第22話『最弱の勇者 VS 最強のママ(前編)』



 魔導師の少女が詠唱を始める。その途端にママこと、女性の様子が急変する。頭を抱え、苦痛にもがきながら咆哮したのだ。




「ぐあぁあぁああぁあああああぁあああぁああぁ!!!!」





 従属化の魔術に抗っているのか、もしくは彼女の持つ暴力性が感化されているのかは分からない。だがどちらにせよ、その姿は怒れる獰猛な獣だった。鋭い視線と歯を剥き出しにして、眉間にシワを寄せたその姿に、かつての美しさはない。


 変わり果てたママは、口から『カハァ……』と湯気のような白い息を吐き、ハルトに向かって駆け出した。




「――クッ?!」




――殺される!!




 身の危険を感じたハルトは、DART-Gを女性に向けて構える。




 彼女に銃口を向けたくはない。


 彼女と戦いたくはない。



――しかし、目の前に迫ってくるのは、見紛うことなき殺意の塊だ。


 ハルトは『急所にだけは当たらないでくれ』と祈りつつ、引き金を引いた。――しかしそれ以前の問題だった。女性は残像を残すほどの猛スピードで、右へ左へ弾丸を目視で避けたのだ。




「う、嘘だろ!?」




 人の域を越えた速度に、ハルトは驚愕し、恐怖する。――死が唸り声を上げ、目前に迫っているのだ。




「は、疾い! これが彼女の力なのか?!」




 ハルトはホールドオープンしたDART-Gに、新しい弾倉を装填する。そして襲いかかる死を迎撃しようとする。しかし怒気に包まれた野獣が、ハルトに追ついてしまった。



――ハルトの胸部に、衝撃が走る。



 女性は鉄山靠によく似た格闘術で、ハルトを吹き飛ばしたのだ。





「――――グハッ?!」




 ハルトは上下左右の感覚が分からなくなるほど、盛大に転がる。河原の砂利は丸いものが多かったが、石であることには変わりない。彼の額が裂け、血が溢れ出す。



 体中に激痛が走る。



――しかし、ここで止まるわけにはいかない。動くことを止めれば、間違いなく彼女の餌食になるからだ。



 ハルトは痛む体を叱咤させ、急いで立ち上がる。――そして彼の判断は正しかった。ママの踵落としが、ハルトの倒れていた場所に炸裂したのだ。あと一秒でも遅れていれば、腹部に強烈な一撃が炸裂していただろう。



 ハルトは至近距離でハンドガンを連射する。その独特の姿勢は Center Axis Relock Systemと呼ばれる、CQBテクニックの一つだ。閉所においての射撃を考慮して編み出された、独自の射撃スタイルである。



 ハルトはある映画に感化され、この撃ち方を習得していた。


 もちろん日本は銃社会ではないため、専門の射撃場も講習場も存在しない。そのためハルトは、海外のインストラクターが配信している、C.A.R. Systemレクチャー動画を見て、その基礎を愚直なまでに叩き込んでいたのだ。


 家に引きこもっているハルトにとって、訓練する場所も時間も十分にある。そんな余りある時間を存分に使い、CQBをマスターしていった。


 所詮は趣味の延長線上。エアガンを使用した、見よう見まねの練習だった。


 しかしこの異世界において、その蓄積された鍛錬の成果が発揮される。死に直面した体が、生きるために自然と動いたのである。明確な意志ではなく無意識――より正確に言うならば、生存本能だろう。



 一方、危険を察知した女性は、咄嗟に後方へ飛び退く。ハンドガンから繰り出される衝撃弾を緩和させながら、空中で一回転し、また河原に着地した。




 ハルトの出方を伺っているのだろう。女性はその場で佇み、獰猛な獣のように喉を鳴らしている。




「グルルルル……グルルルル………」





「くそ! 当たっているのに、まったく手応えがない。あんな華奢な体に、いったいどんな筋肉詰め込んでんだよ!!」





 ハルトは彼女と旅をする中で、その疑問がいつも頭に過ぎっていた。



 カームのように服を脱げば、筋肉質な体だったら話は分かる。しかしママこと女性は、そんなことは微塵もない。もちもちとした柔らかさで、傷のないただひたすら美しい体だった。



 そんな細い体にも関わらず、ゴロツキの男性を返り討ちにして、その彼らを屋根下に吊るしている。挙句には、山賊の頭領であるカームが手も足もでないほどの、豪腕を誇っているのだ。しかもそれだけではなく、その動きはまるで狼の如き俊敏さである。



 強靭な体どころの話ではない。まるでゲーム内の設定をイジりにイジった、チートキャラではないか。




「硬い体だ! これじゃエンチャントやバフを何回も重ねがけしている、チートキャラじゃねぇか! こんなもん勝てるわけがな……いや待てよ――」

 



 ハルトはその仮説を元に、打開策を考案する。



「いくら筋肉の鎧を身に纏っても、衝撃弾が効かないのはおかしい。あの人外な身体能力はどこから来ている? あの魔導師の少女が与えたもの? いや違う。あの強さは、出逢った直後から持ち合わせていた。だとするとあれは――」



