21 光明真言

 矢は狙いをあやまたず、風を切って飛び、疫病みの神の──藤子さんの胸元辺りに勢いよく当たった。

 そのまま彼女は、射的の景品のごとく、仰向けに仏倒しとなる。


「藤子っ!」


 やったぁと思う反面、相手が人形ひとがた、それも、華奢な少女であるため、イマイチ素直に喜べない。


「お疲れさん」


 横に来た先輩にパシッと背中を叩かれ、ようやく僕は力を抜くことが出来た。

 役目を終えた弓が、光の粒となって消える。


「外したらどうしようかと思いましたよ」


 胸を撫で下ろしながらいうと、先輩が笑った。


「それはないやろ。破魔の矢ぁは、狙い定めて念じるだけで、勝手に飛んでって当たるもんやし──」


 そこで先輩は、藤子さんの方へ視線を向ける。

 よろよろと立ち上がった松籟さんが、倒れたままの彼女へ歩み寄り、名を呼びながら抱き起こそうとしているところだ。

 その様をどこか眩しげに見つめたまま、先輩はボソリといった。


「──あれに当たるんは、悪者わるもんだけやから」


 あれ? ひょっとして、慰めてくれてる?

 まさかな。

 僕も先輩と並んで、二人を見やった。


「藤子っ」


 松籟さんの腕の中、藤子さんがぴくりと動く。


「松籟さま……。もう、勾玉のことを──疫病みの神のことを気になさらずとも大丈夫ですよ。この子はわたしが責任持って、向こうへ連れて行きますから」


 弱々しく伸ばされた細い腕。

 白魚のような指が、松籟さんの頬に触れた。


「村に病を流行らせたのはこの子ですが、そう願ったのはわたしです。みんな、わたしが悪いんです。

 村人たちの苦しむ姿を目にし、ようやくそれに気付いたわたしは、あなたの後を追って死のうと思いました。

 そのとき、法師さまにいわれたんです。

 犯した罪から目を背けず、母としてこの子を慈しんでやれば、この子もとこしえに、安らかな眠りに就くことが出来るだろう。

 それで、わたしの罪もゆるされ、いつの日かきっと、あなたと同じ世界に生まれ変わることも出来るだろうと」

「ああ、出来る」


 彼女の手に自分の大きな手を重ね、彼は頷く。

 何度も何度も。


「きっと出来る。私はずっと待ってるさかい」

「ありがとう」


 ここから顔は見えないけれど、彼女はきっと微笑んでいるだろう。

 恋人しか知らない、最高に美しい笑顔で。


「最後に一つ、ワガママいってもいいですか?」

「ええよ。一つといわず、ナンボでもゆうて」

「わたしたちのために、経を上げて下さい。迷わずに往けるように」

「そんなんお安い御用や。ああ、でも、何がええやろう」


 彼女の姿が薄らいで来たからか、松籟さんが焦ったように呟いた。


「光明真言でエエんとちゃうか。『徒然草つれづれぐさ』でもオススメされとるし、過去にじゅうあくぎゃくなどの大罪があっても、一切をじんしょう除滅じょめつするんやろ」


 先輩のアドバイスに小さく頷くと、彼は息を整え、最初の聖なる音から丁寧に切り出す。


おん きゃ べい遮那しゃのう  はん じん ばり うん


 先輩とはまた違う、深みのある甘く柔らかな美声と共に、僕も、おそらく先輩も、心の中で真言を唱えた。

 この光明真言が、その名の通り、彼女とその子の行く末を照らす光となることを願いながら。


 松籟さんが最後の音を唱え終えたとき、その腕の中から彼女は消えた。

 ただすうっと空気に溶けてゆくかのような、実に呆気ない最期であった。

 彼女の後には、黒い勾玉が一つ残されていたが、それも見る間に形を崩し、風に乗って散り散りとなる。

 終わったんだ、本当に。

 俯いてえつの声を漏らす松籟さんから、僕はそっと目を背けた。

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