第2話 一頭の狼と七匹の子犬

 入学式当日――。

 貴文は晴れて職員として参加することになった。

 だがその心は、快晴の空とは対照的に曇っていた。

 何故なら――。


「『龍起(りゅうき)杯』ですって!?」

 契約を受け入れたその数分後、福原学長の言った言葉に貴文は絶句する。

 そんな貴文に、福原学長は威厳のある表情を保ったまま黙って頷いた。

「部の創設に関する支援者達の条件は、君の監督就任だった。しかし、部の存続に関する条件はまた別物なのだよ」

「だからといってよりによって『龍起杯』なんて……」

 貴文も招聘された以上、何らかのノルマが課せられるものだとは覚悟していた。とはいえ、現状1年しかいないとことを考えれば、今年はせいぜい関東リーグ4部昇格程度だろうと思っていた。

 それがまさか『龍起杯』とは……。

「ザバルから離れていた君でも、さすがに『龍起杯』については知っているか」

「あたりまえです! 大学スポーツの一大イベントと言えば箱根駅伝と『龍起杯』ですからね」

 『龍起杯』――。

 それは大晦日に決勝が行われる、ザバル大学日本一を決める大会である。人気、規模において他の追随を許さない巨大な大会で、大会発足の経緯は箱根駅伝に対抗しようとした学生ザバル連盟が強引にでっち上げたとか、とにかく金になりそうな大会が欲しかったとかかなり情けない噂があるが、その盛り上がりは今は箱根駅伝以上と言われている。大学生だけでなく、日本中が注目するまさに学生スポーツの祭典だ。

「しかし内田君、我々は初年度から優勝しろと言っているわけではないんだ。冬から始まる本戦に出場して欲しいと」

「そりゃ本戦からは全試合テレビ中継されますからね。学校側は是が非でもそうしてもらいたいでしょう」

 地区予選はたいていダイジェスト放送だが、全国から強豪が集まる本戦からは全試合テレビ放映される。その放映料はプロスポーツの試合と遜色ないと、以前貴文は聞いた事があった。さらに本戦から試合は土日に限定されるため、受験生に対する宣伝効果は計り知れない。

「ですが、その本戦に出場するまでどれほど困難か、分からないわけでもないでしょう!」

「う、うむ……」

「最激戦区の関東だと、1部リーグに登録している大学でも前年4位、2部でも1位まで。我々のような新規大学は初年5部登録でリーグ成績での出場は不可能。必然的に予選トーナメントに参加しなければなりませんが、5部大学は5月から試合が始まり準備期間はたったの1ヶ月! しかも3部以下はリーグ戦を軽視しない特例措置として、前期リーグを2位以内で終えなければ予選トーナメントを突破しても出場権は得られないという鬼畜ルール!」

「ず、随分調べたな……」

「やると決めたからにはこれぐらい当たり前です! ここに来る間にスマホを使ってネットで調べましたから。ちなみにリーグ初登録で出場した大学が0なのも分かりました」

「つまり我が振興大学が前人未踏の記録を――」

「できるわけがありません!」

 貴文は断言する。

「もしできるとしたら、それは高校時代から指導に関わり、チームとしての習熟を詰んだ、あり得ないほど下準備をしている大学だけです。実際そういう真似をしていた大学もあったそうですが、それでもリーグ登録からの最短出場記録は3年です」

「ええい!」

 今まで押される一方だった福原学長が、思い切り腕を机に叩き付ける。

「そうやる前から無理などと言っていては、何もできんでないか! それがあの内田貴文の言葉か!」

「私はただもっと現実的な目標にしろ、と言っているんです!」

 貴文も負けじと机を叩く。

 2人は机を挟んでにらみ合った。

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・はあ」

 結局言い出しっぺの福原学長が折れた。

 何故なら、それがどれだけ無理難題か、他ならぬ自分自身が理解していたのだから。

「確かにこれは無茶な話だ。おそらくああ言ったスポンサー連中もそれは理解はしているだろう。達成できなかった場合の罰則も特にないしな」

「ではあくまで努力目標、という意味ですか?」

「……ボーナス」

「は?」

「それでも私は内田貴文なら当然達成できると啖呵を切った。もしできなかったら、私の株は大暴落だ。よって達成できなかった場合、君のボーナスはないものと考えて欲しい」

「このクソ爺!!!」

「話は以上だ! さあ行った行った!」

 そして貴文は強引に学長室から追い出された……。


「早まったかな……」

 壇上で自信満々に新入生に向かい演説している福原学長を見ながら、貴文はまたため息を吐く。

 可能ならあの爺の顔面に思い切り『たんたん草』をこすりつけてやりたかったが、さらに給料を天引きされそうな気がしたのでなんとか我慢した。

 声を聞いているのも不快だったので貴文は式中、女子高生のようにずっとスマートホンをいじっていた。

 とはいえ別に遊んでいるわけではない。『龍起杯』について更に調べているのだ。

 過去の試合記録などを見ていたが、とても付け焼き刃のチームでなんとかなるようには思えなかった。インターハイ優勝チームがそっくりそのまま入学しても、現状出場は難しいだろう。福原学長が要求したのは、そこまで厳しい目標だった。

 何か抜け穴でもないかと調べても、当然そんなものがあるわけもなく――。

 そうこうしている間に退屈で何の意味も無い式は終わった。

 この後はいよいよ新入生との顔見せが控えている。

 普通――というより常識的に、入学式後に監督と新入生が初めて顔を合わせるというのは、スポーツ推薦ではあり得ない。本来なら高校時代に何度もスカウトで学生と話し合い、お互いわかり合った上で入学するものである。たとえ貴文のように今年度から就任する場合でも、入学式前までには顔合わせは済んでいるものだ。

