星海のスペランザ

蒼北 裕

第1話 遺産

 人類の止まる事の無い人口増加、それに比例するように進む環境汚染、底が見え始めた地下資源。当時の国際研究機関は各国首脳に「大気圏外における居住空間の確立」への協力を促した。

 世界中の人々が新たな時代の幕開けを信じ、西暦に別れを告げ、銀河暦0年を迎えた。

 様々な国家協力の元、銀河歴10年、人類は宇宙居住空間「フォートレス」の開発に成功した。これによりほとんどの人間が地球から離れ、新たな環境で生活を始めることとなった。地球に残った人々は荒廃した故郷で細々と生活することとなった。

 これにより人類は地球を事実上放棄し、その生活圏を宇宙空間へと移した。


 時は銀河暦50年、それまでとは異なる環境であるにも関わらず人類は着実に順応し始めていた。食料供給の安定化、他のフォートレスとの流通ルート、またその手段の確立、衣食住が満たされたことにより新たな産業が生まれ、宇宙という環境下での様々な発見、研究が進み、人類は過去のような暮らしを獲得するまでに至った。

 

 銀河歴100年、人類は最初地球周辺だけであったその生活圏を太陽系全域まで拡大させる。人類という種は今や膨大な数まで膨れ上がり、銀河歴10年の頃のフォートレスが80であったのに対し、今や数千にまで増加していた。

 必然的に、その余りにも広くなり過ぎた生活圏を一つの組織で管理することは出来なくなっていた。

 


***



銀河歴270年 ノースアイランド統括局立博物館 エントランス



「―――そこで我々人類の中から、偉い人たちが集まってたくさんあるフォートレスをいくつかのグループに分けることにしたのです。それこそ皆さんも知っている通り『経済圏』と呼ばれる地域です。今皆さんがいるノースアイランド統括局立博物館のあるここ、フォートレス・トーキーは、ノースアイランド経済圏の首都と同じ機能を持っているのです。また、トーキーは銀河歴初期に建造された最古のフォートレスの一つであるため、ところどころに補強している箇所があるのです。うっかり近づいたりすると、宇宙に投げ出されてしまうかもしれないので、気を付けてください」


 まだ十にも満たない子供たちの視線を一斉に受け、この説明を早く切り上げてラクになりたいと思っている、そんな僕がいた。

 平日の朝は客もほとんどいない。大昔、地球のヨーロッパという地域で盛んだった舞踏会、その宮殿に似せたエントランスには冷たい空気が流れていた。

 僕は子供たちを見渡すフリをして辺りを見た。朝方のせいか少し薄暗いエントランスには入口から光が差し込んでおり、博物館に入ってくる人の影を大きく映した。


 一通り説明し終え、先へ進む子供たちへ手を振る僕の後ろから拍手が聞こえてきた。


「ようやくここでの仕事も板についてきたようだね。ハザマ君」


 そう言葉をかけたのは老齢で紳士服を纏った男。この博物館の管理者であるヤカタさんは、今日の夜からここで行われる定期集会の準備に取り掛かっていた。休憩がてらに僕の様子を見に来ていたらしくシワのよった顔には疲れが見えていた。


「いえ、僕にはこれくらいしか。そちらのお仕事も手伝うことが出来れば良いのでしょうが」


「そうか、結果はいつ頃になるんだい?今回の機動試験では随分な立ち回りをしたそうじゃないか。」


「翌週には出ると思うのですが。あの日が近いと、どうしても焦ってしまって」


「焦るな、とだけ言うのも心もとないだろう。老兵からのアドバイスだ、あくまであれは宙海での生存力を測るものであって、撃破数ではない。幸い、この付近では大きな海戦はここ数年起きていない。ある程度の余裕を持つべきだろう。でなければ不測の事態に対処するための場所を失うことになる」


「はぁ、場所ですか」


「常に考え続けろ、一つの戦力としてではない、一つの生き物として思考し、行動しろ。戦場は、ハザマ伍長が思うほど単純ではないのだよ。戦場には常に———」


「様々な思惑が動き回っている、ですよね。ヤカタ中佐」


「ふっ、ハザマ君も心構えだけは一人前になったようだね」


 ヤカタさんはそういうと懐から焼薬を取り出し、先に火を点け口へと運んだ。口にくわえたそれを吸っては疲れと共に煙を吐き出した。空気に溶け込むように吐き出された煙のその姿は霧が如く白く広がり、やがて消えていった。

 持ち場へと戻るヤカタさんの後ろ姿を見送りながら、僕は以前にこの焼薬について調べたことを思い出していた。


 焼薬とは棒状に固められた強壮剤である。先端に火を点けることで完成し、もう一方からそれを吸い込むことで体内に取り込み、吐き出す際には老廃物と反応し白い煙となって無害なものへとなって体から出ていく。大昔にはこの焼薬の元になった“煙草”というものがあったらしい。しかし、今とは効能は大きく違い、体に害を与え、中毒性もあったが愛好家も確かにいたという。



