第14話『情事後の水浴び』(クロエ視点)



 ハルト、クロエ、カームの三人は、大惨事にあった体を洗うため、アジト下の川に来ていた。



 先にハルトとカームは洗い終え、川岸へと上がっていく。



 一方クロエは、まだ川の中にいた。



 この惨事を引き起こした張本人として、二人に合わせる顔がなかったのだ。




「まだあのトラウマが……心に残っているなんて――」




 クロエは顔を洗いながら、気分を落ち着かせる。



 ハルトと一線を越えようとしたあの時、昔の出来事を思い出し、嘔吐してしまったのだ。



 自らの心を律するため、川の水でもう一度、顔を洗う。


 そして顔を上げる時にあることに気付き、川の対岸に視線を向けた。





「河原の向かい側。あの奥で……襲われたんだっけ」






 彼女は昔、人間たちに襲われた過去があった。






 クロエはある使命を受け、この森を守護する役に就く。


 カームに出逢うよるも前から、彼女はずっとこの森で暮らし、ここを根城にしていた。


 森に近づく者を斥候し、眠り薬に浸した吹き矢で眠らせる。または幻惑や睡眠を齎す香を焚き、幻を見せて恐怖を煽り、欺く。人間がこの森に立ち入らないよう、彼女はずっと目を光らせ、常に監視していたのだ。



 『あの森には、得体の知れない者が住み着いている』



 そんな噂が流れたのだろうか。クロエを退治するために、冒険者の一党が現れる。


 この森を熟知しているクロエだったが、それでも刃が立たなかった。


 襲撃者の魔法攻撃や剣の腕前、そして森の移動に必須な機動力は持ち合わせておらず、どれも熟練とは言い難かった。しかし相手の連携攻撃が敗北の決め手となる。いつも人間たちを翻弄させていたクロエが、逆に翻弄され、為す術がなく追い詰められたいった。そしてこの森の――ちょうど今、彼女が立つ川の向こう岸で捕縛されたのだ。


 クロエを捕らえた冒険者の少女たち。彼女たちは話を聞いてくれるような、友好的な相手ではなかった。



「エルフは人間ではない――そうよね?」

「そうそう。貴女ご存知なくて? 家畜なのよ」

「服? 家畜に服は必要ないじゃない」



 そう言い放つと、クロエから服を剥ぎ取り、数々の恥辱を行ったのだ。


 敗戦したエルフに、人間のような権力も後ろ盾はない。亜人という下位部族に蹴落され、半ば迫害が了承された存在なのだ。生かすも殺すも弄ぶのも、捕獲した人間次第だった。




 クロエの心が折れかけた――その時だった。




 カームが颯爽と現れ、暴漢の魔の手からクロエを助け出したのだ。



 その時のことは、クロエの心に焼き付いている。なぜなら彼女にとって人という概念を覆す、未曾有の出来事だったからだ。


 カームは人であり、エルフではない――つまり命を賭けて助ける理由もなければ、義理もないのだ。なのに彼女は危険を顧みず、たった一人で立ち向かい、冒険者を追い払ったのだ。



 その後、保護されたクロエは山賊に加わり、斥候を教える教官として役職についた。ハルトやキャラバンを奇襲したもの、彼女の教え子たちだ。



 もちろん人間であるカームや、その仲間たちを信頼してはいない。相手は裏切りに定評がある人間だ。魔族と共に戦った亜人を切り捨て、自分たちの理想の世界を築かんとする野心。その傲慢さには恐れすら抱く。


 だからこそ、彼女たちも他の人間たち同様、善人の皮を被り、自身を利用しているのだ――。クロエは考えていた。



 しかしどれだけ時間が経っても、そういった素振りは一切見せなかった。それどころか、どんどん彼女たちと打ち解けてしまい、いつしか、家族同然となっていた。まるで種族の違いなど存在しないかのように……――。



 まだクロエは迷っていた。


 助けてもらった恩は返し、十分に義理は果たした。山賊たちの斥候技術も、見違えるように腕を上げた。手を切るのなら、今、この時を置いて他にない。これ以上深く介入すれば、別れが辛くなるのだから。




 裏切られる前に。


 傷つく前に。


 この夢のような時間が儚く散り、悪夢へと変わってしまう前に……。





 クロエはポツリと呟く。それは誰に言ったものではない、自分自身への問いかけだった




「もう、頃合い……なのかな?」





 クロエは自分からの問い掛けを保留にする。今はその案件よりも早急に解決すべき事案があったからだ。



――ハルト。あの男だ。



 あの男はなにかを隠している。

 なにかが、他の人間たちとは違う。



 もしかするとそれは、亡き祖国からの命に関係しているのかもしれないのだ。



「ハルト……。もし、私の見立てが正しいのなら、彼に協力を仰ぐ必要がある。でも私が下手に口を滑らせば、この森の秘密を、人間たちに晒すことになる。どうする? 他になにか手は――」



 カームは、今、彼の置かれてる状況を利用することにした。


 ハルトは捕虜に近い状態だ。危害は加えられないという事実に気付きつつある。しばらくすれば、緊張が解れて安堵するだろう。――そうなってくると、人は本音が出やすい。探りを入れるにはもってこいの機会だ。



「……彼が口を滑らすのを待つしかない。こういった状況下ではボロは出やすい。とにかく彼の言動を聞き逃さず、留意しよう」




 とりあえずクロエの独り会議が終了する。そして川から出るためカームたちがいる方向を見た。するとある事に気付き、彼女は足を止める。




 カームとハルトが、岩陰でなにかを行っていた。



 エルフは耳の形状ゆえか、遠くの音を拾ってしまう。そのため様々なことが嫌でも聞こえてしまうのだ。


 そのため、岩陰で二人がなにをしているのかをクロエは察した。


 アジトで行われていた宴。まるでその熱に侵されたかのように、二人は興奮に酔いしれ、営みを悦しんでいた。



 それに気付いたクロエは、最初こそ不快に思ったが、カームの真意を見抜き、自分を恥じた。



「そっか。カームは私のフォローを……」



 本来クロエが行うはずだったことを、頭領であるカームが、直々に行っているのだ。部下の犯した失態を拭うために……。


 それに関して、クロエは申し訳なく思いつつも心の奥で、少しムッとしていた。なぜかは分からない。おそらく自分がこれだけ悩んでるのに、カームは相も変わらず平常運転なのが、心のどこかで許せなかったのだろう。


 そしてカームは人間特有の、万年繁殖期を謳歌している。


 もちろん人間とエルフは違うのだから、同列に語るのは間違いだ。それはクロエ自身、十分に承知している。――されど、『愛し合う行為は神聖』と考えるエルフにとって、人間たちが頻繁にする行為は、驚きと吐き気を覚えるものだった。


 人目を盗んでどこでも抱き合い、舌を交えてキスをする人間たちの行為。それはまるで、エルフの恋愛観を侮辱しているように感じてならなかった。そのためクロエは、心のどこかで人間たちを軽蔑し、腹を立てていたのだ。



 だからこそクロエは二人に、ちょっとした仕返しをすることにした。



 クロエは、二人の行為が終わる頃合いを見計らって、川から上る。そして二人の後ろを横切る間際、こんな言葉を置いていく。釘を刺すような口調で、





「ずいぶんお盛んでしたね。声を押し殺していたようですが、私のところまで嬌声ダダ漏れでしたよ」――と。





 クロエの悪戯はまんまと成功し、カームとハルトは目を真ん丸にして驚いていた。






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