ボセイ

 タバサのスティンガーが入り込んだ区画は、やはり学校の姿をした外道の実験施設であった。

 中に入り込んだタバサが目撃したのは氷漬けにされている赤子たちだった。シリンダーの中で白く固まる幼い赤ん坊たちはどれも息をしていない。


「死んでいる……? ……いや、保存されているのか」

 実験に使用するまではこうして氷漬けにして食肉のように保管しているのだ。到底人のすることではない。

 では、解凍された場合はどうなるのだろうか――。それは研究者による『新人類計画』の実験材料となるのだろう。

 潜伏した先で、水槽のような密閉された区画に横たわる乳児を発見した。数名の研究員が何やら作業を行いながら、モニターに映るデータを見比べて、コンソールを操作する。

 すると、水槽の中の乳児に、霧のようなものが吹きかけられる。すると、データの反応が取れたのか、研究者が意気揚々とマニュピレーターを使用し、水槽内の乳児の身体を突きまわす。


 ぎゃあぎゃあと泣き出した乳児だが、それを確認すると、マニュピレーターの操作を辞めて、研究員が密閉された水槽に、また何かの霧を入れていく。

 何かの実験だろうが、タバサはもうそれ以上は見ていられない。スティンガーが疾風の如く研究室に入り込むと、驚愕した研究員をマシンガンで撃ち殺した。一人だけを除いて。

 急な襲撃に恐怖の顔を浮かべている研究員を捕まえたタバサは、怒気を孕んだ声でその研究員に詰め寄った。


「お前たちは……! 何をした!?」

「ひ、ひいッ、な、何者だッ……」

「私の質問に答える以外に口から何かを吐き出すな、一秒でも長生きしたいだろ」

 研究室の片隅に崩れるように丸まる研究員にマシンガンの銃口を突き付けたまま、冷たい殺意を露にしてスティンガーが威圧する。

 すると、研究員はしどろもどろになりながら、状況の説明を行った。


「じ、実験なんだッ、人類の未来のための……」

「こんなものがかッ!」

「これは、核に汚染された地表を生身でも生きていける細胞を維持させるためのもので……」

 水槽の中の乳児に噴霧されていたのは、汚染された空気だと言う。

 こうして耐性を確かめ、細胞の状態を確認しているというのだ。

 研究員が見てくれと言い、今しがたの実験結果をタバサに見せる。

 汚染度の高い水槽内のRAD値を表示を確認できた。到底生身の赤子が生きていけるRAD値ではない。即死レベルのものだった。

 しかし、水槽内の赤ん坊は、まだじたじたと手足をバタつかせて泣いていた。


「す、凄いだろう!? この研究が日の目を見れば、我ら人類はまた地表に堂々と出ることができるんだ。そんなLDなんか脱ぎ捨てたいと思うだろう?」

 バカな、と否定しようとした時、研究者の見せていたデータに赤字のテキストで『危険』と表示され始めた。

 乳児の細胞に異常が発生し、変異し始めているのだ。


「アボミネーション化してしまう!」

 研究員が慌てた声を上げるとギャアギャアと喚いていた赤子の声が一際高く、そしてつんざくような超音波となって行く。

 暴れまわる手が水槽のガラスを叩くと、分厚いそれがガンガンと揺れた。

 赤子の力ではないとタバサは驚いた。多量のRADを身体に取り入れ、細胞が変異しヒトのミュータントになっているのだろう。

「またダメだった! 大気の汚染物質を一定以上取り入れると、細胞が暴走するんだ! だが、この個体に投与した薬物で、問題点は分かった。頼む、チャンスをくれッ」

 もはや赤子はケダモノのように暴れ狂い水槽の中で聞いていられない叫び声をあげて悶えていた。

 だが、研究員はタバサに研究のチャンスをくれと、すがってくる。この状況で、実験の成功にだけ向き合い、狂信的に研究員のサガを突き動かしていたのだ。

 研究員が恐れているのは、自分が死ぬことではなく、この実験を続けられなくなるという事において恐怖しているのだと、タバサは感じ取って、狂気の研究空間に、自分の人間性が乱されてしまいそうになっていく。


