バレンタイン小話「Don't like it」

愛が欲しかった。

愛が、欲しかった。

死なない程度に生かしてくれる引き算の愛じゃなくて、生きる自由を食うようなたし算の愛でもなくて、ただただ、愛が、欲しかった。

だから、なんで「その日だから」という理由だけで愛を渡してもらえるのかと怒りを覚えても、わかってもらえると思う。

私は、バレンタインデーが大っ嫌い。





【Don't like it.】





柏木萌子はその日、腹痛で学校を休むと決めていた。初夏に始めた関係は、甘辛いお菓子のように癖があって病みつきになっていたけれど、それとこれとは話が別だ。

契約したから、彼女は萌子に愛をくれる。

きっと、彼女はそれが歪んでいると信じている。

信じている間は、萌子はずっと、愛がもらえる。

加減を測る時、まるで恋の駆け引きをしているようなちょっとした楽しさがあって、やり過ぎてしまった時はヒヤリと焦りもするけれど、それもだいぶ、彼女には受け入れられるようになったと思う。

(そう、大分丸くなったと思うんだよね)

なにも言わずに母が出て行くのを横目に、萌子はぼんやりテレビを見ていた。ここ半年真面目に学校に行っていたから、一日くらい家にいても問題ないと判断したのだろう。ガチャンと背後で鍵が閉まる。行ってきますもない。呆気ない。

話を戻そう。

あの子との関係に絡んでくる他人が、いた。というか、今もいる。皮肉なもので、彼女たちはあの子が好きらしい。萌子と違って。

好きじゃない萌子があの子の愛をもらえて、好きな他人があの子の愛をもらえない。なんて不公平な世の中だろう。いい気分だ。

みんなはいつだってこんな気持ちで居たのだと思うと羨ましくて叫びそうになるけど、あの子がいる限りそれはできない。萌子だってそちら側なのだから。

テレビ番組をピ、ピと切り替えてみるも、どこもかしこもバレンタイン商戦の話ばかりだった。頬杖をついたまま、ため息も吐かずに電源を切る。

萌子は、バレンタインデーが嫌いだ。

男子学生と付き合っていても、二月に別れることになるから萌子の彼氏最長記録は9ヶ月で留まっている。手を繋いでも、キスをしても、身体を繋げたとしても、結局みんな、そういう小さな思い遣りみたいなものが欲しいだけなのだ。馬鹿馬鹿しい。そんなの萌子とて欲しいに決まっている。

だから、バレンタインデーだからという理由だけで愛がもらえる男子は嫌いだし、同じ理由で友人とお菓子を食べ合う女子も好きじゃなかった。萌子は、いつだって仲間はずれだった。

「……あーあ、暇!なにしよっかな」

椅子に背を預けて、椅子の足を浮かせる。フローリングが傷付くからやめなさいと言われていたが、口うるさい人は居ないからいいだろう。

(……あの子、今日は友チョコとかいうやつ貰うのかな)

いつも一緒にいるメンバーを思い出して、素直に嫉妬する。萌子とも話してくれるようになってはきたけど、そうじゃないのだ。萌子はまだ、友達にはなれていない。

思い直すと気持ちが拗ねてきて、ゲームセンターで発散してこようかという気持ちが湧いてくる。どうせ、この日は先生も生徒からもらうチョコのことで頭がいっぱいだ。

あの服とあの服を着て、コートはベージュにして、とあれこれコーデを考えながらクローゼットを開けると、ピンポン、とチャイムが鳴った。

この時間に来客があるわけないので、宅配便だろう。無視しておけば宅配ボックスに入れてくれるので、反応しない。

ピンポン、ともう一度鳴っている間に、目当ての服を引っ張り出す。黒タイツを用意して、暖かいリビングに移動する。

「ん?」

ぶいぶい、と不細工で可愛い音を立てて端末が震えた。

表示マークはメール。送り主は『あの子』。

美恵というあの子の姿をそのまま模ったような綺麗な名前を知っているけれど、萌子はあの子の名前で登録していなかった。

「なによ……、なに?」

パスコードを開いて見れば、写真だけが送られていた。可愛らしくラッピングされた、トリュフ。形は綺麗じゃなく、後ろには黄色い物体も写っている。

意図が分からず首を捻っていると、ポロンと追加でメールが届いた。

「要らないなら他の子にあげるわ……って、ちょ」

持っていた服を放って、部屋に戻る。パジャマを脱ぎ捨て、制服に腕を通してソックスを履く。化粧は一番簡潔にして、コートを羽織る。カバンと財布と携帯を持って慌てて扉を開けた。

「反応が遅いわね」

「…………へっ?」

打つからずに済んだのは、あの子が傍に避けていたからだ。ひんやりとしたローファーが、凍える廊下の上を滑る。

「居留守をするならもう少し物音を控えた方がいいわ。オートロックでもないんだし」

「……い、いや、なんであんたここに、」

呆然とーー心臓が落ち着くまでの時間を稼ぎたくてーー萌子が尋ねると、美恵は視線を一度萌子から外して、元に戻した。

「貴女、毎年バレンタインの日は来ないと聞いたから」

「え、ああ、うん、まあ」

「それだけよ」

そう言って、彼女が差し出したのは、写真に写っていたお菓子だ。

「………………えっ!?」

「さっきから失礼ね。早く受け取りなさい。私はこれから学校に行くの」

「こ、これ、私がもらっていいの?」

はあ、と美恵のため息は白くなって、風にかき消される。よくよく見れば、彼女はチョコレート色のコートに赤チェックのマフラーをしていた。まるで自分がチョコレートみたいに。

「そうよ。貴女にあげる。味は聞かないわ。口に合わなかったら捨てればいい」

「捨てるわけない!」

この衝動に、名前がないのがもどかしい。

抱きつかれて蹌踉めく美恵の頼りなさが、益々萌子の胸を苦しくさせる。

触れたところすべてがひんやりと冷たくて、いつもより早く家を出てきてくれたのだと理解した頭が、勘違いをし始める。

この熱を、あげたい。

「……喜んでもらえてなにより。私は学校に行くから、離しーー」

「私も行く!」

手袋をした手を握って強く訴えると、今度は美恵の方が驚いた顔をした。しかしそれも一瞬のことで、萌子の目の前で、鮮やかに彼女の表情が変わっていく。

ぞくり、とした。

「そう。なら、早く行きましょ、迷子の子猫さん?」

きっと、彼女に自覚はない。

自覚がないからこんなにもうつくしく、たまらなく愛おしい微笑みを浮かべてくれるのかと思ったら、自分の美味しさに気付いていない苺のお姫様のように見えてきて、萌子はふっと笑いを零した。

電気が消えてるのを確認して、鍵を急いで掛ける。

いつからか嫌に思わなくなった鍵音を響かせて、扉を閉める。

「行こ!」

「そうね。遅刻したら貴女の責任よ」

「はいはい」

手を引っ張っても、萌子だから彼女は文句を言わない。

萌子だから、彼女は毎年参加しないバレンタインに、チョコを持ってきてくれた。

(なんだ、こういうことなのか)

顔も思い出せないほどに付き合ってきた数々の男子学生に舌を出してやる気持ちで、足取り軽く萌子は進む。

バレンタインデーがほんの少しだけ、嫌いじゃなくなった。

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