オーガニックシンパシー

 社長であるダンからの呼び出しであるという命令を受け、カガミはチェルに連れられて、以前面接を行った会議部屋にやってきていた。

 適当に腰かけろとチェルから命じられると、社長のダンの声がスピーカーから聞こえてきた。どうやらまたこの場に姿を現さないようだ。


「やあ、あれからミツバチ隊で上手くやっているかな?」

「ボチボチです」

「そうか。それは良かった。でな、少々君に特務を与えたいと今回呼び出した」


 ダンは時間の無駄を省くかのように、呼び出した要件を単刀直入で語った。

 その声に続いてチェルが矢張り書類の資料を手渡し、カガミに確認するように告げる。


「……どういうことです」

 資料を確認したカガミは露骨に不満を滲ませた声を出した。

「すまないが君がダナイン社を辞めた時の経緯をこちらで調べ、まとめてみた。どうだね、間違っていないだろう」

「……ええ、当たってますが、気分は最悪です」


 チェルの手渡した資料は、カガミ――いやその本名シュピーゲルの経歴をまとめたものだった。ご丁寧に、解説や推察がコメントとして添えられてもいる。


「ご家族を亡くしたんだね。ダナインの実験で」

 ダンの低く落ち着いた声がしんとした会議室に響く。カガミは資料をうんざりという様子でチェルに付き返し、「良く調べましたね」と嫌味な表情をする。

「伊達に社長秘書ではない」

 と、チェルも冷淡な表情を崩さずにカガミの視線をあしらった。

 カガミはかつて、六歳のミラと共にダナインのコロニーで暮らしていた。カガミにとって、唯一の家族であり、心のよりどころでもあった。

 彼女のために自分は生きていると言っても過言ではないとカガミは考えていたし、それが彼をダナインの主任まで押し上げた活力であったのも事実だ。


 ――しかし、ミラはダナイン社の実験によってモルモットにされたのである。体と脳を弄られ、心と精神を解剖されてしまった。人類発展のための礎という名目のもとに。

 ダナインの新事業はこの過酷な環境に耐えうることのできる新人類を生み出す『エボリューションプロジェクト』であった。これは今、地表で跳梁跋扈しているミュータント達のように、人類も生身で地表の空気の中でも生きていけるような細胞を獲得することを目的としたもので、実現できれば、人はLDを纏わずとも超人的な能力を獲得し、ミュータントに対しても対応できるとされていた。

 極秘裏に進められていた実験は、ダナインの主任であったカガミすら知らぬことであり、バイオテクノロジー分野のラドラ博士の指揮のもと、コロニー内でランダムに選出された被験者に対して行われたのだ。

 カガミが仕事を終え家に帰り着いた時には、もう手遅れだった。

 被験者に選ばれたミラは、施設に連れ去れていた。カガミはダナインのバイオテックに乗り込み、ラドラを射殺した。その後、ミラを発見した時にはもう、原型を留めていないゼラチン状となっていて、被験者データからそれがミラなのだと推測するしかないような状態だったのである。

 実験はまだ、到底成就には程遠い状態であるにもかかわらず、マッドサイエンティストのラドラが知的好奇心を満たすためだけに、ミラを玩具にした。

 カガミはその日、ダナインのバイオテックを徹底的に破壊し、姿を消した。一大企業のダナインであったが、このカガミの起こした事件は致命的な打撃を与え、ヴァコムに吸収合併される原因を作ったのである。結果、今はヴァコ・ダナという形で荒廃世界で生き残っているのだ。


「そんな君だからこそ、今回の任務を受けてほしいと思っている」

「なんなんです。ムカつかせて仕事を押し付けるのは」

「これを見ろ」


 カガミがあからさまに苛立ちを見せたにもかかわらず、ダンもチェルもそのカガミの反応に妙に満足したような様子で仕事の話に移った。

 今度は画面に資料がデータとして表示された。見たところ、宇宙コロニーユリカゴのデータのようだった。


「これはあのサンクチュアリに墜落したユリカゴのデータだ」

 チェルが解説を行いながらモニターのデータを操作する。

「堕ちたユリカゴは『ヴァコラルゴ』という会社のユリカゴだった」

「ヴァコラルゴ?」

「今はもうない会社だが、ヴァコム社の下請けだったらしい」

「……で?」

「ヴァコラルゴはユリカゴを運営していたが、……これを見ろ」


 モニターの資料表示が切り替わった。堕ちたユリカゴの当時の状況データのようだった。

 そこには驚くべき事実が記載されていた。

 うんざりとした態度をしていたカガミもその情報には表情をピクリと変化させ、凍った貌を張り付けることになる。


「実験コロニー?」

 ヴァコラルゴはそのユリカゴに住まう人間に、安全なる生活を保障するとうたっておき、集めた住人らで実験を行っていたらしい。そのやり口はかつてのダナインのコロニーに行われたものと似ていた。

「ユリカゴは住居コロニーの皮をかぶった実験施設だった。そしてそれを嗅ぎ付けた敵対企業がヴァコラルゴを脅し、乗っ取ろうと動いた事件は知っているな? その結果、ユリカゴはその敵対企業のテロリストにより、衛星軌道上から切り離され墜落した。それがサンクチュアリだ」