***



 日はとうに落ち、閉館時間を迎えた博物館ではあったが今日だけは違った。博物館の周りを囲むように広がる庭のあちこちでは灯りが見え、博物館のゲートを通る多くの人々が、今日が特別な日であることを強調している。

 博物館には似合わない派手な色をしたドレスを身に纏った女性や、恰幅の良い老人、軍の将校も数多くいる。まるでこの博物館の周りだけ世界が違ったように感じるのは、元から周辺に建物が無いということだけではないだろう。夜の闇色が一層、現実との境界を薄くしているのだろう。

 ゲートから街を見下ろすと、全てがジオラマのような気がした。あの一つ一つの明かりは人の明かりではなく、単なる照明であると。


 空―――フォートレスの天井を見上げれば、あのどこまでも広く深い宇宙の海、投影機の向こう側のあの海が目に浮かんでくるようだった。


 ゲートをくぐる人々を横目で見ながら、時々手元にある端末へ目を落とす。非招待客は丁重にもてなすという、一種の作業のために僕はここに立っているのだ。AiM乗りである前に、自分が軍人であると気付かされる時である。

 ふと、一人の女性が目に映った。それは偶然ではあるが、何か運命のようなものを感じたのだ。

 その女性は年若い軍人を数人引き連れていた。決して人目を引くようなタイプではないが、自然と彼女を見つめている自分がいた。

「よっ!フミオ=ハザマ伍長。首尾はどうだい」


 急に背中を叩かれ、「わッ!」という声が上がるほど驚いた。背中を叩いてきた本人も驚いた後「スマンスマン」と笑って謝ってきた。


「何か、目を引くようなものでもあったのかい?フミオ君」


「いや、そんなんじゃないですよ。それに、“フミオ君”ってやめてもらえませんか。名前、好きじゃあないんですよ」


「それは失敬失敬、しかしだな。自分の名前を憎むのは良くない、実に良くない。そういう時は名前を付けてくれた親を恨むもんだ」


「仕事中ですよ、ギブソン少尉。それに、自分の持ち場を離れるのはどうかと思いますけどね」


「まぁそうカリカリするなよ。好みの女の子を逃がしたからって上官に八つ当たりはよくないと思うぞ」


「なっ・・・!何を・・・!だから違うって言ってるじゃないですか。それに、どうしてわかったんです?」


 ギブソン少尉は辺りを見回すと、他には聞こえないように僕に囁いた。


「一つ、どうやら今日の舞踏会には外交上良くない連中が紛れてるって情報だ。上はだんまりを決め込んでやがる。今、この博物館には何か。何かがいる」


 真剣な表情を見せるギブソン少尉に続きを聞こうとしたが、それよりも早く彼は僕に言った。


「そうだ!真面目な伍長に任務を与えるためにここに来たことをすっかり忘れていた。伍長の恋愛事情は置いておいてだ」


 もはやツッコむ気も起きず、「はぁ」という返事が口からこぼれた。


「地下倉庫のAブロック、そこの様子を見てきてくれ。先日の演習でうちの隊のバカが演習用の弾を当てやがった。幸い大きな空気漏れは起こっていないが管理システムで警告が出ていてな。状態を確認してきてもらいたい」


「Aブロックって一番最下層じゃないですか。技術部の人員を派遣すべきでは?」


「あー、そうしたいのだがAブロックには予備のAiMが格納されていてな、基本的に博物館勤務のパイロットにしか入れんのだ。無論、他の職員なり一般人がロックの解除無しに立ち入れば警報がなるようになっている」


「その話、初めて聞きましたよ」


「ん?そうか、そうだったか。まぁ、伍長も訓練生を卒業すれば教えてもらえるだろうさ。解除には自分の管理章を出せばいい。入室許可は取れているはずだ」


 そう伝えるなり、ギブソン少尉は警備室から出て、人混みの中へと消えていった。



 僕は他の警備員にそのことを無線で伝え、博物館の裏側、“関係者以外立ち入り禁止”と書かれた扉を開け、最下層、Aブロックまで軋む昇降機で降りていく。4つの柱とそれを囲うようにある落下防止の柵、安全性の低い簡素なこの昇降機は、このフォートレスが最初期に作られたものであることを物語っている。


「この昇降機、早く取り換えるべきだろうに」と、ぼやきながら自分の身体がゆっくりと深い闇の中へ沈むのを感じた。


 ゴウン、ゴウンと昇降機は鈍い音をたて、生暖かい風が肌に触れ、華やかな空間から虚無へと徐々に移り変わっていった。あまり高くない柵だけが、この身体を守っているのだと思うと、恐怖からか身体が震えてきた。ところどころに赤、緑、青といった光が見える。非常用ランプ、照明のスイッチなどの光を見ていると、あの光景が目に浮かんだ。


 自分という存在が、世界が一瞬わからなくなってしまう、そんな海を。ハンドルを握る手が震える。誰かの声が僕の名前を呼ぶ。青い光の筋が目の前を横切る。

 