 そんな最中、彼の視界にあるものが移る――カームが使っていたあの呪符だ。先の戦闘で殴り飛ばされた際、カームが落としたものだろう。


 手札の少ないハルトにとって、その呪符は、神というディーラーから配られた手札。この窮地から抜け出すための、まさに最高の切り札だった。



 彼は即座にその呪符を拾い、この世界と、元いた世界の神々に感謝する。




「今まで散々神様を恨んで来たけど、……今宵は素直に、この好意に感謝するしかない」




 ハルトは最弱の勇者だ。他の勇者のように、強大な魔力も、それを創生することもできない。そしてこの呪符一つでは、なにもできなかった。




――戦う能力が皆無な勇者。まさに、存在価値のない、最弱を冠するに相応しい。




 しかし神とて、まったく能力を与えていないわけではなかった。魔力を消費することのない、ある別の力をハルトに享受していたのだ。




 彼が、その能力に気付いたのは皮肉にも、召喚された国から追放された後のことだった。


 彼が勇者としてではなく、この世界の住人として溶け込むには、この能力はまさにうってつけ――現にここまで、自分が勇者と知られることなく旅を続けることができた。それは偏に、この能力のおかげだった。




 そして今こそ再び、その能力を使う時だった。





「俺は魔力もなければ、魔法も使えない最弱の勇者だ。――でも俺には! この力がある!!」





 そう告げたハルトは、隠していた力を呪符に注ぎ込む。




 眩い光が呪符を包み込み、その情報がハルトの脳内に書き込まれる。そしてその構造と概念は解析され、新しい呪符が複製された。元の存在とまったく同じものを、等価交換の概念すらも超越し、無から有を創生したのだ。



 今まで必要に迫られた時に限り、この能力を使用してきた。



 身を護る武器や、必要最低限の路銀。旅をするにはあまりに不都合な、肥満体に、勇者として認知されている顔――。


 

 他者に悪影響を及ばさないよう細心の注意を払い、ハルトは人知れず能力を使用していた。だが彼は、この能力の限界値を知らない。



 試すことすらも、彼は躊躇っていたのだ。



 なぜならこの能力は、魔力が存在するこの世界においても、あまりに異質だったからだ。もしも多用し、世界が崩壊するようなことがあっては目も当てられない。だから今まで、なるべく使用しないで旅を続けてきた。




――今、この時までは。



 ハルトは、この異世界の万象――遍く摂理に干渉する。




 呪符は一つや二つではない。総勢何千という呪符が、彼の能力によって生み出され、宙に展開したのだ。




 蒼き光を帯びた呪符が、まるでハルトを護るように布陣し、壁のように隊列を組む。ある種の意志すらも感じる挙動だった。



 この世界の常識を逸脱した光景。加えて、得体の知れない未知なる力を前に、魔導師の少女は狼狽え、畏怖すらも抱く。魔導学の観点から見ても、人知を超えた力だった。


 魔導師の少女は、震える声で叫んだ。




「なんなのこれ……魔法? いえ違う!! これは魔法じゃない! この力は――解らない。いったいなんなの……なんなのよぉ!!」




 思わずプライドも権威も忘れ、怯え、誰に言うでもなく問い掛けを叫び続ける少女。彼女は慌てて本音を隠し、団長として冷静さを取り繕う。




「まさか……神機持ちの勇者だっていうの?! クッ!! だ、だからなに? 斃せばいいだけじゃない! そうすれば、私の名に箔がつくんだからァ!!」



 魔導師の少女は、この状況は窮地でなくチャンスと捉え、無理やりポジティブに解釈する。そして高らかに杖を掲げ、詠唱する。凶暴化を促す魔法で、彼女の闘争本能を剥き出しにしたのだ。




「さぁ行け傀儡! その拳で勇者を斃すのよ! 奴を仕留めれば、私はさらに有名になる……知名度が上がる! そうなれば、みんなから憧れの視線が注がれる! 私のことを注目してくれる! さぁ私の栄光のために、ヤツを喰らい殺せ!!」




 怯えた心を激励するため、彼女はこれから歩むであろう、輝かしい人生プランを声高に叫んだ。しかし裏を返せば、勇者を相手に負けるかもしれないという可能性から、少しでも目を逸らしたかったのだ。



 再び、ママが怪物のような咆哮を上げる。そしてハルトに向かって、一気に駆け出した。銃撃を避けるためだろう、ジグザグに蛇行しながら彼我距離を高速で詰めていく。


 ハルトは蒼き壁と化した呪符を背に、逃げることなくその場に佇む。そして頃合いを見計らい、野獣と化した女性に手をかざす。呪符にすべてを託して――。




「彼女から、すべての幻想まほうを取り除く――征けぇ! 総 符  陣  !! エンチャント パルヴァライズ!!!」




 ハルトの掛け声に呼応し、何千もの呪符が女性を取り囲む。そして蒼き光が徐々に増していく。――それは浄化の光だった。彼女にかけられたすべての魔法を、呪符の力を総結集させて除去したのだ。




 光が止み、辺りは静寂に包まれる。




 あれほど暴れまわり、獣のような形相をしていたママは、元の美しい顔を取り戻す。そして意識を失い、膝を折り曲げて、その場に倒れ込んだ。



 ハルトが行ったのは、彼女を蝕む従属化の魔法を解呪すること。そして彼女が無意識に使用している、近接戦能力強化のエンチャントを取り除くことだった。


 近接戦強化の魔法。例えるなら、それは目には見えないパワードスーツと呼べるだろう。関節のトルクを魔法によって外部からサポート――そして負担を軽減させつつ、パワーアシストを行う。使用者の力を、何倍にも増幅させるのだ。



 だからこそ、鍛えていない体にも関わらず、ゴロツキを捻じ伏せ、カームと対等に渡り合うことができたのだ。



 ハルトは急いで駆け寄り、彼女を抱き上げた。



「大丈夫か! しっかりしろ!!」






――しかしその返答は、拳だった。




「ぐはッ??!」




 ハルトは油断していたのだ。


 呪符の力を借り、エンチャントをすべて取り除いたことによって、彼女は元に戻ったと思っていた。――しかし、悪夢はまだ終わっていなかったのだ。




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