「ガン細胞なんだ! もっとも強く、たくましい、変化に順応するガン細胞! ヒトの細胞と、プラスミドを糧にする種の融合なんだよ! もうすぐ新人類は出来上がる! 頼む、ヒトの未来がかかっているんだ!!」

 ツバを飛ばして研究員は瞳孔が小さくなった眼球をブルブルと震わせてタバサに食いつく勢いで懇願してくる。

 この男にとって、『命』を扱った実験だという感覚はないのだとタバサは十分に理解できた。


「十分だ」

 ズドン、と、研究員の胸へと、パイルバンカーが撃ち貫かれた。

 それで研究員は即死してべちゃりと床に倒れると、赤の水たまりを広げていく。

 タバサはすぐさま水槽内の乳児を救出しようと、コンソールを叩くが、もはやデータには『破棄』としか表示されず、この乳児が実験の失敗作であるという報せを行うことしかしてくれなかった。

 スティンガーで水槽傍まで行って、強引にでも水槽から赤子を救おうとしたタバサだったが、そこで蠢いていた赤子の姿に、小さな悲鳴を漏らしてしまう。


 もう、その赤子はアボミネーション化が進み、ヒトの形状からは遠く離れ始めていた。

 目玉が顔面に四つあり、鼻はなく、口は菱形に開いていた。そこから妙に細い触手がだらりと外側に垂れている。それが舌なのだと理解できたのは、タバサがまだこの子を赤ん坊だと認識しているからだろうか。

 肌の色が黄緑になっているし、耳の穴からなにかどろりとした粘液が滴っていた。液状化した脳みそであると理解できなかったのは幸運だったかもしれない。

 それでも、その乳児だったものは、まだ動いていた。

 四つの目がギョロンと四方八方に蠢いている。


「ケェェェッ」


 まるで鳥の断末魔のようだと思えた。

 そんな鳴き声を漏らす乳児の瞳から、さらさらした液体が零れ出ているのを見たタバサは、それが母親を求める赤子の涙と知り、その場で頽(くずお)れた。


「……これが新人類だというのか……。これが、ユグドラシルの種だというのか……。……これは、ただの泣きじゃくる赤ん坊じゃないか……」


 あまりにも哀れな命の冒涜に、タバサは自分の感情が自分でもつかみきれないほどにグチャグチャになって、嗚咽を零していた。


「――隊長! 隊長! 聞こえないのか!」


 そんな通信にタバサは自分が我を失いかけていたのを思い出して立ち上がった。

「カガミか、すまん。ドナー・ベビーを発見した。氷漬けになっているが……生きている。回収してトラクターに積みたい。応援に来れるか」

「オレとガロッシュは無理だ。レツを向かわせる。デュビアスとインフェルノで後ろを押さえるから、目標を確保して撤退しろ」

「了解」


 今ここで悲しんでいる場合ではない。目の前の変貌してしまった乳児は、もう救えそうにない。


「私は……お乳をあげることが出来ないのよ……。ごめんなさい……」

「ケェェ……」

 タバサにできる事は、その泣きじゃくる赤子を安らかに眠らせる事だけだった。

 それをすることが、どれほど彼女の心を引き裂いたのかは、誰にも分からない。お腹を空かせて、寂し気になく四ツ目の『犠牲者』に、スティンガーは抱く様にして、覚める事のない眠りに誘ってやるだけだった――。


 惨劇の実験コロニーは、炉心のトラップが地中に穴を開け、重要な施設を沈黙させると、完全にその役目を終えた。

 重要な施設は爆破され、まるでならず者が押し入ったような状況に見せかけている。そしてそこには、やがて大量のアリのミュータントがやってくるだろう。

 そのアリがコロニーの後始末をしてくれるだろう。


 ミツバチ隊は、冷凍保存されたシリンダーをコンテナに押し込んでその場を後にした。

 目標のドナー・ベビーを回収できたのである。

 氷漬けであったことが幸運だったか、この状態を維持してフェニレクまで持ち帰ることが出来れば、おそらくその命を救う事もできるだろうとチェルから通信が入った事がタバサの心を慰めた。