 その話は前回、サンクチュアリの任務時にニュース記事で知った。しかし、目の前に表示されているデータはそれが真実ではなかったことを物語っていた。


「……テロリストによりユリカゴを落とされたとされているが、事実は違う。事件の発覚後、真っ先に動いたのは親会社のヴァコムだった。そして、まるで何かの証拠を隠滅するかのようにヴァコムが、ユリカゴを攻撃し、中の住人ともども、地表に落下させたのだ」

 チェルの解説ののち、ダンがスピーカーから重ねるように続ける。

「その結果、ヴァコムは墜落したユリカゴの残骸をくまなく回収した。後にはクレーターだけが残り五年が過ぎ去った――。そんなある日、そこにユグドラシルが咲いたのだ」

「ヴァコラルゴのユリカゴで行われていた実験が、ユグドラシルに関係アリということか?」

 奇妙な実験施設であったユリカゴが住人を乗せたまま墜落。そしてその地から生まれた一輪の花――。何かあると思うのは当然だろう。


「ヴァコラルゴというよりも、ヴァコム……つまり今のヴァコ・ダナが何かを企てていたと考えられる」

「どういう実験が行われていたんだ、そのユリカゴは」


 カガミがチェルに視線を寄越した。ダンがこの場にいないため、意見をぶつける相手はチェルしかないのだから仕方ない。


「実験は交配実験だ。人間のつがいを作り、薬を投与しては出産を繰り返させていた。コンセプトは、ダナインのエボリューションプロジェクトと似ている。新人類の誕生のための実験だ」

 遺伝子操作を行った人々にさらに色々な薬物投与を行い、まるで家畜のように交尾させては分娩を繰り返させていたらしい。ダナインは試験管の中で生命を造ろうとしていたようだが、ヴァコムは生きた精子と子宮を使った実験を行っていたようだ。


「君は直接、エボリューションプロジェクトをその目で見たんだろう? その君なら、ヴァコムの実験の類似性やそこから推測できるユグドラシルにつながる何かを発見できないかな?」

「これだけじゃなんとも……。オレは単なるサラリーマンだったんで」

 バイオ分野は専門外だ。確かにダナインのバイオテックを破壊した時、色々とデータを盗み出し目を通しているが、それがユグドラシルにつながるヒントになるのかはハッキリとは分からない。


「うむ。これだけでは、我々も何も分からない。……そこで君に特務を与えようと言うのだ」

 ダンが意味ありげに間を作って、『特務』を命じた。チェルは別の書類を懐のファイルから取り出し、カガミに手渡した。

 カガミはそれを見て、まるで能面のように表情を殺した――――。

「君には宇宙へ出張してもらう」


 ――ミツバチ隊LDロッカー。

 今、カガミとタバサの二人はそこでLDの装備を変換する作業に追われていた。ガロッシュとレツもその場にいるのだが、今回は留守番を言いつけられ、退屈そうな態度を見せていた。


「ちぇ、いいな。オレも宇宙に上がりたいぜ……」

 レツがつまらないと子供らしい事を云った。

「宇宙は……経験がない」

 ガロッシュも同様に、居残りになる事に、歯がゆそうな表情を浮かべる。

 今回、宇宙行きを命じられたのはタバサとカガミの二名だった。残り二人はフェニレクに残り、防御に就く。


「宇宙かー。LDの調整はアポジモーターを装着したから、これで上手く動くけど、あとは装備者の腕しだいね」

 整備員のリリナがデュビアス・ソウルを宇宙用に調整しなおして、カガミに調子を尋ねた。


「経験はある。それにLDは元々、宇宙服から作られたんだ。宇宙のほうが本場だ」

 カガミは各部チェックを行い、宇宙用のシミュレーションをミラに行わせて、異常がないかを調べる。LDの脚部と腰、バックパックに宇宙空間で活動するための推進装置を取り付けており、重力下では非常にバランスが悪く動きにくかったが、宙域にでてしまえば、これで自在に無重力の中を泳ぎ回れるだろう。


「隊長は宇宙の経験は?」

「勿論あるさ。宇宙遊泳に関しては自信がある」

 今回、タバサと共に宇宙に上がり、とあるユリカゴを調査することになった。

 それは五年前に落下したユリカゴ同様、大手企業のヴァコ・ダナが運営するユリカゴである。

 潜入任務に長けているというタバサは今回の任務には打って付けであったが、潜入中継するサポーターに選ばれたのがカガミであった。

 ユリカゴ内に潜入するのはタバサ単身ではあるが、カガミはユリカゴの外周にて待機し、タバサの援助を行うポジションとなっていた。


 フェニレクからビー・ハイヴを使い、軌道エレベータ『ビーンストーク』まで移動する。それだけでも長距離旅行ではあったが、地表から静止軌道上までエレベータで登っていくのもあっという間と言うわけにはいかない。

