第2話 目覚め

「…ッ!はぁ…ぁ…夢、なのか?」

 息を荒げながら弾けるように目を覚ます。明滅する視界は夢で見た炎の残光によるものか。心臓は全力疾走でもしたかのように早鐘を打ち、体を巡る血管が膨張と縮小を忙しなく繰り返しているのが感じられる。

 無意識に手を天井に伸ばし、何かを掴もうとする。が、当然そこには実体のない空気が存在するのみ。畢竟ひっきょう、その手からは力が抜け、額の上に柔らかく落下して運動を停止した。額には脂汗が浮かんでおり、ほかの何よりも夢の中での惨状を雄弁に語りえる証拠となっていた。

脳がぐらぐらと揺れるような感覚。例えるなら激しい乗り物酔いをしたような、そんな感じ。瞼を開けることすら億劫になり、このまま永遠にじっとしていたいという怠惰な感情に囚われる。

「うえぇ…吐きそう。」

不意に胃の内容物がせりあがる。喉を這いあがってくる胃液に思わず顔をしかめる。口の中に酸っぱいような生臭いような醜悪な臭いが充満する。臭うだけでむせかえるような吐き気を催す臭い。

危うく吐き出してしまいそうな勢いだったが…なんとか最後の力を振り絞って阻止。強引に飲み込むと大人しく胃の中へ戻っていってくれた。

控えめに言って最悪ともいえる体調。熱があるわけじゃないけれど気怠いというか動きたくないというか。五月病だろうか。

だとすればまだ大学受験すら受けていないというのに我ながら気が早い。

 独り暮らしを初めて数週間。軍が運営する学校に入学を志願したのはひとえにあまり芳しくない家庭の金事情だ。通常の学校と違い、入学できた暁には軍人としての給料も少なからず出る。魔術を用いる部署なら尚のこと。

 アルバイトをしてもいいのだが、病弱な母は仕事ができない。家事をこなすのがやっとといった具合だ。通常のアルバイトでは家を支えることなど到底できるはずもない。だからこその軍だ。実際、金目当てで入学する者も少なくないと聞く。将来の戦力となりえる新兵を育て上げるのに国は金に糸目をつけない。

 正直な話、『軍に入って国を支えたい!』なんていう発言よりも、欲望に向かって突き進む人間らしい感情を表に出す方が軍としても裏切りなどの心配が少なくて済む。

 人間の心とは非常に移ろいやすいものであり、一時の感情、受けた刺激、その他の要因によっていとも容易く形や有様を変えていく。だが人間の欲望というものは遺伝子レベルで人間という存在に刻み付けて在り、逃れられないくさびとなっているのだ。

 つまるところ、数奇な導きとも偶然ともとれるが、俺のような人間が軍にとっても欲しいのだ。好都合なことこの上ない。

 「だけど戦闘能力なぁ。一応人並みに魔力の扱いはできるけど、全国レベルの猛者に太刀打ちできるかと言われれば答えははっきりNOだし…。結局今日の試験、落ちるんだろうなぁ。」

軍において必要不可欠とされるのがある程度の対人戦闘能力だ。戦うことを目的としている以上、戦うための能力が不足しているようではとんだお笑い草である。

白兵戦のみが軍の仕事ではないので無いと絶対軍人にはなり得ない!というわけではないにしろ、あるのと無いのとでは大きな差異があるのだ。

無論、情報の伝達や戦況の報告を担当する部署やサイバー攻撃などを行う部署ならば戦闘能力はそれほど重要視されない。

だが、その分頭脳労働をしなければならないので、どちらが楽だとかそういったものはない。どちらも別のベクトルで大変な仕事なのだ。

「…ン?心配してンじゃねえヨ。言っタじゃねェか。力をくれテやるって。夢の中ダト思ってんじゃアねえよナ?」

「っ!?」

 唐突に背後から囁かれる片言の日本語。嫌でも耳に残るような電子音のようなイメージは薄れたが、独特のイントネーションを交える喋り方。ごくごく最近に聞いた声だが…。あれは夢じゃなかったのか?

「とこロがぎっちょん。現実デした!…どうヨ。驚いたカ?ブレイズさんだぞ。」

 耳元で生暖かい吐息。皮膚の感覚が指し示す答えは『現実』の二文字。ぎょっとして振り返れば可愛らしく踏み台に乗ったブレイズがあった。燃えるような炎髪えんぱつ。炎のように煌々と輝く双眸。何故か俺の私物の黒い薄手のパーカーを少し栄養が乏しそうな痩躯そうくに纏わせていた。何の因果か裸にそれ一枚だけ。丈が見るからに幼女の体には有り余るようで下は太ももの半分を覆い隠している。逆に言えばそれだけ。中途半端に隠した所為せいで更に背徳感を駆り立てる要因になっている。体の起伏は慎ましやかであるものの、人形のように整った端正たんせいな顔立ちやすらっと伸びた素足は女性としての魅力を遺憾いかんなく発揮していた。

 垂れる一筋の冷や汗。猛烈に漂う犯罪臭が焦燥と緊迫に拍車をかける。

「おい。ちゃんと服を着ろ…っ!目のやり場に困る。」

「ふぅン?ブレイズさんの体ガそんナに魅力的かい?ほらホラ、どうだい?」

 挑発するように、または誘惑するようにパーカーのジッパーを徐々に下げていくブレイズ。華奢きゃしゃな肩と浮いた鎖骨が堅牢けんろうな理性に猛アタックを仕掛けてくる。未成熟であるがゆえに、蠱惑的こわくてきな印象を見る者に与える。正直幼女なんて興奮しないと思っていた。というかそんな目で見たことなど一度もなかった。