 これは入学式直前で監督就任を打診された貴文にしかあり得ないことである。そもそも入学式前日まで監督が決まっていなかったという状況が、なにより前代未聞であった。

 入学式は振興大学があるビルの大会議場を貸し切って行われ、顔見せはその後別の階の一室で行われる予定だった

 式後、貴文には講師としての説明他事務手続きや与えられた教授室の案内など、入学生以上に面倒な手間があり、顔見せの部屋に向かったのは昼をかなり過ぎた頃になっていた。当初の予定では入学式後すぐに顔見せをし、その後一緒に食事でもしながら親睦を深め、最初の練習をするつもりだった。

「すまない、大分遅れ――」

 貴文が部屋の扉を開けた瞬間、何とも言えないからあげの匂いが鼻をつく。

 部屋にいた新入生のほぼ全員が「あっ」といった表情で、部屋に入ってきた貴文を見た。

「……まさか食事中だったとはな」

 どうやら予定していた会食はご破算になったようだ。遅れた自分も悪いが、これから教わる指導者を、勝手に食事をしながら待っているなど、貴文の常識ではあり得なかった。ひねくれ者でどちらかといえば開明的と自負しているが、貴文は骨の髄から体育会系だ。礼儀作法だけはかなりうるさかった。

「終わるまで俺は待ってるとしよう」

 言うが早いか扉を思い切り閉めて踵を返し、そのまま部屋を後にした。

 新入生の今時の若者らしい態度に腹が立ったというのもあるが、それ以上に――

(昼はからあげだな)

 腹が減った。

 学生が腹を満たしているというのに、指導者である自分が空腹に耐えながら話すというのは、あまりに理不尽だった。

「内田監督! 待って下さい!」

 閉めた扉が豪快に開く音に続き、背後から野太い声が聞こえた。

 貴文は振り返らずにそれを無視した。

 今はとにかく昼飯が食べたかった。

 わざわざ1人分の弁当を買いに外に行くのも億劫なので、学食へ行こう。こういうとき、エレベーターで移動できるビル校舎は便利だ。

「待って下さい!」

「うぐっ!?」

 唐突に腰に感じる衝撃。

 もし一般人であったなら、そのまま床に倒されていただろう。

 だが貴文は引退し、かつ爆弾を抱えているとは言え、世界の第一線で活躍したザバリスト。勢いを受け止めるのではなくいなし、『バンデレ』の要領で突進してきた新入生をいとも容易く振り払う。

 巨体の新入生は勢い余ってそのまま転がり、エレベーターの扉に思い切り身体を打ち付けた。その衝撃で鉄製の扉が歪む。

 技術は全く大したことはないが、筋力はかなりものがあるようだ。

「いきなり後ろから突撃する奴があるか! 試合だったら反省文だけじゃ済まなかったぞ! しかもこっちは背中に爆弾抱えてるんだからな!」

「すいませんした!!!」

 巨体を可能な限りちぢこませ、坊主頭を向けながら新入生は土下座して謝る。

 身長は2メートルあるかもしれない。声に違わぬ体格で、入学式用のスーツが全く似合わず、シャツは大胸筋でパッツンパッツン、体重も百キロは超えているだろう。スピードは期待できないが、その体重を完璧に操ることができれば、貴文以上のパワーが発揮できそうだ。

 やがて他の新入生達もぞろぞろ廊下に出てくる。

 中には未だに弁当を持って現れた無駄に肝の太い新入生もいた。

 貴文は彼らを一瞥したが、結局土下座したままの新入生を押しのけエレベーターに乗り、学食へ向かった。

 怒りが頂点に達した、というわけではない。

 あの見るからに癖者連中とやりあうには、空腹状態では分が悪すぎると判断したのだ。

 いわば戦略的撤退である。


 入学式当日でまだ学生の利用者が少ないのか、最上階付近にある学食にはまばらな客しかいなかった。一般にも開放しているので、見た目だけでは振興学生かどうかは分からない。清楚な佇まいの黒髪の美少女など芸能人にも見えた。

 貴文は注文カウンターで一瞬の迷いもなく唐揚げ定食大盛りを頼み、ハンバーガーショップ並の速さ出てて来た定食を受け取ると、窓際の席に座って豪快にかっ込む。窓から見える南千住の景色を楽しむこともない。この時ばかりは学生に戻ったかのように食べた。

 食べること数分、やがて新入生達も学食に現れた。

 おそらく全員でエレベーターに乗ったとき、重量オーバーしたのだろう。下の階で見た人数の半分だけいた。

 その中にはあのやたらガタイの良い少年と松之助もいた。

「その、勝手に昼飯食べててすみませんした!」

 松之助の言葉を合図に、その場にいる全員が一斉に頭を下げる。

 平然と弁当を食べ続けていた新入生はいない。どうやらなるべく素直な人間を選んで先行隊にしたらしい。誰のアイディアか知らないが、なかなかいいアイディアだ。

 尤も、腹は立っていたのではなく減っていただけだった。

 とはいえ、素直にそう言うのはそれはそれで問題がある気がした。なにより指導者としてあまりに幼すぎる。

 そこで貴文は、とりあえずかつて数々の恩師に言われた意味があるようで全くないセリフを言うことにした。


「お前ら、なんで俺が出て行ったか本当に分かってるのか? よく考えてみろ」


『・・・・・・』

 その場にいた新入生達は、頭を下げた体勢のまま黙り込む。

 どうせ答えなど思い浮かぶはずもない。

 何故なら最初から答えなどないのだから。「腹が減ったから」という真実は、口が裂けても言うつもりはない。

 重要なのはそう言ってとりあえず反省させ、話をうやむやにして静かに食事をする時間を稼ぐことだった。

 頭を下げている新入生達を前に、貴文は昼飯を再開させる。学生時代は逆の立場だったが、その時の仇を晴らした気分だ。

 学食らしい安かろう多かろうの定食だったが、味はそこそこだった。最近は学食もしっかりしていないと、学生を呼べないらしい。

 やがて残りの新入生達も学食に現れる。

「……え、ギャグ?」

 来て早々、なかなか面白いことをのたまう新入生。

 弁当を食べ続けた新入生ではない。

 さらに男ではなく女だった。

 おそらく彼女もスポーツ特待生だろう。

 ザバルは貴文が知る限り、本当の意味で男女平等なスポーツだ。普通どんなスポーツも男女別れ、男子と女子が戦えば必ず男子が圧勝する。

 これはスポーツが純粋に体力を競うものである以上、しようがないことだ。どんなに鍛えても、女性は男性の筋力に勝つことはできない。そういう意味ではザバルは純粋なスポーツとは言えかもしれない。