「これから数日、宜しく」

「ああ――」

 タバサは上司ではあるが自分よりも若い。何よりもいい年頃の女性だ。仕事ではあるが、若々しい女性との二人っきりの旅行になったことにカガミはどうしたものかと考えていた。

 あまり女性を気遣うようなことは得意ではない。これから共に任務を行うパートナーであるが故、それなりに親睦は深めておく方が仕事はやりやすいとは思うがどう語りだすべきかを逡巡していた。

 ビー・ハイヴ内で二人は暫し沈黙をつづけた。

 最初に会話の口火を切ったのはタバサだった。


「今回の仕事は……気味が悪いと思わないか?」

「ええ……まぁ。うさん臭い話です」

 ――タバサとカガミが請け負った任務は、宇宙コロニーユリカゴの調査だった。

 それも、ヴァコ・ダナ社の運営するユリカゴへの潜入調査活動――要するにスパイ活動なのだ。

 ヴァコ・ダナは恐らくなんらかの『エボリューションプロジェクト』に似通った実験を行っていると推測したダンは、エボリューションプロジェクトの尻尾がユグドラシルプランのヒントになるだろうと考えたのだ。


「隊長が潜入するんでいいんですか?」

「ああ、そのほうが向いている。サポーターに徹してくれ」

「……シンクロ・リンク・サポートで、ですか……」


 シンクロ・リンク・サポートはLD同士の感覚を共有するためのシステムだ。LDは人間の神経に直接リンクすることでより直感的な活動ができるように作られていて、五感を高めたり、感覚を共有したりもできる。

 この機能は普段はリミッターを取り付けており、不必要に他者と深くつながらないように出来ている。あまりに感覚を共有しすぎると、自分を見失ってしまう事もあるからだ。


 今回、潜入するのはタバサのみであり、カガミはユリカゴの外壁装甲に張り付いたまま待機し、そこからタバサをサポートする作戦となっている。潜入任務に最も大事なことはスニーキングともう一つ、情報だ。

 的確な情報をもとにサポートを受けてこそ、潜入は成功する。スニーキングミッションは、独りではできない仕事なのだ。

 情報を共有し、ダイレクトに連絡を取り合えるシンクロ・シンクを利用することで、まさに二人の力を一つにでき、その相乗効果は大きなものになるが、ひとつ問題もある。

 リンクを高めれば高める程、お互いに体と意識が溶け合って、奇妙な繋がりを生む。


「今から慣らしておこう」

「……いまですか? オレは、かまいませんが。隊長、本当にオレとシてもいいんスか」

「作戦開始の際に使い物にならないんじゃ話にならない。ユリカゴに到着するまでは、このままお互いのリンクをつなげたまま、シンクロ率を上げていくべきだ」

「まぁ……それはそうなんですがね」


 カガミは理屈はそうだが、と少し参ったような貌をした。

「私の事なら気にしないでくれ。精神感応は上げず、肉体感応だけリンクさせるんだ」

「分かりました。あとでセクハラとか言わんでくださいね」

「……バカ言わないでくれ」


 タバサが少しばかり恥ずかしそうな声をした。やはり男とつながるというのは、意識してしまうものだ。仕事ではあるが、肉体感応リンクが高まれば、それは互いの身体を重ね合わせて密着させているような感覚と大差ない。

 これは言ってしまえば、スキンシップに他ならないのだ。

 タバサとカガミはリンク状態を作り出した。

 カガミはじんわりと、自分の体に別のぬくもりが伝わってくるのを感じ取れた。


「どうです」

「シンクロ率12%。まだ、上げていくぞ」

 タバサがリンクシステムを更に上げた。それに伴い、体に感じるぬくもりに、不可思議な肉の弾力を感じる。


「……んっ……」

 自分の体を包み込むような他者の感触が強まり、タバサは思わず違和感に声を漏らした。

「この辺で止めときましょう」

 カガミもタバサの肉体の感触を全身で感じとれていた。彼女の身体が自分のもののようにもなったような、馴染まない感触。

 二人は互いに異性の肉体を直々に感じ取って、体温を上げていた。

 肉体のリンクを異性間で行う事は性的な感応を呼び覚ましてしまう。動物の雄と雌である以上、どうしても仕方ない生理現象でもあった。

 タバサは、ぞくぞくと体の先っぽが充血していくような感覚に、頬を赤らめていた。

 シンクロ率が上がり切れば、違和感は消えるのだが、まだまだ慣れるまでは時間がかかりそうだ。

「このまま……リンクは切らさず……ん……っ」

「た、隊長。あまり敏感に反応しては、こちらにも伝わります」

 タバサの性感に震える感触がカガミにも伝わってくる。男でありながら、女性の感覚が走り抜けるのは流石のカガミも慣れなかった。

「そ、そういう事を言うな……、せ、セクハラだぞ」

「……理不尽な……」

 これを今回の旅行中、ずっと続けるのかとカガミは堪らず溜息を洩らした。

 今回の潜入任務は失敗できない。これはやらなくてはならぬ通過儀礼とは言え、火照る若い女性の感覚が自分の中で渦巻くのは脳みそをドロドロにしてしまう誘惑となって、妖しく手招きをするようだった――。

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