だからこそ自らの感情に疑問を抱かずにはいられなかった。

「やめろ!脱ぐな!まじで俺が捕まってしまうだろ!…というか話が盛大にそれたぞ。」

羞恥心などはほとんど感じられない。純然たる楽しさだけで動いているような印象が彼女にはある。

「くくク…いいねェおまエの反応。楽しくなルねぇ。話を逸らそうト躍起やっきになってるとこロもまぁヨシ。…話を戻すカ。

力をくれてやルって話ダロ?ほんとさホント。

一口に手段といってモ手段は二つアるんだがそれはおまエが決めてくレ。」

「一つ質問がある。俺に力を渡すことで何のメリットがある?」

「わかんネぇとは言わセねぇぜ?お前の将来には破壊ガ付きまとウ。だったら一枚噛ませロってンだ。面白そうじゃン?」

改めて絶句した。こいつはでやる気なのだ。破壊と殺戮を何の憂いもなしに、それどころか嬉々ききとして行うようですらある。

「マぁ、見テロ。ちょっと離れとけヨ。」

そう言うと彼女は一瞬の瞑想を挟み、右手に小さな炎を宿した。小さいながらもありとあらゆるものを飲み込むという意思が明瞭に感じられる。今まさに解き放たれようとしている猛獣のあぎとを彷彿とさせた。

「一つはおまエの体にブレイズさんが直々ニ入り込んデ戦闘時だケ体の所有権を移スってやつダ。理想的な動キができるし、敵を焼き払ウなら一番だ。なんたっテ中身がブレイズさんだからナ、連中はさぞ驚くだろうゼ。」

目は爛々らんらんと揺らめき、殺意をむき出しにしている。隠そうという気持ちは微塵みじんもないらしい。だからこそ、この案は――。

「却下だ。焼き払ってしまうなら相手の息の根まで止めてしまう。それは絶対避けなければならない。今回の戦闘は殺戮がメインじゃないんだ。ブレイズならその辺の加減ができそうにない。」

「…じゃあ仕方なイ。パターン2だ。おまエの意識にブレイズさんの戦闘能力によるアシストを加えるンだよ。少々チート臭くなるガある程度ハコントロールが効く。

それなら構わないだロ?」

相も変わらずこの少女発言には謎の信憑性がある。まぁ表情を見ても嘘を言っている様子はないので信用するしかない。というか間違いなくこいつに頼らなければ俺は負ける。

 今さらになるがそもそも魔術という概念をご存知だろうか。ある種の世界軸では存在していなかったりもするものだが、この世界軸にはさも当然かのように存在している。

 魔術は人の知識が生み出した崇高なる技術である。数学の超進化と言えば分かりやすいだろうか?複雑な術式を基に自然の理に干渉、それらを捻じ曲げることによって新たな力を加えたり、物質を生み出したりと多種多様な使い道がある。

 人間として生活していくうえではある程度扱えねばならない技能の一つ。一般人だと知っているのは魔力の装填方法くらいのものだが軍隊などに入ると戦闘用の魔術も使役することになる。殺戮にはもってこいの魔術もごまんとあるが、日常生活にも先述の通り必須であるため必修科目として小等部から教育される。

 戦闘の為の魔術は使用に免許が必要であり、無免許のものが使用すれば即刻牢獄行きは免れない。事と次第によっては重い罪が科せられることも少なくない。それほどまでに扱いが難しく、危険な代物なのだ。過去に魔術の不適正使用が起こり、東京の一部分を焦土に変えたという話は記憶にも新しい。故に政府は取り締まりを強化し、罰則を厳しくするなどの措置をとっている。また、使用方法についても門外不出のものとし、不用意に外部の者に伝えることのないようにと、念入りに釘を刺されている。

 そうした魔術の免許…軍用魔術許可証を取得するには専門の学校を志望し、一般人でも許可されている低級の魔術か、各自の戦闘技能、はたまた独学で編み出したオリジナルの戦闘魔術を酷使して入学試験に臨み、合格することが最低限踏まなければいけない手順だ。

 基本的には低級の魔術では凄まじく頭を回転させながら的確に攻撃していく他勝ち目がない。故にこの手を使うものはまずいない。倒せても数人が関の山だろう。脳の回転が異常に早いか、あり得ないほどの幸運リアルラックがあれば話は別だが。

 次いで各自の戦闘技能。刃物や重火器の使用も認められているため息の根さえ止めなければありとあらゆる手段が認められる。最もポピュラーな手段である。ただし、火器は生かさず殺さずに加減するのが非常に難しく、ハンドガンタイプのもの以外は基本的に射出式スタンガンの場合が多い。いともたやすく無力化できる点から、この手段をとるものが多い。似たような手段で毒針を飛ばすものもあるが、毒の効果は人によって過剰な反応が出てしまう。調合が難しく、加えて相手の免疫などにも左右されるため好まれる手法ではない。

 故に刀剣類や拳鍔カイザーナックルなどを用いた戦闘技能が主流である。空手や柔道と言った日本古来の武道ももちろん存在し、全国大会や地方大会の強者《つわもの》が集う言わば修羅場である。

そしてオリジナルの戦闘魔術を用いるという手段もある。だが練り上げるにはかなりの時間が必要で、代々受け継がれている魔術を持つ名門の家の出じゃなければ基本的に用いることができない。今回俺が使用するのは恐らくこれに当たる。

通常の人間がどのような魔術を使うかはその場に行ってみないと分からないので、臨機応変な対応が求められる。

「まぁそんナ堅苦しく考えンじゃねえヨ。全部ブレイズさんに任せテおきなっテ。」


とびきりの笑顔を彼女は俺に向ける。

…普通にこうしてれば超かわいいんだけどなぁ。


「オイ、聞こえてンぞ。悪かったナ普通じゃなくテ。」



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