 だが、世界の誰もがこれをスポーツと認め、そして事実男女の差が怖ろしいほど出ない……のではなく、女子がある局面において男子を大幅に上回る競技なのである。

 それ故に知識人の間で、ザバルはこう呼ばれている。


「ザバルは『ワールド』の数学オリンピックであり、ミスユニヴァースである」、と。


 言うまでもなく男女完全に分けたザバルも存在するが、男女が参加するザバルに比べるとはるかにマイナーで、その人気や競技人口は比べるべくもない。サッカーとフットサル以上の差がある。

 貴文も現役時代、何人もの女性と『ワールド』を駆け巡った。そして彼女達は女だからと言って特別扱いされることをよしとせず、誰もがただ1人のザバリストであろうとした。

 そんな経験を積んできた貴文には、女だからと言って甘い態度を取ることはない。彼女もまた同じザバリストであり、他と同じく、口で言っても分かりそうにないアホな教え子だ。

「笑えるのはお前の頭だ」

「ぐげっ!」

 舐めた態度を取った少女の脳天に、貴文は肘を打ち下ろす。

 根っからの体育会系である貴文に、「体罰厳禁」などという甘ったるいルールは存在しない。それ以上に、初対面から礼儀作法は徹底してたたき込まなければ、後で取り返しがつかないことになるという危機感を持っていた。そうしなければ、自分のようなどうしようもないひねくれ者で、面倒くさい大人が完成してしまう、と。

「た、たいば――ぐげ!」

 続けて文句を言おうとした頭頂部に第二撃が振り下ろされた。

 当然手加減はしているが、それでも痛いものは痛い。

「他に言いたいことは?」

「……ないです」

「よろしい」

 貴文は踵を返し、平らげた食器をカウンターに持っていく。狙い通り反省させている間に、全て食べ終えることが出来た。

 こうなったらいつまでも反省させる必要はない。そんなことをしていれば話が進まず、その後の練習も出来なくなる。。

 中には負け試合のあと、『ワールド』で翌日まで正座させるという意味のないしごきを未だにする学校もあるらしいが、さすがにそんな前時代的な真似までする気はない。最近はゆとり時代の反動で昭和的なスパルタが流行っていたりするが、そんな流れに倣う気まではサラサラなかった。

「……よし、お前ら顔を上げろ。どうせこの後練習するときに外に出るんだ。わざわざ部屋に戻るのも面倒だ。ここで予定していた顔見せをするぞ」

 そう言いながら、貴文は食堂の椅子に座るよう促す。他に客もいないようだし、部屋を移動して余計な時間を使うのも馬鹿馬鹿しい。基本的に貴文は合理的な性格の人間だった。

 約1名、言う前から座ろうとしていた新入生がいたが、座る前に近くにいた松之助が強引に止めていた。

 全員が座ったところで貴文は立ち上がる。

「俺が誰かは分かっているだろうから、俺自身の紹介は簡潔にする。元日本代表の内田貴文だ、今年から部の監督になった。以上だ」

「押忍!」

 投げ飛ばされたあの巨漢新入生が、空手部のような反応をした。

 貴文を含めた全員が思わず彼を見る。どの国のザバルにも、「押忍」という挨拶はない。

 突然視線を浴び、巨漢新入生は申し訳なさそうに頭を下げた。

(こいつ、そもそも本当にザバル選手か?)

 堅気には見えない悪人顔といい、貴文はどうも疑わしくなり、まず彼に自己紹介するように言った。

「押忍! 自分は田山田高校の国府田翔と言います! ポジションは『フラッター』っす! 高校時代は県予選準決勝までが最高で、インターハイには出たことありません! 憧れの内田選手の指導を受けられると聞いてここにきました! 押忍!」

 巨人――国府田翔は直立不動で、腹の底から絞り出すような声で言った。両隣にいた2人は耳を塞いでいる。

 『フラッター』として声の大きさは美徳だが、平常時まで同じボリュームで話されてはたまったものではない。どうやらオンオフの使い分けが苦手なようだ。

「国府田、お前ザバルは高校からか?」

「いえ、自分は小学校の頃からっす」

「前科は?」おそらく他の新入生も疑っていたことを、貴文が代表して遠慮なく聞く。

「ありません! この顔は生まれつきっす!」

「そうか……」

 いまいち納得しかねたが、貴文は座るよう言い、隣の新入生に次を促した。

「せ、世履高校の小野春樹です! ポジションは『右レフト』です! 学校は3年の時にインターハイで準決勝まで進みましたが、自分はベンチで、何回か途中出場しただけでした! お、俺も内田選手を尊敬してこの大学にきました!」

 春樹は妙に翔に対抗するような自己紹介をした。

 ただ、翔とは大分タイプが違う。

 身長は170半ば、筋肉はそれなりについてるがどちらかといえば細身で、パワーよりスピードが武器といった風だった。松之助同様大分幼い顔立ちだが、こちらは腕白小僧がそのまま身長だけ大きくなったような感じだ。髪型もスポーツ刈りで、典型的なスポーツ少年ともいえる。

(気は強そうだな……)