 駄目だ・・・駄目だ・・・駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ—————




 永遠のように感じられた昇降機がその動きを止めた。「ピー、ピー」という音と共に昇降機の柱に括りつけられた簡易モニターには“最下層”の文字が表示されていた。

 僕は緑色に光る照明電源の元へ暗闇をかき分けるように進んだ。押しボタン式のスイッチを作動させると、大きな音と共に壁に取り付けられた照明が白い光で部屋を照らしていた。

 ギブソン少尉の言っていた通り、そこは一列に並んだ3体のAiMが収納された格納庫になっていた。見たところどれも旧式と言っていいほどで、博物館に展示されているものと同一の機体だった。展示品は基本的にレプリカで動かすことは出来ないが、なるほど、ここにあるものは展示品の一部という扱いだろう。主だった武装は取り外されており、展示品に比べ幾分か貧相に見える。

 

 ふと、AiMに夢中になり自分の仕事を忘れかけていたその時であった。


 空気の抜けるような音が耳に入ってきた。本来の仕事を思い出し、辺りを見回し音の出どころを探ってみる。すると、中央のAiMの影で補強区域への出入り口を示す補強シートがヒラヒラと一部を泳がせているのが見えた。どうやらこの先に原因となった“穴”があるのだろう。細かな箇所を伝えるためにも、一度中へ入ってみることにした。幸いなことに出入り口の横に作業用具ロッカーがあり、防護服まで置いてあったことには喜んだ。

 何せ、つい先ほどまで自分が防護服を忘れてしまったということを、このロッカーが視界に入るまで気が付かなかったのだから。



***



 本物と見紛うような立体映像とスピーカーから流れるオーケストラ音楽がホールで反響し、賑やかな舞踏会をより一層飾っていた。会場の中央では今も多くのペアがダンスをし、その両側には豪勢な料理が所狭しと純白のテーブルに並べられ、多くの人間がワインを片手に相手との世間話を楽しんでいた。

 そんな会場を複雑な表情で見つめる老齢の男が1人、彼の視界にもまた1人の真剣な表情の女性が映った。女性は赤いドレスを身に纏い、とても存在感があったがその表情はとてもダンスをしに来たようには思えず、その場から少し浮いてしまっていた。


「すっかり遅くなってしまい申し訳ない。どうですかな、ここの舞踏会というのは」


 男はそう言うと、女性の手の甲へそっと唇を当てた。


「普段は鉄の船にいるので、こういった雰囲気にはどうも慣れませんね。今は、あの暗い海が恋しいと感じてしまいます」


「ふふ、さすがはセパロンのワルキューレといったところですかな。戦場が生きる場所だと?」


「さあ、どうでしょうか。フォートレスに長く滞在しているせいなのかもしれません。久々、ですから」


「場所を変えましょう、ここではあなたのことを快く思わない客人もいる」



 老齢の男は女性を連れ、扉の奥へと消えていった。扉の奥は長い廊下があり、しばらく進んで行くと男はある扉の前で止まった。そこには“館長室”と書かれたプレートが取っ手に掛けられていた。中に入ると、二つのソファに長テーブルが挟まれる形で置かれ、壁には博物館の庭を除くことができる窓が取り付けられ、ここが館長の部屋であることを誇示するような立派な木製のデスクが置かれていた。


「慣れない場で疲れたでしょう。それで、今回の訪問の用件をお聞かせ願いたい」


 ソファに腰を下ろした女性は、それまでのどこか初心さが残る雰囲気は掻き失せ、鋭い刃物のような視線をヤカタ中佐へ向けた。


「ヤカタ中佐、単刀直入に言いましょう。“遺産”をセパロンに引き渡していただきたいのです」


 ヤカタ中佐は目を細め、ゆっくりとデスクの椅子に腰を下ろした。


「アリアミア少佐、君は何を言っているのかね。そもそも、私にはその“遺産”というのがわからんのだ」


「あくまでシラをきるつもりですか、結構。あなたがたの政府もその存在についてはノーと仰っておりました。だから直接出向いたのです」


「どういうことかね、少佐。まさか、ここにその“遺産”なるものがあると?」


「少なくとも我がセパロンの頭脳は示しているのです、遺産のありかを。知っていようとなかろうと、大きな問題ではありません」


「その遺産とは如何様な物か、教えてはもらえないのかな」


 ヤカタ中佐の問いに対し、アリアミア少佐はしばらく何かを考える素振りを見せると、身に着けていたバッグから1つの光学球体を机の上に置いた。


「ヤカタ中佐。あなたになら話しても良いと上層部からは許可を得ています。故に、こうしてあなたに会いに来たのです。遺産についてはこちらをご覧になれば、それがどれだけのものかお分かりになるでしょう」


 ヤカタ中佐はそれを目にした途端、“遺産”なるものの重要性を確かに感じたのだった。



 光学球体が映し出したのは

———————すでにこの銀河系から消えたものであった。

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