[4] キエフの奪回

 モスクワの「最高司令部」は当初、ヴェリキィ・ブクリンの橋頭堡を拡張してキエフの奪回を目指そうとしていた。しかし、空挺作戦の実施が刺激となって、南方軍集団はヴェリキィ・ブクリンに予備兵力を集結させていた。

 ヴェリキィ・ブクリンからの攻撃が不可能と判断した第1ウクライナ正面軍司令官ヴァトゥーティン上級大将は、新たな攻撃発起点としてキエフ北方のリュテシを選択した。しかし、リュテシの周辺には沼沢地が広がっており、車両の通行もほとんど出来ない困難な地形だった。そのため、伸びきったドイツ軍も大きな兵力を配置することが出来ず、敵の攻撃発起点になるとは想定していなかった。

 ヴァトゥーティンは秘密裏に、リュテシに第5親衛戦車軍団(クラブチェンコ中将)を派遣した。第5親衛戦車軍団長クラブチェンコ中将は何本もの小川に橋頭堡を造り、それらを連結させる必要に迫られた。クラブチェンコは危険を承知で、T34に対して出来るだけ密封を施した状態で、全速力で渡河するよう命じた。大多数の戦車や兵士がぬかるんだ流れの中に溺れてしまったが、橋頭堡の拡充に成功した。

 第1ウクライナ正面軍司令部は10月末、リュテシからの総攻撃を決定した。ヴェリキィ・ブクリンに展開していた第3親衛戦車軍に対し、リュテシへの移動を命じた。総攻撃に合わせて11月1日までに、2000門の火砲と500門のカチューシャ・ロケットを集結させた。キエフ攻略に際して、ヴァトゥーティンは巧妙な欺瞞作戦を展開した。ドイツ軍の予測につけ込み、ヴェリキイ・ブクリンから攻撃を命じたが、それは牽制に過ぎなかった。

 11月1日、第27軍と第40軍がヴェリキイ・ブクリンから攻勢を開始した。南方軍集団はこの攻撃がソ連軍の主力部隊によるものと判断し、第2SS装甲師団「帝国」をはじめとする機動予備が投入された。

 11月3日、キエフ市街地から25キロしか離れていないリュテシから、凄まじい火砲の砲撃が開始された。氷雨が降る悪天候の中、第3親衛戦車軍と第38軍が突撃を敢行した。南方軍集団は不意を突かれた形になった。混乱した戦況の中、第7軍団の第88歩兵師団(ロト中将)が攻撃の矢面に立たされた。第88歩兵師団は4日間に渡って防戦を繰り広げたが、圧倒的な兵力差がある戦況では、それも虚しなかった。

 11月6日の夕方、第1ウクライナ正面軍は戦火で燃え上がるキエフを奪回した。ウクライナの首都を奪回したのは二年ぶりのことだった。

 第1ウクライナ正面軍はキエフの奪回に続いて、急速に戦果を拡大させていった。第3親衛戦車軍は第38軍の援護を受けながら、南方軍集団の背後に進出した。その間、第1親衛騎兵軍団と第60軍がジトミールとコロステニを奪回するため、西翼へ展開した。

 マンシュタインは直ちにこの攻撃に反応し、ボゴドゥコフでの勝利を再現しようとした。第4装甲軍は第25装甲師団や第509重戦車大隊などを投入し、カザチンに向かって進撃を続ける第1ウクライナ正面軍の進撃を食い止めようとした。

 11月10日、ヴェリキイ・ブクリンの橋頭堡から引き抜いた第48装甲軍団が、ファストフ近郊で第3親衛戦車軍の前進を阻止した。第3親衛戦車軍の先鋒を壊滅することには成功したが、ファストフの奪回は達成できなかった。業を煮やしたマンシュタインは第48装甲軍団を西翼へ転じて、今度は第1ウクライナ正面軍の北翼を抑え込もうとした。

 11月15日、第48装甲軍団は第1親衛騎兵軍団からジトミールの奪回に成功する。北翼ではコロステニを再占領し、中央軍集団に通じる鉄道を確保した。しかし、第1ウクライナ正面軍をドニエプル河まで追い返すことは出来なかった。

 南方軍集団の情報部が察知していなかったことだが、ドイツ軍の反撃は概ねソ連軍の主力部隊ではなく、主力に偽装された牽制部隊に向けられていたのである。それ故、攻撃開始当初は戦果があがったとしても短期の効果しか得られず、ソ連軍の「ヒュドラ」を抑え込むことは出来なくなりつつあった。

 11月30日、ヒトラーはキエフ陥落の責任を取らせるため、第四装甲軍司令官ホト上級大将を罷免した。面子のみを重んじた人事異動は、東部戦線における戦況の改善には何ひとつ寄与しなかったのである。

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