 実際に動いていない見ないと分からないが、そのせっかちそうな性格は『右レフト』向きだろう。指導者としてむしろ扱いやすいタイプだ。

「よし、じゃあ次」

「あー、同じく世履高校の本宮秋雄です。ポジションは『左ライト』です。えっとー、ハル……春樹とは全く似てないけど双子です」

「ああ、話に聞いていた双子ってお前らのことか」

「はい」

 秋雄はゆっくり頷く。

(しかし、予想以上に似てないな)

 秋雄は貴文と同じぐらいの身長だが、筋肉はあまりついていないようでひょろ長く、なにより覇気が感じられない。目も糸目で顔に締まりがなく、のんびりとした印象を受ける。性格的には『左ライト』に向いているようには見えなかった。

「お前も小野同様ベンチだったのか?」

「え、あーいちおうレギュラーでした。あまり活躍できませんでしたけど」

「とはいえ、インハイのベスト4のレギュラーだろ。他に誘いもあったのに何でうちに来たんだ?」

「あーそれはハルが行くって聞いたから、じゃあせっかくだから自分もって。親もそっちの方が楽ですし」

「そうか……」

 どうやら片割れの方は、得に自分を尊敬しているわけでもなかったらしい。自尊心が強いタイプではないが、少しだけ悲しかった。

 とはいえ、戦力としてみれば秋雄の方が上だ。インターハイで準決勝まで進んだ高校のレギュラーになれるぐらいなのだから、第一印象だけでは分からない強みがあるのだろう。

(……あるはずだよな?)

 貴文はそう自分を納得させ、疑問に蓋をすることにした。

「それじゃあつ――」

「いえーい! 近藤沙織ちゃん18歳、百花学園出身のぴっちぴちギャル! 彼氏は沢山いるけど……いつでもカモーン! 夢は楽して有名になることよ!」

「・・・・・・」

 貴文が言い終わる前にいきなり訳の分からない自己紹介を始めたのは、先ほど思い切り脳天に肘を振り下ろしたあの少女だった。当たり所が悪かったのではないかと不安になる言動だ。

「……お前会ったときからキャラ1ミリもずれてないな」

「褒め言葉と受け取っておくわ!」

 春樹の皮肉を沙織は訳の分からない受け取り方をして、Vサインまでした。

 この2人はどうやら知り合いらしいが、スポーツ特待生の間では別に珍しくもない。沙織の百花学園と、春樹と秋雄が行っていた世履高校は貴文の頃から有名な強豪校で、それぞれ大阪と広島にある。接点はあまりないように見えるが、大会がある度に顔を合わせるため、自然と選手同士の交流が生まれるのだ。逆に翔が行っていたような聞いたこともない弱小校出身者は、初めは部で浮いてしまうだろう。

「とりあえず分かったからお前は座れ」

 彼女に関しては志望動機も別に知りたくもなかった。それにポジションに関しては言われなくても明らかだった。

「えー、まだポジションの話もしてないのにー」

「言わなくても『マネ』だって事は分かってる」

「おー。さすが元名選手」

「あのな……」

 貴文はため息を吐いた。

 全員入学式から直行しているためスーツ姿であるはずなのに、1人だけピンクのドレスを纏い、明らかにスポーツに向いていない大きな胸を強調。すらり……という表現があまり合っていない四肢には適度に脂肪があり、髪は染めて赤茶色。そして高校を出たばかりだというのにバッチリしている化粧。美少女……というレベルにまでは至っていないが、この外見で出来る、というより許されるポジションなど『マネ』以外存在しなかった。

 言うまでもなく『マネ』はマネージャーの略ではない。そもそもザバルのマネージャーはマネージャーとは呼ばず『ホスト』と呼ぶ。こんなに外見に気合いを入れることが勝敗に直接的に結びつくスポーツなどザバル――さらに言えば『マネ』だけだ。このポジションだけはどんなに男ががんばっても、女に遠く及ばない。

「……どう!?」

「どうって何が?」

「だーかーらー、『マネ』としてですよー」

「あー、分からん」

 見た目が重要とはいえ、普段の印象だけで実力を測ることはできない。貴文は普段は全く冴えないのに、試合になるとビーナスと呼びなくなるような『マネ』を、何人も知っていた。逆に女優出身で普段は色気を振りまいているのに、試合になるとただの置物のようになる二流の『マネ』も何人も知っていた。

(まあこの社交的すぎる性格は、かなり『マネ』向きなんだけどな)

 口に出すと調子に乗りそうなので、そこはあえて黙っておく。

「うーん、褒めてもらえると思って気合い入れてきたんだけど」

「それは練習で出せ。はい次」

「……」

「・・・・・・」

「……」

「……話聞いてるのか?」

 言われて少女はコクコクと頷く。

 その顔は真っ赤で、俯いたままだった。

 弁当を食べながら部屋を出たぐらいだから、女とはいえかなりの強心臓と思っていたが、意外にそうでもなかったようだ。

「あの」

 隣の生真面目そうな眼鏡の新入生が手を上げた。

 貴文はこのままではらちがあきそうにないので、先に彼の話を促した。

「彼女は極度のあがり症で、特に尊敬する内田監督を前にし、何もしゃべれなくなっているんです。慣れればスカート全開で恥も外聞もなく話すので、それまで僕が自分の紹介と一緒に説明しても良いでしょうか?」

「許可する」

「有り難うございます。彼女は藤井未央、聖アッサム女学園出身で、僕、三上隆は都立千住高校から来ました」

 隣で未央が興奮した犬のようにぶんぶん首を縦に振る。

「三上は地元で、藤井は女子校か」

「はい、彼女は女子ザバルの出身です。聖アッサム女学園は去年女子校日本一に輝きました」

「へえ」

 男女別のザバルに関しては、貴文は全くの門外漢だった。日本一と言われてもそれがどれだけすごいのか、いまいち分からない。

「ポジションは?」

「『前バック』でした」

「・・・・・・」

 松之助とかぶるな、と貴文は思った。

 『前バック』はあえて女性を使う必要性のないポジションだ。むしろここは純粋な運動能力が必要なので、あらゆるチームで男が務めている。女子でも通用するのはせいぜい小学生までだろう。未央には悪いが、4年かけてもレギュラーは難しいなと貴文は判断した。