「隊長、奴らの使用していた薬物は回収したんですか?」

「ああ、レツに任せている」

「薬品サンプルとデータも頂いて来た。これがユグドラシルのヒントになればいいけどな」

 ラタトスクが大きなトランクを抱えていて、その中身が恐らくヴァコ・ダナの薬品なのだろう。


「じゃあ、隊長が持ってるそれは?」

 タバサのスティンガーも何かボックスを抱えていた。密閉されていたため、それの中身は分からない。

「資料だよ。何の資料が役に立つか不明だったから、手当たり次第に持っていけるものを詰め込んだ」

「火事場泥棒はうまくいったってわけだ!」

 大暴れして満足した様子のガロッシュが晴れた声で言った。

「ヴァコ・ダナの連中、北のほうで、大規模な戦いをやってるみたいだ。セルコンの連中とやってるみたいだぜ」

「タイミングが良かったか。あっちもゴタゴタしていたんだろうさ」


 ニュース情報を確認したレツに、カガミが昼行燈みたいな声で答えたが、実のところ、カガミはこの状況を予測したうえで、今回の襲撃を考えていた。

 インサイダー取引をしてくれたかつての同僚に金を握らせて、頼んだ事はもう一つあった。

 タイミングを見て、ヴァコ・ダナのライバル企業のセルコンを焚きつけてくれ、と。

 どうやら、その計画はうまくいったようだった。ヴァコ・ダナにとっては重要な施設になるだろう、実験コロニーにランカーLDが一体のみであったことは織り込み済みだったのだ。

 もし、通常の警備ならばランカーLDがあと四体か五体はいても不思議じゃなかっただろう。


 ミツバチ隊は誰もが予感していた。

 これで世界が動き始めるだろうと。停滞していた『ユグドラシルプラン』が動く時だ。

 この星に緑を蘇らせるの日は目の前だ、と。


 ――そして、同時刻――。

 フェニアック・レクタングル本社で、ミツバチ隊から連絡を受けた社長秘書のチェルは、その報告に一息をついて、社長のダンに「終わりました」と連絡した。

 ダンはその姿を見せずに通話でチェルとやり取りをする。


「いいね、世界が我らを認めているようだ」

「世界、ですか」

「そうだ。世界とは、社会ではなく、星だ。何らかの意思が導いていると言っていいだろうね」

「ロマンティックな事を言いますね」

「似つかわしくないと思ってるのかな?」

 ダンがニタリと嗤ったような声で言うが、チェルはいつも通りの冷淡な顔で通話相手に「いいえ」と短く返事をする。


「それでチェルくん。『マイナス・イオン』はどうなっている?」


 ――マイナスイオンとはかつて文明世界で存在すると嘯かれたありもしない疑似科学のひとつである。

 だが、ダンはそんな『マイナスイオン』の話をしているのではない。確かに存在する『マイナス・イオン』について確認しているのだ。


「ユグドラシルから発生されるマイナス・イオンは確かであると分析がでました。社長の予見通り……。ユグドラシルは、地球の除染能力が備わっている模様です」

「うん……。いずれこの地球にマイマス・イオンが溢れかえり、この星が蘇ることを願うよ」

 安らいだ声でダンはチェルに優しく告げると、チェルは「本当に……」と社長の言葉に深く同意を示すように、静かに頷いた。


 通話を終えたチェルの手元に一つのファイルが残っていた。それを彼女は一瞥すると、きちんと鞄にしまいこみ保管した。

 そのファイルは、いつかフェニレクの研究員も見ていた資料と同じもので、ミツバチ隊の健康診断結果だった。

 ユグドラシル、第一発見者、ガロッシュのものである。

 そこにどういった意味があるのか――現時点で気が付いている者はごく少数であった――。

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