれてるって感心してるくらいだ。そろそろほかの仕事も任せてもいいと思ってるよ。やっぱりあれだ、王都の学所を二年で出ただけのことはある」

「ご存じだったんですか?」

 いてから、まぬけな質問だと思う。身元調査がされているのはあたり前のことだ。

「そう、ご存じ……って、あのさ、そろそろ敬語はやめてほしいな。僕は今年十九、きみは今年十八になったんだったね。年も近いんだ」

「ええと、善処します」

「いや、その時点で善処してないから……。とにかくさ、もっと仲良くしようよ」

 シモンはそれからすこしためらうようにして、じつはね、と切りだした。

「こんなこと言うのはなんだけど、きみがとつぜんちようになった……あ、いや実際にはなってないけど、うわさの話だからそういう顔しないで。えっと、かんにとりたてられたのは、ヴァルディールさまのお成り道に、きみが立ちふさがったことがきっかけだっていわれてたんだ」

 うわさどころか当たっている。

「なんでも、そうしてによたい盛りをごろうしたとか」

(全面的にはずれてるっ!)

 思わずカップを粉砕しそうになって、ぷるぷるふるえながらテーブルに置いた。

「ごめんごめん、いん湿しつなうわさだよ。きみがそういうタイプじゃないって、今はわかったから」

「今は……」

「手練手管をつかってヴァルディールさまをとりこにしたとかなんとかいうやつらがいたんだよ。でもきみが意見したのを見て確信した。寵姫なんて調子にのった存在があんなことを言うはずがない。安心したし、うれしかったんだ」

「シモンさん」

 ここにもいたのだ。わかってくれるひとが! そう思うと身を乗りださずにはいられない。

「それにきみは……」

 そのときだ。ノックの音がひびいたのは。

 声けと同時にとびらが開き、エルンストがやってくる。

 なんだかいやな予感がした。彼はニヤニヤとものすごくあやしいみをかべていた。

「ユーリア姫、殿下がお呼びです。はやくおいで下さい」

「ヴァルディールさまが?」

 なんだろう。個人的に呼びだしをらうようなことをしでかした覚えはない。しかもヴァルディールはまだ昨晩意識をとり戻したばかりだ。

 まどうユーリアの手を、エルンストは的作法でとり、案内しようとする。

「えっとじゃあ、とりあえず公の容体をかくにんしてきます」

 ユーリアはシモンにそう告げて部屋を出た。



「あのう、ヴァルディールさまはもうお元気なんですか?」

「レディがそういうことを気にしちゃいけないな。もうお元気だからしんしつにお呼びだろうし」

「寝室ですか? ではまだお元気とは言えないのでは?」

 なのに人を呼びつけていいのだろうか。安静に寝ていればいいのに、と言うと、エルンストはくつくつと笑った。

「いやいや、そういう意味じゃないから。いいかい、女性を寝室にお求めなんだよ。最低でもそっちは元気ってことさ」

 ユーリアはぎょっとした。それはもしかして下品な意味では!? だから、レディがを気にしちゃいけない!?

 そういえば、部屋を出る時にシモンがなにか言いたげなみような顔をしていたけれど、もしかしなくても疑われたんだろうか。なんて最悪な!

「あの、やっぱり日をあらためておうかがいします!」

「王子殿下がひめぎみをお求めなんだよ。いったいだれが、それをはばめると?」

 エルンストはあつ的にユーリアを見おろした。たとえていこうされても連れて行くと言いたげな顔だ。

 あせりながら、ユーリアは周囲へと目を向けた。廊下には衛兵たちやメイドがいる。いちばん最悪なパターンは、嫌だ嫌だとわめいて注目を集めたあげく、ごういんに寝室まで連れて行かれることだ。

 ユーリアはしばらくなやんでから、わかりましたと答えた。

「──ただし、身じたくを整えてからでも構いませんか?」

「湯あみの用意でもようえんなドレスでも。どうぞ姫君のおおせのままに」

 エルンストはいやみなほどしん的に礼をとった。



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