「……あ、でも」

 集中してないと聞き逃すような小さな声で、ようやく未央が口を開く。

 体格は女にしてはがっしりし、身長も180近くあるが、声の大きさは翔とは比較にならないほどか細かった。

「だ、大学に入ったら、『ペットン』になろうと……」

「『ペットン』か……」

 ふむ、と貴文は顎に手を当てる。

 『ペットン』も男性が多いポジションだが、『前バック』ほど体力を必要とはせず、女性プレーヤーもそこまで珍しくはない。大事なのは集中力と洞察力、そして忍耐力だ。ただ、そのどちらも彼女は供えているようには見えなかった。

「あ、あの……だめ……ですか?」

「いや、まあ『前バック』よりはマシ……じゃなくて向いてると思うぞ。その歳で『ペットン』から『前バック』の転向は難しいが、逆ならそこまで無茶な話でもない」

「よがっだあ……」

 妙に訛った口調、未央は胸をなで下ろす。

 この少女がスカート全開で恥も外聞もなく話しかけてくれるのは、果たしていつになるのか。先は長そうだと貴文は思った。

「それで、お前のポジションは?」

「それが、言いにくいんですが……」

「言いにくいポジションって『マネ』ってわけでもないだろ」

「違います。その……僕のポジションは『シッカリ』です」

『シッカリ!?』

 貴文と翔は声を揃えて驚く。

 ただ他の新入生達は面識があったのか、取り乱したりはしなかった。

「『シッカリ』って、そもそもまだあったのか……」

「はい。僕をザバルに誘ってくれた先輩と地元クラブの監督がどちらも『シッカリ』で……。実は他にやりたいポジションもあったのですが、あれよあれよという間にも『シッカリ』に……」

 貴文と同じぐらいの身長で引き締まった身体をし、理知的で酷薄な人間に見えるが、どうも流されやすい性格のようだ。いちいち未央の面倒をみるあたり、相当なお人好しなのだろう。ザバル以前にあまりスポーツ選手向きの性格ではないが、チームにこういう人間が一人いると人間関係も円滑に進む。

「うーん。それじゃあお前がいた学校も、そこまで強いところじゃなかったのか。聞いたこともないし」

「いえ、僕が2年の時には都大会で優勝し、インターハイまで行きました。そのとき最優秀『シッカリ』にも選ばれました」

「まあ他に『シッカリ』自体いなかったのもあるんだけどね……」

 同じ大会に参加したのか、松之助がぼそりと言った。

「……ただ翌年は『シッカリ』対策がされて、都大会ベスト8止まりでしたが……」

 つまらないだじゃれを交えて自嘲的に隆は言った。

 他ならぬ本人が自分のポジションに疑問を持っているのだろう。

「なるほどな」

 まあいきなり『シッカリ』が出てきたら戸惑うだろうと、貴文は勝った理由も負けた理由も納得した。

 『シッカリ』は本当に特殊なポジションである。別名『エース殺し』といわれ、マンマーク中心……というか、ほとんどそれしかしない。当然使い勝手が悪く、ザバル史上有名な『シッカリ』選手は李高岩ただ1人だろう。李高岩は件のンパンパ連邦中国戦の時、対ホワイト対策で出場した選手で、その際にワールドカップ最年少出場記録さえも更新した。試合は惨敗したが、彼の『シッカリ』としてのプレーは賞賛され、以後「『シッカリ』と言えば高岩」と呼ばれるほどになった。ただ、高岩の『シッカリ』としての才能は抜きんでていたが、普段は他のポジションでプレーすることが多く、選手として続けられたのはユーティリティーな能力があったからに他ならない。『シッカリ』が必要になった場合、他のポジションの選手が務めることが普通なのだ。

「『シッカリ』が本職って事は分かった。ただまさか『シッカリ』しかできないってわけでもないだろ」

「あとは……『フラッター』とか……」

「また潰しが利きそうにないポジションを……」

 『フラッター』と言われ翔はどきりとしたが、貴文はよほどのことがない限り三上に『フラッター』をやらせるつもりはなかった。

 三上は身長は180そこそこで体格もしっかりしているが、手が小さく、何より眼鏡をかけている。ザバリストが伊達眼鏡をかける理由も無いので、おそらく本当に目が良くないのだろう。『フラッター』特有の覇気も感じられないし、そんな人間に正『フラッター』が務まるとは到底思えなかった。

「とりあえずお前のポジションに関しては保留にしておく。それで最後は――」

「尾崎松之助三十六高卒! 去年のインターハイではミン賞を取りました! ポジションは『前バック』、内田監督の跡を継ぐのは自分しかいないと思いこの振興大学に入学しました!」

 翔のように勢いよく松之助は自己紹介をする。ただその声は鼠と牛ほど高さに違いがあったが。

 松之助に関してはある程度知っていたので、貴文はそれで充分とばかりに座らせる。

「さて、知っての通りこれで新入生全員というわけだが、皆気付いているだろう」

『・・・・・・・』

 全員が黙り込む。

「そう、このチームには早くも致命的な欠点がある。俺は今気付いたが、お前達は俺より早く気付いただろう。それは……」

 

 貴文は立ち上がり、拳を握りしめる。

 まさか最初の障害がこんなアホみたいなものだとは、想像だにしなかった。


「このチームは……人数が足りない!」

『・・・・・・』


 そう、ザバルをするには今いるスポーツ特待生だけでは人数が足りなかった。

 ルールが明文化されるまで、10対1や、125対201という試合も珍しくなかったが、今は7対7がルールとして定められている。

 新入生の数が7人だと聞いたとき、とりあえずギリギリ試合はできるなと思っていた。だがその1人が『シッカリ』で、他に出来るポジションが1人しか試合に出られない『フラッター』とあってはどうしようもない。

