ひょっとこよ、こんにちは

 私は今、ひょっとこになっている。冗談ではなく、言葉通りだ。


 重たい身体を起こし、十畳の宴会場を抜け、何度かつまづきながらやっとのことで辿り着いた洗面所には、口を伸ばした間抜けづらがいた。そう、鏡である。しかし、しばらくの間はそれと気づかずに呆然とそいつを眺めていたのだが。


 ひと寝入りしたおかげか、酔いはめていた。こんなめんをいつ身に着けたのかは思い出せないが、随分阿呆あほうなことをしたものだと後悔する。


 その晩は、フランスへ留学する友人の送迎会がもよおされていたはずだ。会場は別の友人が借り受けている長屋である、と思う。記憶がおぼろげであるのは全て酒のせいだ。ひょっとこ面の中がどれだけ酒臭いか、キミにも嗅がせてやりたいものである。


 私は冷静な目でひょっとこを見つめていたのであるが、なるほど、良い出来である。世間に良いひょっとこと悪いひょっとこがあるならば、これは前者だ。


 まずもって語るべきは目玉である。いわゆるひょっとこの黒目は大きく作られているのだが、これもご多聞たぶんに漏れずルールにのっとっている。しかしながら使用者を配慮はいりょしてか、黒目の中心が小さくかれているのであわや転倒といった惨事をあらかじめまぬかれる設計である。加えて、全体の黒目を損なわぬように、一般人の黒目に合うようなサイズの穴になっている。視界は狭いものの、余程のおっちょこちょいでなければアクシデントは起こらぬであろう。


 ユーザビリティと芸術性のバランスが絶妙であり、それは口の部分にも表れている。湾曲しつつ突き出た口は刳り貫かれており、呼吸に差し支えることはない。更に、内部は使用者の口と密着するような仕組みになっており、ひょっとこの口に酒を注げばそのままごくりとやれる仕様だ。

 口だけでは呼吸に支障があるやもしれぬと考えたのか、鼻の部分には大変細かい穴が幾つも開いており、鼻呼吸も万全といった具合である。


 いやはや、感服の至り。


 その他幾らでも発見しようと思えば美点はありそうなものだが、そう長々と感心してはいられない程度に私は醒めていた。

 宴会のヒーローは終了、ただの青白い青年に戻る時だと言い聞かせ、私はひょっとこに手をかけた。

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