第一章 邂逅 Intoppare. (7) 苦渋の決断

 ――ノスフェラトゥのおでましだ。


 レオは背後に後退したのち、トリガーを二回引いた。一発はかすった程度、もう一発は心の臓をぶちぬいた。溢れ出る腐臭とどす黒い血液が飛沫をあげ、立ち昇る湯気が視界を遮る。


 茶金の髪と頬を濡らしながら、レオは銃を左手へと持ち替えた。そして右手を背面へと反らせると、その軌道上に鋭い刃物が降り降ろされた。コルラードの剣だった。随分古風な剣に見えたが、月明かりに照らされギラギラと光るそれは真新しいものと変わらない威力でノスフェラトゥの身体を裂く。


「腕ごと落とす気か!」


 文句を言ってやると、彼は飄々とした口調で言ってのける。


第二等級グラダーレ・ドッピオのプレダトーレなら避けられるでしょう」


 どうしてそれを、とは言わなかった。暇がなかった。

 レオは右脚を軸にし、左足でノスフェラトゥの脇腹に蹴りを入れた。相手がよろけた刹那を狙い、眉間に一発銀の弾丸をお見舞いした。そしてそれを盾に、もう一体に詰めよる。


「避けて」


 声が聞こえたのと同時に、レオは盾にしていたノスフェラトゥだったものを突き飛ばした。その一瞬を狙い、コルラードの刃が二体まるごと切り裂いた。一人目は、首筋。もう一人は、心臓。どちらも噴き出した血液が尋常でない臭いを放っている。ノスフェラトゥの血液は腐臭を放つものだが、これはその中でもかなりひどい。


 レオは思わず眉間に皺を寄せたが、コルラードはと言えばさほど気にも留めていないらしい。けろっとした表情で、死に絶えたノスフェラトゥを見て回る。


「うん、全部探していたやつだ。お見事」


 レオは懐に入れていた十字の短剣を四本取り出し、それを彼らの心臓に突き刺しておいた。これはプレダトーレの儀式のようなもので、彼らが復活しないようにまじないをかける役割を果たしている。


 目を閉じ黙祷を捧げると、そのままレオは声を投げかけた。


「あんた……、これ、同族だろうが」


 レオが一番言いたかったのは、これだ。

 目を開け、立ち上がる。見上げたコルラードは真意の読み取れない何とも微妙な顔をしていた。ただ、少しだけ悲しげな口調で言うだけだ。


「君と似たようなものでしょ。違う?」

「……違わないけど」


 レオは己の頬にこびりついたノスフェラトゥの血を袖口で拭き取り、その稲穂色の瞳を再びコルラードへと向けた。今度は苛立ちを含んだ色を孕んでいる。


「そんな目で、俺を見ないで」


 それに気付いたコルラードが、にこりと微笑んだ。そして、その両手をレオの頬へと伸ばす。ひたりと肌に触れる感触は、やたら冷たい。まるで氷にでも触れているようだった。


「離せ」


 瞳の鋭さに、若干の怒気が混ざる。それを見て、コルラードは愛しげにふふっと声を洩らした。


「その目、そそる」


 身の危険というものを、このときようやくレオは感じた。

 このまま黙っていたら、食われるんじゃないか。己はカルナーレだ。カルナーレがノスフェラトゥに血を与えるとどうなるか? 瞬時にあらゆる可能性を考えたレオは最終的に、ひとつの結論を出した。


「……おれがプレダトーレだとしても、許せるか」


 その言葉が彼の口から飛び出すとは全くもって想定外だったらしい。コルラードは瞠目し、のちに肯いた。


「構わないよ。カルナーレは俺を殺せない。絶対に、だ」

「教皇庁にばれるとまずいんだけど」

「そんなもの隠蔽してあげる」


 他には? と尋ねられ、レオは意を決して言った。


「おれにノスフェラトゥは愛せない」

「それならば、君が陥落するように全力を尽くそう」


 コルラードはそう言って柔らかく微笑み、レオからその両手を離した。


「……おれがあんたのところに嫁げば」

「最低限度のエゼクラートの安全は保障する」


 それを聞いて決心がついた。


 レオはしばらく思案顔で口を閉ざしていたが、突然その瞳をコルラードへ向けて持ちあげた。強いて言うなら、挑発。目線が孕む冷ややかさが、諦めにも似た色を同時に浮かべていた。


「――ひとつだけ言っておく。おれはあんたに嫁ぐんじゃない。エゼクラートに嫁ぐんだ」


 少なくとも、彼の元にいる必要性は充分にあった。

 ひとつは、これからもエゼクラートを守り続けるため。


 そして、もうひとつは――


 レオの脳裏にひとりの人物が過った刹那、コルラードが優しく笑った。その表情は、まるで「今はそれでもいい」と暗に示しているようだった。


「どうか、俺と結婚して下さい。レオ・クレメンティ」


 断れもしない懇願の証に落とされた掌への接吻。レオは無言のまま、そんな彼の姿を見つめていた。


 ――こうして、エゼクラート史上初の男嫁誕生となった。

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