「あのー」

 秋雄がのんびりした調子で手を上げた。

「なんだ?」

「この際三上君に完全にポジション変更して貰ったらどうでしょう?」

『・・・・・・』

 秋雄の歯に衣着せぬ発言に、皆一瞬驚いたが誰も反論はしなかった。

 何故ならそれは誰もが言いたくて言えなかったことだから。

 普通ポジションチェンジは本人が自主的にするか、指導者がやらせるものである。同期からの勧めは相手のプライドを傷つける行為だと、タブー視されていた。

 それを状況が状況とはいえ平然と言えるとは。

(こいつ多分この場にいる連中の中で、1番肝が太いな)

 貴文でさえチームメイトにポジションを変えろとは言ったことがない。秋雄が何故強豪校のレギュラーだったのか、ようやく理解することが出来た。

「あの……やっぱり変えないと駄目でしょうか?」

「いや、そうだな……」

 隆がすがるような目で見る。

 自分のポジションに疑問があるとはいえ、変えたくは無いようだ。

 そして貴文自身も、完全なポジションチェンジまでさせる気はなかった。

「確かに現状を鑑みれば、三上にポジションを変えて貰うのが1番現実的だろう。だが、俺自身スカウトに関わっていないとはいえ、あのザバル馬鹿である学長が『シッカリ』でありながらお前を選んだ。俺はそれを信じたい」

「か、監督……」

「でもそうなると、この部には『スターリー』すらいなくなりますよ?」

「ぐはっ!」

 秋雄の追い打ちに隆はより深いダメージを受けた。

「そうなんだよな、こんだけいて『スターリー』がいないんだよな……」

 『スターリー』は言わずとしれたザバルの花形ポジションである。スポーツ新聞の一面を飾った選手のポジションの統計を取れば、『スターリー』が一番多いことは想像に難くないだろう。他のポジションは敗戦でクローズアップされることが多く、勝利試合の場合はたいてい『スターリー』だ。

 なにより他ならぬ貴文が元『スターリー』だった。『スターリー』はザバルを志す少年の誰もがやりたいポジションで、貴文は初めて『ワールド』に立ったときから引退まで、ずっと『スターリー』だった。そのせいで未だに世間から放って置かれないのだから、痛し痒しといったところか。


 それにしても――。


「お前ら本当に俺のこと尊敬してるのか。なんで『スターリー』が誰もいないんだよ」

 どうも入学理由が適当に言ったように思えてきた。

「そ、そんなことはないです! 俺は元々『スターリー』でした!」

 春樹と口には出さないが思いきり首を縦に振っている未央も、元『スターリー』だったのだろう。

 ただ意外なのは。

「お前は元『スターリー』じゃないのな」

「・・・・・・」

 明後日の方向を見て誤魔化そうとしている松之助に、貴文は皮肉交じりに言った。

「その、自分は最高の『スターリー』を監督だと思っているので、他で一番になろうと!」

「じゃあそういうことにしといてやるよ」

「うう、信じて下さい……」

「で、話は戻るが三上のポジションについてだ。確かに将来的には『フラッター』以外も兼任できるようにする必要があるが、現状このままで行こうと言ったのは理由がある。それは今年の目標が『龍起杯』の出場にあるからだ」

『『龍起杯』!?』

 その場にいた全員が素っ頓狂な声を上げる。

 沙織にいたっては、視線で「こいつ頭おかしいんじゃないか?」とあからさまに語っていた。

(近藤は後で説教だな)

 そう思いながらも、貴文は新入生の態度自体は咎めなかった。

 何故なら貴文自身、数時間前に全く同じ表情をしていたのだから。

「無理ですねー」

 例によって秋雄が誰よりも早く否定した。「現実的じゃないです」

「確かに現実的な目標ではないかもしれない。じゃあ逆に聞くがお前は今年1年どんな目標を立てるつもりだ?」

「今年ですか……無難に4部リーグに昇格ですかね」

 秋雄は特に考えた様子も無く、貴文が言ったような無難な返答をした。

「なるほど。他は?」

「高校時代はレギュラーだったっすけど、今はレギュラー確定しているんで、いきなり言われても思いつかないっす……」と春樹。

「んー、とりあえず東京のネイルショップ制覇したい」と沙織。

「……『ペットン』に……慣れる……こと……です」と未央。

「明日のことも分からない僕に1年先のことなんて……」と隆。

「監督のような人気選手になることです! 押忍!」と翔。

「一日でも早く2代目内田貴文の名を告げるように努力します!」と松之助。

 ちなみに松之助の『前バック』では初代尾崎松之助にはなれても、2代目内田貴文になるのは絶対に無理だろう。

「とりあえずチームの具体的な目標を上げているのは本宮だけか。じゃあ今度は本宮だけに聞く。リーグ昇格は前期のリーグ戦だけで決まるが、じゃあ昇格したとしてその次の目標はどうする?」

「それは3部リーグ昇格でしょうかね……」

「じゃあ4部昇格と3部昇格で具体的にどう違うんだ? 練習内容をどう変えるんだ?」

「そこまで深くは考えてないですね」

 お手上げとばかりに秋雄は両手を上げる。

 傍若無人の割には、ムキになるところがない。本当に自然体で生きているようだ。

「俺が言ったのは通年の目標だ。もしリーグ昇格が目標なら、場合によっては半年でそれを変える必要に迫られる。それだと身体に無理がでるんだよ」

「無理……ですか」

「ああ。俺は現役時代1年の目標を立て、それに基づいた練習メニューやメディアへの仕事を入れてきた。1年で計画を立てると、たとえ故障のようなアクシデントがあっても、どこかで穴埋めの調整が出来るからな。それでも目的を達成できなかったこともあったが、身体が悲鳴を上げるようなことはなく、選手としての成長も感じられた。それが短期になると目標を達成することにこだわり、必ずどこかで無理をしてしまう。現に学生時代は目前の課題をこなすことに追われて、怪我ばっかりしていた」

