君の歯が浮いている。

機能美p

『マンガでよくわかる○○入門』がよくわかる入門。

 今となっては昔の話になる。

 覚えている方もおられよう。か。

 哲学指南書「チーズはどこへ消えた?」という本を読んだのだ。

 この、アメリカ陸・海・空軍が研修用テキストとして採用しているという、鳴り物入りの触れ込みで日本に入ってきた本。どんなものやらと、ちょいと興味をそそられて手に取ってみた。

 厚さ1センチもあるかないか。ひどく薄く軽い。

 とてもじゃないがこれでは敵兵やテロリストをしばき倒すのに心許ないだろう。極限状態において煮てもあまりカロリーが高そうには思えず、この本一冊でジャングル30km踏破は出来まい。機能性は乏しいと判断する。

 やはりUS軍が正式に採用した理由というのは書かれている内容か。 


 ご存知の方には恐縮だが、この本は、小説(というよりは寓話?)の形式をとり、登場人物の2匹のネズミと2人の小人が、如何にしてチーズをその手にするか。人生における問題の解決・回避・成功の方法を教訓とともに示唆して書いたごくごく簡単な物語。


 まあ平たく説明すると、やたら賢しい「アリとキリギリス」というか、「頑固親父と革新的な婿養子が、『酒造りは手仕事じゃなけりゃ米が死んじめぇんだ若造』『いや今は機械で生産性を高めるべきですよお義父さん?!たとえばこのナショナル自動洗濯機「愛妻号」にもろみをどばー?!』、等と論議し、『それはいけませんよ昨日それでお父さんのトランクスを』、等とえなりかずきが出てきて話をややこしくする橋田壽賀子のドラマ」のような話だ。いやどこか違う。


 ちっとも平たくならなかったが。

 用は「チャンスをものにする方法は身近に転がっている」という希望的観測と、自分にも出来そうに思える簡単な努力の方法が、話の終わりに教訓があるという日本昔話のような形でもって判りやすく書いてあるのだ。

 手換え品換えしているが、書いてあるのは、過去幾多のビジネス本に延々と書かれている内容と大差はない。

 この本の着眼点の良さは、つらつらと書く理論ではなく、ごくシンプルな寓話形式に筋立てることで得も言われぬ理解のしやすさと、説得力を与えるのに成功したことだろう。


 一時期よく、「マンガで判る○○入門」という本がいたるところで出版されたが。そして今なお出版され続けているが。

 物語をつけて追体験的に説明するという方向性は、それと同じだ。

 「寓話でわかる○○入門」というのは流行るのだろうか?


 ところで話は逸れるが、この「マンガで判る○○入門」には、かなり普遍的な典型がある。

 「○○初心者の一郎くん」と「○○にちょっと詳しい純子ちゃん」がでてきて、○○について会話しているうちに(往々にして一郎くんが「でもおかしいじゃないか?」と云い、純子ちゃんか「そうねどうしてかしら」と云う)疑問にぶちあたり、そこに神の見えざる意志かの如く偶然居合わせた「○○博士(○○のベテラン)」が会話に割り込んできて謎の解決をし、そして最後に必ず純子ちゃんが「まったくだめねぇ一郎くんは」と云って一郎くんはオチに使われる。という具合だ。

 たとえばこの本のタイトルが「マンガで判るピータン入門」だとするならば、こうだ。いやそんな本あるかは知らんが。


 喫茶店で待ち合わせをする男女。ゴメス一郎くんと、ラリホー純子ちゃん。

 ボックス席で純子ちゃんに手を降る一郎くん。

「おおいこっちこっち」

「ごめん待った?」

 席につく次のコマで突然なんの脈絡もタメもなく唐突につぶやく一郎くん。

「ああ、ピータンが食べたいなあ」

 わざわざ喫茶店に呼び出した本人の第一声とは思えぬ失礼この上ない発言に対し、

「ピータンっていうと、アヒルの卵を特別の調味液に漬け込んだ加工卵で、卵白は黒くゼラチン状で、黄身の固さには、硬心、軟心、糖心があり、糖心が一番柔らかいというあのピータンね」

 と、純子ちゃんはソノ気まんまんで、必要以上に知識をひけらかして必然性の無い会話を盛り上げてくれる。いい子だと思う。

「ええ、そうだったのかい? 僕はラーメン屋に置いてあるゆで卵の売れ残りが自然にそうなった奴かと思ったよ」

 一方、一郎くんはピータン初心者です。

「ピータンは皮蛋(ピータン)と書いて、中国の食べ物なの。その発祥は、明の時代まで遡るわ。

 時の皇帝万暦帝が寵愛していたアヒルが卵を残して不慮の事後で死亡。

 その死を嘆いた万暦帝は3千人の民衆をかり出して墓を造り、アヒルの亡骸とともに卵も手厚く葬ったとも伝え聞くわ。

 でも暫く後に、寂しさに耐えきれなくなった皇帝は、夜にこっそり墓の中をのぞき込んだの。

 すると、母に抱かれたアヒルの卵が、得も言われぬ芳醇な香りを放っているのに気づき、辛抱たまらなくなった皇帝は卵を持ち帰り秘密裏に料理をさせたの。

 味わったその瞬間、皇帝は、雛鳥の頃から育ててきたアヒルの思い出が一気にわき起こり、アヒルの名を呟くと泣きに泣き濡れたというわ。

 『ああ、ピーたん』と。」

 「純子ちゃん。君という人が少しわからなくなったよ」等と一郎くんが呟く訳もなく、この不自然な男女の会話は際限なく続く。

「なるほどね。でもおかしいじゃないか。どうして卵は腐らなかったんだい?」

 鋭い指摘。だが惜しい。そこじゃない。

「そうね。何故かしら?」

 純子ちゃんのバイヴスも負けてない。

 すると、突然グラスを洗っていたカウンターのマスターが、伏兵の如く不自然な会話に自然に参戦。

「それはね、十分腐っているんだよ。でも、製法に秘密があるのさ」

 よく見ると胸のあたりに「ピータン暦20年のペテラン。喫茶ランランのマスター」と四角く囲まれたを枠を表示している。何故そこまで製法に精通しているひとかどの男が喫茶店のマスターという職に甘んじているのかという疑問は捨て置き、口ひげにカッターシャツを来た今時いなさそうなマスターは語る。

「よければ、これから僕のピータン造りの現場…ピータン畑を見に来るかい?」

「ええっ、いいんですか」

「うわあい、やったね!」

  片目をつぶり指をパチンとならす一郎くん。この上なく不自然なまま同士はどんどん増えてもうみんなピータンの虜。逢えばピータンの話しかしない異様な集団の出来上がり。畑で採れるのか。知りたい。

 で、最後には一郎くんが、

「ああっ、しまった。せっかく純子ちゃんを映画に誘おうとおもってチケット用意したのに…」

 頭を抱えて涙ぐむ一郎くん。冒頭の第一声からはまったく伺いしれない思惑の発露。 

 まるで他人事のように笑う脈なさそうな純子ちゃんとピータン仲間。

「まったく駄目ねぇ一郎くんは」

「トホホ…僕もピータンになりたいよ」

 意味が計り知れぬ難解なオチを置き去りにして、「マンガで判るピータン入門」はこれにて終わり。


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