第3話 相談員


 その後、丘野は先生たちの手によって保健室へと運ばれていった。何事もなかったかのようにホームルームは続けられ、午前中には散会となった。


 その日の補習は長引いた。

 教えてもらうことより訊きたいことのほうが多かったからだ。「本当に人が冬眠なんてするのか」に始まり、恒温動物である人間が冬眠する理由、この町にだけその風習がある理由など、それはもうたくさん。


 先生はひとつひとつ丁寧に説明してくれたが、おれはどうしても納得できなかった。


「いいか桜井。おまえが訊きたいことと同じことを、国や政治家だって知りたいんだ。だから山の麓に白い研究施設を建て、腕時計から送られてくる心拍数などのデータをもとに冬眠について調査しているんだよ」


 腑に落ちないおれの心を察したのか、先生は何度目かになるため息をついた。


「丘野を見ただろう。触って確かめただろう。あんな状態なのに、春になって冬眠から目覚めるとけろっとした顔でまたランニングをするんだよ、あいつは。それが冬眠であり、この地に古くから根付く伝統なんだ。ずっとずっと昔から、町の人たちはそういう生活をしてきたんだ。……きょうの補習はもう終わりにしよう。春になって授業が始まってもたつかないよう、ちゃんと予習復習しておけよ」


 そう云って立ち上がった先生に、おれは最後の質問をした。


 「相談員って、なんですか?」と。



 補習を終えて教室に戻ると、彼女はいつものように待っていた。身震いするような寒い室内で、制服姿のままじっと窓の外に目を凝らしている。時折、許しでも乞うように手のひらを合わせて白い息を吐きかけている。


 また雪が降っていた。

 おれは無言のまま彼女に近付き、その傍らにあった自分の鞄を手に取った。驚いたように今井さんがこちらを見る。


「あ、おかえり。……遅かったね、補習」


「先生にいろいろ質問していたんだよ。他には『誰も』教えてくれないから」


 誰も、の部分だけわざと強調した。


「ごめんなさい」


 ちらりと今井さんを見ると、血の気のない青白い顔を伏せた。


「聞いたよ。相談員って監視役でもあるんだって? 転入して一ヶ月くらいの間、対象者が外部に連絡しようとしたり町の外に出掛けたりしようとするのを監視し、やんわりと止めたり、上に報告したりするんだって?」


 先生は教えてくれた。


 人間が冬眠する。それは世界中でも類をみない稀少な事象だ。だから外部に情報を漏洩させないよう誓約書を書かせるだけでなく、外との接触は厳しく制限される。そのかわり、町の人間は持ち回りで外部からの人間の面倒をみる。それが『相談員』であり、今回おれを担当しているのは今井さんなのだと。


「変だと思ってたんだ。みんな親切すぎるし、ネットもメールもつながらないし」


 町に転入してからつながらなくなった外部とのメール。ひとりの淋しさを埋めるように親しく接触してきた同級生たち。そして、転入して間もなく告白してきた『相談員』の彼女。


 すべてが不自然だったのだ。


「ごめんなさ……」


「だからさ」


 おれは手にした鞄を机に叩きつけた。苛々した。


「そうやって平謝りするのがわかっていながら、なんでおれを待ってたんだよ。こんな寒い教室でわざわざこれ見よがしに」


 自分が傷ついた分だけ誰かを傷つけたい。いまはそんな身勝手な気分だった。


「あの、ほんとうに、ごめ――」


「もういいよ」


 ため息交じりに、ほんとうに投げやりに、そんな言葉を放り出していた。


「別れよう。っていうより、そもそも最初からおれもあんたも付き合う気もなかったんだからさ。お陰様で町には慣れたよ。監視はもういらない。……文句ないよな」


 今井さんは、まだ何か云いたいことがあるように青白い唇を開いた。でもおれは続きを待つことなく、担ぎ上げた鞄とともに教室を走り去った。


 振り返るのはやめた。今井さんがどんな顔をしているのか知りたくもなかった。


「母さんなんなんだよ冬眠って。なんでこんなところに越してきたんだよ」


 おれは玄関扉を開けた勢いのまま、居間のこたつでくつろぐ母のもとににじり寄った。きょうの経緯を懸命に伝える。


 母は、きょとんと目を丸くしたかと思うと「人間が冬眠するわけないじゃない」と笑い出した。


「どうせ、何かの病気を持っている一部の人たちだけのことでしょう? それを冬眠って呼んでいるだけよ」


 だったら今井さんはなんであんな顔をしたんだ。あんなに謝ったんだ。


「確かに風変わりな風習があるって話を聞いたけど、それと引き換えにお父さんが出世してお給料が倍になるなら、文句なんてないわよ。そうでしょう?」


 母にとって守りたいのは『冬眠』という不確かな文化ではなく、この家族であり家庭なのだ。


「いずれにしろ、うちには関係ないわよ」


 母はそう締めくくって、こたつにごろりと横になった。

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