「なるほどー」

 秋雄は素直に感心する。

 実はこの無茶な目標を納得させるために口から出任せを言ったのだが、言っているうちに自分もそんな気になってきた。

「重要なのは目標ではなく、その目標に向かって通年の計画を立てることだ。そしてまともなやり方で『龍起杯』に出られるとも思えないし、そのためにお前達が怪我をしたら本末転倒。そこで『シッカリ』が重要になって来ると思う。三上の高2の時の再現を狙おうというわけだ」

「さすがです!」

 松之助が素直に賞賛する。

 あまりに純粋すぎる賞賛に、実際はボーナスのために無理をさせている貴文の良心がずきりと痛んだ。

「……まあだからといって、このまま少ない人数での出場は問題がある。そこで部員を一般学生から勧誘しようと思う。お前達も誰か宛があれば遠慮なく勧誘して欲しい。期限はリーグのチーム登録期限である2週間後。こちらの落ち度で申し訳ないがよろしく頼む」

『はい』

 全員が素直に返事をする。

 隆が『シッカリ』続行することで、こうなることは全員理解していた。たとえポジション変更したとしても、7人ぎりぎりではいくら何でも少なすぎた。

 目標は高い上に見通しは暗い。

 それに、

(しかし、『スターリー』を一般から求めるなんて夢にも思わなかったけどな……)

 元『スターリー』としてそこがなんとも悲しかった。

「それじゃあこれから外に出て練習を始める。お前らももう充分腹は溜まっているだろ」

「はい」

 貴文の皮肉に唯一笑顔で返す秋雄。

 本当にとんでもない神経をしているようだ。

「てーか監督ー、着替えはどこですんの?」

 顔を見なくても誰だか一発で分かる声で沙織が言った。

 舐めた言い回しにまた脳天を殴ってやろうかと思ったが、更衣室が分からないと確かに困る。貴文は「ちょっと待ってろ」と言い、事務室に更衣室の場所を聞いてそれをそのまま伝える。

 ぞろそろと更衣室に向かう新入生を見送りながら、

「俺もまだまだ勉強しないとだめだな」

 監督としての決意を新たにする貴文だった。


「全員『ワールド』に向かって礼!」

『どうぞよろしくおねがいします!』

 日本のザバル界では通例となている挨拶をし、いよいよ振興大学ザバル部の初練習が始まる。

 ザバル発祥の地と言うだけあって、大学が用意した練習場はしっかりしていた。『たんたん草』にも枯れているものは見られない。使った跡があるのは、部が使用する前から一般に開放しているためだろう。『ワールド』は使わないとすぐに荒れるので、当然の処置だ。環境も大学から歩いて数分で抜群と言えた。あの学長なればこそ、といったところか。

 とにかく現時点での能力が知りたいので、貴文は特に具体的な指示は出さず、まず柔軟体操をさせる。

 まだユニフォームは支給されていないので、皆高校時代のユニフォームを着ていた。沙織でさえも初日から練習があることを理解していたので、忘れずに着ている。

(それにしても……)

 銘々が柔軟体操をしているのを見ながら、あの頃とは変わったなと、貴文は痛感させられた。

 選手の内面的な問題ではない。

 単純に見た目の話だ。世履や百花など強豪校のユニフォームはまだ覚えていたが、記憶にあるユニフォームとは随分違っていたのだ。

 端的に言っておしゃれになった。色使いも鮮やかで、知らない高校のユニフォームも当時貴文が着ていたユニフォームよりセンスがあった。現役時代の贔屓目で見ないと、さすがにの方が上には見えない。

 しかし、そんなハイセンスな今時のユニフォームより、貴文にはもっと気になるものがあった。

「・・・・・・・」

「あの……」

「・・・・・・・」

「な、なんすか監督!?」

「ああ、すまん。お前じゃなくてお前のユニフォームを見てた」

 翔の田山田高校ユニフォームは他とは一線を画していた。

 ただの無地のTシャツのような白一色の生地に、でかでかと達筆で「田山田」とだけ書かれている。あまりに男らしすぎるユニフォームだった。

 貴文は学生時代色々な学校のユニフォームを見てきたが、こんな豪快すぎるものは見たことがない。それは他の新入生達にとっても同じのようで、皆チラチラと横目で見ては、笑いをこらえていた。

 中にははっきりと口に出す者もいたが。

「なんやねんそれ! 超ダセー! 超受けるんだけど! ダサすぎて一周回っておしゃれに見えて……あれ……なにこれ……めっちゃ怖い……」

 沙織は笑いすぎて地の関西弁を出し、最終的にスピリチュアルな話になった。

「そ、そんなにダサいか?」

「まあダサいダサくないの2択でなくとも確実にダサいな」

「監督まで……」

「お前の学校は他の部も同じようなユニフォーム着てるのか?」

「いえ。自分の母校は格闘系の部活ばっかりで、ユニフォームを着ているのはザバル部しかないっす。自分としては男らしくて潔いユニフォームだと思うんすけど……」

「まあ格闘技やってる人間からすれば、そう見えるかもしれないな」

「え、監督に自分が柔道をしている話はしましたっけ?」

「いや」

 貴文は一般的な話をしたつもりだった。

 それがどうやら翔のみにも当てはまる話だったらしい。

「柔道やってたのか?」

「押忍! 今もやってるっス! オヤジは自分を柔道家にしたかったらしいんすけど、自分は子供の頃からザバル一筋なんで。ただ自分がザバルを続ける条件として、家の道場でまだ柔道をやらされているんっす」

「なるほどな。まるで『走れドンタくん』みたいだな」

「自分もよくいわれるっス……」

 『走れドンタくん』は昔流行ったザバル漫画である。主人公ドンタくんは元々柔道選手だったが怪我で戦えなくなり、ザバルの選手になった。気楽そうな題名とは裏腹に内容はハードな上救いがなく、ドンタくんは苦難に次ぐ苦難に遭い、最終的にザバルさえ出来なくなり廃人として終わる。そんなキャラクターと同じように扱われるのは、さぞ不愉快だろう。

