第2話 熱を帯びる

「あ、あの・・・」

「・・・?」


机に向かい、シャーペンを走らせること30分程経った頃、僅かに聞こえたチャイムの音を無視すること数分、区切りのいいとこまでは・・・!と加速していたところで、聞き覚えの無い少女の声。その声の高さ的に、身長は逆に小さいのであろうことは予想できた。

目線を挙げ、声のかけられた方向を振り返る。


件の少女だった。

黒く長い髪は、ぼさぼさでところどころはねていたりと、どことなく暗い印象がある。眠そうな瞳と、両手で抱えるように持った本が、なんとなく、【暗い古書堂の奥のさらに角で本を読んでいそうな少女】という印象を焼き付ける。


『まるで、物語の中からそのまま出てきたかのような少女だった。』


「もう・・・図書室の鍵を閉めなきゃいけませんので」

「ああ、、悪い」


「いえ・・・」


椅子を引いて立ち上がり、ノート教科書筆箱をリュックにしまう。

『ちらりと少女の方を振り返ると、目が合った。』


「・・・?」

彼女もまた、もしかしたら、彼と同じものを感じたのかもしれない。そんな僅かな予感はすぐに打ち消される。


「・・・。・・・。」


少女は何も言わない。だが、こちらの目をじっと覗き込んだまま、目を逸らすことはしない。


『待っている。その目は、この心に芽生えた新たな芽は、それを知っている』


「・・・なぁ」


「はい」

「名前、聞いてもいいか?」


女子と話したこと自体、実に一年ぶり程かもしれない。勇気、というよりも、焦りから出た言葉だった。


『いまここで話しかけなかったら、終わる。いや・・・違う。何も始まらない』


「・・・河野 水(かわの すい)」


俯きがちにそう名前を告げた少女は、先ほどまでとはうって変わって視線を合わせようとしなくなってしまった。


「1年生?」


コクリと、小さく頷いた少女は相変わらず視線を地面に向けたままだ。


「そうか。まぁ、そんな気はしてた」


「・・・」


かわのすい・・・かわのみず?・・・えぇ・・・。


クスッとなりそうになったところで、唐突に扉を開ける鋭い音が図書室に響く。


「おーい!いつまで校舎にいるんだ!もう閉めるぞ!」


背後からの大声にびくっと肩を震わせた少女は、ハッとしたように顔をあげ、その赤い顔で彼を見上げてしまう。


『物語において、誰かが初めて恋に落ちた時のような表情。・・・できているだろうか。』


「・・・なぁ、、、おい、大丈夫か?」


「・・・え?」


少女の頬の赤らみは異常であり、心なしか息も荒い。

先程までいた教師は気が付くといなくなっていた。恐らくこれからすべての教室を見回っていくのだろう。


「熱でも出てるんじゃないか?」


「ぇ・・・?」


「息も荒いし、頬も赤い。・・・大丈夫か?」


少女は自分の額に手を当てる。するとようやく自覚したらしい。

額に手を当てたことによる脳への僅かな違和感の付与か、或いは無理を自覚したことで糸が切れたのか、少女はくらりと頭を揺らし、ゆっくりと地面に座り込んでしまった。


「ええ・・・だ、だいじょうぶか?」


「・・・っ」


少女はよろよろと立ち上がると、抱えていた本を床に置いたまま、その場から歩き出そうと本の貸し出しカウンターを手すり代わりに立ち上がり一歩踏み出すが、そこでまた大きなため息をつき、足が止まった。


・・・どうするべきか。


保健室の教師は・・・まだ帰ってないよな。運動系の部活だってやっていたはずだし。


「保健室で誰か呼んでくる、ちょっと待っててくれ」


少女がコクリと頷くのを見るや否や、彼は急ぎ足で図書室から走り出した。


階段を下り、保健室へと一直線。道中で教師とすれ違うことは運悪く無かった。

保健室へのスライドドアを開こうと力を込めたが、開かない。・・・もしかしたら、どこか、外部活が怪我をしたとかで出動しているのかもしれない。


・・・どうするべきか。探す・・・いや、手間だ。

ノートのページを破き、「図書館に急患あり」とだけ書き、扉の下から中へ入れておく。


どうするべきか思考を燃やしていたところで、電撃が彼を導いた。

少し行った先にある購買の隣にある自販機へたどり着いた彼は500円を突っ込み、ペットボトルの水、麦茶、缶のスポドリを2つ購入すると、それらを持って図書室へ帰還。


『何を必死になっているのだろう。なんというか、今、自分は、下心のみで動いてはいないだろうか?』


『立ち止まり、呼吸を落ち着かせると、余計それを思う。一緒にいて楽しいから、友達だから、困っていたから、そういう優しい理由は、1割程度しか満たせていない。・・・だがそれは、或いは仕方のないことなのかもしれない。なぜって、先に述べたような理由は、もっと深くかかわってから芽生えるものだからだ。今はただ、気になったから、心が惹かれたから、それだけで十分なのではないか。そう、思うことにした』



「悪い、見つからなかった。とりあえず、これで冷やしてくれ」

カウンターの上に飲み物類を置き、スポドリをそっと手渡した。

少女はぼーっとした目のままそれを受け取り、額に当てた。すると僅かにだがほっとした表情になり、余裕が生まれたように思える。

「家は遠い?下手をするといつ保険医が来るかわからんから、親を呼ぶのも手だと思うけど」


「・・・大丈夫。たぶん、驚いただけだから・・・」


「?・・・どういうことだ?」


「・・・なんでもない」


そう言われてしまうと、深くは追及できない。彼が奔走している間に汗を拭いていた少女は、それから無言で額に缶を当て続けていた。




「麦茶と水とスポドリ、どれがいい?」

それから再び彼が話しかけたのは数分経ってからだ。

汗か、缶の表面に浮き出た水分か、どちらかが彼女の首を伝い制服の中に入っていくのを横目で見ながらそう尋ねた。

「これでいいです・・・」

既に彼女から引き継いだ熱によりぬるくなっているであろうスポドリを大事そうに抱える彼女。


「あ、お金・・・」


「いやいいよ。ってか貰えない」


「ですが・・・」


「押し問答になるから折れてくれ。あと、持ち帰ってもしょうがないから、こっち飲んだほうがいい。ぬるいのなんて飲んでもしょうがないし」


「・・・はい。ありがとう、ございます、、、」


納得いかない、申し訳ない、という気持ちが表情から読み取れたが、勝手に買ってきただけであり、むしろ余分に買ってきてる以上、その料金を要求することはできないだろう。


「あ、あの・・・」

「?」


「ちょっと、大丈夫!?」


名前を・・・と、尋ねようとした彼女のか細い声は、またも遮られることとなった。


「あなたね・・・手紙はあなたから?」

「あ、そうです」


白衣の女性は慌ただしく息を荒げながら図書室へと入り、僅かに頬の赤い彼女を見つけるや否や、状況を理解したらしい。


「熱も測らなきゃいけないし、氷と湿布も・・・保健室まで、歩ける?」


「・・・はい」


額に保険医がそっと触れると、ほのかに熱さをまだ感じたらしい。促されるまま少女は立ち上がった。


「あなたもありがとう。下校時間も過ぎてるのに・・・あとは私が何とかするから」


「わかりました。・・・失礼します」


少女を横目で見つつ、彼は出口へ向けて方向転換。

少女は虚ろながらにこちらをジッと見つめていた。


『・・・』

『お互いに声はでなかった。ただ、互いに何か言おうとしているということだけは、言わずとも伝わっており、それだけで十分にも思えた。

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