「まあ、俺が指導者のうちはあんな無茶はさせないさ。そこは安心していいぞ田山田」

「国府田っす!」

「おいドンタくん!」

「だから国府田だって!」

 柔軟を途中で切り上げ、春樹が翔に近づいて来た。

「お前柔道やってたのか。試しに投げてみてくれないか。いつか本職の奴に投げられてみたかったんだ」

「お前もお前で訳が分からないな……」

「だいたいいつもあんな感じですよ」

 秋雄が兄弟の奇行をそう説明した。

 翔はあからさまに嫌そうな表情をしたが、春樹があまりにしつこいので、仕方なく投げる。

「うおぉお!」

 翔本人は軽く投げたつもりだったろうが、結構な速さで春樹は一回転し、見事背中から地面に叩き付けられる。

「すげぇ!」

「そ、そうか……」

「でもザバルとは何の関係もないな」

「それを言われると辛い……」

 口の悪さは兄弟同じか。

 貴文はそう思いながら、この馬鹿馬鹿しいやり取りを終わらせる。

 この頃になるとほぼ全員の柔軟も終わっていた。

「それじゃあこれからいよいよ本番ですね!」

 松之助が最も期待した表情をしながら言った。

 そんな松之助を、貴文は鼻で笑う。

「つまりお前は今までの柔軟は練習に含まれないと思っているわけだな」

「え、あ……」

「最初何も言わずに柔軟させたのは、お前達がどうやるかを見たかったからだ。残念ながらお前達の中に、俺の基準を満たすような柔軟が出来ている奴は一人もいなかった。お前達は柔軟を適当にしすぎだ。今日は実際のプレーはせずに柔軟だけで一日を終える」

『そんなあ……』

 松之助と春樹が残念そうな顔をした。二人とも貴文の指導が受けられると、何日も前から楽しみにしていたのだ。

「おら、そんな顔するんじゃない。柔軟は本当に大事なんだよ。俺が引退する原因になった怪我だって、医者からは他の選手なら死んでたって言われるぐらいだったからな。こう首が――」

 貴文は手振りでその時の状況を説明する。

 それだけで新入生達全員の背筋が寒くなった。

「学生時代怪我がちだったから力を入れた柔軟が、その後命を救ったんだからまあ皮肉な話だよ。とにかく、一般生がお前達以上の戦力になることは考えづらい。お前達は絶対に怪我しちゃいけない立場にいるんだよ」

『・・・・・・』

 突然真面目な話が始まったことで、新入生達の顔色が変わる。

(ふふふ……)

 だがそんな顔していられるのもほんのわずかの間だけ。

 貴文は心の中でほくそ笑み、地獄の柔軟体操は始まった。


「いた、いたいたたたたたたたたた、何やねん! 中世の拷問かい!」

 沙織の悲鳴が春の空に響く。

 すでに洗礼を受けた他の新入生達はぐったりしていた。

「セクハラ! ぱわは……いてえ!」

「そんなこと言う気力があるならまだ元気だな」

 貴文は遠慮なく身体を押し、筋肉を伸ばす。

 貴文がする柔軟の基本は、本来使っていない筋肉を充分にほぐすことにあった。ほぐすと言っても、単純に揉んでほぐすわけではない。筋繊維を伸び縮みさせてスポーツ的にほぐすのだ。

 貴文から見れば新入生達がしている柔軟は、ラジオ体操と大して変わりが無い。無駄とまではいわないが、あまりに簡略すぎた。

「な、なんでこんなに痛いの……。そんなに強く押されてるわけでもないのに……」

「リハビリと同じだ。普段使ってない筋肉をいきなり動かすとそうなるんだよ」

「練習より大変だったっす……」

 一番身体が硬かった春樹は、文字通り息も絶え絶えだった。

「オマエらもこれで自分達が如何に適当に柔軟をしていたのか、分かっただろ」

『・・・・・・』

 答える余力のあるものは誰もいなかった。

「まあ最初は俺が面倒みてやるが、最終的には自分だけでできるようにするんだぞ。中には柔軟に最も練習時間を費やすプレーヤーもいるくらいだからな」

 ちなみにそのプレーヤーとはインド人初のアメリカリーグザバリストであるマハトマ・カリーで、彼の場合単純にヨガが趣味だった。言わぬが花、だ。

「ていうか本当に監督してたのぉ?」

 まだわずかに体力が残っていたのか、沙織が渾身の力を振り絞って軽口を言う。

 貴文はそんな沙織の挑発を鼻で笑った。

 沙織は分かりやすいぐらい苛立つ。

「じゃ、じゃあ証拠見せて下さいよ!」

「これでいいか?」

 貴文はその場で背中を反らし、その勢いを殺すことなく後頭部を脹ら脛にまでくっつけた。人間谷折り状態だ。

 あまりの身体の柔らかさに、沙織は唖然とする。それは他の新入生達も同様だった。

 そんな沙織を尻目に、貴文は平然とゆっくり上体を起こし、元々の体勢に戻した。これは柔軟性だけでなく腹筋と背筋も強くなければ出来ない。ザバルからは身を引いたが、普段の基礎練習をサボった日は今まで一度もなかった。

「で、他に何か言いたい奴はいるか?」

『・・・・・・』

 当然反論できる者などいなかった。

「よろしい、それじゃあ柔軟フルコース再開するぞ」


 この日南千住には7人の新大学生の悲鳴が響き渡った。

 

 後年、思わず警察に通報してしまった近所の主婦Aは語る。


「変革には痛みを伴います。それが現実に形を伴って現れたのを、私は初めて見ました」


 テレビ用にネットを駆使して事前に用意した、本当にそれらしい言葉であった……。

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